魔都の死神   作:アレクサンドル三世

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第3話 青羽の思惑

魔都の空は相変わらず重く淀んでいたが、その下で繰り広げられる光景は半年前までとは一変していた。

 

「――遅ェ」

 

漆黒の残像が荒野を駆ける。

風よりも速く、瞬きの間に距離をゼロにする神速の踏み込み。

 

「うわっ、マジで速いってば!」

 

和倉青羽が慌てて髪の壁を展開するが、黒い刃はその防御が完成するよりも速く、彼女の懐へと潜り込んでいた。

首元に突きつけられた切っ先。

ピタリと動きが止まる。

 

「……またオレの勝ちだな、青羽さん」

 

真護が刀を下ろし、卍解状態を解除する。死覇装が霧散し、いつものボロ布を纏った姿に戻る。

半年の月日は、黒嶺真護という存在を別次元へと押し上げていた。

かつては青羽に手も足も出なかったが、今や雑魚醜鬼など一薙ぎで殲滅し、一対一の組手では青羽や波音を圧倒するほどになっていた。

 

「いやぁ! やるじゃない!! もうアタシ達よりも強いんじゃない?」

 

青羽は悔しがる素振りも見せず、ケラケラと笑って真護の肩を叩く。

その横から、銭函ココが目を輝かせて飛びついてきた。

 

「真兄、めっちゃ強くなったもんね! 今の動き、全然見えなかったよ!」

 

「ありがとうな、ココ。お前たちのサポートのおかげだよ」

 

真護はココの頭を撫でながら、自身の掌を見つめる。

力の使い方は完全に掌握した。だが、力がつけばつくほど、自分たちがこの世界で「異物」であるという事実もまた、重くのしかかってくる。

 

「……で、話があるんだろ? 青羽さん」

 

真護が視線を向けると、青羽の表情からふっと笑みが消えた。

彼女は真剣な眼差しで、仲間たちを見回し、そして真護を真っ直ぐに見据えた。

 

「勘がいいねぇ。……うん、単刀直入に言うよ」

 

青羽は一つ息を吸い込み、爆弾のような言葉を投下した。

 

「魔防隊の『陰陽寮』を襲撃しようと思う」

 

「……は?」

 

真護の思考が一瞬停止する。

魔防隊。それはこの世界で唯一、醜鬼に対抗しうる人類の守護者。

その拠点を襲撃する。それはつまり、人類社会そのものへの宣戦布告に他ならない。

 

「正気か? そんなことをすれば、オレたちは……」

 

「分かってる。でも、やる理由があるんだ」

 

青羽が顎をしゃくると、それまで黙って控えていた波音が前に進み出た。

かつてモデルとして活躍していた彼女は、その整った顔立ちを苦渋に歪ませていた。

 

「……私の話を、聞いてくれる?」

 

波音が語り始めたのは、彼女がここに来るまでの壮絶な過去だった。

 

「私は以前、モデルをしていたわ。桃の存在は知っていたけれど、あえて食べなかった。桃の能力には若返りの効果があるって噂があったから……年老いて、美貌が衰え始めた時にこそ食べるべきだと信じていたの」

 

美への執着。それは彼女の生きる原動力だった。

だが、運命は残酷だった。

 

「でも、魔都災害に巻き込まれた。醜鬼に襲われて……死にたくない一心で、たまたま見つけた桃を口にしたの」

 

結果は、適合者としての覚醒ではなく、暴走だった。

全身から衝撃波のようなエネルギーを放出し、襲い来る醜鬼を一掃した波音。だが、その代償として彼女の肉体は変異を始めた。

 

「気がついた時、私は病院のベッドの上だった。……いいえ、あれは病院なんてものじゃなかったわ」

 

波音の声が震える。

 

「私の体が『人型醜鬼』になり始めていることに気づいた政府は、私を魔防隊の管理施設……『陰陽寮』へ移送した。そこで待っていたのは治療じゃない。『研究』という名の人体実験よ」

 

陰陽寮の冷たい無機質な部屋。

衣食住は与えられていた。だが、それだけだ。

肉体が変化していく過程を詳細に記録するため、彼女は衣服を纏うことすら許されず、常に全裸で監視カメラに晒され続けた。

 

「プライバシーも、尊厳も、拒否権もなかった。毎日毎日、身体中を調べ回されて……私は人間じゃなくて、ただの『実験動物』だった」

 

その瞳には、消えることのない屈辱と怒りの炎が宿っていた。

真護は言葉を失った。美しい容姿を持つ彼女が受けた仕打ち。それがどれほどの精神的苦痛だったか、想像するだけで胸が締め付けられる。

 

「ある時、施設のセキュリティがシステムダウンしたの。その隙をついて、私は『隠された美(ヒトリシズカ)』の能力で脱出した。……同じように捕まっていたココや、他の仲間たちを引き連れてね」

 

波音の能力は、物体や生物に潜り込むことができる潜行能力。それを使って壁を抜け、仲間と共に地獄から這い上がったのだ。

 

「脱出した先で青羽と出会い、ここまで逃げ延びた。……でも、まだあそこには捕らわれている仲間がいるかもしれない。それに、あんな非人道的な場所、存在していていいはずがないわ」

 

波音が語り終えると、再び青羽が口を開いた。

 

「アタシも似たようなもんさ。魔都に迷い込んで桃を食って、人型醜鬼になった。暴走が激しくてね……理性を保ったまま力を使いこなすために、こうして潜伏して力を蓄えてきたんだ」

 

青羽は拳を握りしめる。

 

「真ちゃん、今のあんたならやれる。波音の隠された美(ヒトリシズカ)で潜入し、ココの新しい能力『水も滴る風雲児(ココジュース)』で物理攻撃を無効化すれば、正面突破も不可能じゃない」

 

ココが得意げに胸を張る。

彼女の体液は、傷を治すだけでなく、物理的な衝撃を無効化するバリアのような効果を持つことが判明していた。

そして、真護の圧倒的な戦闘力。

揃いつつある手札。勝算はある、と青羽は踏んでいるのだ。

 

「……力を貸して、真護。あそこを潰して、私たちの尊厳を取り戻したいの」

 

波音の悲痛な願い。

真護は目を閉じた。

彼女たちの痛みは理解できる。許せないという感情も湧き上がる。

だが――。

 

「……悪いが、すぐには頷けない」

 

真護の答えに、場の空気が凍りついた。

波音が目を見開き、青羽が眉をひそめる。

 

「どうして? 怖いの?」

 

「違う。……それをやれば、オレたちは完全に『人類の敵』になるからだ」

 

真護は静かに、しかし冷徹な事実を突きつけた。

 

「今までは、ただ魔都に隠れ住んでいるだけの遭難者だ。だが、魔防隊の施設を襲撃すれば、それはテロリストと同義になる。魔防隊だけじゃない、政府、ひいては全人類を敵に回すことになるんだ」

 

真護の脳裏に、幼馴染である和倉優希の顔が浮かぶ。

彼は今、現世でどうしているだろうか。

もし自分が魔防隊を襲撃すれば、優希とも完全に敵対することになるかもしれない。まだ彼が隊に入っているわけではないが、彼が住む社会そのものを敵に回すということだ。

 

「ここにはコイツみたいな子供もいる。失敗すれば全員処刑だ。成功したとしても、一生追われる身になる。……オレたちは、人として生きる道を完全に閉ざすことになるんだぞ」

 

真護の言葉は重かった。

彼自身、人型醜鬼となった今でも、どこかで「いつか人間に戻れるかもしれない」「社会に帰れるかもしれない」という淡い希望を捨てきれていなかった。

だが、この作戦は、その退路を自ら断つ行為だ。

 

「……シンちゃんの言うことも分かるよ」

 

青羽が腕を組み、溜息をついた。

 

「でもね、アタシたちはもう、とっくに人間としての席なんて用意されてないんだよ。……ま、すぐに答えを出せとは言わないさ。少し頭を冷やして考えな」

 

青羽はそう言うと、波音とココを連れて洞窟の奥へと去っていった。

一人残された真護は、荒涼とした魔都の風景を見つめる。

己の掌にある黒い力。

これは守るための力なのか、それとも破壊するための力なのか。

陰陽寮で行われている非道。仲間たちの過去。

そして、自身が置かれた立場。

 

「……優希。オレは、どうすればいい……」

 

答えのない問いが、乾いた風に消えていった。

決断の時は、刻一刻と迫っていた。

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