偽皇帝の脚本家   作:束田せんたっき

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真面目な顔をして行えば、すべてが理にかなっていると信じる者たちがいる。――ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク

 私は帝国宰相の執務室への廊下を歩きながら、先ほどの報告書の内容を反芻していた。

 フリードリヒ陛下とエヴァンジェリーナ嬢の会談中に起こった暗殺未遂事件。現在はその犯人の取り調べが続いているが、誰の指示によるものかは不明だという。わざと自らの手の者に辺境伯令嬢を襲わせ、身を挺して恩人を演じることでルーシとの太いパイプを確固たるものにしたか。人心を操る悪魔め。

 

 ヨーゼフ・ハーゲン。その名を思い出すだけでも私の臓物は煮えくり返り、握った拳を爪が突き破る。忘れもしない。やつは私の父を殺した。あまつさえフェーゲフォイアー大平原では煮え湯を飲まされたのだ。私の順風満帆だった人生の唯一の汚点であり、宿敵だ。そのハーゲンが突然呼び出してきた。

 

 狡知に長けたハーゲンのことだ。この暗殺未遂を利用して、私が再編している軍部の弱体化を図るつもりだろう。様々な難癖をつけてくるに違いない。だが、そうはさせるものか。逆に軍部の予算を搾り取り、権限を拡大してやろう。

 

 執務室の扉の前には番人のようにライデンシャフトが仁王立ちしていた。私と目が合うやいなや、軍刀の柄に手を触れる。

 

「止まれ。それ以上近づけば切り捨てるぞ、南部の敗残兵」

「相変わらずしつけのなっていない犬だな。クリエムヒルト・ライデンシャフト。まあ良い。貴官の持ち場はここではないだろう?」

「黙れ。何用だ」

「ハーゲンに会いたい」

 

 真紅の瞳で睨みつけながら、准将は吐き捨てた。

 

「宰相は陛下とお取り込み中だ。わかったなら失せろ」

「私はその宰相に召喚されてきたのであるが……」

「陛下の御心はあらゆる法規を超越する」

 

 狂っている。この女も、この狂人が付き従う皇帝も。そして何よりも絶望的な事実は、この2人をヨーゼフ・ハーゲンは意のままに操っているということだ。そうでなければ、この狂気の政権が維持されている説明がつかない。

 私はため息を飲み込むと、私と対極にある軍人に向き直った。

 

「しかし、現に私はハーゲンと先の暗殺未遂の対応を話し合わねばならん」

「ああそのことか。未遂で残念だ」

 

 なるほど、腹心の部下は令嬢を殺したがっている。しかし、ハーゲンはそれを守った。状況はかなり複雑なようだ。だが、これは福音だ。鉄壁に見えたハーゲンとライデンシャフトの連携が、ここに来て初めて崩れようとしている。つけ込まないという手はない。

 

「……なぜ貴官はそこまで令嬢を憎んでいるのだ?」

「なぜ、だと? 全てだ! あの女狐の全てが私の神経を逆撫でる! だがもういい。あの尻軽は陛下ではなくヨーゼフに乗り換えたようだからな」

 

 報告には上がっていたが、どうやら本当にエヴァンジェリーナ・スメルジャコフはハーゲンに熱を上げているようだ。私がこの事実をどう利用してやろうかと脳内で戦略を組み立てていると、准将の後ろの扉が開いた。輝くような金髪のフリードリヒ帝が中からひょっこりと顔を出した。その肌は心なしか艶があり、なぜか頬は上気していた。いったい、どのような謀議を巡らせばこのようになるのだろうか?

 

「ああ少将、来てたんだ。もう入って良いよ。用は済んだから」

 

 そういって上機嫌で皇帝は部屋を出て行った。その後を影のようについていく准将の背中を尻目に、私は執務室へと足を踏み入れた。さて、鬼が出るか蛇が出るか……。

 

 しかし、私の視界に飛び込んできたのは、乱れた髪をそのままに胃薬をかみ砕きながらそろばんを弾くハーゲンの姿だった。机の上には、辺境伯の紋章付きの手紙が広げられている。

 

『親愛なるハーゲン宰相閣下。我が愛娘エヴァンジェリーナが、帝都の文化を大層満喫しているとの報せを受け、父として喜ばしい限りです。特に、閣下ご自身が娘に目をかけてくださっていること、深く感謝いたします。

 ……ところで、次期の中央銀行の金利調整とルーシ産大麦の関税優遇措置の件ですが、娘が今後も帝都で「笑顔で」過ごせるのであれば、私も帝国の復興を「最大限の好条件」で支援し続ける用意がございます。娘の輝くような笑顔こそが、我らの友好の証となるでしょう。引き続き娘の心を「決して曇らせることのないよう」閣下の完璧なエスコートを期待しております』

 

 何なのだこの惨状は……? ハーゲンは稀代の詐欺師ではなかったのか? なぜこのような無様を晒している? これではまるで、今し方皇帝にからかわれ、外国商人からは強請られ、胃を痛めている単なる小物ではないか! そんなゴミに、エリートであるこの私が膝を屈したというのか?

 

「認めん……認めんぞ……ヨーゼフ・ハーゲン……!」

「おお少将か! ちょうど良いところに! これ適当に認可しといたから良い感じにやっといてくれ!」

 

 そういって大量の書類を押しつけてくるハーゲン。反射的に受け取ってしまったそれらに目を通す。一見、それらは考えなしに判子を押してあるようだ。しかし、注意深くその法律や協定や勅令の関連性を紐解くと、まるで精巧な時計のように美しい歯車を描いて辺境伯の利権を削り取っているのである。

 つまり、この惨状は私を油断させるためのフェイク……! 流石はハーゲン、陰謀に愛された男……! やはりこの詐欺師は以前対峙してきたどの貴族、いかなる軍人よりも手強い。私はやつの認識を改める。

 

 これ見よがしに縛られた縄の跡をさするハーゲンを無視し、私は口を開いた。

 

「して、用件はこれだけか? 私はてっきり、暗殺未遂で召喚されたものかと」

「あ、ああ、暗殺未遂な。そうだ、お前を呼んだのはそれだ。いいか少将、直ちに宮殿の警備を3倍……いや5倍にしろ! 特に、あのルーシの令嬢の周囲だ!」

 

 血走った目で机を叩き、ハーゲンは唾を飛ばした。

 5倍だと? それでは帝都の防衛網に看過できない穴が空く。旧派閥の残党が未だ燻っているこの不安定な時期に、1人の令嬢のために軍の主力を割くなど狂気の沙汰だ。とりわけ帝都では『黒い夜の影』というテロリスト集団が不穏な動きを見せているというのに。

 だが、待て。私は手元の書類、巧妙に仕組まれた関税の罠に視線を落とした。この男が、無意味な配置転換を行うはずがない。これは、反対派を炙り出すための壮大な囮か?

 

「頼むから、あいつを俺の執務室に近づけるな! これ以上窓の外から『ヨーゼフ様ぁ♡』なんて黄色い声を聞いたら俺の精神が保たない! 帝国軍の威信にかけて、あの油狸の娘を俺から物理的に隔離してくれ! これは帝国宰相からの正式な至上命令だ!」

 

 ハーゲンは頭を抱え、文字通り悲鳴を上げた。一見すれば、女の執着から逃げ出したいだけの哀れな男の狂態にしか見えない。だが、私を騙せると思うなよ。

 

 もし私が軍を動かし、令嬢を国賓としての最高レベルの護衛という名目で隔離すればどうなるか。辺境伯は愛娘が厚遇されている手前、帝国に文句をつけることはできなくなる。同時に、令嬢から政治の中枢であるこの執務室への物理的なアクセスを遮断できる。加えて監視網が混乱している隙に乗じて息を潜めていた旧ヴァルデマール派の動きが活発になるだろう。

 軍という暴力装置を過剰な警備として配置することで、経済的圧力をかけてくるルーシと距離を取り、将来の不安の芽を篩にかける。各勢力の利害を計算し尽くし、自らが望む状況を意図的に誘導しようというのか。まるで、巨大な盤面を上から見下ろし、歴史のうねりそのものを駒として弄んでいるかのようだ。

 

 ……末恐ろしい男だ。私生活の破綻すらも、軍を動かすための大義名分として利用し尽くすというのか。

 

「……なるほど。宰相閣下の深い御意図、しかと受け止めた」

「えっ? マジか!? いや助かる! 本当に頼むぞ、あいつさっきも生け垣から俺を見てて……」

「安心するがいい。我が南部軍の精鋭をもって、令嬢を完璧に護衛しよう。何人たりとも、貴様の執務室には近づけさせん」

 

 私は手渡された分厚い認可書類の束を小脇に抱え、踵を返した。

 ヨーゼフ・ハーゲン。父を謀殺した許しがたい男。だが、この血みどろの帝国の舵取りを任せられるのは、間違いなくこの卓越した智略を持つ詐欺師だけだ。

 

「……せいぜいその玉座の陰で、終わりのない謀略を回し続けることだな。私が見限らない程度に」

 

 誰に聞こえるでもない呟きを残し、私は地獄の執務室を後にした。

 これから軍の再編という大仕事が待っている。あの狂犬の暴走も計算に入れながら、帝都の防衛線を敷き直さねばならない。私は決意を新たに、抵抗勢力が決起した際のシナリオを練り始めた。

 

 

 

 妙に納得して帰って行った少将がドアを閉めるのを確認し、俺は机の上に突っ伏した。何か壮大な勘違いが生まれた気がするがもうどうでもいい。ただでさえ多すぎる書類仕事に加えて、油狸と胃壁の削れるような駆け引きをしなくてはいけないなんて最悪だ。それにあの令嬢……あいつが俺に近づくたびにカタリナの機嫌が悪くなるから始末に負えない。

 

 バンッ!

 

 勢いよく開く扉を見ると、ルーシのドレスで美しく着飾ったエヴァンジェリーナがバスケットを持って入ってきた。おい少将! 早速突破されてるじゃねえか!

 

 イマジナリー少将が「このような短時間で配置転換ができるわけないだろう。少しは考えろ」と例の堅物の顔でいってくるが、そんなことは関係ない。

 

 瞳を潤ませた令嬢がうっとりと見つめてきた。

 

「ご機嫌ようヨーゼフ様♡ 今日はわたくし、クッキーを焼いて参りましたの♡ 召し上がってくださいまし♡」

 

 手作りのクッキーだと? 絶対に嫌だね! 何が入っているかわからないし、第一……今も令嬢の背後で無機質な顔を覗かせているカタリナが恐ろしい。

 俺は冷や汗をハンカチで拭きながら、舌を濡らした。

 

「あ、ありがとうエヴァンジェリーナ辺境伯令嬢。あとでゆっくり食べさせて貰うよ」

「そんな堅苦しい呼び方はおやめください。ぜひあの時のようにエヴァンジェリーナ、と……♡」

 

 呼べるわけがないだろマヌケがあああああ! そんなことしてみろ、後からカタリナにお仕置き♠されちまう!

 

「あははは、とても気さくなお方だ。機会があればそうさせていただくよ」

 

 カタリナと一緒に様子を伺っているクリエムヒルトに目を向ける。カタリナが迫られているときとは打って変わって、至って平静な仏頂面だ。俺は手で呼び寄せて耳打ちをした。

 

「おい准将! なんとかしてこの令嬢をつまみ出せ!」

「断る。それでまたこの者の劣情が陛下に向いたらどうする。貴様はせいぜいこのあばずれと乳繰り合って死ね」

 

 ふざけんなよ畜生が! ほとほと使い勝手が悪い野郎だ! カタリナの表情が危険域に達している! これはまずい。早くこの令嬢を追い出さないとどのみちカタリナに殺される!

 

「え、エヴァンジェリーナ!」

「はい、ヨーゼフ様♡」

「辺境伯から手紙が届いた。とても娘思いの父で感動したよ。どうだろうか、帝都の店でなにかお土産を買うというのは」

「まあ、素敵ですわ! でしたら、ヨーゼフ様もご一緒に――「案内役は准将に任せようか! 帝国最強の騎士ならば安心だ! な、准将!」

「し、しかし私には陛下の護衛が……」

 

 被せるようにカタリナがいった。

 

「准将は働き過ぎだよ。エヴァンジェリーナ嬢と一緒に羽を伸ばしてきたらどうだい?」

「一介の将に過ぎない私の疲労を案じてくださるとは、なんと情の深い……このクリエムヒルト・ライデンシャフト、全生命を賭してこの女狐……高貴なるご令嬢をご案内し、羽を伸ばしきって参ります!」

 

 感動の涙を流しながら准将が平伏した。俺の時と対応が違いすぎる。一頻り涙を流して満足すると、クリエムヒルトは令嬢を担ぎ上げて執務室を飛び出していった。取り残される俺とカタリナ。

 

 カタリナがひょいっと令嬢が置いていったクッキーを口に放り込んで咀嚼した。手癖が悪すぎる。

 

「何やってんだよお前! 毒でも盛られていたらどうする!?」

「もしかしてボクを心配してくれているのかい? 優しいなあヨーゼフは」

「ああそうだよ。皇帝の御身を案じるのは宰相の仕事だからな!」

「本当にそれだけ?」

 

 サファイアの潤んだ瞳が真っ直ぐに俺を見つめる。熱に浮かされたようにカタリナが口走った。

 

「今日のキミはいつになくかっこいいね。本当に、んぐっ、ヨーゼフ、ヨーゼフゥ……」

 

 目が据わったカタリナが書類の散乱した巨大な机の上に身を乗り出したので、俺は反射的に仰け反った。こいつが絶対に乗っかってはいけない誘惑を仕掛けてくるのはいつも通りだが、様子がおかしい。これはまさか……媚薬? やはり油狸の子は狸だ!

 

「おおお落ち着けカタリナ! 今のお前は普通じゃない! こんな状態で俺と何かしても何も嬉しくないだろ!」

「ボクはいつでも大歓迎だよ?」

「一旦黙ろうか!」

 

 カタリナが右から回り込もうとするので、俺は机の左側に移動する。逃がさないように素早く左に動くカタリナ。俺はすかさず反対側に移る。なんだこの攻防は。これでは平行線だ。

 

「どうしてボクから逃げるんだ! こんなにもキミを愛しているというのに!」

「それはちんちくりんのお前が悪いわ。お姉さん系ならそんな思いさせへんのに。お前のことは妹みたいなもんと思とんねん」

「そうかそうか、つまりキミはそういうやつなんだな……!」

 

 瞳孔を開ききり、不気味な笑みを浮かべたカタリナが矢継ぎ早に恐ろしい計画を漏らした。

 

「愛でヨーゼフを振り向かせようとしても無駄なんだ。こうなったらヨーゼフが嫌がっても泣き叫んでも、先に逃れられない証を作ろう。愛情なんて後からついてくるよ。ねえ、ヨーゼフ?」

「マジで勘弁してくれ……」

 

 結局、この戦いは薬の効果が切れてカタリナが眠り込むまで続いた。安心しきった顔で眠るカタリナに毛布をかけながら、俺は一刻も早く油狸の元に娘を叩き返す算段を考えていた。

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