「ん……う……?」
和倉優希が意識を取り戻した時、最初に感じたのは温かく湿った感触だった。
頬を、首筋を、何かが這い回っている。
「ぺろ……れろ……んっ……」
「うわっ!? な、なんだ!?」
優希が飛び起きると、目の前にはあどけない少女の顔があった。銭函ココだ。彼女は優希の体に跨り、満足そうに口元を拭っている。
「あ、起きた!傷、全部治しといたよ!」
混乱する優希の視線の先、岩壁に寄りかかっていた和倉青羽がニカッと笑った。
「目が覚めたか、優希。久しぶりだねぇ」
「姉ちゃん!? 生きてたのか!?」
再会の喜びも束の間、青羽は優希を抱きしめるでもなく、淡々と事情を説明した。ここが人型醜鬼たちの隠れ里であること。自分たちが魔防隊とは相容れない存在であること。
そして、波音やココが人間だった頃、魔防隊に見捨てられたり、理不尽な扱いを受けたりして強い恨みを持っていること。
「ここにはもう一人、頼りになる男がいるんだけど……今は縄張りの見回りに行かせちまっててね。戻ったら驚くだろうなぁ」
青羽は遠くを見つめながら言う。その表情には、優希への愛情と、魔防隊への敵意が混在していた。
「姉ちゃん、俺は……」
「帰さないよ。あんな女の奴隷になんて、させてたまるか」
青羽の声は固かった。
だが、その平穏は長くは続かなかった。
ズズズズズ……!
突如、隠れ里全体が揺れた。
敵襲だ。
「チッ、嗅ぎつけられたか! 優希、ここで待ってな!」
青羽は鬼童丸を呼び寄せ、外へと飛び出した。
里の外では、すでに戦端が開かれていた。
七番組組長・羽前京香と、六番組組長・出雲天花率いる合同部隊。
京香は『無窮の鎖』の契約による「ご褒美」の未精算分――つまり優希とのパスを利用し、正確に居場所を特定していたのだ。
「蹴散らしなさい! 優希を取り返すわよ!」
戦場は混沌を極めた。
波音と特殊醜鬼たちが防衛線を張るが、魔防隊のエリートたちの連携は完璧だった。
「『
六番組副組長・東八千穂がポーズを決める。
時間が5秒間巻き戻る。
波音が放った奇襲は無効化され、その隙を七番組副組長・東日万凛が見逃さなかった。
「『
日万凛が銃火器を一斉射撃する。
波音の操る醜鬼たちが一瞬で蜂の巣となり、吹き飛ばされた。
ココと『熊童子』もまた、巨大化した駿河朱々と、強化状態に入った若狭サハラによって制圧されていく。
「くそっ……なんて強さ……!」
波音が膝をつく。
道が開けた。
その先にある洞窟の前、待ち構えるのは最強の姉・和倉青羽と鬼童丸。
「優希!! 無事か!?」
京香が叫ぶ。
その隣で、天花がスッと前に出た。彼女は空間操作能力『
「京香ちん。あの人は私に任せて」
天花は優雅に歩み寄り、青羽に向かってニコリと微笑んだ。
「初めまして。これから優希くんとお付き合いすることになります、出雲天花です。――
その言葉は、宣戦布告にしてはあまりに場違いな、しかし確信に満ちた「家族への挨拶」だった。
ピキッ。
青羽の額に青筋が浮かぶ。
「……はぁ? 付き合う? お義姉さん?」
ゴゴゴゴゴ……と青羽の髪が逆立ち、殺気が膨れ上がる。
「……ぶっ潰す!!」
組長同士の激突。
その余波だけで周囲の岩盤が砕け散る。
「組長!!」
日万凛、八千穂、朱々、サハラの四人は、加勢するために洞窟の奥へと走った。
だが。
ドォォォォォン!!
突如、彼女たちの進路に黒い影が落下した。
もうもうと立ち込める土煙。
その中から現れたのは、黒い着物――死覇装に身を包んだ、一人の男だった。
「……ワリィけど、こっから先通すわけにはいかねえな」
黒嶺真護。
見回りから戻った彼は、事態を察知し、即座に介入したのだ。
手には、まだ卍解していない、浅打の刀が一振り。
「男……? 人型醜鬼なの?」
日万凛が眉をひそめる。
この世界において、男は守られる存在。戦場に立つなど言語道断であり、ましてや魔防隊の前に立ちはだかるなど自殺行為に等しい。
「男だからって容赦しないわよ。そこを退きなさい」
「死にたくなければここを通せ。さもなくば撃つぞ」
八千穂が銃口を向ける。
真護は刀をだらりと下げたまま、静かに首を振った。
「通さねえって言ったはずだぜ。……それに、オレもあいつらに借りがあるんでな」
「交渉決裂ね。行くわよ!」
日万凛の号令と共に、四人が同時に動いた。
「『
朱々が体を巨大化させ、質量任せの拳を振り下ろす。
真護はそれを紙一重で回避するが、その着地地点にはすでにサハラがいた。
「『
強化されたサハラのタックル。
真護は刀の腹で受け流そうとするが、想像以上の重さに数メートル吹き飛ばされる。
(……重いッ! これが魔防隊か……!)
ただの力押しではない。連携が洗練されている。
体勢を立て直そうとした真護の視界に、無数の銃口が映った。
「『
日万凛が展開した銃火器から、弾幕が放たれる。
真護は刀を振るい、弾丸を弾き落とすが、数が多すぎる。
「チッ……!」
防戦一方。
まだ『天鎖斬月』にはなっていない。卍解もしていない状態の刀では、『月牙天衝』のような広範囲攻撃は撃てない。
接近して斬るしかないが、この四人の連携は隙がない。
「そこだ!」
真護が一瞬の隙を突いて日万凛の懐に飛び込む。
速い。
日万凛が反応できないほどの速度。
刃が日万凛の首元に迫る――その瞬間。
「『
世界が反転する。
八千穂がポーズを決め、時間を巻き戻したのだ。
「なっ……!?」
真護の意識はそのままだが、体だけが数秒前の位置に戻されている。
斬ったはずの感触が消え、目の前には銃を構え直した日万凛がいた。
「『
八千穂の能力は、時間を操る。
たとえ真護がどれだけ速く動こうと、時間を戻されれば意味がない。さらに『
「ぐぅっ……!」
戻された無防備な体に、日万凛の至近距離射撃と、朱々の巨大な蹴りが直撃する。
真護は岩壁に叩きつけられた。
口から血が溢れる。
「はぁ……はぁ……なるほどな。時を止めるに、コピーに、巨大化に、強化……。厄介な能力ばっか揃えてやがる」
真護はよろりと立ち上がる。
着物は破れ、体には銃創と打撲。
だが、その目は死んでいなかった。
「やっぱり男ね。頑丈なだけが取り柄かしら?」
日万凛が冷たく言い放つ。
彼女たちにとって、男は非力な存在。これだけ攻撃を受けて立っていること自体が異常だが、それでも脅威とは見なしていない。
それが、真護にとって唯一の勝機だった。
(……ナメられてる。だからこそ、チャンスがある)
真護は刀を構え直す。
今のままでは勝てない。
相手は百戦錬磨のプロフェッショナルたちだ。力任せの突撃も、単純なスピードも、対策されてしまう。
ならば、どうする。
(優希を取り返しに来たってことは、あいつらは優希の仲間……なのか? いや、青羽さんがキレてたってことは、ロクな扱い受けてねえのか?)
思考を巡らせながら、真護は深く息を吸った。
まだ卍解は温存する。ここで切り札を見せれば、奥にいる組長クラスに警戒される。
まずはこの通常状態で、この鉄壁の連携を崩さなければならない。
「……へっ、魔防隊ってのはもっと頭が硬い連中かと思ってたが……意外とえげつない戦い方するじゃねえか」
「褒め言葉として受け取っておくわ。さあ、降伏なさい」
真護の瞳が鋭く光った。
「断る。……こっからは、少し本気で走らせてもらうぜ」
真護の全身から、青白いオーラが立ち昇る。
天鎖斬月がなくとも、彼自身の身体能力は本物だ。
時間を戻されるなら、戻される前に「終わらせる」ほどの速度で動くしかない。
あるいは、時間を操る術者を最初に潰すか。
「来るわよ! フォーメーションC!」
少女たちの掛け声と共に、再び戦いの火蓋が切って落とされた。
黒き死神と、魔都の乙女たち。
常識外れの男の戦いは、ここからが本番だった。