紫色の空の下、魔防隊七番組寮の結界の外では、大川村寧を除く隊員たちが汗を流して激しい鍛錬を積んでいた。
八雷神という圧倒的な脅威を前に、一分一秒の遅れも許されない。東日万凛も、駿河朱々も、己の限界を引き上げるように能力を酷使し、仮想敵に見立てた岩を粉砕していく。
やがて、魔都の空に正午の時刻を告げるサイレンが微かに響いた頃。
荒涼とした大地の向こうから、結界の入り口へと歩み寄ってくる二つの影があった。
「……来たか」
訓練の様子を見守っていた羽前京香が、静かに刀の柄に手を当てて目を細める。
現れたのは、深緑の作務衣に下駄を履き、目深に帽子を被った男――浦原喜助。
そしてもう一人。橙色を基調とした身軽な格好に、褐色の肌と鋭い金色の瞳を持つ、しなやかな野豹のような女性だった。
「魔都にくるのも久しぶりじゃの。まったく……本当なのか喜助。お主と同じ力を持つ者がおるなんて」
「ええ。アタシも驚きましたけど、ホントっスよ」
周囲を見渡しながら呆れたように笑う女性に対し、浦原は扇子で顔を扇ぎながら飄々と答えた。
訓練の手を止めた隊員たちは、突然現れた見知らぬ二人組を怪訝そうな目で見つめていた。特に、浦原の放つ胡散臭さは群を抜いている。
朱々は、日万凛の背中に隠れるようにして耳打ちした。
「ねえ、ひまりん。隣のスタイル抜群なお姉さんは置いといて……あの下駄帽子、ほんとに信用していいのかな? どう見ても怪しいし胡散臭いんだけど」
「大丈夫だと……思う。組長が通した相手だし」
日万凛は朱々に答えつつも、隣の褐色の女性から目が離せなかった。
彼女の顔には見覚えがない。しかし、その立ち振る舞いから滲み出る圧倒的な『強者』のオーラと、彼女のフルネームを、日万凛は知識として知っていたからだ。
「すまんな浦原……と、四楓院さん」
京香が進み出ると、四楓院夜一と呼ばれた女性は、腕を組んで京香を値踏みするように見つめた。
「ほう……お主が今の七番組組長か。うむ。中々気骨のありそうなやつじゃ」
「恐縮です」
日万凛の心臓が、早鐘を打っていた。
四楓院家。かつては、日万凛の実家である『東家』と肩を並べる、歴史ある絶対的な名家だ。
しかし、彼女――四楓院夜一が当主となってからは、その家風は大きく変わった。『そんなに競わんくてええじゃろ』と、魔防隊の絶対実力主義を鼻で笑うような自由主義を掲げたのだ。
結果として、夜一が約10年前に突如として魔防隊を抜け、表舞台から姿を消したことで、東家は魔防隊における絶対的な武の頂点として君臨することになった。(事実上、夜一ほぼ一人で東家全体と肩を並べていたようなものだったからだ)。
それでも、世間から見れば四楓院が名家であることに変わりはない。東家が魔防隊を牛耳るなら、四楓院家は警察や官僚など、人間の社会におけるトップに近いポジションに多くの人材を輩出している。
そんな伝説の『瞬神』が、目の前にいる。
「浦原」
京香は、胡散臭い笑みを浮かべる技術者に対し、静かに、しかし絶対の殺意を込めて警告した。
「何か妙なことをしたら、躊躇なく叩っ斬るぞ」
「ハイハイ、分かってますよ。アタシたちは味方ッスから」
浦原が両手を挙げて降参のポーズをとった、その時だった。
『にょんっ』
独特の空間の歪みと共に、六番組組長・出雲天花が姿を現した。
「やっほー、優希くん。様子を見に来たよ」
「あ、天花さん。お疲れ様です」
優希がタオルで汗を拭きながら挨拶を返すと、天花はすぐに夜一の存在に気づき、その目を丸くした。
「この人が……瞬神、四楓院夜一……」
飄々とした天花でさえ、生ける伝説を前にして息を呑む。
簡単な紹介を終え、浦原は外に残って寮の結界の強度を調べ始めた。一方で、夜一は「ワシは先にあやつの顔を見てこよう」と、一人で寮の中へと入っていった。
医務室代わりの空き部屋。
ベッドに横たわる真護の様子を、夜一は腕を組んでじっと観察していた。
山城恋によって吹き飛ばされた左腕は、黒い粒子による驚異的な再生をほぼ終えており、すでに新しい皮膚が形成されつつあった。あとは、彼自身の意識が戻るのを待つのみだ。
「人型醜鬼とはの……。しぶとい生命力じゃ」
夜一は感心したように呟き、部屋を出てリビングのソファに腰を下ろした。
「どうぞ」
「おお、すまんの」
優希が淹れた温かいお茶を啜りながら、夜一は向かいのソファで同じくお茶を飲んで休憩していた日万凛を、ジッと見つめた。
「……お主、風舞希の娘か?」
「え!? は、はい!」
突然現九番組組長である母の名を出され、日万凛は慌てて背筋を伸ばした。
「そうか。前に風の噂で、東の娘が一人家を飛び出したと聞いておったが……なるほど、お主のことか」
夜一はカッカッカと豪快に笑うと、湯呑みをテーブルに置いた。
「ま、海桐花の婆さんも相変わらずのようだしの。あの家で育つのは、さぞ息苦しかったじゃろうて」
東家の先代当主であり、日万凛の祖母にあたる東海桐花。その厳格な人物を「婆さん」呼ばわりできるのは、魔防隊の歴史を探してもこの夜一か、りうくらいのものだろう。日万凛は苦笑いするしかなかった。
数十分後。
真護の様子を定期的に確認しに行っていた優希が、血相を変えてリビングに飛び出してきた。
「よ、夜一さん! 京香さん!!」
「どうした、優希」
「真護の様子がおかしいんです! なんだこれ……!」
優希の緊迫した声に、夜一は即座に立ち上がり、部屋へと駆け込んだ。
――精神世界。
横倒しになった高層ビル群の空で、激しい剣戟の音が響き渡っていた。
ガギィィィィィンッ!!
黒と白。二つの刃が激突し、火花を散らす。
「どうしたよ! 殺す気でこなきゃ、オレは倒せねえぞ!」
狂気を孕んだ金色の瞳を輝かせ、白き真護が歓喜の声を上げる。
対する真護は、息を切らせながらも、その漆黒の瞳に揺るぎない闘志を燃やしていた。
「やってやるよ……!」
真護が大きく後ろへ飛び退き、顔の前に刀を構え、左手を添える。
全く同じタイミングで、白き真護も純白の刀を構え、狂気的な笑みを浮かべた。
「「卍解!!」」
黒と白、二つのエネルギーが同時に爆発的に放出される。
吹き荒れる霊圧の嵐が晴れた後、二人の手には、それぞれ漆黒と純白の『天鎖斬月』が握られていた。
「テメェ……いつからだ……?」
真護が、油断なく白き己を睨みつけながら問う。
いつから、卍解を出来るようになったのか、いつから自分の中に巣食っていたのか
「いつからだァ?」
白き真護は、首をコキリと鳴らし、純白の刃を真護に向けて突きつけた。
「最初からだよ!!」
白き死神が、瞬歩で距離をゼロにする。
「ぐっ……!」
重い。速い。ただの剣術ではない、純粋な殺意の塊。
押し込まれる真護。精神世界での圧倒的な劣勢は、そのまま現実世界の彼の肉体へと、恐ろしい影響を及ぼし始めていた。
「これは……!」
部屋に駆け込んだ夜一の目に飛び込んできたのは、異様な光景だった。
ベッドに横たわる真護の身体。元々、人型醜鬼として白く変色していた彼の肌が、ズズズ……と、さらに異質な『チョークのような純白』へと侵食され始めていたのだ。
おまけに、彼の顔の半分には、禍々しい骨の仮面のようなものが形成されつつある。
優希の呼びかけで、窓から結界の調整を終えた浦原も素早く部屋に入ってきた。
「喜助! これを見い!」
「……やはり」
浦原は、帽子を深く被り直し、その侵食現象を見て静かに呟いた。
「山城サンとの戦いで無理やり虚化の力を引き出したせいで、魂のバランスが崩れかかってるんス。このまま内なる闘争に負ければ、彼は完全に理性を失ったバケモノになり果てる」
「真護が、バケモノに……!? 浦原さん、どうすれば!」
優希がパニックになりかける中、浦原は懐から、複雑な呪印が描かれたお札のようなものを一枚取り出し、夜一へと放り投げた。
「夜一サン、これを!」
「応!」
夜一は空中でそれを受け取ると、一切の躊躇なく真護のベッドサイドへと踏み込んだ。
そして、そのお札を握りしめた拳を高く振り上げ――。
「フンッ!!」
ズドォォォォォォォッ!!!
「グエッ!!!」
寝ている真護の腹部に、瞬神の容赦のないフルスイングの鉄拳が突き刺さった。
ベッドのフレームがひしゃげ、真護の身体が「く」の字に折れ曲がって宙に浮く。
「ゲホッ! ガハッ……! 何すん──!?」
あまりの激痛に、真護は無理やり精神世界から現実へと意識を叩き起こされた。
顔を覆いかけていた骨の仮面が砕け散り、侵食しつつあった純白の肌も、元の色へとサーッと引いていく。
「いってぇぇ……!!──」
ハッとなり
「オレ、生きてんのか……!?」
腹を押さえてベッドの上で悶絶する真護を見て、優希は涙目で駆け寄った。
「真護!目が覚めたんだな!よかった……!」
「優希……!?……それに、羽前さん」
涙ぐむ幼馴染と、腕を組んで見下ろしてくる京香の姿を見て、真護は混乱した頭を必死に回転させた。
自分は確か、魔都で山城恋にボコボコにされて、左腕を斬り飛ばされて……。
「ここは、七番組寮だ」
京香が、淡々と事実を告げる。
「お前は、山城総組長に連れられてここにきた」
「あの人に……?なんでオレを生かして……」
真護が顔をしかめながら周囲を見渡すと、京香や優希の後ろに、全く見知らぬ二人の人物が立っていることに気がついた。
「つか、この人たちは誰だ?」
真護の問いに、深緑の作務衣を着た男が、帽子に手を当てて一歩前に出た。
「どーも。アタシは浦原喜助というもんス」
浦原は、胡散臭い、しかしどこか底知れない凄みを感じさせる笑みを浮かべた。
「あなたに、本当の『力の使い方』を教えにきたんスよ」
魔都の理を超えた力を持つ者同士の、邂逅。
黒き死神の真の覚醒への修行が、今、七番組寮の片隅で始まろうとしていた。