天才幼馴染の学び合い 作:ひまんちゅ
放課後の図書室は、昼の喧騒が嘘みたいに静かだ。
奥の席——辞書コーナーの陰になっている場所に、二人はいつも座る。
澪がノートを開く。
「今日は“確率の苦手”を潰す。問題を解く前に、考え方の骨組み」
悠真はペンを回しながら言った。
「骨組み大事。いきなり公式暗記すると、途中で死ぬ」
「その言い方も大概」
そこへ、遠慮がちに声がした。
「あの……橘くん、朝霧さん……」
振り向くと、クラスメイトの早乙女(さおとめ)咲(さき)が立っていた。
進学校の中でも意欲がある方だが、最近、確率で詰まっているらしい。
「来た」
澪が小声で言う。
悠真は軽く手を上げた。
「どうぞ。座る?」
咲が椅子に座ると、澪はすぐに“優しいモード”に切り替わった。
話し方が一段落ち着き、言葉の端々が丁寧になる。悠真はその切り替えを知っている。
「まず、確率の話をするときの合言葉ね」
澪が言う。
「合言葉?」
咲が首をかしげる。
「“場合の数が分かれば、確率は分かる”」
悠真が続ける。
「確率って、
起きてほしいパターンの数 ÷ 起きうる全部のパターンの数
ただそれだけ」
咲は少し安心した顔をした。
「でも……“全部のパターン”が数えられなくて……」
澪がうなずく。
「そこで二つの質問をする。
1つ目:何を“1つ”と数える?
2つ目:重複して数えてない?」
悠真は例を出す。
「例えば、サイコロ2個を振って、出目の和が7になる確率」
咲は頷く。
「よくあるやつだ……」
澪はノートに表を書き始めた。
「全部のパターンは、(1〜6)×(1〜6)で36通り。
ここで“1つ”は、(1個目の出目, 2個目の出目) という“順序つきのペア”」
「順序つき……」
咲が復唱する。
「そう。1と6は、(1,6)と(6,1)で別物として数える」
悠真が指を折る。
「和が7になるのは、
(1,6)(2,5)(3,4)(4,3)(5,2)(6,1) の6通り。
だから確率は6/36=1/6」
咲は「それは分かる」と言いながら、すぐ次の顔になる。
「でも、カードの問題とか、順序が関係あるとかないとか、混乱して……」
澪はペンを置いて、短く言った。
「じゃあ、今日の本題。
順序が関係あるときは“並べる”
関係ないときは“選ぶ”」
悠真は笑う。
「めっちゃ覚えやすい」
澪は続ける。
「例えば、A,B,Cの3人から2人を選ぶとき。
“選ぶ”なら {A,B},{A,C},{B,C} の3通り」
「うん」
咲が言う。
「でも、2人を並べて“委員長・副委員長”を決めるなら、
(A,B)(B,A)(A,C)(C,A)(B,C)(C,B) の6通り。
役割があるから順序がある」
咲の目が少し開いた。
「……あ、たしかに。“役割”があると順序がある」
「そう。
順序は“区別がつくか”の別名」
澪は落ち着いた声で言った。
悠真が、ふと澪のノートの端を見て、笑う。
「澪、説明上手くなったよね。昔は“分かるでしょ”って切り捨ててた」
澪は咳払いした。
「……成長したの」
咲が思わず笑って、空気がほどける。
その瞬間、悠真は少しだけ思った。
この“教える時間”は、澪の中にある尖りを丸くし、
自分の中にある雑さを整える。
互いの欠けたところを、互いが埋める。
まるで、ずっと前からそうしてきたみたいに。