酒カスアラサー女勇者 〜酔生夢死じゃ終われない〜 作:空想の墓場
三等地に着くなりソヴァは眉をひそめた。自分の生まれ故郷と比較して、はるかに華々しいと思っていた帝都。その繁栄が生み出す影を目の当たりにしたからだった。
「ここが三等地、ですか?」
「実際名前の付いた区画ってわけじゃないんだけどね。便宜上そう呼ばれてる」
住宅街のある二等地のさらに外周。日の当たらない街外れには、今にも崩れ落ちそうな家々が並んでいた。建築様式は住宅街のそれとほぼ同じだが、劣化具合は比べるべくもない。
外れた窓枠、風穴の開いた天井、ボロ切れにしか見えないカーテン――その隙間から鋭い視線が覗いたかと思えば、そちらに意識を向けたときにはすでに人の気配は消えていた。
「こんな場所があったんですね。知りませんでした」
「ソヴァちゃんって、帝都はあんまり長くないの?」
「はい。試験を受けに来たときが初めてなので。今で大体ふた月か、それくらいでしょうか」
「じゃあまだ街のこととか全然知らない感じだあ? 今度美味しいお店教えてあげる」
「飲み屋以外なら、ぜひ」
「じゃ無理だ」
2人は軽口を叩き合いながらも周囲の様子をうかがう。舗装されていない道が一歩進むたびに砂埃を舞い上げる。乾いた土と洗っていない動物のそれが混じったような匂いが空気を満たしていた。
ちらりと、エステルは横目で隣を歩く少女の表情を盗み見る。新人勇者は往々にして、悪意を知らずに任務に臨む。彼女もまたこの光景にショックを受けているのではないかと。しかし、ソヴァの真剣な横顔がその懸念は杞憂だとエステルに伝えていた。
「……なんですか。さっきからジロジロと」
「んー? いや、かわいい顔してるなーと思って。若いっていいなあ」
「はぁ!? い、今は冗談を言ってる場合じゃないですよ。この付近に神隠しの犯人がいるかもしれないんですから」
気を削がれたソヴァが頬を朱色に染めながらたしなめる。エステルの目には、その様子がかえっていじらしく映った。
帝国は最前線から少し離れているとはいえ、魔族との戦時中であることに変わりはない。そうでなくとも、戦争の煽りを受けて困窮する人間は今時珍しくもない。彼女もそうした人間を見てきたことがあるのだろうと結論づけた。
「まあでも、ちょっと雰囲気は違うね。ここって騒ぎが起こってないこと方が少ないんだけど……。やけに静かな気がする」
「確かに、人が全然いませんよね」
改めて辺りを見回してみるが、外を出歩いている人間は誰もいない。人の気配を感じたのも三等地に入った瞬間の一度きりで、以降わずかな生活音さえ聞こえなかった。
まるで、あらかじめ人が追い払われたかのような。作り物めいたわざとらしさを感じ取ったソヴァは内心警戒を強めていた。その警戒に水を差す間延びした声が響く。
「三等地には見回りの兵士もほとんど来ないしなあ」
「消えた人間の隠し場所としては、理に適ってますね」
エステルのつぶやきに納得を返す。人気もなく、目につかず、監視も行き届いていないとなればこれほど誂え向きの場所もそうない。やはり神隠しの原因はこの地にありそうだと一層疑いを深めたタイミング。
ソヴァの耳にかすかな足音が届く。それを単なる環境音として聞き流すことなく捉えられたのも、ひとえに勇者としての鋭敏な感覚ゆえ。
「……!」
「おいおい。これで気付かれんのかよ。やっぱ勇者ってバケモンだな」
素早く、腰に提げた剣の柄に手を掛ける。足音のする方へ体を向ければ、数人の男たちが路地裏からぞろぞろと現れてくるところだった。身なりは貧相で、栄養不足だろうか頬のこけた青白い顔をした男たち。
決して健康的とは言えない風貌だが、嘲笑じみた薄笑いとやけにぎらついた目が印象的だった。荒事に慣れ、失うものがない人間の顔。こういう手合いが一番厄介であることをソヴァは知っていた。
「お前らか。最近ここらを嗅ぎまわってる勇者ってのは」
「……最近?」
「とぼけなくていい。ここに入って来た時点で、問答する気はないからな」
その言葉通り、これ以上会話する気はないらしい。向こうは一方的にそう吐き捨てると、無言のアイコンタクトを送り合いつつ2人を取り囲む形で動き出す。
背中合わせに立つソヴァとエステル。油断なく抜剣の構えを崩さないソヴァに対して、エステルは相変わらず何を考えているのかよくわからない微笑のまま男たちの動きを静観していた。
――やっぱり、何かおかしい。ソヴァは言いようのない違和感を覚えていた。
見たところ、男たちは決して強者とは言い難い。国家公認の兵士である勇者とそこらのチンピラでは、その実力差は隔絶している。まともな戦いになるかすら怪しいほど。レベルも戦闘経験も、自分の方がはるかに上だという確信があった。
だというのに、彼らの顔から薄笑いが消えることはない。どこから来るのか分からない自信がある種の不気味さを感じさせた。
辺りが静寂に包まれる。しかし、それも長くは続かなかった。ソヴァが周囲に目を配った一瞬の隙を突いて、彼女の正面に立つ男が雄たけびを上げながら突進してきた。
「おおおおおっ!」
「っ!」
型も何もない勢い任せの突進。警戒を高めていただけに、一目で素人だと分かる攻撃には肩透かしを食らった気分になる。それでも、ソヴァは極めて冷静に対応して見せた。
男の拳が振り下ろされるのに先んじて、剣の腹でその脇腹を打ち据える。宙に浮きあがった男の肺から苦悶の声が吐き出され、一拍置いてどさりと地面に落下した。
それと同時にソヴァの手に残された、妙に硬質な手ごたえ。仲間が吹き飛ばされたというのに、男たちは余裕を失うどころかさらに笑みを深めていた。そのことに疑問を抱くよりも前に。
甘い香りがした。
ぐらり、と。突如としてソヴァの視界がひっくり返る。目の前の世界、音、触れるもの全てに掴みどころがなく、自分という存在が境界を失って空気に溶けだしていく感覚。
感じたことのない強烈な眠気と酩酊感に襲われ、彼女はその場に崩れ落ちる。取り囲む男たちの声が、壁に囲まれた場所で聞く音のように歪んで聞こえた。
「は、はは! やっぱり勇者にも効くのか! これなら――」
歪んだ視界の端に砕けたガラス片が映る。その周囲に撒き散らかされた赤紫の薬品らしきもの。おそらくこれが
しかし、今更それが分かったところで手遅れだった。回復アイテムも所持してはいるが、抵抗の意思に反して指先すら動かせない。
勇み足で調査に向かった結果がこれかと、ソヴァは自嘲する。もはや起きていることさえままならなくなっていた彼女の意識が闇に落ちる寸前。聞き覚えのある、どこかふざけた叫び声が耳に入ってきた。
「はぁーーーー……」
「あ?」
「酔拳!」
「ぐわば!?」
「やば、倒しちゃった……。まいっか。こいつらの経験値が入ったところで誤差だし」
「さっきまでふらついてたはずじゃ……!? がっ!?」
「ごめん。千鳥足は素」
一瞬顔をしかめたエステルだったが、さらりと流していつもの間抜け面に戻る。「経験値テーブルがカスで助かった~」などと呑気につぶやきながら取り囲む男たちを淡々と処理したのち、未だ立ち上がれずにいたソヴァを助け起こす。
「ソヴァちゃん大丈夫ー? 起きれる?」
「えんあいあんえあえうんうえうあ」
「何て?」
もはや目の前の酔っ払いを馬鹿にできないくらいには回っていない呂律。エステルが内ポケットをごそごそやって、緑色の液体の入った試験管を取り出す。それをソヴァの口元に当てつつ。
「眠気覚ましとか麻痺治しとか色々あるけど、結局全部万能薬でいいやってなっちゃうよねえ。ま、これで治んなかったらドンマイってことでー」
「ごっ、ぐっ、かっ……。ゲホッ! ちょ、多い多い! もう治りましたから! 溺死させる気ですか!?」
「あははは! ソヴァちゃんイケる口だねえ!」
口腔内の許容量をはるかに超える量の万能薬をこれでもかと流し込まれ、口の端からそれをだらだらこぼしたソヴァが飛び起きる。
その光景になぜか大爆笑のエステル。おおよそ人を殺しかけた人間の反応ではない。
2人がそんな緊張感のないやり取りを繰り広げていたとき、地に伏す男の一人が上半身を持ち上げ、憎々し気に吐き捨てる。
「て、テメェ……。なぜ安息香を食らって立っていられる……!?」
「いやぁ、大抵の毒物薬物は勝手にレジストしちゃうんだよねぇ私。おかげで最近は酔えるお酒の種類もめっきり減っちゃってさあ」
「……先輩。もう聞こえてませんよ」
「あれ。ホントだ。おーい、生きてるー?」
捨て台詞だったらしく、男はいつの間にか気を失っていた。軽い調子で言いながら、そばにかがみこんだエステルが頬をぺちぺち叩いてみるも反応はない。ただのしかばねのようだ。いや死んでないが。
エステルはかがんだ姿勢のまま慣れた手つきで男のポケットを漁る。安息香とやらの他にも証拠を持っていないかを確かめる行為だということは理解できたが、あまり見栄えのよろしいものでもない。ソヴァがちょっと引いた様子で。
「そんな追い剥ぎみたいなことしていいんですか?」
「いーのいーの。戦ってる最中にたまたまポッケから転げ落ちたってことにしとくから」
「素晴らしい倫理観です先輩」
背中に突き刺さる皮肉と視線もなんのその。まるで気にした様子もなく嬉々として身ぐるみを剥がすエステル。ついドロップアイテムを収集したくなってしまうのは、抗いようのない勇者の性だ。
しばらくそうしていると、一人の男の内ポケットから小瓶が転がり落ちた。
「お?」
エステルが小瓶を摘まみ上げる。陽光に透かしてみると内部は赤紫の液体で満たされており、先ほど使われた薬品と同じもののように思われた。彼女は興味深そうにそれを見つめ、ちゃぷちゃぷ揺らして手の内で弄んでいる。
「それ、さっきのと同じものですかね?」
「んー、たぶん? 錬金術師は専門外だから分かんないなあ」
ふと、何か思いついた様子のエステル。彼女はソヴァが止める間もなく小瓶の封を切り、人差し指を突っ込むと。
「……ぺろ」
「ちょお!?」
ためらいなく指先に付いた液体を舐めとった。おおよそ正気とは思えない行動にソヴァは驚きの声を上げる。
エステル自身は問題なかったとはいえ、ついさっき勇者を昏倒させかけた薬品をこうも平然と口にできるものなのか。それともこのくらいキマッてるやつじゃなければ勇者は務まらないものなのかと、ソヴァは戦慄を覚える。
「うっ……! こ、これは……!」
その直後。エステルが口元を押さえてくぐもった声を漏らす。ソヴァが慌てて駆け寄り、背中をさすりながら。
「何考えてるんですか貴女は!? 早くペッてしてください!」
「濃厚な甘みにまろやかで芳醇な口当たり……!」
「味の感想は求めてないです! てか美味しそうですね!?」
「あと普通に毒だねこれ」
「んなこと大体分かるわ!」
「ぐえ」
背中に置いていた手を振り上げ勢いそのままにひっぱたく。すぱーん、と。がらんとした三等地に快音が響き渡り、背後から凄まじい衝撃を受けたエステルは潰されるカエルのような悲鳴をあげた。
「毒耐性があるからって、いきなり舐めるなんてどうかしてます! 本当に大丈夫なんですか?」
「毒はともかく、今の一撃のダメージが大丈夫じゃないかも……」
ううう、とまだ少し苦しそうにうめくエステル。その後ろ姿をソヴァが呆れを多分に含んだ視線で見下ろしていた。
全く。一瞬、ほんのちょっとだけ見直しかけた自分が馬鹿だったと。改めて目の前のアホをそう評価して考え直す。今回の事件には、引っかかる点が多かった。
「今回は不覚を取りましたが、私も抵抗力はそれなりにあります。なのに一瞬で昏倒させるなんて……。これほどのアイテム、街のごろつきが用意できるとは到底思えません」
「確かにねえ」
エステルが同意を返す。勇者を害せるほどとなると相当高位のはずだが、高位のアイテムはそれだけ入手難度も高ければ価格も高額になる。ソヴァの言葉通り、軽々しく手に入るようなものではない。
しかし、それを可能にするだけの力を持った第三者。2人はそんな人物の存在を感じ取っていた。
「って言っても今はこれ以上分からないかなあ。ひとまずこいつら憲兵に突き出そ。ここからは専門家の出番だし」
「安息香とやらももう少し詳しく調べる必要がありそうですね」
「知り合いにこういうの詳しい子がいるから、その子に任せてみるよお」
男たちの処遇やアイテムの詳細について考えるのは勇者の仕事ではない。エステルの提案にソヴァが頷いて、話は自然にまとまる。
と、これでこの件は一区切りと言っていいだろう。ようやく初任務のプレッシャーから解放されたソヴァは大きく息を吐き出して緊張を解いた。エステルはニヤついた笑みを浮かべ、からかい交じりに尋ねる。
「どう? 初任務の感想は」
「思ったよりもうまくいかないことばかりで……。単純な強さだけでは解決できない問題もあることを知りました」
「おお。それが分かっただけで偉いよお。よし、じゃあこのあと祝勝会でも」
「それは大丈夫です」
「ありゃ。残念」
その提案には丁重にお断りを申し入れる。あっさり振られてしまったエステルだったが、言葉ほどは気にしていない様子だった。
彼女の締まりなく緩んだ口元にソヴァも思わず毒気を抜かれ、釣られて持ち上がりかけた口角を手で隠す。調査は一段落着いたものの、
それに、今回の調査には色々と反省すべき点も多かったとソヴァは感じていた。笑顔を見せるには時期尚早だと思い直したのである。
「今回の一件で痛感しました。私はまだまだ未熟です」
「まあ安心してよお。レベル以外にも強くなる手段はたくさんあるし、何なら私が――」
「なので、もっとレベルを上げようと思います」
「?????」
エステルがおおよそ乙女とは思えない変顔をかましながら困惑を露にする。言っている意味が全く分からなかった。
――え、私さっきまでレベル以外の強さが重要だって話してなかったっけ。
とうとう脳の中枢までアルコールにやられてしまったかとさえ思ったが、頭を振ってそれを否定する。エステル自身、自分のキャパシティはよく理解している。流石にまだ記憶が無くなるほどは飲んじゃいない。
ソヴァはエステルに向き直ると、ここに来て初めて先輩勇者に尊敬のこもったまなざしを浴びせる。なぜだろう。キラキラした純粋な瞳からは嫌な予感しかしなかった。
「どんな罠に掛けられても、それを打開できるだけのステータスがあればいい。先輩はそう言いたかったんですよね」
「うん違うね。一旦落ち着こっか」
どう曲解したらその結論に行きつくのか。エステルは頭を抱えたくなる。耳を疑う言葉の連続で、これには彼女もシラフに戻らざるを得ない。
大したことない相手だったからといって強引に突破してしまったのがよくなかったのか、それとも抵抗力の高さを誇張しすぎたのか。
反省が脳内を駆け巡るが、今となっては後の祭りだ。いかな勇者といえども、ここから勘違いを正す方法など見当もつかなかった。吹っ切れたように清々しい表情を浮かべ、決意を新たにしたソヴァが。
「帝都周辺はダンジョンが多いことでも有名でしたよね。そこでレベルを上げてきます。ひとまず、一般毒魔法が効かなくなるくらいまで」
「……はぁ。頑張ってきてね。私は酒場から応援してるよ」
何もかもを諦めきった重い溜息を吐きながら、右手をひらひらと振って言う。
伝わらなかったのは残念だが、過ぎてしまったことは仕方ない。ソヴァの脳筋じみたロジックはともかく、帝都から離れてくれるなら別にいいかというのが正直なところだった。
これでようやく静かに飲み直せる、と。形ばかりの後押しをして、彼女を送り出そうとした矢先。ソヴァは心底不思議そうな表情で言い放った。
「……? もちろん、先輩も一緒にですよ?」
「え」
「先輩のレベルが今以上になれば、魔族との戦いもずっと楽になるはずです。しっかり付き合ってもらいますよ?」
「いやいや。私はレベル上げたくないんだって」
「勇者たるもの、レベル上げも仕事のうちです」
「それはまあそうかもだけど」
エステルは言葉を濁す。実際、ソヴァの言うことは部分的に正しい。むしろ、端から見ればレベル上げを渋っている方が奇妙なことだ。
この押しの強さ。皇子殿下が彼女に任務を依頼した本当の理由ってもしかして――。作為的なものを感じ取りかけた瞬間。ソヴァが威勢のいい声を上げて。
「そうと決まればレベル上げ! 目指すは大台の三桁! です!」
「ネクタル、補充しとかなきゃ……」
もちろんダンジョン攻略に備えて、ではない。勇者2人で挑んで最高位の回復薬が必要になるほどのダンジョンがあるとしたら、それは魔王城くらいのもので。
「ちなみに先輩って今何レベルくらいなんですか? 私が87レベルで、これでも勇者候補の中じゃ高いほうだったんですけど……」
「216」
「は?」
かくして、勇者2名のレベル上げが始まったのだった。