偽皇帝の脚本家   作:束田せんたっき

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私は知識を棄却しなければならなかった。信仰に場所を空けるために。――イマヌエル・カント

 車輪の単調な響きが、忌まわしき放蕩の宴への道を刻んでいる。

 宮殿を出立し、車窓を叩く吹雪を明かりに私は揺れる車内でペンを走らせていた。玉座におわす我が君、フリードリヒ陛下へと捧げる監視報告書を認めるために。

 

 なぜ、皇帝陛下の懐刀たるこの私が主君の傍を離れ、このような低俗極まりない食事会に同行しているのか。理由はただ一つ。我が君の海よりも深く山よりも高い大義ゆえである。

 

 出立の前夜、陛下は私を密かに召し出し、こう命じられた。

『クリエムヒルト。キミがヨーゼフに同行し、あのエヴァンジェリーナとかいう目障りな女がボクのヨーゼフに指一本でも触れないように監視するんだ。一秒たりとも目を離すな』と。

 

 ああ、なんという深き御心か。

 ルーシの強欲貴族が送り込んできたあの女狐が言い出した宰相との個人的なディナー。帝国宰相の心身を籠絡し国政を背後から完全に掌握することを陛下は危惧されているのだ。玉座を傀儡にしようと企むあのような傲慢な宰相でさえも、他国の毒牙にかかることは許さない。あくまで帝国の臣民として扱うという、陛下の慈悲と孤独な戦いを思うたび、私は己の無力さに血涙を禁じ得ない。

 

 ペンを止め、私は顔を上げた。豪華な特別車両の向かいの席では、戦場よりも凄惨な光景が繰り広げられていた。

 

「ヨーゼフ様ぁ♡ 寒くはありませんか? よろしければ、わたくしのマントを半分……」

「い、いや、結構だエヴァンジェリーナ嬢! 頼むからこれ以上近づかないでくれ! 准将の目が……じゃなかった、帝国の威信が……!」

 

 無遠慮にすり寄るルーシのあばずれと、青ざめた顔で胃薬をボリボリと噛み砕く哀れな宰相。

 そして私の隣では南部軍を率いるグレゴール少将が腕を組み、密着する2人を盗み見ながら何事かを1人でブツブツと呟いている。

 

「……なるほど。あえて令嬢とあからさまに乳繰り合うことで、外部へ彼女を籠絡しきったことを誇示しているのか。なんという冷酷な策略だ、ヨーゼフ・ハーゲン……!」

 

 ……嘆かわしい。

 グレゴール少将ともあろう者が、あの男の矮小な本質を何一つ見抜けていないとは。己の権力欲のために陛下を利用したつもりが、今や陛下の深淵なる知謀の掌の上で敵の娘に胃を痛めるピエロとして踊らされているだけの軟弱な男。それがヨーゼフ・ハーゲンだ。この車内で、真に陛下の御心を理解し、その正義に命を懸けられるのは世界でただ1人、この私クリエムヒルト・ライデンシャフトだけなのである。

 

 懐からナイフを取り出し、一切の躊躇なく前方に放つ。それは宰相と令嬢の間の壁に突き刺さり、2人は顔を引きつらせた。

 私は小さくため息をつき、再び報告書に筆を落とした。

 

『カプート9日17時。女狐が宰相の腕に触れましたので、国家の危機とみなし投擲にて引き剥がしました。宰相は怯えております』

 

 血相を変えた宰相が食ってかかった。

 

「おい、何しやがんだ准将! 殺す気か!」

「喚くな。私は陛下の大命を執行しただけだ。それにこの程度でくたばるような宰相なぞ必要ない」

 

 何者も陛下の意向を阻むことは許されない。我が君の障害となる輩はこの私がすべて塵も残さず駆逐してみせる。

 

 

 

 1時間後、我々4人は夕食のために帝都の高級レストランを訪れていた。頭上には豪華なシャンデリアが煌めき、客はみな上流階級特有の洗練された所作で西の共和国の食事を楽しんでいる。店員の案内を受けながら歩いていると、隣の少将が顎に手を当てて静かに問いかけてきた。

 

「准将、おかしいと思わないか? 帝国宰相に辺境伯令嬢、そして軍部高官の我々という帝国の上層部が、何の護衛も連れずこのような料亭に入るというのは」

「我々が護衛というわけだろう。そもそも、あの女狐が密会を気取って多数の護衛を嫌がったではないか」

「常識的に考えてあり得ないといっているのだ。私はハーゲンが何か企んでいるようにしか思えん」

 

 少将は実は頭が悪いのか? ヨーゼフは他人を陥れることに関しては帝国随一の腕を持つが、それ以外はぱっとしないつまらない男だ。私からすると、少将は優秀すぎるゆえに仕える者を過大評価している節がある。

 

 店の最奥の個室に入り最高級の共和国料理に舌鼓を打ちながら、私は頻りに宰相にしなだれかかろうとする令嬢を睨みつける。あの不埒な父親と同じ俗物め。

 

 警告がてらフォークを宰相の目の前のテーブルに投げつけた。銀の槍が縁に突き刺さる。すかさず報告書に事細かく宰相の様子を記録していると、隣の個室から男たちの声が漏れ聞こえた。

 

「……それでは帝都の警備は今手薄というわけか?」

「ああ、暗殺未遂があってからというもの、過剰なほど令嬢に割かれている。帝都奪還も予定通り実行できるだろう」

「くっくっく……全ては我ら『黒い夜の影』の計画通り……!」

 

 黒い夜の影といえば……体制転覆を謀る国賊ではないかッ! 少将が静かにうなずき、立ち上がった。私も席を飛び上がり、剣を抜きつつ壁を蹴破る。驚きのあまり固まる20人ほどの逆賊を前に、手始めに私は1人の首を刎ねて言い放った。

 

「陛下に仇なす逆賊め! 千々に砕いてくれる!」

「ライデンシャフト!? なぜここに!?」

「あまり我らが帝国宰相を舐めるなよ」

 

 少将がレイピアを抜き、私の横に立った。反動派のものどもは、貴族、軍人、商人など幅広い。やつらは我々が4人だけであることを見て取ると、薄ら笑いを浮かべてそれぞれの得物を手に取った。

 

「けっ、飛んで火に入る夏の虫とはこのことよ! 数多の恨みという炎に巻かれて死ね!」

「おいふざけんな准将! なんでただ飯食いに来ただけで反乱組織とエンカウントしてんだよ! 俺は何も知らねえぞ!」

 

 悲鳴を上げるヨーゼフをよそに、グレゴール少将はレイピアを振るいながら不敵に笑う。

 

「謙遜するなハーゲン! 貴様、暗殺未遂にかこつけて帝都の警備を令嬢に集中させたのは市中に隠れ潜むネズミどもを油断させ、この店に集めるための壮大な撒き餌だったのだろう! そして最も護衛が薄いと思わせて自らが囮となり私と准将の武力をもって一網打尽にする……! 恐るべき計略だ!」

「ちげえよ! 本当にたまたまだよ! 偶然壁の向こうにいただけだろ!」

 

 その間にも、私の大剣が高級レストランの壁と調度品を次々と粉砕しながら、敵を物言わぬ肉塊に変えていく。

 

「問答無用! 陛下の安寧を脅かす奸臣め、この私が挽肉にしてくれるわッ!」

「やめろクリエムヒルト! そのシャンデリアは絶対高い! 弁償は誰がすると思ってんだ!? 俺だぞ!」

 

 飛び交う銃弾と斬撃の中、ヨーゼフは半泣きでエヴァンジェリーナの頭を押さえつけてテーブルの下に隠れた。しかし、令嬢は暗闇の中で頬を赤らめ、うっとりとヨーゼフを見つめている。

 

「ああ、ヨーゼフ様……! わたくしたちの逢瀬を邪魔する悪党どもを、ご自身の身を挺して罠にはめ、こうしてわたくしを守ってくださるのね……! なんて情熱的で冷酷で素敵な殿方……♡」

「お前も少将と同じ幻覚が見えてんのか!? マジでどいつもこいつも頭おかしい!」

 

 数的には圧倒的に不利だが、隠れて謀略を巡らすことしかできないこの程度の雑兵なぞ私と少将の敵ではない。弾丸を避けた少将がレイピアを鞭のようにして銃を弾き飛ばした。私がテーブルを持ち上げ、3人まとめて吹き飛ばす。

 

 貴族……階級は確か侯爵だったか? 私が侯爵を始末しようと剣を大上段に構えると、腰を抜かした侯爵が震えながら叫んだ。

 

「ま、待て准将! 貴様は我が君と仰いでいるあの皇帝の正体を知っているのか!?」

「何……?」

「あれはフリードリヒ様なぞでは断じてない! そこのハーゲンが拾ってきたただの雌犬だ!」

 

 侯爵の言葉が私の鼓膜を叩いたとき、これまでの我が君との記憶が濁流のように押し寄せてきた。ヨーゼフと意味ありげな笑みを交わす陛下。演説するヨーゼフを恋する少女のような瞳で見つめる陛下。令嬢からつきまとわれるヨーゼフに歯ぎしりする陛下。

 

 点と点がつながり、最悪の像を結ぶ。陛下のヨーゼフに対する感情表現は、まさに主従の域を超えていた。信頼といった生やさしいものではない。身を焦がすような恋慕、あらゆるものを凍てつかせる嫉妬、底なしの執着、そういった類いのものだ。それは、男性的というよりは限りなく女性的な……。

 

 覚悟が鈍る。生まれて初めて、握る剣が震えた。私に斬りかかってくる敵を切り伏せた少将が急かしてくる。

 

「何をしている准将! 早く斬れ!」

 

 机の下の宰相に目を向ける。やつは、ヨーゼフ・ハーゲンは縮こまりガタガタと身を震わせ、冷や汗を滝のように垂れ流していた。瞳孔を極限まで開き「終わりだ……何もかも……」と呟いている。その様子は、初めて私が会ったときと変わらない小悪党だった。

 

 結局、私も騙されていた道化だったということか。では、この手についた返り血も、捧げた忠義も何もかもが……。そう独りごちたとき、腹の底から湧き上がった絶望と憤怒を再び陛下の記憶が覆い尽くした。

 

 フードを取り払い、輝く黄金のような御髪を晒す陛下。民のために涙を流す陛下。傷ついた兵を労る陛下。平伏する私に微笑みかける陛下。

 

「……だからなんだというのだ?」

「は? き、貴様はいいのか? 騙されていたのだぞ!?」

 

 一刀のもとに眼前で小言を並べ立てる醜悪な侯爵を両断する。

 覚悟が、忠義が生まれ変わっていくのを感じる。そのような些事は陛下の威光の前では塵芥に等しい。この世で最も重要なのは、フリードリヒ陛下こそがこのクリエムヒルト・ライデンシャフトの終生の主君であり、帝国を導く希望の光であるということだけである。

 もはや、嘘から始まっていたとしても構わない。それならば、私は陛下を真実に変える剣となろう。

 

「我らが陛下こそが真の帝王であるッ! そのことを否定する罪人は誰であろうと処刑するッ!」

 

 歓喜が我が身を満ちる。私は迸る忠誠の赴くまま、反逆を企てた悪人どもの蹂躙を再開した。

 

 

 

 嬉々として虐殺し始めたクリエムヒルトを見て、俺はテーブルの下からドン引きしていた。

 ええええええ!? いや、今絶対確信したよね!? 絶対カタリナが女だったって気づいてたよね!? それをなんか1人で勝手に納得してまたぶち殺し始めたんですけど!? クレイジーすぎる!

 

 クリエムヒルトとグレゴール少将の武力は圧倒的で、数の差などあっという間にひっくり返し、1人残らず無力化してしまった。

 

 全身に返り血を浴びたクリエムヒルトが、晴れ晴れとした笑みを浮かべて俺に手を差し出した。

 

「ヨーゼフ、悪は滅びた。さあ立て、我らの陛下がお待ちだ」

 

 俺は小刻みに震動しながらその手を取った。逞しい力で引っ張り上げられる。真紅の瞳は今では澄みきり、狂気がさらに研ぎ澄まされて峻厳を帯びていた。

 

 この料理店の惨劇は、俺に過大なストレスとクリエムヒルトの覚醒をもたらしたが、それを補って余りある福音を与えてくれた。それは、エヴァンジェリーナの合法的な追放である。帝都の治安悪化を建前に彼女を辺境伯へ返品することに成功したのだ。

 

 これでもう、令嬢の奔放な行動に振り回されることも、カタリナのお仕置きとやらに悩まされることもなくなった。ようやく一息つけると安心した矢先、最悪のニュースが2つも舞い込んできた。

 

 先日クリエムヒルトが大暴れした料理店は、西方のガリア共和国出身者が開いていたものだった。万が一にも外交問題にならないように、壊したテーブルなどは俺のポケットマネーから弁償したものの、共和国内の世論で反帝国感情が爆発。共和国の特使がやってきた。共和国は先帝の時代に帝国に戦争で完膚なきまでに敗北し、領土を奪われた復讐に燃えている。国境地帯ではすでに両軍が睨み合っている。一触即発である。

 

 さらには、ルーシ皇帝がこの調停を買って出た。平和の使者の顔をしているが、本心は今回の騒動につけ込んで帝国に色々とふっかけるつもりだろう。しかもその勅使が油狸ときた。せめて1人ずつにして欲しい。

 

 かくして、3国間のふざけたサミットが帝都で開かれようとしていた。

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