「本当の、力の使い方……?」
ベッドの上で身を起こした黒嶺真護は、戸惑いながらも、目の前に立つ見知らぬ男――浦原喜助の言葉を反芻した。
深緑の作務衣に下駄、目深に被った帽子。どう見ても怪しい風体だが、彼から発せられる霊的な圧力は、決して侮れるものではない。
「ええ」
浦原は、手にした扇子をパチンと閉じ、真っ直ぐに真護の目を見据えた。
「今のあなたは、その強大な力を全く制御できていない。ただ感情に任せて、力任せに刃を振るってるに過ぎないんスよ。……だから、アタシとここにいる夜一さんとで、本当の力の使い方を教えますよ」
その言葉は、真護の魂の奥底で、かつての王の残滓――『斬月のおっさん』に言われたことと全く同じだった。
『お前は私の力を表面だけ掬い取り、振り回しているに過ぎない』
あの言葉の意味を、この現世の男も理解している。ならば、彼に従うことで、あの白いバケモノ(本能)をねじ伏せ、山城恋や八雷神にも届く真の力を手に入れられるかもしれない。
真護の目に、一切の迷いはなかった。
「教えてくれ! 力の使い方!!」
勢い込んで身を乗り出す真護。だが、浦原は両手をヒラヒラと振って苦笑した。
「まぁ、そんなに慌てないで。順番っスよ。まずは、ここの安全確保からですから」
浦原はそう言うと、真護のベッドサイドから離れ、部屋の入り口に立っていた羽前京香へと向き直った。
実は、先日の夜に八雷神の紫黒が優希の部屋に侵入した件について、京香はすでに魔防隊本部へと報告を上げていた(ただし、紫黒の目的や天花との密会などの詳細は伏せている)。そして、七番組寮の結界の強化を上層部に要請すると同時に、裏では浦原にもその対策を頼んでいたのだ。
「羽前さん。結界のことなんスけどね」
「ああ」
京香が鋭い視線を向ける。魔都の神が音もなく侵入してくるような結界では、寮の安全は到底保てない。
「強度に関しては、魔防隊の術式もよくできてるんで、問題ないと思います。八雷神の攻撃を正面から防ぐだけなら、今のままでも十分っス。……なんで、これを」
浦原は懐から、手のひらサイズの丸い、奇妙な紋章が刻まれた木札のようなものをいくつか取り出し、京香に手渡した。
「これは?」
「アタシ特製のセンサーっス。結界内に、八雷神やそれに準ずる異質な霊圧を持つ者が『すり抜け』て入れば、異物と認識されてそれが鳴ります。これさえあれば、寝首を掻かれる心配はなくなりますよ」
京香は木札を受け取り、深く納得した。
確かに、八雷神の紫黒が侵入してきた時、京香自身は全く気配に気づけなかった。というより、偶発的に朱々が夜這い……もとい、優希の部屋に忍び込んでいなければ、誰一人として侵入されたことにすら気づけなかっただろう。それを防げるだけでも、この木札の価値は計り知れない。
「恩に着る」
「いえいえ」
浦原は人の良さそうな笑みを浮かべた後、スッと天花の傍に歩み寄り、扇子で口元を隠しながら彼女の耳元で囁いた。
「出雲サンの能力でも、センサーに引っかからずに入れるようにはしといたんで」
「ありがとうございます♪」
天花が満面の笑みでウインクを返す。
そのやり取りを見ていた京香は、胡散臭いものを見るような目で「?」と首を傾げたが、深くは追及しなかった。
だが、いくら京香の権限であっても、ここからが問題だった。
真護を鍛えるためとはいえ、元組長の四楓院夜一はともかく、明確に「男性」である浦原を、いつまでも女子寮である七番組寮に滞在させるわけにはいかない。魔防隊の規律に反するし、他の組の目もある。
そこで、裏の技術屋である浦原は、すでに手回しを済ませていた。
彼は部屋の何もない壁に向かって呪印を描くと、空間がゆらりと歪み、襖一枚ほどの大きさの『簡易的な門(クナド)』が出現したのだ。
「アタシと夜一さんが、昔からよく使っていた現世の地下修行場と繋ぎました。これがあれば、黒嶺さんはいつでもここに帰ってこられますよ」
「お、おぉ……なんかスゲェな……アンタ」
真護は、壁に突如として現れた空間の扉を見て、素直に感嘆の声を漏らした。これなら、修行のたびに外に出る危険を冒さずに済む。
「だが、真護」
京香が、厳格な組長としての顔で真護を見据えた。
「お前を、ただでこの寮に置いておくわけにはいかん」
「……まぁ、そりゃそうだよな」
「優希と同じく、お前にもここで『管理人』として働いてもらう」
真護は、人型醜鬼として魔防隊に討伐されるリスクを冒してまで自分を匿ってくれる京香の覚悟を理解していた。
「ああ。ただで置いてもらうわけにもいかないんで。……よろしくお願いします、羽前さん」
真護が深く頭を下げた、その時だった。
「え? じゃあ、手が空いた優希くんは、
天花が、目をキラキラさせながらとんでもない提案をねじ込んできた。
「ダメだ!!」
京香が即座に、かつてないほどの鋭い声で却下する。
「優希は、私の奴隷だからな。ここに置いておく!」
「ええ〜、京ちんのケチ。優希くんはみんなの癒やしなのに」
唇を尖らせる天花と、絶対に優希を渡すまいと背中に庇う京香。
その修羅場とも言える光景を見て、浦原は扇子で口元を隠し、目を細めた。
「和倉サン、こんな美女たちにモテモテなんて、羨ましいっスねぇ」
話を振られた優希は、顔を引き攣らせて苦笑いするしかなかった。
「い、いやぁ……」
その様子を見ていた真護は、内心で(この野郎。オレが左腕吹っ飛ばされてベッドで苦しんでる時に、何ハーレム満喫してやがる……)と理不尽な怒りを覚えかけた。
だが、よくよく思い返してみると、自分自身も隠れ里で青羽や波音、ココたちと一緒に風呂に入ったり、髪を梳かしてやったり、寝る時に抱きつかれたりしていたのだ。
(……まぁ、オレも似たようなもんだったから、いいか)
真護はあっさりと怒りを引っ込め、己の現状に納得した。
「それじゃあ真護、とりあえず寮の中の案内と、家事の分担とか教えるよ。体、動くか?」
「ああ。腕も大体くっついたしな」
優希の案内に従い、真護はベッドから降りて部屋を出ていった。
外のグラウンドでは日万凛や朱々が激しい鍛錬を再開しており、寧は学校の宿題をするために自室へと戻っていった。
騒がしかった医務室が静まり返り、リビングのソファには四人の大人だけが残された。
浦原喜助、四楓院夜一、羽前京香、そして出雲天花。
「ちょうどいいっス」
浦原は、全員のお茶が注ぎ終わるのを待ってから、スッと真面目な声色に変わった。
「お二方に、お話があるんスよ」
「話?」
京香が眉をひそめる。
「ええ。アタシの……『研究』の話っス」
その単語に、天花もピクリと反応した。
「研究……ですか……?」
「そう。アタシは陰陽寮で技術責任者をやっていた時代から、秘密裏にある研究をしてたんス」
浦原は、テーブルの上で両手を組み、そのハットの奥の瞳を鋭く光らせた。
「それは……『魔都で死んだ人間の魂は、どうなるのか』というね」
その言葉は、京香たちにとって全くの予想外だった。
魔防隊の認識では、魔都で死んだ者は醜鬼に喰われるか、肉体が滅びればそれで終わり。魂の行方などというオカルトじみた領域は、管轄外だ。
「……クビになってからも、現世の地下でその研究は続けてましてね。最近、ようやく99パーセント、納得のいく解析ができたんスよ」
「99パーセント? どういうことだ?」
京香が身を乗り出す。
浦原は、まるで怪談でも語るかのように、低く静かな声で紡いだ。
「魔都で無念の死を遂げた魂……特に、強い未練や絶望を抱えたまま肉体を失った魂は、すぐには消滅しない。それは長い時間をかけて、魔都の瘴気にあてられ『悪霊』となり……やがて、その辺を這いずり回っている醜鬼に、へばりつくってことですよ」
「なるほどの」
隣で腕を組んでいた夜一が、静かに相槌を打つ。彼女はすでに、この話の全容を聞かされているようだった。
「アタシは、その悪霊がへばりつき、魂の渇きを埋めるために暴走し始めた醜鬼の変異体を……『
天花が、息を呑んでその言葉を反芻する。
「虚……」
「ええ。心にポッカリと穴が空いた、空虚な化け物ッス。当然、その悪霊となってしまった魂の中には、桃を食べて能力を持っていた女性や……魔防隊の隊員さんたちも含まれているでしょう」
浦原の言葉が、重く、冷たくリビングに響き渡る。
「アタシのこの研究が、机上の空論から一気に確信へと進んだのは……数年前の事っス。冥加サンのお孫さんが亡くなる事件がありましたよね?」
その瞬間。
京香の周囲の空気が、凍りついた。
彼女の最も尊敬する兄弟子であり、命を懸けて自分に「心」を教えてくれた恩人。冥加海燕。
彼が特殊醜鬼に乗っ取られ、京香自身の手で彼を貫いたあの忌まわしき事件。
ソファに座りながらも、京香は自身の膝の上で、爪が食い込むほどに強く拳を握りしめた。
「ッ!」
「京ちん……」
天花が心配そうに京香の肩を見る。
浦原は、京香の感情の揺れを察知しながらも、敢えて残酷な事実を提示し続けた。
「あの当時は、アタシもまだ陰陽寮のトップにいましたから。当然、特異な醜鬼に関する情報は流れてきましたし、事後に回収された海燕サンのご遺体も、そして……彼を乗っ取ったという『特殊醜鬼』の残骸も、この目で確認しました」
京香は、ギリッと奥歯を噛み締め、震える声で絞り出した。
「能力持ちの……醜鬼か……!」
「ええ。前代未聞です」
浦原は深く頷いた。
「魔防隊の歴史上、後にも先にも、桃の能力を持った野生の醜鬼はあの個体だけだった。……しかし、アタシは思いました。仮に、あの特殊醜鬼が、強大な霊力を持った人間の悪霊がへばりついた『虚』であったならば……人間だった頃の能力を、そのまま引き継いでいる可能性がある、と」
その仮説は、魔防隊の根幹を揺るがすものだった。
醜鬼が、元人間たちの怨念の集合体である可能性。
しかし、天花が冷静な分析力で、その仮説の矛盾点を突いた。
「でも、ちょっと待ってください浦原さん。仮に、その『虚』とかいうのになった醜鬼が本当にいたとしたら……何故、数年前のあの事件でだけ、能力持ちの醜鬼が現れたんですか? 魔都で死んだ魔防隊の隊員は、過去にもたくさんいるはずです。なら、もっと頻繁に能力持ちの醜鬼……虚が現れていてもおかしくないじゃないですか」
天花の鋭い指摘に、浦原は感心したように口角を上げた。
「そこなんです。出雲サンの言う通り、それが最大の謎でした。だから、アタシの研究はまだ99%。残りの1%……100%、いや、120%の確信に持っていく為の『立証』が、まだできていないんでして」
浦原は、持っていた扇子で自らの手のひらを叩いた。
「なぜ、海燕サンの時にだけ、あんな特殊な個体が生まれたのか。自然発生的な変異なのか、それとも……何者かが、意図的に『虚』を生み出す実験を行っていたのか。……その証拠を掴んで立証できれば、これを『組長会議』にあげていただきたいんス」
組長会議に。
それはつまり、陰陽寮、あるいは魔都の深淵に潜む存在による「魂の冒涜」を、魔防隊の総意として断罪するという意味だ。
「……そして」
浦原の視線が、優希に案内されて部屋を出ていった、真護の歩いていった廊下の奥へと向けられた。
「彼……黒嶺真護さんにも、その『虚』が宿っています」
「なっ……!?」
京香と天花が、同時に目を見開いた。
「彼の魂は、魔都の瘴気によって異形に歪められ、彼自身の強い絶望と怒りが、内なる虚を生み出してしまった。……和倉サンが彼の異常に気付いて呼びに来てくれたおかげで、完全に侵食される前に夜一サンが物理的に止めて、なんとか自我を保てましたが……」
浦原の表情から、一切の笑みが消えた。
「今の彼は、爆弾を抱えて綱渡りをしているような状態ッス。山城総組長に敗北したという事実が、彼の内なる虚に『俺に主導権を渡せ』と囁きかけている。……次に彼が力を解放する時、もし内なる虚に呑み込まれれば、彼は完全に理性を失い……あなた方の愛する家族を、その手で殺しかねない」
冷たい沈黙が、リビングを支配した。
真護が振るうあの圧倒的な力の裏に、そんな恐ろしい代償と狂気が潜んでいたとは。
「だからこそ、アタシたちが彼を鍛えるんス。彼の魂の形を視極め、本能という名のバケモノをねじ伏せるための……死の特訓をね」
夜一が、腕を組んだまま、獰猛な笑みを浮かべて宣言した。
魔都の暗闇で、魂はどこへ行くのか。
陰陽寮の闇、八雷神の目的、そして真護の内なる狂気。
複雑に絡み合う謎の糸を解きほぐすため、七番組寮の地下深くで、黒嶺真護の真の力を引き出すための過酷な修行が、今、始まろうとしていた。
「話は以上っス。……一応、この研究の話は今はお二人の中にだけしまっておいてください」
浦原はパチンと扇子を閉じ、悪戯っぽく、しかし鋭い眼差しのまま京香と天花に釘を刺した。
未だ全容が解明されていない「虚」という存在。そして、それが魔防隊の根幹や陰陽寮の闇に関わる以上、確固たる証拠がない段階で下手に情報を漏らせば、魔都全体を巻き込むパニックになりかねない。
「分かりました」
天花が真剣な表情で頷く。
京香もそれに同意しつつ、隣で腕を組んで黙って話を聞いていた夜一の方へと向き直った。
「夜一さん」
「なんじゃ?」
「今度、五番組、六番組、そしてうちの七番組での『合同訓練』があります。……よろしければ、それに参加していただき、我々を鍛えていただきたい」
京香の突然の申し出に、天花も少し驚いたように目を丸くした。
だが、京香の瞳は真剣そのものだった。八雷神という、これまでとは次元の違うバケモノたちを相手にするには、魔防隊の常識(枠)に囚われない強さが必要不可欠だ。
「ほう……合同訓練とな」
夜一は面白そうに喉を鳴らした。
「はい。すでに知っているとは思いますが、現れた八雷神に対抗する為です。彼らの圧倒的な力に対抗するには、夜一さんのような『本物』の白打と歩法の技術が、私たちには必要です。……どうか、よろしくお願いします」
京香は、プライドを捨て、魔防隊のOGである夜一に向かって深く頭を下げた。
その真っ直ぐな覚悟を見て、夜一はカッカッカと豪快に笑い飛ばした。
「うむ! ええじゃろう! 元魔防隊のよしみじゃ、可愛い後輩たちを一丁鍛え直してやろう。……その代わり、手加減はせんぞ。骨の二、三本は折れる覚悟で来い」
「はい! よろしくお願いします!」
京香の返事と同時に、天花もまた「よろしくお願いします!」と声を揃えて深く頭を下げた。
伝説の『瞬神』を臨時教官として迎える。七番組にとって、そして魔防隊にとって、それは劇的な変化の第一歩となる確約だった。
その夜。
現世の地下へと繋がる扉の向こうへ浦原と夜一が(そして真護も仮の住処として)一旦退いた、。
「夜雲には、私から連絡しておく。お前も、六番組の隊員たちへの通達を頼む」
「了解。京ちんも、無理しすぎないようにね」
天花は空間転移で自身の寮へと戻り、京香は大きく息を吐き出して、新たな「同居人」たちの様子を見に向かった。
「ここは乾燥機で、こっちの洗剤はデリケートな服の時に使うやつだから間違えないでね。あと、温泉の掃除は……」
寮のランドリールームで、優希は身振り手振りを交えながら、真護に家事のやり方や寮のルールを教えていた。
真護は「おう、分かった」と素直に頷きながら、メモを取っている。
普段は漆黒の死覇装を纏っている真護だが、山城恋との激闘でそれは半分消し飛び、ボロボロになってしまっていた。替えの死覇装など持っているはずもなく、今は優希から借りた大きめのパーカーとスウェットパンツを身に着けている。
その姿は、一見すると普通の青年のように見えるが、やはり彼が「人間ではない」ことは誰の目にも明らかだった。
血の通っていないような白く変色した肌。雪のように真っ白な髪。そして、パーカーの袖から覗く手足の指は、鋭利な刃物のように黒く尖り、猛獣の爪を思わせる。
それでも、優希にとって彼は、昔からよく知る頼れる幼馴染のままだ。
「よし、一通り案内は終わったな。皆のところに顔を出すぞ」
京香の先導で、優希と真護はリビングへと向かった。
そこには、鍛錬を終えてシャワーを浴びた東日万凛と駿河朱々、そして自室で宿題を終えた大川村寧が揃っていた。
「紹介しよう。あの時の人型醜鬼の、黒嶺真護だ」
京香が淡々と告げる。
「総組長からの
「はい」
「よろしくねー、真護くん!」
日万凛が真剣な顔で頷き、朱々はいつもの調子で明るく手を振った。
「寧は初めてだったな」
「はい! 真護さん、初めまして! 大川村寧です!」
寧が元気よくペコリとお辞儀をすると、真護は少しだけ照れくさそうに首の後ろを掻きながら、ぶっきらぼうだが丁寧に返した。
「おう。黒嶺真護だ。……いろいろ迷惑かけるかもしれねえが、これから世話になる」
そのやり取りを見守りながら、優希の胸の中は温かい感情で満たされていた。
地獄のような魔都で、死んだと思っていた幼馴染と再会し共に暮らせる喜びが半分。そして何より、過酷な「七番組寮のすべての家事」という重労働の負担が、真護の加入によって単純計算で『半分』になるという、切実な嬉しさが半分だった。
七番組寮のダイニングでは、いつものように隊員たちが揃って夕飯の食卓を囲んでいた。
「皆、聞け」
食事が一通り落ち着いた頃、上座の京香が箸を置き、凛とした声で切り出した。
「今度行われる合同訓練に、今日来ていた四楓院夜一さんが、特別教官として参加してくれる事になった」
「え? あのスタイルのいい褐色のお姉さんですか?」
朱々が目をパチクリとさせる。彼女たちにとって、夜一はただの「浦原の連れ」くらいの認識でしかなかったからだ。
「ああ。あの人から直接稽古をつけてもらう機会など、そうそうあるものではない。いつもより遥かにハードになると思え。死ぬ気で食らいついてこい」
「「「はいっ!!」」」
京香の凄みに圧され、日万凛、朱々、寧の三人は背筋をピンと伸ばして一斉に返事をした。
夕飯が終わり、ダイニングの喧騒が落ち着いたキッチン。
優希と、傷の回復も兼ねて夕食から合流した真護の二人が、並んでシンクに立ち、大量の食器を洗っていた。
寮の管理人と、居候(仮)。男二人が肩を並べてスポンジを動かす光景は、女尊男卑の魔防隊の寮において異質でありながら、どこかひどく温かいものだった。
「……しかし、優希」
真護が、泡だらけの皿を濯ぎながら、ふと口を開いた。
「お前、いつの間にこんなとこ(魔防隊)に入ったんだよ。ただの高校生だっただろ?」
「ああ、それね。前に、学校帰りに突発的な魔都災害に巻き込まれて、魔都に迷い込んじゃってさ。その時、絶体絶命のところを京香さんに助けてもらったんだ」
優希は、洗った皿をカゴに並べながら、懐かしそうに目を細めた。
あの時の恐怖と、圧倒的な力で醜鬼を粉砕した京香の美しい背中。
「で、京香さんの能力で『スレイブ』化して、一緒に醜鬼の群れを一掃して。……その後でご褒美をもらって、そのまま『私の奴隷になれ』って言われたんだよね」
あっけらかんと語る優希の言葉に、真護は思わず手を止め、ジト目で優希の顔を見つめた。
「……あの人も、案外めちゃくちゃだな」
「え?」
「普通、命を助けたとはいえ、初対面の男に向かって『奴隷になれ』なんて言うか? 常識的に考えてヤバいだろ」
真護のド直球なツッコミに、優希は一瞬キョトンとした後、「ぷっ」と吹き出した。
「ははっ、言えてる!」
「だろ? お前もよくそんな条件飲んだな。……まぁ、お前らしいっちゃお前らしいけどよ」
真護も釣られて肩を揺らし、二人の間に屈託のない笑い声が響いた。
過酷な運命に翻弄され、異形に身を落とし、戦い続ける毎日。そんな中で、昔と変わらない「ただの悪友」として他愛のない会話ができるこの時間は、二人にとって何にも代えがたい救いだった。
リビングのソファから、そのキッチンの様子をじっと眺めている視線が二つあった。
日万凛と朱々だ。
「……なんか、ユッキーいつもより楽しそうじゃない?」
朱々が、クッションを抱き抱えながらポツリとこぼした。
普段の優希は、管理人として誰に対しても優しく、朗らかに接している。だが、今の真護と話している時の彼は、そういった「管理人としての顔」や「男としての気遣い」が一切抜け落ちた、ただの『等身大の少年』の顔をしていた。
「確か、幼馴染って言ってたしね」
日万凛が、温かいお茶を一口飲みながら静かに答える。
「私たち魔防隊の隊員と一緒にいるより、彼といる時の方が、気兼ねなく話せて気が楽なんでしょ。昔からの絆があるんだから、当然よ」
日万凛の言葉は正論だった。だが、朱々の胸の奥には、ほんの少しだけチクリとした感情が走った。
ユッキーのあんな無防備で、心の底から楽しそうな笑顔を、自分はまだ引き出せていない。
(……いいなぁ、あの顔。ちょっと悔しいかも)
朱々は、クッションに顎を乗せ、真護と笑い合う優希の横顔をじっと見つめ続けた。
(でも、いつか絶対……アタシの横でも、あんな風に心の底から笑わせてやるんだから!)
魔都の脅威が刻一刻と迫る中、七番組の夜は、それぞれの決意とささやかな想いを乗せて、静かに更けていった。