偽皇帝の脚本家   作:束田せんたっき

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最悪の事態でも、死ぬだけではないか。そして死は、誰しも避けられないものだ!――ミハイル・レールモントフ

 馬車に揺られること数日。俺たちは西部の自由都市コルベスに到着した。

 

 北部の泥臭いド田舎とは大違いだ。石畳の洒落た街並みに色とりどりの旗がはためいている。そこは商人たちの莫大な金と欲望が渦巻く、きらびやかで世俗的な大都市だった。

 そして街の巨大な中央広場では、商人たちが大金を注ぎ込んだ平和の祭典とやらが絶賛開催中である。

 

「諸君、私は平和が好きだ。諸君、私は繁栄を。天国のような友愛を望んでいる。私に付き従う帝国臣民の諸君。諸君はいったい何を望んでいる?」

 

 高く組まれた壇上。数多のスポットライトを全身に浴びて両手を広げているのは、見事な金髪をなびかせた、絵に描いたような美青年だった。声もよく通り、身振り手振りも洗練されている。

 広場を埋め尽くす民衆、特に若い女性たちから「キャーッ! 殿下ー!」と黄色い歓声が飛んでいた。歌手のコンサート会場かここは。

 

「……どう見てもただの三文役者だな」

 

 俺は広場の隅で腕を組みながら吐き捨てた。隣に立つクリエムヒルトがギリッと歯ぎしりをする。

 

「あの軽薄な男が殿下の御名を騙るなど……今すぐ壇上に上がり、その首を刎ねてくれる!」

「ステイだ大佐。ここで暴れたら商人どもの思う壺だ」

 

 シンプル暴力で西部の「殿下」を殺せば、俺たちが「正統な後継者を暗殺した逆賊」として非難されるだけだ。やつらはそれが分かっているから、こんな目立つ場所で堂々とイベントを開いている。

 美青年の演説はまさに最高潮に達した。

 

「よろしい、ならば裁判だ! 大裁判を! 神聖不可侵の大裁判を!」

 

 商人が合図をすると、仰々しく飾られた台座の布が取り払われた。そこにあったのは、帝国軍ですら一部の将校しか持っていない最新鋭の兵器――重厚な鋼鉄のリボルバーが2丁。

 

「皇太子を名乗る愚か者よ! 真の皇帝ならば、神の加護により弾丸すら避けるはず! 己のこめかみに銃口を当て、引き金を引くのだ! 偽りなき真の皇帝のみが、この神聖なる試練を生き残るであろう!」

 

 商人どもの狙いは見え透いている。最初から役者の銃には空砲あるいは不発弾を、こちらの銃には実弾を仕込むつもりなのだろう。仮に俺たちが「そんな危険な真似はできない」と断れば、「偽物だから逃げたのだ!」と大衆に喧伝できる。完全に負けなしのゲームというわけだ。

 

「……ちょっと用を足してくる」

 

 俺はクリエムヒルトとカタリナを残し、群衆に紛れて広場の裏手へと回った。

 商人どもが雇っている武器管理の責任者は、金の匂いに敏感なはずだ。俺は辺境伯からせしめた分厚い金貨の袋を懐で弄りながら、警備の目を盗んで薄暗い天幕の裏へと忍び込んだ。

 

「……誰だお前は!」

 

 リボルバーの弾込めを終えようとしていた小太りの男が、俺を見て顔を引きつらせた。

 

「しーっ。商談ですよ、責任者殿」

 

 俺は金貨の袋をチャリンと鳴らし、男の足元に放り投げた。ズシリと重い音が響く。

 

「……西部の商人たちがいくら払ったかは知りませんが、こいつはその3倍は入ってます。俺からの要求は1つだけ。その2丁のリボルバーの弾を、すべて空にしておいてください」

「なっ……! 実弾を抜けというのか!? しかしそれでは……」

「ええ。誰も死なない、平和で安全な祭典にしましょうよ。それに、もしうちの殿下の頭が吹き飛んだら、あんたたちただじゃ済まないですよ? うちの狂犬が全軍を率いて、コルベスを物理的に火の海にするので」

 

 金と脅しのサンドイッチ。元下級官吏の陰湿な交渉術を舐めるな。

 責任者は顔面を蒼白にしながら、震える手で金貨の袋を抱え込み、激しく首を縦に振った。

 

 よし、これで舞台の仕込みは完璧だ。実弾は一発も出ない。どちらが撃っても絶対に安全。あとは純粋な度胸勝負になる。

 

 俺は広場に戻り、カタリナに小さく頷いてみせた。「安全の保証は取った。好きにやれ」という合図だ。

 カタリナは俺の意図を正確に読み取り、ふわりと酷薄な微笑みを浮かべた。

 

「さあ、この茶番を終わらせに行こうか」

 

 数万の民衆が見守る中、カタリナはマントを翻し、西部の美青年と商人たちが待ち構える壇上へと、悠然とした足取りで歩みを進めた。

 カタリナが壇上に現れると、数万の民衆は一瞬静まり返り、やがてどよめきが広がった。美青年と対峙した彼女は、あまりにも耽美で、そして圧倒的に傲岸だった。

 

「ほう、逃げ出さずに上がってくるとは。蛮勇だけは認めてやろう、偽物め」

 

 恰幅の良い商人が、油ぎった顔に下劣な笑みを浮かべて言い放つ。

 カタリナは一瞥もくれず、ただ台座の上に置かれた二丁のリボルバーを見下ろした。

 

「さあ、まずは我が陣営のフリードリヒ殿下からだ! 真の皇帝たる神の加護を、とくとご覧あれ!」

 

 商人の声に促され、美青年の役者が一歩前に出る。

 彼は台座から重厚なリボルバーを手に取った。商人からは「お前の銃は空だから絶対に安全だ。あっちの偽物の銃には実弾が入っている」とでも聞かされているのだろう。

 だが、いくら安全だと頭で分かっていても、冷たい鋼鉄の銃口を自分のこめかみに押し当てるというのは本能的な死の恐怖を伴うものだ。ただの平和な都市で暮らしてきた三文役者ならなおさらである。

 

「う……あ……っ」

 

 青年の顔からさーっと血の気が引き、額に大量の脂汗が浮かぶ。銃を握る手はカタカタと情けなく震え、完璧にセットされた金髪が顔に張り付いている。

 数万の視線に晒され、後戻りはできない。彼は何度も深呼吸を繰り返し、目を固くつむって、ついに引き金を引いた。

 

 ――カチッ。

 

 乾いた撃鉄の音だけが広場に響いた。

 弾は出ない。青年は「ひゅっ」と引きつった息を吐き、腰から砕け落ちるようにしてその場にへたり込んだ。

 

「おおおおっ!」

「見たか! 弾が出ない! これぞ神の加護!」

 

 民衆が沸き立ち、商人たちが勝ち誇ったようにカタリナを指差す。

 

「さあ、次は貴様の番だ! 偽物の血で、この祭壇を清めるがいい!」

 

 商人たちの顔には「お前の銃には実弾が入っているぞ」という邪悪な確信が浮かんでいる。カタリナは彼らの嘲笑を鼻で笑い、優雅な動作で残りの一丁を手に取った。

 

「つまらない猿芝居だね。本物の神の加護ってやつを、教えてあげるよ」

 

 彼女はためらうことなく、銃口を自分のこめかみにピタリと当てた。

 広場が水を打ったように静まり返る。クリエムヒルトが息を呑む気配が隣から伝わってきた。

 

 俺は腕を組み、密かに冷や汗を拭った。大丈夫だ、俺が責任者を脅して全弾抜かせた。あの銃は絶対に弾が出ないただの鉄屑だ。カタリナも俺の合図を見て、それを知っている。一発空撃ちして、「ほらね?」とドヤ顔をして終わるはずだ。

 カタリナは観客席の俺をまっすぐに見つめ、あのぞっとするほど美しい魔性の笑みを浮かべた。口の動きから何を呟いているのかが、残酷なほどはっきりと理解してしまう。

 

「――見ていてね、ヨーゼフ」

 

 そして。

 彼女は瞬き1つせず、呼吸をするように自然に、連続で引き金を引き絞った。

 

 カチッ、カチッ、カチッ、カチッ、カチッ!

 

 六連装のシリンダーが高速で回転し、空虚な撃鉄の音が5回、立て続けで広場に鳴り響いた。全弾発射だ。銃口からは煙1つ上がらない。

 広場は静まり返り、商人たちは信じられないものを見る目でカタリナを凝視し、口をパクパクとさせている。

 カタリナは銃をこめかみから離すと、心底退屈そうにため息をついた。

 

「……なんだ、神様はボクには用がないみたいだね。じゃあ、これはお返しするよ」

 

 彼女はそう言って、商人たちの足元の石畳へと銃口を向けた。

 

 ――ズドンッ!

 

 鼓膜を劈く爆音と共に、石畳が砕け散り、実弾の火薬の匂いが辺りに立ち込めた。

 

「じ、実弾が……っ!?」

「ひ、ひぃぃぃぃぃっ!?」

 

 青年は弾かれたように後ずさりし、悲鳴を上げた。

 彼の目には、カタリナが人間の皮を被った化け物に見えているはずだ。仕込みがあると知っていたとしても、自分の頭に銃を当てて一切の躊躇なく笑顔で全弾空撃ちできる人間など、まともな精神構造をしていない。

 

「ば、化け物だ……こいつは本物の狂人だぁぁ! 嫌だ、死にたくない! 助けてくれぇっ!」

 

 恐怖のあまり失禁し、股間を濡らした青年は、商人たちを突き飛ばして階段を転げ落ち、泣き叫びながら群衆の中へ逃げ出していった。

 勝ったな。

 

「逃げたぞ! あいつ、偽物だ!」

「死すら恐れず微笑まれるあの御姿……あの方こそ、真の皇帝陛下だ!」

 

 熱狂の対象は完全に反転した。民衆の歓声はカタリナを称える嵐となり、商人たちは蒼白になって震え上がっている。西部の陣営はそのブランドを完全にへし折られ、終わった。

 

「さすがは殿下! なんと神々しき御姿か!」

 

 隣でクリエムヒルトが感涙に咽び泣いている。しかし、俺は顔面から血の気を失い、胃を強く押さえてその場にへたり込んでいた。

 

 ……おい。おい小太りの責任者。お前、全弾抜くって約束したよな? なんで実弾が入ってんだよ。

 ってことは何だ。カタリナのやつ、一歩間違えれば本当に頭が吹き飛んでいたガチのルーシルーレットを、あんな涼しい顔で5連射したのか……!?

 あいつ、自分の命より俺の描いた台本を完璧に演じることを優先しやがった。あの迷いのない引き金。あれは、役者の演技じゃない。真正の狂人のそれだ。

 

「……誰か、即効性の胃薬をくれ」

 

 俺は熱狂に包まれるコルベスの広場の隅で、自分が生み出してしまった制御不能の怪物への恐怖に、1人静かに震えていた。

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