酒カスアラサー女勇者 〜酔生夢死じゃ終われない〜 作:空想の墓場
ソヴァ・キリオスは新人勇者だ。
幼いころ自分を救ってくれた勇者に憧れ、修練をかさね、そうしてようやく勇者になったのがつい数か月前。
自分の歩んできた道に後悔はない。勇者になることも戦いに身を投じることも、自分の意思で決めたことだ。仮に、そうするしか生きる道はなかったのだとしても。
だから後悔はない――。なら、これからは? 先日の初任務に際しては、敵の罠にかかって醜態をさらしてしまったばかり。勇者エステルが同行していなければ、あの時点でゲームオーバーを迎えていた。
結果的に、任務はそれなりの成功を収めたといえよう。容疑者を捕らえ、神隠しに使われたと思しきアイテムも回収できた。依頼主たる皇子殿下からの反応も上々だった。
しかし、「終わりよければ」とはならないのがソヴァという人間の性質だ。反省する点が多いどころか、反省点しか見当たらない。
勇者という役職への執念じみた憧れ。それがソヴァの心の中でじりじりとくすぶっていた。高潔であり、何物をも恐れず、民衆の手本となる。未だ、頭に思い描く大英雄には程遠い。
実際問題、彼女はそれをうっすら程度にしか自覚していなかったかもしれない。だが、自分はこれから勇者としてやっていけるのだろうかという思いが彼女の中で高まり始めていた。
未来が陰るにつれ、後悔ないと思えた過去すら間違っていたような気がしてくるのだ。なまじ勇者になるという高い目標を達してしまっただけに。高く飛び上がったあとの着地点を、うまく定められずにいた。
「『ブレイブスラッシュ』!」
「キィ!?」
白銀一閃。ほの明るい洞窟の中に剣戟が瞬いた。長剣が逆袈裟に振り払われ、蝙蝠型モンスターの右翼が宙を舞った。揚力を失ったモンスターはきりもみ状に回転しながら地面へと墜落する。
なおも土煙を巻き上げもがくその背中に剣の先を突き立てると、短い断末魔ののちモンスターは光の粒子となって消えていった。
青白いポリゴンが霧散していく様子を全て見届けると、ソヴァ・キリオスは剣を鞘に納めた。その瞳には好奇心の色が浮かんでいる。
「何度見ても不思議な場所ですね、ダンジョンって」
周囲を無骨な土壁に囲まれた、洞窟型ダンジョン。ソヴァはその最深部にいた。それもこれも、先日受けた屈辱を二度と味わわぬようにするため。
「ダンジョンのモンスターは純粋な魔力でできてる分、経験値効率も良い……。んでしたっけ」
「そーだねー! 時間を置けばリポップするし、レベル上げには最適な場所だねー!」
閉塞的な空間に同行者の声が反響する。ソヴァは何人もの人間が口々に喋っているような感覚を覚えた。
「この辺のモンスターは狩りつくしましたし、そろそろ奥へ向かいましょう」
「もうすぐでボス部屋だよー! あと一息ー!」
「なら、進むのは少し休憩を挟んでからにしますか。……ところで、先輩?」
「なーにー!?」
くるりと、声のする方を振り向いて。
「ずっと気になってたんですが。なんでそんな離れたところに立ってるんです?」
視線の先、ソヴァからおよそ10数メートルほど離れた位置に。口元に手を当てて、大声で叫んでいる同行者の姿があった。ソヴァの先輩勇者あたる彼女、エステル・チモールは耳に手をかざして聞き返す。
「なんてー!? もう少しおっきな声でおねがーい!」
「……酒カス。うわ、こっち来た」
「ソヴァちゃん今悪口言ったでしょお? 全部聞こえてるからねー?」
「どっちなんですか、全く」
エステルが近づくにつれ、アルコールの匂いが空気に混じり始める。腰に当てた手には酒瓶らしきものが握られていた。
年甲斐もなく、酒で赤らんだ頬を膨らませて怒る先輩の姿にソヴァはため息を吐く。
勇者がどうあるべきかとか、これからやっていけるのかとか考えていた自分があまりにも馬鹿みたいじゃないか。任務中ではないにしろ、ダンジョン内で一杯やりだすこいつが首にならずに済んでるなんて、帝国はどんだけ人材不足なんだと疑わざるを得ない。
面倒くさい酔っ払いに絡まれたソヴァは、追及を適当にあしらいつつ洞窟の壁際に腰を下ろす。エステルもそれに続いた。
「はいはい、すみませんでした。で? なんで私が接敵するたびに離れるんですか」
「ソヴァちゃん、パーティ狩りとかしたことない?」
「まあ。ずっとソロで活動してたので」
エステルの疑問に対し、ソヴァは自分の経験を思い返しつつ答える。故郷を出て以来、帝都に来るまで単独行動が基本だった。流れでチームを組んだこともないことはないが、周囲と比べれば高レベルだっただけに結局一人で戦うことがほとんど。
そもそも、仲良しこよしが得意な性質でもない。目的のために淡々と作業をこなす方が向いていると自分では思っていた。
「モンスターの経験値の一部は、近くにいる人間にも自動で振り分けられるんだよお。だからこういうときは近寄らないのがマナーなの」
「とか言って、自分がレベルを上げたくないからじゃありませんよね?」
「あははー。まさかあ。そんな人いる訳ないもんねえ」
口ではそう言いつつも、エステルの目は激しく泳いでいた。手の震えもアルコール切れによるものではないだろう。なんとなく察したソヴァは、彼女と会って以来何度目か分からないため息をまた一つ。
「レベルを上げたくないって、冗談かと思ってました」
「そんなわけないじゃん! 私にとっては死活問題なんだからあ……あ」
「自白してるし……。酒はどんな自白剤にも勝るって、自分で言ってましたもんね」
酔えば当然、口は軽くなる。エステルがはっとして口元を押さえるが時すでに遅し。ついうっかり本音を漏らしてしまった。
そう、このアルコール中毒者は『レベルが上がると抵抗力も上がり、酒で酔えなくなってしまう』などというふざけた理由から、ずっと接敵もレベル上げも拒絶していたのである。戦闘中のソヴァから離れていたのも、わずかな経験値すら嫌がったため。
心底呆れた様子のソヴァが額に手を当て、どうしようもないとばかりに首を振った。
「はあ……。貴女って人は……」
「はあやめて? ガチ呆れが一番効くから」
「抵抗力が高いのが売りなのでは?」
「毒舌はレジストできないなあ」
ソヴァのつぶやきには万感の思いが込められていた。これはきっとちくちく小言を言われる流れだ。そうなってしまっては敵わない。引き攣った笑顔のエステルがひときわ大きな声を発し、強引に話題を変える。
「わ、私のことより! そっちはどうなの? レベルは上がった?」
「そう簡単に上がれば、苦労はしませんよ」
ソヴァは自身の手のひらを見つめると、確かめるように強く握りこむ。普段通りの感触が返ってくることは、果たして良いことなのか。
『神隠し』の情報を探れという
思いがけず生まれた空白の時間。そこで、次なる依頼に備えレベルを向上させるべく帝都は北部のダンジョンにおもむいたの彼女らだが。
ダンジョンに潜り始めて早三日。ソヴァのレベルは未だ上がらずにいた。
「……」
「はい! 休憩中は悩むの禁止!」
思いつめた表情で黙り込むソヴァの耳に手を打ち鳴らす乾いた音が飛び込んでくる。顔を上げると、苦笑を浮かべたエステルがこちらを覗き込んでいるところだった。
「まあまあ。そんなに慌てなくてもいいんじゃない? 深刻に考えなくてもそのうち上がるって」
「ちなみに、先輩はどうやってそこまでレベルを上げたんですか?」
「私? 私はまあー……。
「ふむ……」
口元に手を当てたエステルが思い返しながら言う。
なるほどそういうルートもあるのかと、ソヴァは得心がいった様子で頷く。しかしながら、ソヴァはまだまだ新人。それほどの重大任務が自分のもとに舞い込むとはあまり考えられなかった。
「名声や経験値のぶん、それだけ責任も大きいってことですね。参考になりました」
「だーかーら。そんなに難しく考えなくてもいいんだってば。眉間にシワ寄せてると、かわいいお顔が台無しだよお?」
「先輩は能天気すぎます!」
自分の眉間に指先を当て、からかい交じりに言うエステルに対し、ソヴァは少しだけ声を荒らげる。こっちはレベルを上げたいのに、レベルを上げたくないだなんて抜かす人間に諭されても響かない。ちょっとした反抗のつもりで、「ふん」と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
ふてくされた彼女に、エステルは困ったふうに笑って。
「というか今の内から嘆いてたら、もっと高レベルになったとき絶望するよお? マッッッッッジで上がんないからね」
「そうなんですか?」
「ホントホント。昔悪魔型の魔族にレベルドレイン食らったことがあるんだけどさあ」
「はあ」
「私は1レべしか下がんなかったのに、向こうは30レべ近く上がっちゃったみたいで。自分のステータスについていけなくなった挙句、飛行魔術のコントロールが効かなくなって自滅してたよお」
「ええ……」
どんだけポンコツなんだその悪魔は。ソヴァが困惑と疑い半々の声の漏らす。エステルは笑い話のつもりだったのかもしれないが、どちらかと言えば憐れみの方が勝る。笑っていいものなのか判断に迷った。
「そんな感じで、急に上がっても良くないっていうか……。とにかく。慌てなくてもいいってこと」
「それは理解できましたけど……」
理解はできても、納得できるかとはまた別の話。年の割に大人びていると言っても、ソヴァはまだ幼いとさえ呼べる年齢だ。長くを生きていない彼女にとって相対的に一日の価値は高く、足踏みしている現状が我慢ならなかった。
意気盛んであるからこその苦悩。言葉に詰まるソヴァ見つめ、すぐに答えを欲しがる悪癖は全人類共通のものなのかもしれないと、エステルは自分と彼女を重ね思う。
「そういえば、この前も似たようなこと聞いたよね。なんでそんなにレベルを上げたがるのかって」
ふと、先日の問答を思い出す。あの時は任務の途中だったこともあり聞きそびれてしまったが。
それしかなかった、などと。さも深刻そうに言ってのけたソヴァのつぶやきがエステルの耳に残っていた。エステルは顔の前で両手を振り、「ああ」と慌てながらに前置きして。
「別に、言いたくなかったら――」
「いえ。大丈夫です。特段隠すものでもありませんし」
「そお?」
エステルが上目遣いで顔色を伺う。言葉通り、大して気負った気配はない。
「まあ、ありきたりな話ですよ。共和国にあった、クリシエの街って知ってますか?」
「……ああ、うん。知ってるよお」
クラシエの名を聞いた途端、エステルはわずかに表情を曇らせる。ソヴァが確信を抱くには、その反応だけで十分だった。
辺境に存在した何の変哲もない街の名を知っていて、その結末に痛ましさを滲ませること。きっとそれは、あの日あの場所に居た者にしか起こり得ない反応。
「私はその街の出身なんです。クリシエの街が魔族に襲われたとき、とある勇者様に助けてもらって、それから勇者というものに憧れを抱くようになりました」
「……」
「ただの町娘で学もなかった私には、レベルを上げることだけが唯一の方法だったんです」
誰に、ということはあえて口にしなかった。
らしくもなく沈痛な面持ちを保つ彼女にこの気持ちを伝えることは、首に手をかけるかのごとき重圧になることを無意識のうちに悟っていたから。
というかそれ以上に、貴女を追いかけてここまで来ましたなんて告白まがいのこと恥ずかしくて言える訳がない。彼女は思春期真っ盛りだった。
「あの時は、その……」
「気を使ってもらわなくても。昔のことですし、とっくに割り切ってますよ。今の時代じゃよくあることですから」
「凄いねぇ。私なんかよりよっぽど強いじゃん」
へらり、と。エステルの顔に緩んだ笑顔が戻ってくる。冗談を言えるくらいには調子を取り戻したことに安堵しつつも、ソヴァにはその言葉が本心から出たようにも思えた。
「それにしても。クリシエの街かあ。確かに結構前だよね。どれくらい? 4、5年くらい前?」
「……何言ってるんですか? 9年前ですよ」
「9年!?!? マジで!?!?」
「流石に間違えませんよ。私が6歳のときの話なので」
ソヴァはきっぱり言い切った。割り切っていると言っても事件そのもののことを忘れる訳がない。
突然エステルの容態が急変する。うつろになった目は焦点が合わず、常に赤らんでいるはずの頬も今や青ざめていた。尋常でない変わりようには心配通り越して恐怖すら覚える。
消え入りそうな早口で何事かをブツブツ呟く声に耳を傾けてみると。
「あの襲撃が9年前? ヤッッッバ鳥肌立ってきた……。噓でしょ? 私は今まで一体何をしてきたの? というかソヴァちゃん15歳? こんなにしっかりしてるのに? それに比べて私って何? ダニ?」
「せ、先輩? いつもと口調が」
「ああ、あ。正気が私を襲ってる! 一刻も早く狂わなきゃ!」
「うわあ!? 急に
普段の間延びした、呂律の回っていない喋り方もなりを潜め、半狂乱になりながら叫び出すエステル。今まで聞いた中でも群を抜いて流暢な発話だった。残酷な時の流れの話は、骨髄にまで染み込んだ酔いを吹き飛ばすほどの衝撃だったらしい。
震えに震え残像を残す腕で
「……っっっっはあー!」
「ひ、一息で飲んじゃった……。そのうち死にますよ……?」
「正気のまま生きるのって死ぬより苦しいんだよお!? 狂え! もっと!」
ものの数秒で一升瓶を空にしたエステルが盛大に息を吐くと同時、同じ口から意味の分からない世迷言が飛び出す。ソヴァは彼女に信じられないものを見る目を向けていた。
「あの何者をも恐れない雄姿に憧れてここまで来たのに、肝心の勇者がこんな調子だし。……はあ」
「な、なんで私を見てため息つくのお? 流石の私も傷つくよお?」
「なんでもありません」
あの日見た背中とは程遠い、情けない姿に涙が出そうだ。ソヴァはこめかみを押さえて頭痛に耐える。今まで食らったどんなスリップダメージよりも苦痛だった。
ただ髪色だけが同じの別人だったらどれほど良かったか。今の自分を取り巻く現状を見つめ返して、とかく理想通りにはいかないとつくづく思う。
アルコールバフによってメンタル面が強化されていても、そう目の前で露骨にがっかりされれば来るものがある。不満そうに唇を尖らせたエステルは、言い訳がましく弁明する。
「『何者をも恐れない』なんて言うけど、勇者にだって怖いものはあるんだよお?」
「例えば?」
「んー。饅頭、とか?」
「……有名な笑い話ですよね。冗談は顔だけにしてください」
「あと現実」
「急に切実」
突如だらしない笑みを消して言い放った言葉には万感の思いがこもっている。今度は間違いなく本心からの言葉だとはっきり分かった。
「まあでも、案外冗談でもないんだなあ。これが」
ぼやきながらエステルが立ち上がる。服に付着した土ぼこりを払って、ソヴァに右手を差し出した。
「ソヴァちゃん。覚えといた方がいいよ。誰かを導く人は、臆病じゃないといけないんだ。カッコ悪いかもだけどね」
その言葉の意味は、分かりそうで分からなかった。差し出された右手を辿って顔を上げれば、翠緑に輝くエステルの瞳がまっすぐこちらを見つめていた。
ソヴァはその手を借りて立ち上がる。ソロで依頼をこなしていたときとは異なる、感じたことのない方向からの力にバランスを崩しかけた。
「さて。ちょっとした休憩のつもりが、喋り過ぎちゃったね」
「でも、おかげで十分に休めました。体調は万全です」
「若いと回復も早いねえ」
そんなババ臭いことを言うような歳でもあるまいに、わざとらしいしゃがれ声で言うエステル。しかしダダ滑り。ソヴァが全くの真顔なのを見て、咳払いののち何事も無かったことにして仕切り直す。
「お待ちかねの、ボス戦だ」
イタズラっぽい笑みを浮かべたエステルが指差す先、暗がりのずっと奥に。
彼女たちの身長の数倍はあろうかという青銅色の門が、待ち受けるかのようにそびえたっていた。