「いや、冬のルーシ寒すぎだろ」
舐めてた。完全に舐めてた。現在俺たちは何もない雪原を歩いている。帝国ではちょうど良かった服装が、ここでは何の役にも立たない。早いところ身を寄せる場所を見つけなければ、帝位簒奪の前に凍え死ぬだろう。カタリナが肩を震わせていった。
「ヨーゼフ、本当に近くに町があるんだよね?」
「ええ、そのはずです。そのはずなんですが……」
何やら遠くを見つめていたクリエムヒルトが、突然大きな声を出した。
「殿下! 見えました! 町です! もう少しの辛抱です!」
「ボクには何も見えないけど……」
「少尉、あとどれくらいだ?」
「あの丘……スニェーク丘を通り過ぎた先だ」
小高い丘の麓を抜け、しばらく歩いていると本当に町があった。取り急ぎ宿屋に入り、部屋で作戦会議としゃれ込む。カタリナが真っ先に暖炉の前のソファを占領した。姿勢良くイスに座るクリエムヒルトを横目に、地図をテーブルの上に広げる。
「ここが今我々がいる町だ。ここからちょうど北東10キロ先に、この地方一帯を治めているスメルジャコフ辺境伯の屋敷がある。ここに行って協力を取り付けるのが目標だ」
「承知した。してヨーゼフ、貴殿のことだ。その算段はあるのだろう?」
ねえよバカたれが。そんななんでもかんでもアイデアが魔法のポケットから出てくるわけねえんだぞ。しかし、こんなこと正直にいったら八つ裂きにされることは間違いないので、俺は平静を取り繕って答えた。
「当然だ。詳細は追って話す。まずは防寒着の調達が先だ。それが済んだら今晩はここに泊まろう。殿下もお疲れのようだし。それでよろしいですよね殿下?」
「良きに計らえ」
「つーことで、クリエムヒルト。お前、防寒着買ってこい。金渡すから」
そういってフィジカルお化けに金貨を渡す。そろそろカタリナの演技にボロが見え始めている。この脳筋がいない間に修正しなくては。
「む、さては私を使い走りにしてぬくぬくと室内で暖まろうという魂胆だな。そうは行かぬぞ詐欺師め。お前が行ってこい」
しかし、クリエムヒルトは恐ろしい力で俺の手に金貨をねじ込んできた。この馬鹿力め! 俺が行ったらカタリナの抜け作が馬脚を現した時にフォローできないじゃないか! ここは最終手段を使うしかない!
「で、殿下はどちらが買いに行くのが良いとお考えですか?」
クリエムヒルトっていえ。クリエムヒルトっていえ。
カタリナはしばし悩む素振りを見せ、そしていたずらっぽい笑みを浮かべた。
「うーん、ヨーゼフはボクのこと甘く見すぎだしねえ……」
おいおい何考えてやがるんだうちのバカ殿は! クリエムヒルトと2人きりで同じ部屋にいるなんて、猛獣の檻にいるのと大差ないんだぞ!
カタリナは俺の焦りを愉しむように笑い、チラリとクリエムヒルトを見た。
「でも、防寒着のセンスはクリエムヒルトの方が良さそうだ。ヨーゼフ、君の選ぶ服は地味すぎるからね。頼んだよ、少尉」
「はっ! このクリエムヒルト、殿下に相応しい至高の逸品を選んで参ります!」
クリエムヒルトの足音が遠のくと、俺はため息をついて暖炉の前に座った。演技を解いた横のカタリナが待ってましたとばかりに寄ってくる。その体温が心地よい……なんて思ってる場合じゃねえ。
「狭い。近い。熱い。誰かに見られたらどうする」
「良いでしょちょっとくらい。ここにはボクらだけしかいないんだし。寒いんだからくっつこうよ」
「お前そんな性格だったか? 大体、俺はお前の演出屋であって兄貴じゃねえんだぞ」
「ヨーゼフ、ボクはね。君にとても感謝しているんだ。ただの孤児だったボクを拾って、食べ物も服もくれて、皇太子という役割まで与えてくれた。もうキミなしじゃ生きていけないよ」
「その感謝は国を盗るまでとっておくんだな。正念場はここからだ。今は最初の関門を突破したに過ぎない」
そういって隣で寄りかかっているカタリナを見ると、その青い目は潤み、炎の揺らめきがその顔に影を落としていた。今や、言葉にしなくとも伝わった。不安なのだ。この少女は。騙したことが、そしてこれからも騙し続けなければならないことが。
「ヨーゼフは怖くないの?」
「当たり前に怖い」
「怖いんだ」
「うるせえ。でも、多分大丈夫だろ。俺の舌は絶好調だし、お前、見てくれだけは殿下だからな」
「見てくれだけって何さ。いつか中身もキミの皇帝にふさわしいって認めさせてあげるよ」
一瞬、カタリナの目が細められた。その瞳に見つめられると、心臓をつかまれたような底知れない感覚に襲われた。なんなんだその表情は。まるで自分の積み上げた城が下敷きにしてくるかのような……。俺は頭を振ってもう一度彼女を見た。良かった、いつものカタリナだ。
「そりゃあ楽しみでござんした。さて、それじゃあここからが真の作戦会議だ。カタリナ、お前は辺境伯の前ではバカを演じろ」
「バカ?」
頭上に疑問符を浮かべるカタリナ。うん、多分そのままが一番かもな。そんなことを思っていると、カタリナがジト目で睨んできた。
「あー、今失礼なこと考えたでしょ」
「考えてない考えてない。いいかカタリナ、スメルジャコフ辺境伯はかつての主君を売り飛ばし、一代でただの商人から成り上がった筋金入りの俗物だ。だからこそ、自分の血筋に劣等感があるはずだ。高貴で聡明な殿下がおでましになってみろ、門前払いされるかもしれんぞ」
「じゃあどうするのさ」
さあてどうしたもんか……。俺はカタリナと話しているうちに、自然と最適解が見えたかのような錯覚に陥った。
俺はカタリナの白い頬をつつきながら、なるべく悪党に見えるような笑みを浮かべる。
「やつに思わせるんだよ。こいつは扱いやすいお人形さんだってな」
「ふーん」
「いいか? やつに何か政治的な難しい話を振られたら『それより余は疲れた。難しい話はヨーゼフに任せる』と答えろ。後は適当にニコニコ笑ってうなずいてればいい」
「えー、それだけ?」
「それだけでいい。それが一番あの古狸を油断させられる」
「わかったよ。ま、ボクがキミの作戦を疑うなんてあり得ないけどね」
そして、軽やかにカタリナがソファーから立ち上がったのとほぼ同時に、クリエムヒルトが帰ってきた。危ねえー、これではいくつ心臓があってももたない。
「む、さては私のいない間にこっそり何か話していたな。寂しいぞ! 私も混ぜろ!」
そしてなんでこいつはすさまじい嗅覚で正解を当ててくるんだよ。
カタリナが俺にだけ見えるようにウインクして、クリエムヒルトをなだめた。
「男同士の秘密だもんね、ヨーゼフ?」
「あ、ああ」
なんだろう、なんか引き返せないところに来てしまったような……いや、それはもとからか。じゃあなんなんだこの違和感は……?
俺は若干もやっとした気持ちを抱えたまま、辺境伯の屋敷に向かうルートを調べるのだった。