洞窟の最奥部。
岩盤が崩落し、むき出しになった広大な地下空間に、黒嶺真護と東日万凛たちが駆け込んだ。
濛々と立ち込める土煙。焦げたようなオゾンの匂いが鼻を突く。
真護は、視界の先に広がる光景を見て、舌打ちと共に足を止めた。
「あぁクソ……少し遅かったか」
土煙が晴れた先、荒れ果てた岩肌の上に、六番組組長・出雲天花が倒れていたのだ。
少し時間を遡る。
天花と青羽の戦いは、魔都の地形を変えるほどの激絶なものだった。
天花の能力『
『ぐぅぅぅッ……!』
見えない空間の圧力に押し潰されそうになりながら、青羽が苦しみ悶える。
あと少し。空間を圧縮すれば、この強力な人型醜鬼を完全に沈めることができる。天花は無慈悲に能力を強めようとした。
だが、その時だった。
苦痛に歪む青羽の顔。
白く変異し、角こそないものの人間離れしたその顔立ちの奥に、天花は「彼」の面影を見てしまった。
和倉優希。
自分が心の底から愛した、あの心優しい少年。
もし、ここで自分がこの「お義姉さん」を殺してしまったら。優希はどんな顔をするだろうか。自分に向けられたあの温かい金色の瞳が、絶望と悲しみに染まってしまったら。
(……この人を殺したら、優希くんが……悲しむ)
恋心。
魔防隊の組長としてあるまじき、ほんの僅かな感情の揺らぎ。
だが、その一瞬の迷いが、無敵の空間操作に綻びを生んだ。
ミシッ、と空間の檻が緩んだのだ。
百戦錬磨の青羽が、その一瞬の隙を見逃すはずがなかった。
『もらったぁッ!!』
青羽の口が大きく開かれ、そこから規格外のビームが放たれた。
空間の綻びを強引に突き破った極太の閃光は、無防備となっていた出雲天花に直撃し、彼女を岩壁ごと吹き飛ばしたのである。
――そして、現在。
真護たちが駆けつけた時、すでに勝敗は決していた。
青羽は、倒れ伏し、荒い息をつく天花の傍らにゆっくりと降り立った。
その顔には、勝利の歓喜よりも、純粋な疑問が浮かんでいた。
「あんた……なんで最後、攻撃を緩めたんだい?」
青羽の問いに、天花は痛む体を少しだけ動かし、土に汚れながらも、その美しさを損なわない顔で微笑んだ。
「……優希くんが、悲しむと思ったから……」
「は?」
「敵を……それも醜鬼を前にして、攻撃を躊躇うなんて、私にとっても初めてのことです。……男の人を、自分の命よりもこんなにも好きになったのも、初めてのことだったから」
天花の言葉には、一切の嘘がなかった。
組長としての使命よりも、愛する少年の心を重んじた。その純粋すぎる想いに、青羽はしばらくポカンと口を開けていたが――。
次の瞬間、パァァァッ!と顔を輝かせた。
「優希のことを考えたのは素敵だわ! 良いやつね天花!!」
ニカッと、それはもう満面の笑みだった。
先ほどまでの「泥棒猫ぶっ潰す」という殺意はどこへやら、完全に「弟を深く愛してくれる素晴らしい女性」として認識を改めたのだ。
そこへ、真護と日万凛たちが息を切らせて到着した。
「おい青羽さん! やりすぎだろ!」
真護が声をかけると、青羽は振り返り、倒れている天花を指差して大声で叫んだ。
「シンちゃん! この子すっごくいい子だよ! 優希のいいお嫁さんになると思わない!?」
「……はぁ?」
真護は完全に呆気にとられた。
日万凛たちも、いきなり組長が「良いお嫁さん候補」として太鼓判を押されている状況に、思考が追いつかない。
だが、その声に反応した者がもう一人いた。
少し離れた場所。
彼は、青羽の口から飛び出した「シンちゃん」という単語、そして、黒い着物を纏った見慣れない男の顔を見て、雷に打たれたように動かずに見つめた
「……真護……?」
優希の唇が震える。
見間違えるはずがない。背が伸び、体つきも逞しくなり、纏う空気は死神のように鋭くなっているが、その顔立ちは、いつも自分たちを守ってくれた幼馴染そのものだった。
「真護なのか……!?」
その声には、信じられないという驚きと、溢れ出しそうな安堵が入り混じっていた。
真護は、刀の柄から手を離し、ゆっくりと優希の方へ向き直った。
魔都で孤独に戦い続けた半年間。
化け物になってしまった自分が、果たして優希に顔向けできるのかと悩んだ日々。
だが、目の前に立つ親友の顔を見れば、そんな迷いは一瞬で吹き飛んだ。
真護の口角が上がり、いつもの、少しだけ悪ぶった、しかし温かい笑みが浮かぶ。
「……おう。久しぶりだな、優希」
その言葉だけで十分だった。
優希の目から大粒の涙が溢れそうになる。姉も生きていて、親友も生きていた。この地獄のような魔都で、二つの奇跡が同時に起きたのだ。
感動の再会。
このまま互いに駆け寄り、肩を抱き合って喜びを分かち合えれば、どれほど良かったか。
ジャキッ!!
だが、その感傷を切り裂くように、冷たく重い金属音が洞窟に響き渡った。
「そこを退け、醜鬼」
声の主は、六番組副組長・東八千穂。
彼女は、倒れている出雲天花の前に立ちはだかり、青羽の眉間めがけて銃口をピタリと突きつけていた。
その隣には、若狭サハラが凄まじい闘気を発して構えている。
さらに、日万凛が右腕をガトリングに変形させ、朱々がいつでも巨大化できるよう腰を落とし、真護と青羽を包囲するように陣取ったのだ。
「組長に手出しはさせないわよ」
日万凛の目は、完全に「魔防隊」としての戦士の目に戻っていた。
先ほどまで真護と一時休戦して走ってきたとはいえ、彼女たちにとって天花は大切な上官であり、青羽は天花を負傷させた敵である。
たとえ相手が優希の肉親だろうと、幼馴染だろうと、魔防隊としての使命と仲間への忠誠は絶対に曲げない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! みんな戦う気はないんだ!」
優希が慌てて割って入ろうとするが、縛られている。ピリピリとした空気は一向に収まらない。
真護も再び表情を引き締め、いつでも『天鎖斬月』を呼び出せるよう姿勢を低くした。
「……ま、そうなるよな。魔防隊としちゃ、上官やられてハイお友達、とはいかねえか」
真護がぼやく中、洞窟の入り口から、重々しい足音と荒い息遣いが聞こえてきた。
「はぁ……はぁ……青羽姉……!」
「遅くなって……ごめんなさい……!」
現れたのは、巨大な『熊童子』の背に乗り、満身創痍となった波音とココだった。
日万凛たちの猛攻を前に敗れはしたものの、執念でここまで追いついてきたのだ。
二人の服は破れ、ココの体液による治癒も追いつかないほど疲弊しきっている。しかし、その瞳には魔防隊への強い恨みと、青羽を守ろうとする意志が燃えていた。
「波音! ココ! よく無事で……!」
青羽が安堵の声を上げる。
これで盤面は完全に二分された。
倒れた天花を護る、京香、日万凛、八千穂、朱々、サハラたち魔防隊。
対するは、青羽、真護、そして傷ついた波音とココたち人型醜鬼。
その中間に立つ、和倉優希。
愛と再会の喜びが交錯した空間は、再び一触即発の、ヒリつくような戦場へと引き戻されていた。
魔都の運命を分かつ究極の膠着状態。
黒嶺真護は、親友を守るため、そしてこの理不尽な争いを止めるため、再びその手の中に黒き刃を現出させた。