偽皇帝の脚本家   作:束田せんたっき

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人生において何よりも難しいことは、嘘をつかずに生きることだ。そして自分自身の嘘を信じないことだ。――フョードル・ドストエフスキー

 冷酷に公爵が命じると、部屋に武器を持った大量の兵士たちが雪崩れ込んできた。汚い流石公爵汚い。こっちには最低限の護衛を要求しておきながら、自分は伏兵を忍ばせているとは。

 

 公爵の私兵は真っ直ぐにカタリナへと向かってくる。次々と迫り来る敵を、クリエムヒルトがバッサバッサと切り伏せた。

 

「皆の者、殿下をお守りしろッ! 命に代えてでも我らが王を逃がすのだーッ!」

 

 クリエムヒルトの雄叫びに呼応して、中立派の諸侯とその侍従たちもこちら側に加勢し、大広間は血しぶきが舞う乱闘会場と化した。混乱に隠れて、なんとかカタリナを連れて小部屋に逃げ込むも、そこから逃げられる隙間はない。外の護衛は多勢に無勢で、1人、また1人と血の海に沈んでいき、じりじりと包囲網が狭められていく。

 隣で不安げに佇んでいるカタリナが、俺の袖を引っ張った。蒼白の顔面で俺を見上げ、一言呟く。

 

「ヨーゼフ、頭撫でてくれ」

「は? なんだってこんな時に。バカは休み休み――」

「――いいから早くっ!」

 

 鬼気迫る剣幕に押され、その柔らかな金髪に手を置いた。俺の手を安らかな顔で受けるカタリナ。殺し合いの最中頭を撫でるという謎の時間が過ぎ去ると、カタリナは静かに瞼を上げた。皇帝が顕現する。

 

 小部屋から外に飛び出したカタリナが、カードバトルで使っていた台の上に立って叫んだ。

 

「余はここにいるぞーッ!」

 

 会場の注目が一挙にカタリナに集中する。その隙にクリエムヒルトが出口まで突撃し、廊下への活路を切り開いた。

 俺は出口に向かいながら併走するカタリナにいった。

 

「何やってんだバカ! 死んだらどうする!」

「ボクは死なない! ヨーゼフに勇気を貰ったから!」

「はあ!?」

 

 廊下に出ると、俺たちの後を追いすがる兵士たちをクリエムヒルトが切り結んで押し込めた。ざっと10人くらいいるんじゃないか? わかっちゃいたけどあいつ化け物だな。

 1人の首を刎ね、返す刀でもう1人の心臓を貫いた大佐が叫んだ。

 

「ヨーゼフ! ここは私に任せろ! 殿下をお連れして先に行け!」

 

 いや、それ死ぬやつのセリフだろ! やめとけって!

 しかし、そうする以外に道はない。俺は死んだ兵士の剣を拾うと、カタリナの手を引いて古城の石畳を疾走した。文官上がりには辛い仕事だ。

 

 あともう少しで出口というところで、レイピアを持った公爵と件の贋作フリードリヒ、そして2人の屈強な兵士が立ちはだかった。卑怯ジジイがレイピアを構え悪辣な笑みを浮かべる。

 

「どこへ行こうというのかね? こうなった以上、貴様らには死んで貰う。ヘルフェン、カーズス、やってしまえ」

 

 公爵の指示で男たちが前に出る。その手の得物が怪しく光った。唯一の出口も公爵に塞がれ、逃げることは不可能。もはやここまでか。

 

 俺が観念して剣を握り直した、まさにその時。蹄の音と、次いで馬の嘶きが聞こえた。栗色の軍馬に跨がった髪の薄い大男と半泣きの青年が馬から飛び降り、男たちの前に躍り出る。

 公爵が瞠目して叫んだ。

 

「誰だお前は!?」

「真の皇帝に味方する男、偽フリードリヒ1世! そしてッ!」

「偽フリードリヒ2世……」

「ここに参上ッ!」

 

 現れたのは北部のハゲと西部の役者だった。大男が斧を振り回してヘルフェンとカーズスを追い立て、後ろの青年がリボルバーで射撃する。

 呆気にとられた俺はこういうしかなかった。

 

「何でお前らが……?」

「僕はやめようっていったんですよ! でもこの男が!」

「スメルジャコフ卿がこう申した! 殿下を騙った我らに残された贖罪の道は1つしかない! それは殿下の影となり、身を挺してお守りすることだッ! 全くもってその通りであるッ!」

 

 頭が痛くなってくる。なんで偽物と偽物が偽物を偽物から守っているんだよ! というか、愉快な救援ってこいつらのことかよ油狸! ふざけやがって!

 しかし戦況は確実に変わった。 1世と2世が敵の側近を引きつけている間に、俺は公爵、カタリナは3世に向き合った。

 

「偽物がいくら増えようが同じこと。ミュンドゥング流剣術の奥義、とくとご覧に入れよう」

「そうかよ老いぼれが。政治ごっこはもう満足か?」

「死ねえ詐欺師がああああっ!」

 

 蛇のようにしなるレイピアが、連続で突きを繰り出してきた。初撃は剣でなんとか受け流すも、瞬く間に服がズタズタになり、全身から血が流れていく。流石は本物の殿下の指導も任された男、老いてもその技は一文官風情なぞ殺すのに十分だ。

 

 ちらりとカタリナの方を見ると、向こうは優勢だった。砂や石を使った裏路地の喧嘩戦法が、お上品な剣術しか習っていない偽フリードリヒ3世に利いている。見事に翻弄されていた。

 

「よそ見をしている場合かな?」

 

 素早い突きが手の甲をかすめ、血液が滲み出た。このままでは失血して死ぬ。ジリ貧だ。

 剣術で張り合っても勝ち目はない。ならば、俺が勝てるのは何か。詭弁と脅迫である。

 

「公爵こそ、こんなところで油を売っていていいのか? この騒ぎだ。外にもバレている。俺たちの手勢がお前の領地に攻め入っていてもおかしくねえ」

「ふっ、何をいうかと思えばつまらぬ脅しを。領地の防衛は我が倅に任せてある。盤石だ」

「……確かお前には2人の妻と3人の娘がいたよなあ?」

「何がいいたい?」

 

 余裕の笑みが消える公爵。お前んちの帳簿を作るためにずっと徹夜していたんだ。家族構成から庭師の名前まで、こちとら何でも知ってるんだぜ。

 

「ヴィルム・ゲルトナー」

「……その男がどうした?」

「お前の屋敷の庭師だ。ああ、あのでかい屋敷のことじゃねえ。お前の娘たち……エリザベト、シャルロッテ、ゾフィアが住んでいる方の、な」

「それで脅しになるとでも?」

「思っちゃいねえよ人でなし。でも、これで充分時は稼げた」

 

 背後から再び馬の嘶く声が聞こえてきた。見ると、全身傷だらけで血塗れのクリエムヒルトが、悪鬼もかくやという形相で剣を携えて突撃していた。

 

「殿下ーッ! ヨーゼフーッ! 今助ける!」

「待ってたぜ切り込み隊長! まずは公爵を頼む!」

「承知したッ!」

 

 乗馬したまま切り捨てる構えに入るクリエムヒルト。しかし、公爵が一枚上手だった。巧みにレイピアを操り、うまく剣を受け流す。まずい、このままでは大佐が旋回して再度突撃するまでに時間が空く。

 公爵が俺に走り寄った。殺意の籠もった全力の一撃。この野郎、俺を道連れにするつもりか!

 

 公爵の背後でクリエムヒルトが2度目の突撃に入ったのを見ると同時に、俺はポケットから例の犬笛を引き抜いて全力で吹いた。お辞儀をする軍馬。その背中から弾丸のごとく射出されたクリエムヒルトが、背中から剣を突き刺し貫通させた。血反吐を吐いて崩れ落ちる公爵。

 

 最強の戦力が死んだのを見て取り、部下はすぐさま降参した。殺そうとする興奮状態の大佐を押しとどめ、俺は壁に寄りかかって座り込んだ。終わった。ようやく全ての偽物を倒したのだ。

 

 なんで俺、こんなにがんばっているんだろう。そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 その夜、宿の一室で俺は死んだように眠り……たかったのだが、やはり胃、というか全身の痛みがそれを許してくれなかった。

 3人の偽物を叩き潰したことで、軍の士気は最高潮だ。中立派の諸侯たちは雪崩を打って俺たちに臣従を誓い、大陸の半分が「カタリナこそが真のフリードリヒ殿下である」と確信してしまった。

 

 もう、後戻りはできない。

 俺が書き殴った嘘の書類が、彼女が演じた狂気の芝居が、何百万人という人間の真実になってしまった。

 

「……ふふ、ヨーゼフもまだ起きていたんだね」

 

 音もなく扉が開き、マントを脱ぎ捨てたカタリナが入ってきた。

 月光に照らされた彼女は、昼間の皇帝の覇気を纏ったまま、どこか幼いスリの少女の顔で微笑んでいる。その歪な二面性が、今の俺には何よりも恐ろしかった。

 

「……誰のせいだと思ってんだ。暴走しすぎなんだよお前は。スリ然り、あの囮作戦然り。失敗したらどうするつもりだ」

「失敗? まさか。キミが書いた台本だよ? ボクがそれを完璧に演じられないはずがないじゃないか」

 

 その割にはアドリブが多すぎるだろうがどアホ! なんでもかんでもキメ顔で全部俺のお陰だといっときゃいいわけじゃねえんだぞ! 大体、カタリナも大佐も辺境伯も自分勝手がすぎる! 好きなように暴れて、後始末は全部俺にぶん投げときゃいいと思ってやがる! ふざけんじゃねえ!

 

 カタリナはベッドの端に腰掛け、俺の顔を覗き込む。その瞳にはもはや鏡のような冷たさはない。代わりに俺という脚本家への狂信が宿っていた。

 

「ボクはもうただの孤児じゃない。キミが望んだ通り世界でただ1人の本物になったんだ」

「……ああ。そうだな。俺の望み通りだよ、畜生」

 

 俺はため息をつき顔を覆った。俺が作りたかったのは公爵の贋作みたいな都合の良い神輿だ。圧倒的なカリスマで世界の理をねじ曲げ、勝手に俺を爆速で権力の座に就かせようとするじゃじゃ馬では断じてない。どうしてこうなった。

 寒気が走った俺はカタリナから離れるために手を押したが、カタリナはその手に自分の指を絡めてきた。ぴったりと2人の手が重なり合う。俺はその様が俺たちの関係を表しているみたいで吐き気がした。

 

「なあ、カタリナ。いつかのときにいってたよな。怖いって。もうお前は怖くないのか?」

「ちっとも怖くないよ。だってボクには……」

「深謀遠慮で神算鬼謀のヨーゼフくんがいるからだろ。はあ、もう俺はお前が一番怖いよ。正直、お前の信頼が怖い」

 

 ついうっかり、本心をこぼしてしまいハッとする。反射的にカタリナの方を見ると、カタリナはまるで親を見失った迷子のような絶望的な目で、俺のことを見つめていた。

 

「よ、よーぜふ? それって、どういうこと……?」

 

 ああ俺のバカ野郎! なあにが怖いだ! そもそも、こいつがこうなった原因は俺だろうが! クソっ、クソクソクソ!

 咄嗟に俺はその華奢な身体を抱きしめた。安心させるように彼女の頭をさすり、さらさらの金髪の中に指を分け入れる。

 

「ごめんカタリナ。ごめんな……。ただ、たまにはさ、そう、俺といるときだけは。殿下じゃなくて、カタリナに戻ってくれないか。俺、嘘ばっかりで気が狂いそうなんだ」

「ヨーゼフ……」

 

 カタリナが俺を抱きしめ返した。俺の首元に顔を埋める。耳に甘い吐息が当たった。

 

「ボクがキミと出会う前は、毎日生きるのに必死だった。空っぽだったんだ。ボクの命なんて、一切れのパンくらいの値段しかなかった。……でも、キミがボクに皇帝という中身を注いでくれた。だからボクはキミの台本を演じることが何よりも楽しいし、アドリブでびっくりしているキミを見ると切なくなるんだ。でも、もう2人きりのときはやめるよ。だからさ、ヨーゼフ……」

 

 カタリナが上体を持ち上げた。潤んだサファイアの瞳と視線が交差する。月光で陰ったその顔は、盗みが見つかって逃げていたあの少女と同じだった。

 

「……ボクだけを見て。殿下のときも、カタリナのときも、ボクだけを……」

「あ、ああ。そうする」

「それでこそボクのヨーゼフだ」

 

 そういって微笑んだカタリナは、俺が見てきたどんなものよりも美しかった。彼女が静かに目を閉じた。至近距離で人形のような顔が近づいてくる。あれ、これまずい流れでは?

 

「そ、そういえば、次はとうとうヴァルデマールだな! な、カタリナ!」

「……ふん! ヨーゼフの軟弱者! へたれ!」

「軟弱者って、お前は大佐か」

 

 眉を吊り上げたカタリナは、俺の頬を思いっきり引っ張った。

 あだだだだ。大佐の鉄拳とはまた違った痛みがァ。

 ハイライトを失った瞳でカタリナがじっと見つめてくる。

 

「なんでボクと一緒にいるのにクリエムヒルトの名前が出てくるんだい? おかしくない?」

「悪かった。俺が悪かったからァ!」

「しょーがないなあ。ボクにキスしたら許してあげるよ」

 

 そういって再び目を閉じ、頬を赤らめるカタリナ。うん、避けられませんね。俺がいうのもなんだが、もっと良い相手がいると思うんだけどなあ。

 俺は最後の抵抗として、彼女の金の前髪を持ち上げてそこに口を付けた。感触は……よくわからない。

 そろそろ離れるかと思っていると、カタリナが全力で頭突きを食らわせてきた。俺は鼻を押さえて仰け反る。なにしやがんだこいつはァ!

 カタリナは部屋の戸口まで歩いて行った。あっかんべーをして勢いよく扉を閉める。

 

「ヨーゼフのことなんて知らない! 1人で朝まで叔父上と大佐のことでも考えたら?」

 

 1人残された俺は、静かに星が瞬いている窓の外を見つめた。今夜は胃薬も必要なさそうだった。

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