酒カスアラサー女勇者 〜酔生夢死じゃ終われない〜   作:空想の墓場

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帝都事変

「よお。ご苦労さん。何してんだ? そんなとこで」

「……これはこれは。ニコレット様。貴女こそ、このような夜更けにいかがされました?」

「アタシは一服しに出てきただけだ。で? 質問に答えろよ」

 

 ランタンの明かりが暗闇に灯り、言葉を交わす2人を映す。照らすのは口の端にタバコを咥えた、三白眼の女勇者。照らされる一方は、頭髪に白髪の混じるものの、精悍な顔つきの壮年男性。

 

「見回りですよ。明日は殿下の戴冠式ですから」

「ふーん? こんな人気のないとこまで回んのか。ずいぶんと熱心だな」

 

 帝都は王城、その裏庭とでも言うべき場所に2人はいた。裏庭と言っても、城壁と城の間に出来た余白的な空間でしかない。普段ならば、噂好きなメイドたちが密談を交わすくらいしか使い道のない場所だ。

 

 ――まさか目の前の大男が、花も恥じらう恋バナをしにここへやって来たわけでもあるまい。手持無沙汰に火をつけたタバコの煙を吸い込んで、ニコレットは続けて言った。

 

「一服ついでにここはアタシが見といてやるよ。王宮騎士の隊長サマなら、もっと他にやることあんだろ」

「しかし、そういうわけには」

「良いって。それとも何だ? アタシじゃ信用ならないってか?」

「そうではありません」

 

 皮肉っぽくおどけて言うニコレットに、隊長は首を横に振って答える。

 

「殿下の戴冠式は帝国における大典。わずかでも邪魔が入る可能性は減らさねばならないのです」

「ああそうだな。逆に言えば、事を起こすのにこれほどあつらえ向きの日もない」

「ええ、ですから」

 

 するり、と。あまりにも自然な動作で隊長が距離を詰めたので、さしものニコレットも反応が遅れた。女性にしては長身な彼女だったが、王宮仕えの騎士、それも隊長格の男性と比べてしまえば、必然見上げる格好になった。

 

 感情の見えない瞳でニコレットを見下ろす彼は、静かに。そして淡々と。

 

「邪魔者は減らさねば。例えばそう、貴女のような」

「あ? ――ガッ!?」

 

 その言葉の奇妙さに、ニコレットの目つきが胡乱になる。そして、その真意を問いただすよりも先に、彼女は焼けるような熱をその身に感じた。何が、と状況を理解することもできず、遅れてやってきた激痛に苦悶の声を漏らす。

 

 震えるランタンの明かりが凶刃を照らす。隊長の籠手の下から伸びる鋭い爪が、ニコレットの腹部を貫いていた。それは明らかに人間のものではなかった。赤黒く強靭な異形の爪。その先から、鮮血がしたたり落ちる。

 

「……テ、メエ」

 

 金属のぶつかる硬質な音を立ててランタンが地面に転がる。忌々しげに睨みつける眼差しからも次第に光が失われていき、自重を支える力を失ったニコレットはその場にくずおれる。下手人はそれを見届けると、異形の爪をずるりと引き抜いた。その拍子に跳ねた返り血が彼の頬を濡らす。

 

「思いがけず勇者を一人削れたか。とはいえ、これでどうなるということでもない」

 

 ――どうせ皆殺しなのだから。戴冠式前日、あるいはすでに今日のことか。隊長だったはずの人物は、誰に聞かせるでもなく、何の痛痒も感じていないふうにつぶやいた。

 

 

 いつも騒がしい帝都だが、今日はいつにも増して騒がしい。小鳥が朝を告げるべくさえずりを鳴らそうとして、花火だか爆竹だかの破裂音に肝をつぶすことになった。

 

 二等地のバザールを行き交う人々の財布は緩み切っていた。普段なら見向きもされない二束三文のガラクタでさえ飛ぶように売れるので、商人の口角は天幕を貫いて空に届きそうなほどだった。

 

 そして彼らは快哉を叫ぶ――。新皇帝陛下バンザイ! と。

 

 帝国の戴冠式は、一般には公開されず王城内にて先王が次期国王に冠を委譲することで成る。国を挙げての一大イベントには違いないが、式それ自体は民衆にとって雲の上の出来事である。それが慣習だった。

 

 しかし、今回ばかりは。昨今の重苦しい世情を憂いたジルバート次期国王の提案のもと、あたかもお祭りであるかのような雰囲気とともに、戴冠式は盛大に執り行われる運びとなった。というのが大盛況の原因である。

 

 そして、お祭りムードに浮かれるのは何も民衆だけではない。というより、こんな滅多にない機会を酒飲みが見逃がす道理はなかった。通りに面したレストランのテラス席に座る一団が、高く掲げたジョッキを打ち鳴らす。

 

「今日という日にかんぱーい!」

「かんぱーい!」

「いやあ、昼間から大手を振って酒が飲める。なんて素晴らしい!」

 

 ジョッキの主である、桃色髪の女性。そういって呷るのは、いつぞやの神酒ネクタルである。

 

 式はまだ始まっていないにも関わらず、エステルとその仲間たちはすっかり出来上がっていた。茹でたタコよりも赤い顔をした大人たちが互いに肩を組んで、調子はずれな歌を歌っている。

 

 お祭り騒ぎの中にあってすら、酔っ払いの喧騒は疎まれていた。むせかえるほどの酒気に鼻を覆った通行人たちが嫌そうに眼を細めて、露骨に彼らを避けて歩く。しかし、当の本人たちは気にも留めていなかった。

 

 周囲からの痛い視線よりも、昼間から酒を飲める幸福の方が勝っているらしい。彼らの声は次第に高らかになっていく。

 

 別に、戴冠式である必要はなかった。酔っ払いにとってみれば、結婚式だって葬式だってかまわなかった。とにかく、大手を振って酒を飲める理由になればなんでも。

 

「なんでも、今年は式の様子が見られるらしいよお? 凄い時代になったもんだよねえ」

「魔導映写機、だったか? また面白いものが出てきたな」

 

 エステルのつぶやきに男が頷く。本来、小市民にとって戴冠式など遠い世界の話だったのだが。

 

 勇者にして優れた錬金術師、ニコレット・メディスにより発明された魔導映写機。どんな仕組みかなどさっぱりわからないが、とにかくそれがあれば、遠く離れた場所の出来事を間近にあるように見られるらしい。

 

 今回の目玉と呼べるイベントがそれだ。貴族でなければ見ることさえ叶わなかった戴冠式、その現場を目の当たりにできるということで、もの珍しさに帝都のみならず各地から人が集まっていた。

 

 赤らんだ顔のエステルが、さらにもう一杯酒を注ごうとしたところで。酒瓶の上に乗せられた手の平がそれを制す。

 

 指から腕、肩へと視線をたどる。顔を上げた先で目が合ったのは、鬼面のごとき様相のソヴァであった。思わずひっ、と息を呑む。

 

「なに先輩までお祭り気分を楽しんでるんですか。警護で来てるんですから、しゃんとしてください」

「い、いやー……。だってせっかくの機会だし……」

「だからこそ、じゃないですか。それを守るのが私たちの仕事でしょう」

「大丈夫だって。私たちの他にも勇者はいるし」

「はぁ。その勇者たちも……」

 

 苦言を呈すソヴァにエステルは苦笑いを浮かべて答えた。人が多く集まれば、当然トラブルも増える。勇者1人2人ではとてもじゃないが手に負えない。その仲裁にあたるため、各地から呼び戻された勇者複数人が動員されていたのだが。

 

 

 

「そこだ、差せ! 差せ! ――ああクソが! おい! 強化魔法でもかけてんじゃねえだろうな!? 解呪(ディスペル)するからこっち来させろ!」

 

「音楽変わった! 復活! 復活! これ外れたら引退します! 引退、引退……ざけんなクソ台が!」

「お客様!? 台を蹴るのはおやめください!?」

 

「は? イカサマなんてしてませんよ? ただ魔眼使って透視しただけですけど? 身体能力の一部ですよね? え、ダメ?」

 

 

 

「……こんな調子ですけど。やっぱ辞めようかなこの仕事」

 

 惨状にソヴァがため息を吐く。レベルが上がりやすいというメリットがなかったらとっくに辞めていたかもしれない。

 

 この日に合わせて開催された、種々の催し物。それらに分かりやすく引っかかった勇者らしき出で立ちの男たちが、街のあちこちで発狂していた。高ステータスなぶんそのへんのチンピラよりずっと性質が悪い。

 

 とはいえ、自分が居なかったらどうなるか想像もしたくないし。なんだかんだ続けちゃってたんだろうなあとも思っていた。ブラック企業から逃げられない社畜もこんな心持ちなのだろうか。

 

 と、ソヴァが15にして社会の闇全てを溶かしたようなハイライトの無い瞳を宙に彷徨わせていると、人並みを割って騎士団が街路へ歩み出してくる。

「お。そろそろ始まるみたいだよ」

 

 詰められていたエステルが、これ幸いとばかりに話題を変える。手口は見え透いていたが、ソヴァとしても気にならないわけではない。「もう」とだけ小さくぼやいて、視線を騎士団の方に向けた。

 

「静粛に! これより、放映を開始する!」

 

 途端、増して押し寄せる人だかり。騎士たちはそれを押しのけて、人の背丈の3倍はあろうかという棒切れを地面に立たせ、結びつけられた白い布をシワが無くなるよう広げた。魔導映写機の映像を映し出すため即席で作り上げた、スクリーン代わりであった。

 

 騎士たちは統率された速やかな動きで設営を完了させ、魔道具を起動した。スクリーンの正面に置かれた機構から放たれた光が白布にあたると、無色のそれがたちまちに色づく。誰からともなくどよめきがあがった。

 

「おお……」

 

 映し出されたのは、白亜の壁に囲まれた王城の内部だった。城内を中心で割るように敷かれた緋色のカーペットの脇を、貴族らしき身なりの良いものたちが列をなして囲み、厳粛たる面持ちである一点に視線を向けている。

 

 その視線の先、カーペットの終点には、一段高く設けられた場所がある。豪奢な衣装に身を包んだ、一際存在感を放つ2人の男たちがそこに立っていた。

 

 くすんだ銀髪の壮年と、対照的に鮮烈な輝きを放つ銀髪の青年。民衆に皇族の顔を拝む機会などまずなかったが、容貌、立ち位置、雰囲気の全てから彼らが主役であると容易に想像がついた。

 

「へえ。あんな顔なんですね。実物を見るのは初めてです」

「見てくれだけは良いんだよねジル君。他は……とと、なんか、喋っちゃいけなそうな雰囲気」

 

 何が民衆をそうさせたのか。いつの間にか、帝都には水を打ったような静けさが満ちていた。ソヴァのつぶやきから発した他愛のない雑談は、周囲から向けられる「邪魔するな」と言わんばかりの白い眼に阻まれる。さしもの彼女たちも、これには縮こまるしかなかった。

 

 その間にも式は粛々と進められていた。スクリーンの中で向かい合う2人の男。青年が跪き、壮年の男性が冠を掲げる。

 

『我が息子、ジルバートよ――この国を任せるぞ』

 

 壮年は時折感じ入るように目を固くつむり、動きを止めながらの緩慢な動作で冠を青年の頭上に持っていく。やがて、それを青年の頭上に優しく被せた。

 

「新皇帝、バンザーイ!」

「ジルバート陛下バンザイ!」

 

 静けさから一転、今度は風船が破裂するかのような勢いで歓声が上がった。どこからか起こった音頭を皮切りに、民衆たちは両手を突き上げ、口々に新時代の到来を祝う言葉を言い合う。

 

 熱狂とも言うべき光景に、ソヴァとエステルは顔を合わせて苦笑する。帝国出身ではない2人は、彼らほど喜ぶ気にならない。しかし、口をはさむのも野暮だ。

 

 それに、彼女たちも少なからず熱に当てられていたらしい。エステルがジョッキを開けるペースは3割増しになっていたし、ソヴァもそれを咎める気にならなかった。

 

 スクリーンに映る青年が動く。王冠を受け取った彼はゆっくり降壇すると、カーペット伝いに魔導映写機の親機、カメラのある方に近づいた。

 

 必然、スクリーン一面に青年の顔が映し出されることになる。端正かつ中性的な顔立ちの美丈夫だった。民衆の中から、ほう、と感嘆とも陶酔ともつかないため息がこぼれる。

 

『帝都臣民諸君。まずは、集まってくれてありがとう』

 

 容姿に違わぬ朗々たる声色で演説を始める。時折身振り手振りを交えながら彼は訴えかけた。

 

『私はこの国がより良いものになるよう願う。誰もが困窮におびえることなく、自らの理想を実現できる世界を』

 

 力強い言葉に、動作に。帝都に暮らす全ての人々が耳を傾けていた瞬間。

 

『 、――?』

 

 スクリーンに赤いしぶきが飛ぶ。銀髪の青年の胸を、異形の爪が貫いた。

 

「……あ?」

 

 エステルの隣に座る男から、間抜けな声が漏れる。水面に投げ込まれた石が波紋を起こすように、その小さな声がきっかけとなってパニックは波及していく。民衆の反応は、困惑と恐慌に二分された。

 

「うわああああ!?」

「な、何? これ、本当の光景なの?」

 

 ショックに立ち尽くす者、目を覆う者、状況を受け入れられず不安そうに周囲を見渡す者。映写機が馴染みのない道具であることもあって、戸惑っている者も多いが、先ほどまでの浮かれた雰囲気は欠片も残っていないということは確実だった。

 

 不安が支配する空間の中で、ソヴァをはじめとする勇者たちが動き出していた。状況を整理しきれていないのは彼女らとて同じだ。しかし、勇者の名を関するものとしてうろたえてばかりではいられない。焦燥しつつも、事態を収めるべくそれぞれに行動を開始する。

 

「何が起こって……。ひとまず、みんなを落ち着かせないと……!」

「もぐもぐ……。ふむ。大(ふぇん)なことになったね」

「言ってる場合ですか!? 一刻も早く王城に向かって――って、え?」

「む。庶民の料理もなかなか悪くない。お代わりはないのかい?」

 

 返ってきた声は、エステルのそれではなかった。聞き馴染みのない、されどどこかで聞いたことのある声色。そう、それこそさっき映写機越しに見ていた人物のそれにそっくりで。

 

 思わず振り向いたソヴァの視線の先にいたのは、眩しいほどの銀髪が印象的な、中性的な顔立ちをした青年。それがむぐむぐとリスのように頬を膨らませて、テーブルに残された料理をほおばっている真っ最中だった。

 

「やあ。書面でやり取りしたことはあったけれど……。直接会うのは初めてだね。ソヴァ・チモールくん」

「じ、ジルバート殿下!? え、いやでもさっき胸を打ち抜かれて、え?」

「まるで恋をしたかのような言い回しだね。それと、殿下ではなく今は陛下だ。処すよ?」

「す、すみませ――じゃなくて! なんでここにいるんですか!?」

「いちゃ悪いのかい?」

「悪いというかおかしいというか!」

 

 見間違うはずもない。目の前にいるのは、ついさっきまで戴冠式の主役だったはずの人物。まぎれもなくジルバート・フォン・アダマンティアその人だった。

 

 しかし彼は、先ほど襲撃に遭ったはずで。なんでここにいるのか、とか。勝手に料理食べるなよ、とか。早速権力を濫用しだしてるぞこいつ、とか。突っ込みたいところは山ほどあった。ソヴァの頭上にはクエスチョンマークが無数に浮かび、同行はぐるぐると渦を巻いていた。

 

「ジル君。生きてたんだ」

「ふふん。あの程度で死ぬボクじゃないさ。生きるためなら自由だって身代わりにする気概だからね」

「自由は死せずの逆? 革命家には向かないなあ」

 

 気安く話しかけるエステルに、ジルバートは謎にドヤ顔で答える。予想外の連続で見落としていたが、彼の服装をよくよく観察すれば、庶民が着るような質素な服の上に、フード付きのローブを羽織ったみすぼらしい恰好だった。映写機に映し出された豪奢な王族とは似ても似つかない。

 

「実は戴冠式に出ていたのは、ニコレット女史が作った人形でね。いや、影武者を立てなくていいとは。いい時代になったものだ」

「ほえー。アレ偽物だったんだ。全然見分けつかなかった」

「そうかな? アレではボクの美しさの100分の1も再現できていないように見えるが」

「相変わらずナルシだ。ニコちゃんの形相が目に浮かぶやあ」

 

 その推測は当たっていた。実際、彼の身代わり人形を制作しているときのニコレットは乙女にあるまじき苦虫を嚙み潰したような顔をしていたし、背中側の見えにくい部分には小さく『愚王』と彫られている。壊れてしまった今となっては詮ないことだが。

 

「完成度はさておいて、だ。ボクレベルの審美眼を持っているならともかく、凡俗には見分けがつかない精度の人形」

「なんか流れ弾飛んできたんですけど」

「これを利用しない手はない。そこで、とある作戦を思いついた」

「……ああ。おとり作戦ってこと?」

「答えを先に言う。マイナス100皇帝ポイント。1000ポイントで課税」

「最悪のポイントカードやめて」

 

 珍妙なポイントシステムを持ち出し、言論統制を行うジルバート。コイツが帝国の新しい皇帝なんだよな。本当に大丈夫か? ソヴァは訝しんだ。

 

「つまりはそういうことさ。あらかじめ君たちに噂を広めてもらったのは他でもない。潜んでいるであろう敵への撒き餌だったというわけだ」

「ふーん。でも、わざわざ公開する必要なかったくない? 実際パニックになっちゃってるし」

「大々的に喧伝した方が向こうも乗ってくる確率が上がる。それに、”忠臣には”しっかり情報を共有してあるからね。避難は滞りなく進んでいるはずだ」

「うっわ。悪いんだー」

「あと最近読んだサスペンス小説におとり捜査のシーンがあってね。ちょっとやってみたかった」

「絶対そっちメインじゃん」

 

 色々な理由を並べたててはいたが、最後のだけが本音な気がしてならない。エステルは困ったふうに肩をすくめる。しかし、理由はともかくここまでは想定の範囲内ということなのだろう。あくまで、ここまでは。

 

 いくら事前に策を練ったところで、結局は起こってみなければどうなるかなど分からない。ジルバートが先ほど「大変なことになった」と言ったのも、事実民衆への心理的影響が想像以上だったからだ。彼は賢明だったが、未だ人心には疎い部分があった。

 

 どうしていいか分からず、ざわめきに満ちる広場。そんな時、王城の方からこちらに走ってくる人影があった。

 

 その人物が走るたび、着込んだ全身鎧ががちゃがちゃ音を立てた。王城からここまではそれなりに距離がある。それを鎧姿のままずっと走ってきたのか、彼は肩で息しており、倒れ込みそうになるのを他の騎士たちに支えられていた。

 

 騎士団の一員と思しき彼は、咳き込みつつもそんなことお構いなしに叫ぶ。必死というよりも半狂乱のありさまだった。

 

「お、おい! 大変だ!」

「……その声、マックか? 何があった!?」

「魔族だ! 魔族が城内に現れて……! こっちにも奴らが放った魔物が向かってる!」

「何ィ!?」

 

 注目を集めていたこともあり、全身鎧の彼の叫びは広場によく響いた。それを聞いた人々は皆一様に顔を青ざめさせて。

 

「うわああああ!?」

「お、俺は逃げるぞ! 魔物に食われるなんてゴメンだ!」

「皆さんどうか落ち着いて! 騎士団の指示に従ってください!」

 

 先んじて動いていた勇者たちと騎士が民衆を宥めようとするが、もはや制御はままならなかった。人々はお互いを押しのけて、我先に王城とは逆方向へ走り出していた。

 

 このままでは収集がつかなくなってしまう。不幸中の幸いとでも言おうか、この場には複数人の勇者がいる。例え魔物が向かってきたとしても、それだけですぐにどうこうなったりはしない。

 

 だとすれば、優先すべきは避難誘導だ。周囲は混沌とした有り様だが、騎士団と協力して何とかしないといけない。そう判断したソヴァは背後を振り返ってジルバートへ呼びかける。

 

 呑気にもちゃもちゃ残り物を平らげている彼だが、お前がこの場で最も逃げるべき人間なんじゃないのかと。

 

「ここは私たちに任せて、殿下……じゃなかった。陛下は逃げてください!」

「あいわかった全力で逃走するとしよう!」

「あれっ!? こういうのって『民を置いて私一人だけ往くことなどできん』みたいな感じで、一回くらいごねるターンありません!?」

「……ソヴァくん。劇の見過ぎだよ。戦乱が収まったあと、指導者がいなくては復興だってままならないだろう? いのちだいじに、だよ」

「サスペンス小説に憧れておとり作戦したくせに!? ……ああもう、魔物来てるし!」

 

 空を見上げれば、飛行能力を有する魔物が市街地に向かってきているのが確認できた。問答している暇はない。焦れたソヴァを落ち着かせるため、自らの震えを隠し、努めて冷静にエステルは言う。

 

「ここは他の勇者がいいるから大丈夫。私たちは、王城に向かおう」

 

 湧き出る軍勢の、その根元。黒色の魔力を立ち上らせる王城へと視線を向けた。

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