酒カスアラサー女勇者 〜酔生夢死じゃ終われない〜 作:空想の墓場
『新皇帝が即位するらしい』
その噂は、瞬く間に帝都中を駆け巡った。誰が言い出したのか分からない、出どころ不明の噂。しかしてそれはある種の確証を持って人づてに伝播していくこととなる。
そして、やがては場末の酒場にまで噂は届いた。冒険者ふうの皮鎧に身を包み、酒精に顔を赤らめた男が枯れ気味の声を発する。
「なあ、知ってるか? とうとう新しい皇帝が即位するんだってよ」
「……はぁ。いつの話をしてんだよ。帝都ン中で、その話知らねえやつなんかいねぇよ。お前以外」
「マジかよ!? そんな有名なら、なんでもっと早く教えてくんなかったんだ!?」
「言ったわ! 記憶無くなるまで飲むから何回言っても忘れてんだろ!?」
やいやいと言い争う声が酒場に響く。とはいえ、周りは輪をかけてうるさい。この場においてはむしろ静かな方で、気にする人間などいなかった。――ただ、1組を除いて。
「いやあ。持ちきりだねえ」
「自分たちで流しておいてこんなことを言うのも変ですが。ここまで大ごとになるとなんか恐れ多いですね」
「そう? 世論を裏から操るフィクサーって感じでカッコ良くない?」
「……その能天気さが羨ましいです」
桜色の頭髪の女性がからから笑う一方で、対面に座る黒髪の少女が嘆息する。依頼されていた調査を終え、地下から舞い戻ったエステルとソヴァは、酒場で束の間の休息を味わっていた。手にしたジョッキには同じく黄色の液体がなみなみ注がれているが、中身はまるで違う。
「それにしても」
エステルが手にしたジョッキを傾け、内容物を一気に飲み下す。その勢いのまま、自分まで丸呑みするつもりではとソヴァに思わせるほどの飲みっぷりだった。
「げふ。一仕事終えた後の一杯は格別だね。ソヴァちゃんもそう思うでしょ?」
「うーん……? いまいち理解できません」
ソヴァは少し考えてから、否定の言葉を口にした。試しに液体に口を付けてみる。こちらに入っているのは、アルコールを含まないジュースだ。柑橘の香りと甘酸っぱさが口から鼻腔に抜けていく。美味しいことに違いはないが、特段平素と比べて味に違いは感じられなかった。
アルコールでないからなのか。いや、もしかすると、依頼に対する心構えの差によるものなのかもしれない。「というか」と、ソヴァが話題を変えて。
「そもそも、まだ一仕事終わったって言うには早いですよ。ケンタウロスは結局、主犯ではないみたいですし」
声を潜めて言う。三等区は地下の隠し空洞にて、ケンタウロスを討伐し行方不明だった人間たちを救出してからおよそ1週間が経とうとしていた。
しかし、手掛かりになるはずだったケンタウロスは詳細不明の魔法によって死亡してしまい、救助した人間たちの意識も戻らず。今なお、主犯と思しき魔族の姿は影も形も見つからなかった。
「これじゃ、事件解決なんて口が裂けても言えませんよ」
「まあまあ。そんな深刻な顔しないで。すぐにどうこうできることじゃないから」
「でも、一番の危険が残されたままなわけですし……」
「酒場じゃどんな辛い事情があっても笑っとくもんなの。無礼講だけど、唯一のルールだよお」
「そ、そうなんですか? じゃ、じゃあ……。えへ、えへへへ」
「んぐっ……! くふふふふ……!」
帝都の風習に疎く、優等生気質なソヴァ。ルールだと言われてしまっては従わざるをえなかった。エステルの適当な冗談を真に受けた彼女は、バカ真面目に引き攣った作り笑いを浮かべる。それを見て胃に入れたばかりの酒を吹き戻しそうになるのを、エステルは必死にこらえていた。
「い、今のは言葉のあやで、何もホントに笑わなくたっていいんだよ?」
「うえっ? ん、んんっ! そんなこと分かってます。ちょっとしたジョークですよっ。ジョーク!」
「そういうとこ可愛いけど、悪い人に騙されないようにね……?」
ほっこりすると同時、この調子で大丈夫かとちょっと心配になったエステルが言う。耳の先まで赤くしたソヴァが、再度咳払いをして。この話題にこれ以上触れられたくなかったのだろう。やや強引に別の話題へ仕切り直した。
「んんっ……。そういえば、なんで噂を流す必要があったんですか? 正直にそのまま発表するでもよかったんじゃ」
「んー……。心の準備とかじゃないの? あとは、土台を作って支持を得やすくするとか……?」
「よく分かりませんね。偉い人の考えることは」
「私には政治がわからぬ」
戦うことが仕事の勇者に、難しい話は関係ないと。ごちゃごちゃ浮かんだ考えをアルコールで洗い流して、ひとまず色々あるんだろうと結論を下す2人。
帝都を騒がせている、新皇帝即位の噂。これを流布したのは他でもない彼女たちだった。もちろん依頼の一貫であり、皇子殿下直々の指令。信ぴょう性は推して知るべしといったところである。
「やっぱり、今回のことがきっかけではあるだろうね。皇子殿下主導で対応に当たってるけど、それにしたって裁量大きいほうが都合よさそうだし」
あるいは、帝室内の膿を探し出す目的もあるのかもしれない。三等地はほとんど管理されていない場所とはいえ、腐っても帝都の一部だ。魔族が侵入し、あまつさえ秘密裏に活動出来ていたこと自体やや不自然だった。
手引きした者がいる可能性も捨てきれない。それらの事実が、長らく保留されていた即位を早めることになったのではとエステルは推測していた。
「ま、いいんじゃない? 最近明るいニュースもなかったし」
「確かに、心なしか雰囲気が明るい気はしますね」
そう言ってソヴァは酒場を見渡す。ここにいるのはバカ騒ぎしている者ばかりで、裏付ける証明にはならなかったが。
魔族との対立は激化している。そんな中で、わずかでも変革を感じさせるその噂は、日常に活力を与える程度には希望をもたらしたらしい。
それにしても広まるのが早すぎやしないかと思わなくもない。自分で蒔いた種とはいえ、予想以上の反応にソヴァはちょっとした不安を覚えていた。『もしこれが嘘だったらどうすんの、噂を流したのが私ってバレたら、めっちゃ怒られるんじゃない?』と。
そんなふうに内心びくついていることなどつゆ知らず。エステルが独り言のように呟く。
「あとは、ジル君がちゃんとした皇帝になれるかだけが問題だね。……結構、いやかなりとぼけたとこあるからなあ。頭は良いんだけど、さ」
「え」
一国の君主を形容するにはあまりにも不穏なつぶやきに、ソヴァは思わず顔を歪めた。
*
帝都は二等区、とあるパン屋にて。
「はぁ……」
その店の店主である男は、憂鬱そうなため息を吐いた。遅れて厨房から青年がやってくる。彼が手にした盆の上には、湯気を立てる焼きたてのパンが載せられていた。
辛気臭い様子の店主を見かねた青年が問いかける。
「どうしたのだ店主、幸せが逃げてしまうぞ」
「ため息も出らあな。ここんとこ不況続きでまいっちまう」
もとより、彼の店は趣味が高じて始まったもの。何年か前のこと、道楽のついでに金が入ってくれば儲けものだという程度の軽い気持ちで開店したこの店。
しかし、偶然に偶然が重なった結果、いつの間にかパン屋の収入が本職の収入を上回ってしまっていた。初めこそ戸惑ったものの、やりたくもない仕事をするよりはずっとマシだ。
そう考えた男はこの店一本に絞り商売することに決めた。確かな品質と信頼を売りに、これまで食うに困らないくらいは稼いでいられたのだが。
最近はどうも客入りが少ない。不況のせいにしてはいるが、店主は自分の店に非があることも自覚していた。
なぜなら、帝都にパン屋などありふれているからだ。今時プレーンなパン一本で勝負する彼の店が流行る道理はない。
「たまに客が来たと思っても、大抵はお前の顔目当てだし。ミーハーな奴らは常連につきにくいんだよ」
「なるほど、美しすぎるのも罪というわけだな」
「黙れお前マジ。窯の中につっこんでやろうか」
「なんてことを言うんだ。文化財保護法違反だぞ」
「傷害罪じゃなくて? お前の顔は国宝かなんかなの?」
店主は呆れた視線を青年に向けるが、青年はいたって真面目な顔をしていた。そのとぼけた面さえ様になってしまうのだから腹立たしい。
――このナルシストはエリクサーでも治らないだろうな。手に負えない、とばかりに店主は両手を挙げて首を振った。
青年は、この店で働く、店主を除いて唯一の従業員である。日の光を反射する銀髪は天女の羽衣のごとく、清らかな蒼眼は海色よりも深い。街を歩けば誰もが振り返らずにはいられなくなるほどの容貌をしていた。
店主の男も、彼がバイトの面接に来た当初は大いに喜んだものだ。「こいつは客引きに使えるぞ」と。そして、その目論見は大いに的中し、盛大に裏目を引いた。
「『静かで落ち着ける』がコンセプトだったのに、お前目当ての客が騒ぐから常連が離れてったんだろ?」
「いいじゃないか。今や帝都のどこよりも静かな場所になった」
「閑古鳥はうるせえけどな」
がらんどうになった店内を見回して。陳列されたパンたちもどこか覇気がないように見える。店主の気がしぼむほどに、イーストもしぼんでいくのだった。
営業不振の責任を一身に背負わされた青年が、やや不満げに言う。
「そんなに言うなら解雇すればいいじゃないか。ボクが来る前は一人で回せていたのだろう?」
「バカ。それは、なんかこう、違うだろ。別にお前だって好きでその顔に生まれたわけじゃないんだろうし」
「ボクはボクの顔が好きだが?」
「そういう話じゃねえ。まともに話せねぇのかお前」
キョトンとした面持ちで平然と言ってのける青年。人を小馬鹿にしているのか、それとも本気で天然なのか。
どこから湧いてくるのか分からない自信をたっぷり込めて話すので、彼の話は嘘か本当か判断に困る。この青年と会話するのは相応に骨が折れるし、あるいは我慢ならない人もいるだろう。
だが、店主には彼を解雇できない理由があった。
『率直に言おう。この店はありきたりすぎる』
『なんだテメェ。面接してほしいって言うから通してやったのに、しょっぱな喧嘩か?』
『違う。断じて違う』
思い起こされるのは、初めて彼と会った日の言葉。今日と変わらない、何考えてるかようわからん表情で。
『まるで、帝都の平和そのものだ。こういう素朴な店がいつまでも続けばいいと、常々思う』
『……店員の面接だぞ? 詩人になりたいなら他を当たりな』
『どうかボクを、平和の一員にしてほしい』
修辞的な、されど想いに飾り気はなく。
平凡にして凡庸。こんなありきたりな店を良いと言ってくれた彼を無下にすることなど、店主の男にはできなかった。元々趣味の延長で始めた店だ。売上なんてどうでもいい……とまでは言い切れないが。
「客商売で人情をなくしたら終わりだろうよ」
「それよりもまず金だろう。店が無くなれば人情もクソもない」
「おま、いい話で終わる流れだっただろうが!?」
「おっと。そろそろ定時だ。ボクは上がらせてもらおう」
いい感じに浸ってたのに、マジレスによって雰囲気をぶち壊された店主が悲鳴に近い声を上げる。やっぱコイツクビにしようかな、そんなことを考えていると。
「あ」
「あん?」
「そうだ。店主殿。折り入って相談が」
「何だよ改まって。自主退職なら喜んで受け入れるぜ」
帰り支度を整えているさなか。何か思い出したのか、青年は短い声を発して話を切り出した。店主の冗談を「まさか」と受け流して淡々と続ける。
「近々、まとまった休みが必要になるかもしれない。具体的にいつかはボクにもまだ分からないのだが……。その時は、有休をもらってもいいだろうか」
「ああ? そりゃ構わないが、理由は? そんな長休みが必要なことあんのか?」
「冠婚葬祭」
「の?」
「新たな皇帝として即位せねばならないのだ」
「いねぇよ戴“冠”式で有休とるやつ」
理由の報告は義務ではないのだから、正直に言いたくないなら最初からそう言えばいいのに。とことん冗談が好きな奴だ、と。苦笑した店主がいつもの調子でツッコミを入れる。
「全く。お前は皇子殿下かっての」
「そうだが」
「は?」
安全上の理由という名目で帝国要人の顔が伏せられることは多く、影武者を立てることも珍しくなかった。加えて、情報伝達も遅い上に媒体の限られるこの時代だ。人の顔はとかく伝わりにくい。
そのため、広く一般に知られてはいなかったが。銀髪蒼眼は、帝国貴族のシンボルともいえる身体的特徴だった。
「民の生活に王が紛れ込む劇を見てね。ボクもやってみたくなったんだ」
「今のうちに荷造りしとこ。亡命先も考えておかねぇとな」
「待ちたまえ」
「待ってられるか! こんなトンチキな奴が皇帝の国にいられるかよ!?」
「亡命するなら王国方面が良い。魔族領から離れているし気候も穏やかだ」
「心配するとこそこ!?」
ぜーはー。ひとしきり叫んで息を切らせた店主が膝に手を当てる。「運動不足か?」なんて聞いてくる青年の声も今は届かない。
少し間を置いて、やっと呼吸を整えた店主が顔を上げる。そこにはどこかすっきりした微笑が浮かんでいた。
「……でもまあ。なんかようやくしっくり来た感じだ。そうだよな。こんな奴がなんの捻りも裏もなく、ただの一般人でしたは無理あると思ってたんだよ」
負け惜しみなどではなく、店主は本心からそう思っていた。青年の纏う雰囲気にどこかただならないものがあることは薄々感じ取っていたが、彼から言い出さないからには言えない事情があるのだろうとあえて放置していたのだ。
その正体がまさか、次期皇帝と目される男だとは思いもしなかったが。店主はガリガリと頭を掻いて浮かび上がるいくつもの考えを押し込める。
言いたいことはいくらでもあったが、それを正確に言葉にしようとするとつかみどころのない雲のように形を失ってしまう。あー、とか。うー、とか。無意味な音の羅列が続き、ようやくまとまったのか店主が口を開く。
「ジル。……ああジルバート様か? 悪い。敬語なんて使ったことないもんで」
「好きに呼んでくれ。今更気を使われても気持ちが悪い」
「そうか? じゃあ遠慮なく」
詩人でもなく弁論家でもない彼が伝える言葉はシンプルだ。しかしてそれは、どれほど修辞的な言葉よりも深く、ジルバートの胸に残った。
「期待してるぜ。できれば働かなくても食ってけるような国にしてくれよな」
「それは無理な相談だ。店主殿のパンが食べられなくなっては困る。これまで以上に働いてもらわねば」
「けっ。とんだ暴君だ」
お互いに軽口を叩き合って、ジルバートはパン屋を出る。彼の歩く先には帝都中央にそびえたつ王城があった。
店主は悪態を吐きながらも、去っていくジルバートの背中が街並みに消えるまで見守っていた。そうして彼が完全に見えなくなったあと、自分の両頬を叩いて仕事に戻るのだった。
ジルバート=フォン=アダマンティアは帝国の次期皇帝だ。彼は邁進する。パン屋が忙しく、軍人があくびする――ありきたりな世のために。