東の晩餐が開幕し、広大な東家本家の敷地内に展開された結界領域は、瞬く間に激しい霊圧がぶつかり合う凄惨な戦場へと変貌した。
鬱蒼と茂る森のエリア。
木々がなぎ倒され、土砂が巻き上がる中、九番組組長・東風舞希は、たった一人で分家筋の精鋭二人を相手取っていた。
彼女たち二人は決して弱いわけではない。魔防隊の所属ではないものの、警察の『能力犯罪対策特殊部隊』に所属し、日夜凶悪な能力者と命のやり取りをしている実戦経験豊富なプロフェッショナルだ。二人の連携は完璧であり、死角からの波状攻撃は組長クラスであっても容易に捌き切れるものではない。
しかし。
「……遅いわね」
風舞希は、顔色一つ変えることなく、凄まじい速度で迫る二人の連携を紙一重で躱し、その白魚のような手刀を無慈悲に叩き込んだ。
ゴッ!!という鈍い音と共に、二人の警察の精鋭は同時に白目を剥き、地面に崩れ落ちた。風舞希の服には、土埃一つ付いていない。
「これで、分家筋は残り一人か」
風舞希は、倒れた三人を一瞥すらせず、次の標的――実の娘たちを求めて、静かに森の奥へと歩みを進めた。
一方、岩が露出した荒野のエリア。
七番組副組長・東日万凛と、分家の筆頭・東誉の戦いは、開幕から熾烈を極めていた。
「アハハハハッ!! どうした落ちこぼれ! 防戦一方じゃねえか!!」
誉が、狂ったような笑い声を上げながら、信じられないほどの超高速で日万凛にラッシュを仕掛ける。
誉の能力『行雲流水(パイソン)』。
それは、己の脳内でこれからの数秒間の『自身の動き』をプログラム(予約入力)することで、その動きを肉体に忠実に、かつ超絶的な身体能力の補正を乗せて再現させるという凶悪な能力だ。
一度入力(エンター)してしまえば、途中で行動を変更することはできないという弱点はあるものの、その予約された動きのキレとスピードは、人間の反射神経を遥かに凌駕する。
「くっ……!」
日万凛は、防戦に回りながらも、冷静に相手の動きを観察していた。
(速い……! でも、動きが直線的で、途中で軌道修正が利かない!)
四楓院夜一との修行で、日万凛は「相手の殺意」と「己の力」を正しく畏れ、見極める眼を養っていた。昔のように、ただ相手の暴力に怯えて縮こまるようなことはない。
「優希!! アタシたちの新しい力、見せてやるわよ!!」
『オォォォォォッ!!』
日万凛の足元で控えていた白き獣――優希が、力強い咆哮を上げた。
日万凛が『無窮の鎖(スレイブ)』のパスを極限まで太くし、彼の中に眠る新たな特性を引き出す。
『無窮の鎖・旋風天(スレイブ・つむじかぜ、てん)』!!
優希の身体が青白い光に包まれ、その姿が大きく変貌した。
従来の『旋風』形態のスマートなフォルムをベースにしつつ、その背中や四肢の関節部から、鋭く黒い刃のような『棘(トゲ)』が何本も突き出している。見た目は禍々しく、トゲトゲしくなったものの、その四肢から放たれる霊圧の密度は段違いだ。
この形態は、優希がここ数日、現世の地下道場で黒嶺真護の卍解『天鎖斬月』の圧倒的なスピードと鋭い霊力コントロールを間近で見続け、そのエッセンスを無意識に自身の魂の形に反映させたことで生まれた、奇跡の進化形態であった。
「いくわよ!!」
日万凛が、トゲの生えた優希の背中に跨り、地を蹴る。
ギュンッ!!!
空気を切り裂く轟音。これまでの『旋風』形態とは次元の違う、まさに天を裂くような圧倒的な最高速度。
「なっ……!?」
誉が驚愕に目を見開く。彼女の『行雲流水』で予約入力した回避行動のスピードを、優希の突進速度が完全に上回ったのだ。
入力した動きを変更できない誉は、迫り来る優希のトゲのついた前足の重い一撃を、無防備な腹部にモロに食らった。
「ガハァッ……!!」
誉の身体がくの字に折れ曲がり、岩壁へと激しく吹き飛ばされる。
さらに日万凛は、すかさず自身の能力で機関銃を呼び出し、岩壁に叩きつけられた誉の周囲を正確無比に撃ち抜き、逃げ道を完全に塞いだ。相手の命を奪うためではない、完全に制圧するための、理にかなった『暴力の行使』。己の力を正しく制御できている証拠だった。
しかし、そこで優希の形態解除の限界時間が訪れ、青白い光と共に彼が元の少年の姿へと戻ってしまった。
「チィッ……!! ナメんじゃねえぞ、落ちこぼれがぁぁ!!」
岩壁の土煙の中から、ボロボロになった誉が飛び出してきた。彼女の能力『行雲流水』はすでに解除されているが、その眼には狂気に満ちた執念が宿っていた。
誉は懐から、魔防隊の規定外である鋭い『サバイバルナイフ』を取り出し、日万凛へと飛びかかった。
「その目だ……! アタシを見下す、その小賢しい目が気に入らねえんだよ!!」
ナイフの刃が、日万凛の顔面を切り裂こうと迫る。
「そういう、自分だけが特別みたいな顔してる連中から、アタシは全てを奪うって決めたんだ!! そんでもって、どっかに消えたあの"クソ兄貴"を捜し出して、連れ帰る!!」
誉の口から吐き出された、彼女なりの深い闇と執念。
しかし、日万凛の心は、夜一の教えによって鋼のように腹が据わっていた。
「……アンタの事情なんて知らないわ」
日万凛は、スッと半歩だけ軸足をズラし、誉の渾身のナイフの突きを、ひらり、ひらりと最小限の動きで、紙一重で完璧に躱してみせた。
「それに、古臭い東の家にムカついてるのは、私も同じ……だけど──!」
ナイフが空を切り、誉の体勢が大きく前に崩れたその一瞬の隙。
日万凛は、踏み込んだ右足に全身のバネと霊力を乗せ、渾身の右ストレートを誉の顔面へとクリーンヒットさせた。
ドゴォォォォンッ!!!
「ガッ……!?」
「昔、ここで散々いじめられた借りは……キッチリ返さなくちゃね!!」
日万凛の拳が、誉の意識を完全に刈り取った。
白目を剥いた誉の身体が、そのまま力なく地面に崩れ落ち、ピクリとも動かなくなる。
東日万凛、完全勝利。
過去のトラウマを、己の拳で完全に粉砕した瞬間だった。
「おおっ!! よくやったぞ二人とも!!」
その光景を、東家本家の見学室の巨大モニターで見ていた羽前京香が、思わず拳を握りしめて歓喜の声を上げた。
上座に座る大婆様・東海桐花もまた、満足そうに腕を組み、ニィッと口角を釣り上げた。
「ふむ、見事な番狂わせだな! 良いぞ日万凛! 誉のトリッキーな能力を、力とスピードで完全に捻じ伏せおったわ。あの得体の知れない形態も、実に面白い」
海桐花は、孫娘の成長を素直に評価した。
その横で、六番組組長の出雲天花は、モニターに映る優希の『旋風、天』という形態名を見て、一人で勝手に顔を真っ赤にして身悶えしていた。
(天進……天に進むかぁ……。つまり、私(天花)のところに進んでくるって……そういうことなんだね、優希くん……!)
天花は、両手で火照った頬を押さえ、ポワワと幸せそうな妄想の世界へと旅立っていた。
自身の名前である『天花』の「天」とリンクさせ、優希が自分のことを想って名付けてくれたのだと、完全に、そして幸せな勘違いをしているのだ。
(※実際は、彼がここ数日地獄の特訓を共にしている黒嶺真護の卍解『天鎖斬月』からインスピレーションを得ただけであり、天花の要素は一ミリも含まれていないのだが、真実を知る者はこの部屋にはいない)
一方、結界内の森の奥。
誉との激闘を終え、安全な木陰へと移動した優希と日万凛は、荒い息を吐きながら向かい合っていた。
優希は、元のジャージ姿に戻り、申し訳なさそうに頭を掻いた。
「すみません。あの『旋風、天』の形態……霊力の消費が激しすぎて、変身を長く維持できなくて……」
「なんで急に敬語なのよ。気持ち悪いわね」
日万凛が、緊張の糸が切れたようにふぅっと息を吐き、少しだけ意地悪く微笑んだ。
優希は、そんな日万凛の顔を真っ直ぐに見つめ返し、どこか誇らしげな、そして心底感心したような声で言った。
「だって……さっきのお前、すっごくかっこよかったから。あのナイフを躱して一撃で倒した時の日万凛、組長みたいに強かったよ。俺、すっごく頼もしかった」
いつもは自分が前衛で身体を張っている優希だが、今の日万凛は、自分がいなくても立派に戦える一人の戦士としての強さを放っていた。その成長が、幼馴染として、そしてパートナーとして純粋に嬉しかったのだ。
「っ……ば、バカじゃないの……」
優希からの混じり気のないストレートな称賛に、日万凛はみるみるうちに顔を真っ赤にして、視線を泳がせた。
「アタシが強いのは当然でしょ。……ほら、それより、アレの時間よ。早く終わらせるわよ」
「あ、うん。ご褒美だね」
優希は、少し照れくさそうに日万凛の前に立ち、目を閉じた。
日万凛は、優希の服の襟元をグイッと引き寄せ、つま先立ちになった。
「……いいから、舌出して」
日万凛の艶っぽい、命令するような低い声。
優希は、言われるがままに「んべっ」と少しだけ舌を出した。
日万凛は、赤くなった顔を少しだけ背けながらも、自身の形の良い唇を優希のそれに重ねた。
そして、躊躇うように、しかし確かな熱を持って、自身の舌を優希の口内へと滑り込ませ、彼の舌にねっとりと絡め合わせた。
「んっ……ちゅ……」
静寂の森に、ひどく扇情的な水音が響く。
戦いの後の高揚感と、互いの熱い吐息が混ざり合い、二人の脳内を甘く痺れさせていく。優希の背中に回された日万凛の手が、キュッと彼のジャージを強く握りしめた。
しかし。
その、誰も入り込めないほどに甘く、いやらしいご褒美の光景を。
文字通り『間近』で、瞬き一つせずにジッと見下ろしている者がいた。
いつの間にか、二人のすぐ傍の大樹の枝の上に音もなく降り立っていた、九番組組長にして日万凛の母――東風舞希であった。
「!?」
「なっっっ!!」
唇を離した瞬間、頭上からの視線に気づいた二人は、心臓が口から飛び出そうになるほど驚き、顔を茹でダコのように真っ赤にして勢いよく飛び退いた。
「お、お母様!? い、いつからそこに……!?」
「ふ、風舞希さん!? ち、違うんですこれは、能力の絶対的な代償で……決して俺に邪な気持ちがあるわけではなく……!!」
日万凛がパニックになり、優希が必死に両手を振って言い訳を並べ立てる。
実の母親に、森の中で男とディープキスをしている現場を至近距離からガン見されるという、この世で最も気まずく、最悪のシチュエーション。日万凛は羞恥のあまり、その場で舌を噛んで死にたくなった。
しかし、風舞希は枝の上から二人を見下ろしたまま、表情一つ崩すことなく、信じられない言葉を発した。
「……続けなさい」
「「えっ?」」
二人の声が見事にハモる。
「東の晩餐は神聖な儀式。戦いの後の疲労回復や、能力の代償を支払うための行為を、私が野暮に咎める理由はないわ」
風舞希は、腕を組み、冷徹な黄色の瞳で日万凛を射抜いた。
「それに……さっきの戦い、見ていたわ。……少しはマシな顔つきになったようね、日万凛。……たっぷりと褒美を済ませたら、私のところへ来なさい。母として、貴女の覚悟の底を測ってあげる」
風舞希はそう言い残すと、木々の間を縫うようにして、音もなく森の奥へと消えていった。
残された優希と日万凛は、極度の羞恥と、これから待ち受ける母との死闘へのプレッシャーで、完全に固まってしまうのだった。
その頃、東家本家の見学室。
「なんじゃ、もう四人落ちたか」
モニターを見ていた海桐花たちの背後から、不意に声が響いた。
振り返ると、そこには空間の歪み(浦原の仕込んだ裏ルート)から降り立ったばかりの、四楓院夜一が腕を組んで立っていた。
モニターの端には、風舞希と日万凛によってそれぞれ戦闘不能にされ、気絶している分家の四人の姿が映し出されている。
「ちょうど良いわ、夜一。……分家の有象無象が掃除され、これからが直系同士の潰し合い……メインディッシュじゃからの」
海桐花が、夜一の登場に驚く様子もなく、ニヤリと笑う。
京香は、突然現れたこの伝説の瞬神に対し、以前から気になっていた疑問を恐る恐る口にした。
「……夜一さん。失礼ですが、一つお聞きしてもよろしいですか?」
「なんじゃ、羽前」
「貴女は、その若さでありながら、どのようにしてあの名門『四楓院家』の当主の座を継いだのですか? 東家と同じく、激しい権力闘争があったと聞いていますが……」
その問いに、夜一はカッカッカと豪快に笑い飛ばした。
「答えは至ってシンプルじゃ。……伝統だの血筋だのとうるさい、頭の硬い連中――ワシの前の当主の母親や、その取り巻きの口うるさいババアどもを、全員物理的に叩きのめしてやったのじゃよ。圧倒的な暴力でな。そうすれば、実力主義の奴らは皆、黙ってワシに従うようになったわい」
「た、叩きのめした……実の親族を……」
「流石は瞬神……考えることが物理的すぎる……」
京香と天花が、あまりにも脳筋すぎる解決方法に顔を引き攣らせる。
「まぁ、今回の東の晩餐も、恐らく当主の座に収まるのは、あの風舞希じゃろうな。実力、経験、そして覚悟。どれをとっても頭一つ抜けとる」
夜一は、モニターに映る風舞希の姿を見て、的確な評価を下した。
しかし、彼女はそこで言葉を区切り、ニヤリと意味深な笑みを浮かべた。
「だが、今回は……日万凛という『大穴』がおるからの。ワシの教えを受けたあやつが、母親や姉を相手に、どこまで狂い咲き、どれほどまで舞台で踊れるか……楽しみで仕方ないわい」
「ふん。買い被りすぎじゃぞ、夜一」
海桐花が、鼻で笑って夜一を睨みつけた。
夜一は、そんな海桐花に向けて、不敵な笑みを浮かべたまま言い放った。
「まぁ、アンタも今までのようにはいかんじゃろうて。……時代は変わる。若い芽は、アンタら老害の想像を超えて育つもんじゃ」
「ほう……」
海桐花の黄色の瞳が、スッと細められた。
ゴウッ!!!と、見学室の空気が凍りつくほどの、ドス黒い殺意が夜一へと向けられる。
「小娘が……随分と偉そうに、ワシに意見をいうようになったのう……!」
魔防隊の元・総組長たる大婆様の本気の怒り。
京香と天花が息を呑み、身構える。
しかし、夜一は全く意に介することなく、鼻で笑ってその殺意を軽々と受け流した。
「なぁにが小娘じゃ。……ワシとアンタ、実のところ、歳はあんまり変わらんじゃろうが。むしろ、その若返った見た目のせいで、どちらかというと今のお主の方がよっぽど『小娘』じゃろうて」
夜一の容赦のない年齢イジリと煽りに、海桐花のこめかみにピキリと青筋が浮かんだ。
そのやり取りを聞いていた京香と天花は、信じられないものを見たように目を丸くして顔を見合わせた。
「えっ? ちょっと待って京ちん。……夜一さんって、あの大婆様と歳が変わらないってことは……一体、年齢いくつ……」
「聞くな、天花……」
京香は、深くため息をつき、両手で顔を覆った。
「……魔都のバケモノどもの実年齢について考え始めると、目眩がする……。私たちはただ、目の前の戦いに集中しよう」
「そ、そうだね……」
魔防隊の重鎮と、四楓院家の当主。
見た目と年齢が全く釣り合っていない化け物たちのバチバチとした(しかしどこか気の置けない)やり取りを背景に、モニターの中では、いよいよ日万凛と母・風舞希の運命の激突が始まろうとしていた。