魔都の死神   作:アレクサンドル三世

41 / 44
第41話 名門の使者と、秘伝の癒やし

魔防隊七番組寮のリビング。

過酷な特訓と、山城恋という絶対者によってもたらされた未曾有の疲労から回復するため、和倉優希はうつ伏せになり、東日万凛からマッサージを受けていた。

 

「そこ、もう少し強く……あ、痛っ、痛い痛い!」

 

「もう、文句言わないの。筋肉がガチガチに固まってるんだから、これくらいほぐさないとダメよ」

 

日万凛が、呆れたように言いながらも、優希の背中を丁寧に揉み解していく。

山城恋の『殺牙』形態による暴走の反動は凄まじく、優希の身体は全身筋肉痛で悲鳴を上げていた。ここ数日、七番組の隊員たちが交代で彼を看病し、マッサージをして、ようやく起き上がれるまでに回復してきたところだ。

 

「ありがとう、日万凛。皆で交代交代……マッサージしてくれたおかげで、だいぶ回復してきたよ」

 

「当然でしょ。早くいつものように働いてもらわないと困るからね」

 

日万凛は、少し強がったようにツンとそっぽを向いた。

 

「真護も、組長会議に呼ばれちゃって今いないし。……それに、自分との鍛錬だってあるんだから。いつまでも寝込まれてたら、アタシが困るのよ」

 

「……うん、そうだね。早く治すよ」

 

優希が素直に頷くと、日万凛の手がピタリと止まった。

『自分との鍛錬』。その言葉を口にした瞬間、日万凛の脳裏に、優希を『無窮の鎖・旋風』として使役した後の、あの「ご褒美」の記憶が鮮明にフラッシュバックしたのだ。

二人きりの空間。荒い息。そして、熱を帯びた瞳で見つめ合いながら、互いの唇を重ね合わせた、あのいやらしいほどに甘い口付け。

 

(っ……!? だ、ダメダメ! 何思い出してんのよ私!)

 

もし次に彼を貸し出して、あんなに活躍してしまったら、今度は一体どれだけ『いやらしい』ご褒美を要求される(強制される)のだろうか。

想像しただけで顔から火が出そうになり、日万凛は「ブルブルブルッ!」と犬のように激しく首を横に振って雑念を振り払った。

 

「?」

 

「な、なんでもないわよ! ほら、力抜いて!」

 

優希が不思議そうに首を傾げる中、日万凛が再びマッサージを再開しようとした、その時だった。

 

「戻ったぞ」

 

寮の玄関が開き、羽前京香の声が響いた。

組長会議へと赴いていた京香と、黒嶺真護が帰還したのだ。

 

「組長! 真護も、おかえりなさ──」

 

日万凛が明るい声で振り返り、出迎えようと立ち上がった。

しかし、その言葉は最後まで紡がれることはなかった。

京香と真護の後ろ。

そこには、七番組寮には絶対にいるはずのない、そして日万凛が今もっとも会いたくない人物が、静かに佇んでいたからだ。

青みがかった黒の長髪を美しくなびかせ、黄色の瞳で冷徹にこちらを見据える女性。

彼女が纏っているのは、黒を基調に赤の縁取りと金の肩章が施された、軍服を思わせるタイトな衣装だ。しかし、その胸元は豊満な谷間を強調するように大きく開き、深いスリットの入ったスカートからは、黒いニーソックスに包まれたすらりとした太ももが惜しげもなく露わになっている。

圧倒的な威厳と、抗いがたい大人の色気を併せ持つ、九番組組長。

そして、日万凛と八千穂の実の母親――『東風舞希(あずま ふぶき)』であった。

 

(遂に来たわね……!)

 

日万凛の全身が、極度の緊張で強張る。

先日の魔都交流戦を経て、母との確執は少しだけ和らいだものの、やはり「東家」という呪縛の象徴である彼女を前にすると、日万凛の身体は反射的に身構えてしまうのだ。

風舞希は、強張る娘を一瞥することもなく、優雅な足取りでリビングへと足を踏み入れた。そして、ソファでうつ伏せになっている優希と、その傍らに立つ日万凛の元へ歩み寄る。

 

「どきなさい、日万凛」

 

有無を言わさぬ、静かで冷たい命令。

日万凛が反射的に一歩後ずさると、風舞希はスッと優希の背中の上に跨るようにして乗り、その白魚のような手を彼の背中へと滑らせた。

 

「えっ……!? ふ、風舞希さん!?」

 

「静かに。……肉の扱い方が、全くなってないわ」

 

突如として背中に乗ってきた九番組組長の豊満な感触と、冷たい声に、優希はパニックになりかける。しかし、風舞希の指先が優希の背骨に沿って沈み込んだ瞬間、その感覚は驚きへと変わった。

 

「これは能力ではないわ。……名門『東』に代々伝わる、技術(マッサージ)よ」

 

グッ、グッ、と。

風舞希の指先が、絶妙な力加減とリズムで、優希の凝り固まった筋肉の深層へとアプローチしていく。それは、ただ強く揉むだけのマッサージとは次元が違った。経絡を的確に捉え、滞っていた血流の流れを、魔法のようにスムーズに循環させていくのだ。

 

「あ……」

 

優希の口から、無意識に感嘆の吐息が漏れる。

数日間の鈍い痛みが、嘘のように溶けていく。

 

「すごい……ちょっと、元気が戻った……」

 

「まだよ。続けるわね。リラックスして」

 

風舞希は、優希の背中に密着したまま、さらに複雑でリズミカルな手技を繰り出していく。

その光景を、少し離れた場所から真剣な眼差しで観察している者たちがいた。

京香と真護である。

 

「なるほど……手を、そう動かすのですね。経絡のツボを同時に押さえ、血流を一気に促しているのか……」

 

京香は、腕を組みながら「ふむふむ」と真剣に頷き、その手技を己の知識として吸収しようとしていた。

その隣では、真護もまた、自身の顎に手を当てて、目を細めてじっと風舞希の手の動きを追っている。

 

「へえ……。単なる力技じゃねえな。筋肉の繊維の向きに沿って、的確に疲労物質を押し流してやがる。……あれなら、オレの虚化の後の反動も、少しはマシにできるかもしれねえな」

 

魔都の最前線を張る組長と、人型醜鬼の戦闘狂。二人とも、見ているポイントが完全に「実用性」と「戦闘への還元」に極振りしており、色気などという概念は欠片も存在していなかった。

二人の熱視線に気づいた風舞希は、手を止めることなく淡々と説明した。

 

「魔防隊の任務は過酷。……多忙で募る疲労を、短時間で極限まで癒す為に生まれた、東家秘伝の技です。そんじょそこらのマッサージとは、歴史が違います」

 

風舞希の言葉には、東家という名門を背負う者としての絶対的な誇りが満ちていた。

やがて、マッサージを終えた風舞希が優希の背中から降りると、優希は「ふぁ〜っ」と深い息を吐きながら、嘘のように軽くなった身体を起こした。

 

「ありがとうございます、風舞希さん! 本当に、痛みがスッと引きました!」

 

「ええ。これで、話を聞く態勢は整ったわね」

 

風舞希は、姿勢を正し、今度は真っ直ぐに娘の日万凛を見据えた。

その冷たく、鋭い黄色の瞳。

日万凛は、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 

「日万凛。……『東の晩餐』が始まるわ」

 

その単語を聞いた瞬間。日万凛の心臓が、早鐘のように激しく打ち鳴らされた。

 

(東の晩餐──!! 東家の次期当主を決める、あの戦いが……!)

 

日万凛の顔色が変わったのを見て、真護が怪訝そうに首を傾げた。

 

「へえ……。日万凛の実家って、なんか物騒な名前の行事があるくらい、結構でけえ家なんだな」

 

「うん……まぁね……」

 

日万凛の表情は、どこまでも暗く、沈んでいた。

魔防隊を牛耳る絶対的な名門、東家。その「次代」を決めるということは、単なる家督争いではなく、魔防隊そのものの勢力図を大きく塗り替えるほどの一大事なのだ。

風舞希は、真護の存在を意に介することなく、言葉を続けた。

 

「先日、世代交代をした一番組の様子を見て……母様が宣言したわ。東家もまた、次代を決める時が来たと」

 

魔防隊の象徴とも言える一番組の組長が、冥加りうから若い多々良木乃実へと受け継がれた。その流れを受け、東家も新陳代謝を図るべきだと、あの大婆様が判断したのだ。

 

「普通なら、直系の娘である私がそのまま次期当主になるのが筋だけれど……そこは、絶対実力主義の東。全ては『実力』で決める」

 

風舞希は、そう言うと、優希の背後へと回り込み、彼の首元に両腕を回して、その豊かな胸を背中に押し当てるようにギュッと抱きついた。

 

「ふ、風舞希さん!?」

 

「東の晩餐は、5日後よ」

 

優希が驚いて身を固くする中、風舞希は優希の耳元で囁くように、しかし日万凛にしっかりと聞こえるようにはっきりと告げた。

 

「休暇をとって、東家へ集合しなさい。……各組長には、すでに話は通してあるわ」

 

魔防隊の任務よりも、東家の行事が優先される。それが罷り通ってしまうのが、東家という組織の恐るべき権力だった。

 

「…………」

 

日万凛は、俯いたまま、強く、強く両拳を握りしめていた。

優秀な姉の八千穂と比べられ、落ちこぼれとして家を飛び出した過去。

六番組との交流戦で姉に一矢報いたとはいえ、東家の根底にある「弱者は不要」という冷酷な思想に対する反発とトラウマは、未だに日万凛の心に暗い影を落としている。

再び、あの息苦しい家に帰らなければならないのか。

姉と、そして母と、血で血を洗うような権力闘争をしなければならないのか。

日万凛の肩が、微かに震える。

京香も、優希も、そして真護も、口を挟むことができずに日万凛の様子を静かに見守っていた。

やがて。

日万凛は、バッと顔を上げ、母である風舞希を真っ直ぐに睨みつけた。

 

「……ちょっと待って!!」

 

その声は、震えてはいたが、決して折れることのない強さを帯びていた。

 

「自分は、いかないわよ」

 

日万凛の言葉に、風舞希の黄色の瞳が僅かに細められる。

 

「東の家なんて……もう、見たくもない。アタシの居場所は、あの息苦しいお屋敷なんかじゃない。ここ(七番組)よ!」

 

日万凛は、京香を、優希を、そして真護を順番に見やり、再び母へと視線を戻した。

 

「次期当主だか何だか知らないけど……勝手にやってて! 八千穂でも、お母様でも、誰が当主しようが、自分にはもう関係ないわ!!」

 

それは、かつて家から逃げ出した少女の弱音ではなく。

七番組という自分の居場所を見つけ、自らの足で立ち上がった戦士としての、母に対する明確な『決別』と『啖呵』であった。

静まり返るリビング。

娘の強烈な反抗の言葉を正面から受け止めた風舞希は、優希に抱きついていた腕をゆっくりと解き、スッと姿勢を正した。

 

「……関係ない、と?」

 

風舞希の声は、驚くほど静かだった。

だが、その静けさの裏には、東家の当主としての、あるいは一人の『母親』としての、底知れない圧力が秘められていた。

母と娘の、譲れない意地の激突。

東の晩餐という名の、血塗られた運命の歯車が、今、静かに、そして残酷に回り始めようとしていた。

風舞希のその声は、静かな水面に落とされた氷の破片のように、冷たくリビングに響いた。

彼女は、優希の背中に回していた腕をゆっくりと解き、スッと立ち上がった。そのまま、真っ直ぐに娘である日万凛の前へと歩み寄る。

圧倒的な威圧感。九番組組長として、そして名門『東家』の次期当主最有力候補としての、隙のない完璧な足取り。

日万凛は、無意識のうちに一歩後ずさりそうになるのを、ギリッと足の指に力を込めて堪えた。

風舞希は、娘の顔を至近距離から見下ろすと、ふと、その冷徹な顔を崩して妖艶に微笑んだ。

 

「日万凛……私と風呂入る?」

 

「嫌よ!」

 

唐突な母からの誘いを、日万凛は顔を赤くして即座に拒絶した。

しかし、風舞希は娘の拒絶など意に介さず、スッと手を伸ばし、日万凛のショートパンツから伸びる引き締まった太ももを直接撫で上げた。

 

「ひゃっ!」

 

「……いい筋肉だわ。ここ数ヶ月の過酷な実戦で、色々と育ってる」

 

風舞希の指先が、日万凛の太ももの筋繊維の張りや、骨格の成長を的確に探っていく。それは親が子を愛でるような温かいものではなく、まるで優秀な競走馬の仕上がりを確認するブリーダーのような、冷徹な査定の眼差しだった。

 

「肉体も、能力も、確かに伸びている。……それでも」

 

風舞希の指が止まり、黄色の瞳が日万凛を射抜いた。

 

「いざという時に傷つくことを恐れ、判断を誤る……お前のその『本番の弱さ』は、戦場では致命的よ。これから先も、その"弱い"日万凛を庇って、周りの怪我人が増えるわ。……あの時の、八千穂のようにね」

 

その言葉は、日万凛の心の最も柔らかく、痛む部分を的確に抉り取った。

過去の八雷神と邂逅した時、姉妹揃って病院送りになった時

 

「……決めつけないでよ!」

 

日万凛が、震える声で吠えた。

 

「アタシはもう、あの頃の弱かったアタシじゃない! 七番組で、組長や優希たちと一緒に戦って……自分の足で立ってるわ!」

 

その反抗的な瞳を見て、風舞希はフッと鼻で笑った。

そして、纏う空気を一変させた。

 

「……日万凛が、このまま自身の未熟さを認めず、戦いを続けると言うのなら」

 

ズンッ……!!

風舞希の全身から、空気を圧縮したような、とてつもないプレッシャーが放たれた。

それは単なる霊圧の威圧ではない。長年、魔都の最前線で数多の敵を葬り去ってきた、純粋で淀みのない『殺気』そのものだった。

 

「東の恥を晒す前に……私が、母として日万凛を仕留めるわ」

 

娘を、殺す。

実の母親の口から放たれた、冗談でも比喩でもない、絶対的な死の宣告。

ゾワリと、日万凛の全身の毛穴が開き、背筋に氷柱を突き立てられたような悪寒が走った。呼吸すら忘れそうになるほどの恐怖。

だが、日万凛は、奥歯を噛み砕かんばかりに食いしばり、必死に母の殺気を跳ね返した。

 

「……それが嫌なら、東の晩餐に出ろ……力を示せってことね……!」

 

日万凛の瞳に、恐怖を塗り潰すほどの強い反骨の炎が宿る。

 

「いいわ! 上等よ! どのみち、古臭い東一族は、アタシがぶっ飛ばすって決めてたし!」

 

娘の真っ向からの宣戦布告。

風舞希は、その言葉を聞いて、微かに――本当に微かにだが――口角を上げたようにも見えた。

しかし、彼女はそれ以上何も言わず、日万凛を一瞥しただけで踵を返した。

風舞希がリビングを出て行こうとしたその時、彼女の視線が、部屋の隅で腕を組んで立っている異形の青年――黒嶺真護へと向けられた。

風舞希は、自身が先ほど放った「娘を仕留める」という本気の殺気に対し、この青年が瞬き一つせず、微塵も動じていなかったことに内心で驚きを覚えていた。

 

(……この男、全く揺らいでいなかった。ただのハッタリで立っているのではない。あの絶望的な山城総組長に傷をつけ、生還したという異常な精神力。……流石、あの四楓院夜一から直接指導を受けているだけのことはあるわね)

 

風舞希は、真護の底知れなさを静かに評価しつつ、そのまま言葉を発することなく七番組寮を後にした。

嵐のような九番組組長が去った後。

七番組寮のリビングには、空間転移で遅れてやってきた六番組組長・出雲天花を含め、皆で丸テーブルを囲んでお茶を飲んでいた。

優希と真護は、お揃いのエプロンを身につけ、手際よく温かいお茶と茶菓子を人数分配って回っている。

 

「はい、朱々ちゃん。熱いから気をつけてね」

 

「ありがと、ユッキー!」

 

「ほらよ、日万凛。あんま無理すんなよ」

 

「……うん、ありがと、真護」

 

真護から湯呑みを受け取る日万凛の表情は、未だに少し硬かった。

朱々が、湯呑みに両手を添えながら、少しだけ身を縮めて言った。

 

「うぅ〜……それにしても、風舞希さん、すっごい迫力だったね……。私、九番組の人達とあまり喋ったことないや」

 

「仕事以外で喋る必要はないわ」

 

日万凛が、冷たく切り捨てるように言う。

 

「東家は、魔防隊の中でも特別だから。不要な馴れ合いは弱さを生むって、そういう教育を受けてるのよ」

 

「そうだね」

 

お茶を啜りながら、天花が静かに頷いた。

 

「魔防隊の歴史と深く繋がってる、最も優秀な一族だよ。各番組の組長や副組長、主要なポストに必ず東の血を引く者がいる。……特に、大婆様である海桐花さんは、元・総組長という肩書き以上に、底知れない人だ。人か魔か……」

 

『海桐花』。

 

その名を聞いた瞬間、日万凛の肩がビクッと跳ね、ゾクッという悪寒が全身を駆け巡った。

母である風舞希のプレッシャーなど比較にならない、東家の絶対的な支配者。幼い頃から、その存在そのものが日万凛のトラウマを形成している元凶の一人だった。彼女の『東たるもの強くあるべし』という方針は多くの人間を不幸にしてきた

 

「天花、お前は六番組組長として、その東家ともうまくやっているな」

 

京香が、お茶菓子を口に運びながら感心したように言った。

東家は他者を排斥しがちだが、天花は持ち前の飄々とした性格で、その壁を上手く躱しているように見える。

 

「まぁね。ウチには、大事な娘さん(八千穂)を副組長として預かってるしね。だから、東家とのご近所付き合いとか、政治的なやり取りも、それなりにこなせるよ」

 

天花はそう言って、お茶を配り終えて一息ついていた優希の方を見て、パチリと魅力的にウインクをした。

 

「本当、すごいですね天花さん。俺なら、あの風舞希さんみたいな人が毎日来たら、胃に穴が空きそうです……」

 

優希が苦笑いしながら言うと、天花は優希の顔をジッと見つめ、ホッと安堵の息を吐いた。

 

「……随分、元気になったね、優希くん」

 

「あ、はい。……あの、総組長の『殺牙』の形態は、変身中は完全に意識も飛んでて……肉体的にも精神的にも、本当に辛かったです。終わった後も、身体が鉛みたいに重くて……」

 

「そうだよね。……危険な形態になる可能性があるなら、総組長への貸出は、以後は厳しいね」

 

天花は、優希の身を本気で案じるように、少しだけ残念そうな、しかしホッとしたような顔をした。

すると、京香がバンッとテーブルを叩いて立ち上がった。

 

「そうだとも! もう、簡単には他人に貸出などせんぞ! 私と優希の形態をより高め、より強める! これが、奴隷にとっても私にとってもベストだ!」

 

京香の力強い(そして少し独占欲の混じった)宣言に、優希は「は、はいっ! 頑張ります!」と背筋を伸ばした。

 

「そういや優希。もう身体の方は大丈夫なのかよ?」

 

エプロン姿のまま、真護が優希の肩をポンと叩いて尋ねた。

 

「うん。あと数日で完治するかな。頑張るよ。……これも、さっきの風舞希さんのマッサージのおかげだな。あ〜、あの指の動き、本当に気持ちよかった〜……」

 

優希が、風舞希の秘伝のマッサージを思い出して、「はぁ〜」とだらしなく頬を緩めて恍惚とした表情を浮かべた。

その瞬間。

ピタッ。

リビングの空気が、不自然に凍りついた。

 

「…………」

 

「…………」

 

京香と天花が、湯呑みを持ったまま、ジロリと絶対零度の視線を優希に向けたのだ。

さらに、朱々が「ギギギ……」と効果音が鳴りそうな動きで、優希の背後へと密かににじり寄っていく。

 

「……優希」

 

京香が、低く、ドス黒い声で口を開いた。

 

「あのマッサージの手の動きは……私も、横でしっかりと見ていた。……私にも、出来ると思うぞ?」

 

「えっ?」

 

「私も、六番組組長として、あの疲労回復の技術は習っておくよ。……ね? 優希くんの身体で、少し練習させてくれないかな?」

 

「えっ、天花さん!?」

 

さらに、今まで大人しくしていた寧までもが、目をキラキラさせて手を挙げた。

 

「あの! 寧も、優希さんのためにマスターしたいです!」

 

「私も私もー!! ユッキーの疲れ、私が全部揉み出してあげるからねー!!」

 

朱々が、優希の背中にガバッと抱きつきながら叫んだ。

 

「え!? ちょ、ちょっと待って! みんな一斉には無理だってば! あだだだだっ!! 背骨が! 京香さん、そこツボ違います! 天花さん、変なところ撫で回さないで!!」

 

きゃっきゃっきゃっきゃっ!と、楽しそうな(優希にとっては恐ろしい)黄色い声が響く。

四人の魔防隊の美少女(と大人の女性)たちが、優希をソファに押し倒し、よってたかってマッサージ(という名のイチャイチャと独占欲の発露)を開始したのだ。

 

「おーおー。モテ男は辛えなぁ、優希」

 

その混沌とした光景を、真護は少し離れたカウンターに寄りかかりながら、やれやれと肩をすくめて眺めていた。相変わらず、この男の女性に対する警戒心のなさと無防備さは、いつか身を滅ぼすのではないかと本気で心配になるレベルだ。

しかし。

その賑やかなリビングの中で、日万凛だけは一人、黙って湯呑みを見つめていた。

 

(……お母様が、『自分を仕留める』と言ったのは……決して、脅しや意気込みなんかじゃない)

 

日万凛の脳裏に、母・風舞希の冷徹な黄色の瞳が焼き付いて離れない。

 

(東なら……やるわ。一族の面子を潰し、弱さを晒し続ける存在なら、実の娘であろうと、東の晩餐という大義名分のもとに、確実に『処分』しにくる……!)

 

自分がここで逃げれば、母の矛先は、自分を匿ってくれているこの七番組や、優希、真護たちにまで向かうかもしれない。東家の権力と実力があれば、それくらい容易いことだ。

逃げ場は、ない。

ならば、5日後の『東の晩餐』で、母や姉を、そしてあの大婆様を黙らせるだけの圧倒的な『力』を示すしかないのだ。

 

「……何、怖え顔してんだよ」

 

不意に、真護の声が上から降ってきた。

見上げると、エプロン姿の真護が、空になった日万凛の湯呑みを指差していた。

 

「あいつらのマッサージ(物理)に混ざらねえのか? ……お茶のおかわり、いるか?」

 

「あ、うん。お願い」

 

日万凛が湯呑みを差し出すと、真護は急須から温かいお茶を丁寧に注いでくれた。

 

「ねえ、真護……」

 

「ん?」

 

日万凛は、湯呑みの温もりを両手で感じながら、先ほどからずっと気になっていたことを尋ねた。

 

「アンタ……さっきのお母様の、あの本気の殺気を受けて……なんで、あんなに平然としてられたの?」

 

組長クラスの、しかも実の娘を殺すと宣言した本気の殺気だ。

いくら真護が強いとはいえ、魔都の戦いに身を投じてまだ一年と少し、彼が、微動だにせず立っていられたことが、日万凛には不思議でならなかった。

真護は、お茶を注ぎ終わった急須をテーブルに置き、少しだけ思案するように首の後ろを掻いた。

 

「……ま、オレの感覚が、完全に『バグっちまった』のかもな」

 

「バグった……? どういうこと?」

 

「考えてもみろよ」

 

真護は、皮肉っぽく笑って、自分の失われた左腕(今は再生しているが)をポンポンと叩いた。

 

「オレ、ついこの間、あの山城恋とかいうバケモノの、殺意マシマシの本気の攻撃を正面からうけてたんだぜ? アレを一度でもくらっちまえば、いやでも死生観の基準がバグるっつーの」

 

その言葉に、日万凛はハッとした。

先日、山城恋によってボロ雑巾のようにされ、左腕を吹き飛ばされてこの寮の庭に放り投げられた真護の姿。

彼は、あの絶対的な死の淵を覗き込み、そして生還したのだ。

 

「それに比べりゃ……お前の母親の殺気は、確かに鋭くて重かったが……ちゃんと『人間の枠内』に収まってる、理路整然とした殺意だった。だから、恐怖で足が竦むようなことはなかったんだよ」

 

人間を超越した『虚無』の暴力を知っているからこそ、風舞希の殺気にも動じない。

真護のその精神の図太さと、死線を潜り抜けてきた経験値の差に、日万凛は圧倒される思いだった。

 

(……この男は、もう遥か先を見据えている。……自分が、お母様の殺気ごときで震えている間に……!)

 

日万凛は、ギュッと湯呑みを握りしめ、少しの間、俯いて深く考え込んだ。

そして、顔を上げると、迷いのない真っ直ぐな瞳で真護を見据えた。

 

「真護。……お願いがあるの!」

 

「あ? なんだよ改まって」

 

「あの、現世の地下修行場に……自分も連れてってほしいの」

 

その言葉に、遠くで優希をマッサージしていた京香たちの動きがピタッと止まった。

 

「アタシも……あの夜一さんから、直接指導を受けたい! 5日後の東の晩餐までに、アタシは絶対に……絶対に、母様たちを越えなきゃいけないの!」

 

日万凛の悲痛な、しかし決意に満ちた叫び。

真護は、その瞳の奥に、かつての自分と同じ「絶対に譲れないものを護るための強さ」への渇望を見た。

 

「……夜一さんのしごきは、お前の母親の殺気より、よっぽどキツくて死にかけるぜ?」

 

「覚悟の上よ。自分はもう、逃げないって決めたんだから」

 

日万凛の揺るぎない覚悟を確認し、真護はニヤリと不敵に笑った。

 

「……分かった。まぁ、あの人に聞いてみるよ。きっと、面白がって快諾するだろうけどな」

 

「本当!? ありがとう、真護!!」

 

日万凛の顔に、ようやく希望の光が差したような明るさが戻った。

東家という巨大な壁を打ち砕くため、少女は禁断の修行場へと足を踏み入れる決意を固めた。

五日後に迫る血塗られた晩餐に向け、彼らの戦いは、さらに激しさを増して加速していく。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。