偽皇帝の脚本家   作:束田せんたっき

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紳士に対しては、私は一倍半の紳士として振る舞う。しかし詐欺師に対しては、一倍半の詐欺師として振る舞うのだ。――オットー・フォン・ビスマルク

 乗り合い馬車に揺られること数時間。俺たちはついに狸爺の根城、スメルジャコフ邸に到着したのだが……。

 

「なあ、俺の目が腐ってなければあそこの屋根、全部ゴールドに見えるんだが」

「うん、ボクにもそう見えるよ。それに壁の色がギラギラして目が痛いね」

 

 そこにあったのは、屋敷というよりは巨大な玩具箱だった。周囲の粗末な木造小屋が雪に埋もれかけているのに対し、その屋敷だけは暴力的なまでに自己主張していた。空に向かって突き出たタマネギ型のドームは、冬の貴重な日光を反射してギラギラと輝き、外壁は悪夢のようなパステルカラーで塗りたくられている。

 

「美学の欠片もねえな。成金がカタログの1ページ目から全部注文したみたいな家だ」

「うむ、中は暖かそうだな」

「ああ、間違いなくな。苦しんでいる民衆から搾り取った油で燃やす暖炉はさぞ暖かいだろうよ」

 

 俺たちは呆れを通り越して感心しながら、その悪趣味の殿堂へと足を踏み入れた。重厚な扉が開かれた瞬間、ムワッとした熱気と、鼻が曲がりそうなほどの花の匂いが外気を押し戻す。

 

「うっ……臭っ!  何これ!」

「南国の花の匂いです。気を付けてくださいよ殿下。ここから先は辺境伯の懐の中です」

 

 執事に出迎えられて辺境伯の部屋まで続く廊下を歩く。どうやら、辺境伯は俺たちが来ることを知っているらしい。こちらの動きはお見通しというわけだ。真紅の絨毯は毛が長すぎてむしろ歩きづらく、脇に飾られている絵画や調度品は時代も地域もバラバラで統一感に欠ける。

 隣のクリエムヒルトが耳打ちしてきた。

 

「それにしても、いささか暖炉の火力が強いのではないか? まるで真夏のようだ」

「やっこさんはそれがお貴族様の嗜みだと思っているんだろうよ。あの黄色い果物をつけた観葉植物を見て見ろ。あれは南国でしかならない果実だ。ルーシとは真逆の産物だよ。大層なこった」

 

 そして屋敷の最奥、ひときわ広い部屋の玉座にそいつは座っていた。でっぷりと肉付いた腹、太い指の全てに嵌められたゴテゴテした指輪、脂ぎった額に下卑た笑み、この老人を俗物と呼ぶのはその言葉に失礼ではないかと思えるほどの男がそこにいた。

 

「これはこれはフリードリヒ殿下ではありませんか。まさか本当に生きていたとは。ご滞在中はご実家だと思ってごゆるりとおくつろぎください。申し遅れました、わしはアレクセイ・スメルジャコフと申します」

「辺境伯、歓迎感謝する。フリードリヒ・オイレンシュピーゲル・フォン・エーデルワイスだ」

「ささ、どうぞ席に。お付きの方もどうぞ」

 

 無駄に広い長テーブルに着いた俺たちを、品評会の豚を見るような目で品定めする辺境伯。俺はやつの爛々と輝く不気味な瞳の光を見て確信した。この男は根っからの悪党、一筋縄ではいかない。

 

「ルーシの冬は帝国生まれの殿下にはさぞ堪えたでしょう。こちらは我が国伝統のルーシティーでございます。噂によると殿下は茶にもお詳しいご様子。お気に召していただければよろしいのですが……」

 

 そして、メイドが各人の前に熱々の紅茶とジャムを用意する。みながカタリナに注目する。なるほど、本物ならルーシティーも卒なく飲みこなせるだろう。さっそく探りを入れてきやがったな。お手並み拝見というやつだ。

 ただの孤児なら紅茶の飲み方なんぞ知る由もないだろう。しかし、こいつは俺が手塩にかけて育てた偽皇帝だ。当然、そんなの朝飯前のはず……。

 おい、そんな縋るような目で俺を見るなカタリナァ! 教えただろうが! それにジャムぶち込んでお上品に飲むんだよ! 畜生! やっぱり時間が足りなかったか!

 

 ジャムを紅茶に入れずにそのままスプーンで舐め、そのあともたもたと音を立てて紅茶をすするカタリナ。完全に失敗だ。しかし、辺境伯の反応は違った。

 

「ほう、それは我が国の農民の飲み方ですな。帝都育ちの殿下が我々の流儀に合わせてくださるとは、なんと慈悲深い」

 

 ちげえよ! こいつは単に直接ジャムを舐めたかっただけだ! ……しかし、これはこれで好都合。フォローの入れようがある。

 

「辺境伯閣下、好意的なご解釈、感謝いたします。なにぶん殿下はお疲れのゆえ」

「なるほどなるほど、確かに殿下の双肩には余りある大儀がかかっているでしょうな。ご安心ください、わしのことは遠方の叔父とでも思っていただければよいのです」

 

 流石は海千山千の油狸だ。気遣っていると見せかけてその実えげつない皮肉をふっかけてきやがる。フリードリヒは実の叔父に殺されかけたというのに。実際、クリエムヒルトははらわたが煮えくり返っていることだろう。顔が真っ赤だ。軍刀に手を伸ばしかねない。

 

「ああ、ありがとう」

 

 しかし、偽物のカタリナにはなんともない。指示通りけろっとしている。そもそも、皮肉に気づいているかどうかも怪しい。その様子を見て、少尉は冷静さを取り戻したようだ。流石は我が主君、このような卑しい挑発なぞ意にも介しておられない! という彼女の感激が伝わってくる。辺境伯も当てこすりが不発でつまらなそうだ。

 

「……殿下、わしは1度あなたと帝都で謁見したことがありましたな。覚えていらっしゃいますか?」

 

 嘘だろ!? いや、そんなはずはない。調べた中にそんな情報はなかった。それに、もし会ったことがあるのなら、偽物だと見破られるリスクの高いところにわざわざ俺が連れて行くわけがない。つまり、辺境伯はかまをかけている!

 頼むぞカタリナ、会っていたとしたら俺が教えていないわけがないことは少し考えればわかるはずだ。下手なアドリブを打とうとするなよ。

 そんな俺の空しい思いは通じるはずもなく、カタリナが導き出した回答は俺の予想を遙かに超えていた。肘をテーブルにつき、上体を傾けるカタリナ。静かに湛えたその笑みは、見る者の思考を麻痺させる魔性といえる代物だった。

 

「辺境伯、あまり試すような真似はやめてくれないかな? 初対面だよね、ボクら。でも、多分彼女になら会ったことがあるよ」

 

 カタリナが指さしたのは、壁に掛かっている1人の少女の肖像画。俺はそれが誰か知っている。美しいブラウンの髪の持ち主、エヴァンジェリーナ辺境伯令嬢、スメルジャコフの娘だ。父親とは似ても似つかない。

 

「ぶわっははは。すみません殿下、確かにわしとあなたは今日が初めてです。しかし、よもや我が愛娘が偶然帝都ですれ違ったことを思い出していただけるとは。流石は次期皇帝の器」

 

 俺は目の前で起こったことが一瞬理解できなかった。なんなんだこいつは。ただの孤児ではなかったのか? ……そうか、視線だ! カタリナは無意識に肖像画に向ける辺境伯の視線を使ったのか! 基本的なスリの手口だ!

 

「では、本題と参りましょうか。目下の帝国の情勢は、いささか殿下は劣勢といわざるを得ません。叔父君は帝国軍を掌握し、諸侯への根回しも進めておられる。第一、殿下の生存はまことしやかに囁かれているに留まっています。しかし、ここに活路がございます。民は不景気と冷害にあえいでおります。煽動すれば世論は殿下の味方につくでしょう。ともすると、帝国議会さえも――」

「そんなことより余は疲れた。そのような些事はヨーゼフに任せる」 

「は? ヨーゼフ?」

 

 珍しく呆けた顔をする辺境伯。動揺が手に取るようにわかる。今、やつは目前に座る若者の真価を図りかねている。 地に伏せた龍か、はたまた、暗愚な虫か。

 

「……それでは殿下には別室でお休みしていただきましょう。お連れしなさい」

 

 そして、室内には俺、クリエムヒルト、辺境伯だけが残った。殿下がいなくなると、辺境伯は葉巻に火をつけ、紫煙をくゆらせながらいった。

 

「さて、殿下はああ仰っているが、勝算はあるのかね? その貧弱な戦力で」

 

 侮辱されたと感じたクリエムヒルトが立ち上がった。今にも辺境伯を真っ二つにしかねない勢いだ。俺は狂犬を必死に押しとどめつつ、舌を濡らした。

 

「閣下、僭越ながら申し上げますが、この者は殿下が最も信を置かれているライデンシャフト少尉です。一騎当千に値し、その剣は鎧をも砕くといわれています。お言葉には十分お気をつけを」

 

 俺の言葉に気分を良くしたのか、少尉はまんざらでもなさそうに居住まいを正した。しかし、その猟犬のような眼光ははっきりと辺境伯を見据えている。 

 辺境伯の額を冷や汗が流れる。いいぞ騎士道かぶれ! お前の威圧感が確実に狸爺に利いている!

 

「あ、あまり老骨をいじめるでない。うっかり、諸君の大切な殿下に流れ矢が当たってしまわぬよう……ぐっ!?」

 

 辺境伯が言い終わらないうちに、瞬く間に彼我の距離を詰めた少尉が剣をその肉がはみだしている首筋にかざした。銀色の刀身に辺境伯の引きつった表情が映る。葉巻の灰になった部分が零れ落ちた。カタリナという人質を確保したつもりだったのだろうが、こちらには規格外の暴力がある。人質は自分だとようやく思い至ったらしい。ほとほと油断ならないな、この油狸め。

 冷徹なまなざしでクリエムヒルトが呟いた。長髪の美人が怒っているのはやはり怖い。あの怒りがこちらに向かってこないことを願うばかりだ。

 

「流れ矢……が何か?」

「い、今のは失言だった! 撤回させてくれ!」

「承知した。だが、此度のこと、ゆめゆめ忘れぬよう……お願いしますよ」

 

 頻りにうなずく狸を見届けると、少尉は剣を収めた。辺境伯はハンカチで忙しなく顔面の汗を拭い、再び俺を見据えた。その目にはいまだ闘志、確実に俺たちを骨の髄までしゃぶり尽くしてやるという不屈の精神が宿っていた。

 

「戦力は身をもって思い知った。良かろう。商談の時間だ! 具体的に何をわしに求める?」

「辺境伯領の兵3万と、それらを養う兵糧を貸していただきたい」 

「これは大きく出たな従者殿、殿下の参謀は貴殿であろう? 名は何と?」

「ヨーゼフ・ハーゲン」

「よろしい、大儀のためだ。それらを出すのも吝かではない。しかし、しかしだねハーゲン殿。わしは殿下の臣下でもなければ、親族でもない。わしの家臣と領民を納得させるだけの見返りがあるのかね?」

 

 そら来た。伊達に強請りのアレクセイと呼ばれているわけじゃない。生半可な報酬ならばテコでも動かないという意地を感じさせる。だから、どれだけ値切れるかが勝負だ。深く葉巻を吸い、じっくりこちらの出方を伺っている悪徳領主を前に、俺は弁舌と脳みそを回転させる。

 

「まず、殿下が帝位に即いた暁には、閣下に独占貿易権を保障します。今後、ルーシとの交易は必ず閣下の領地を通して行います」

「非常に魅力的な提案だな。他には?」

「出兵にかかった費用の補填、さらにそれに色を付けて報奨金を支払います」

「素晴らしい! そうだな、もう少し説得材料が必要だ。例えば……わしの娘と殿下の婚約というのはどうかね?」

「そ、それは……」

 

 くそったれがこの強欲親父! 結構がんばってるんだぞこれでも! カタリナの貞操の危機は俺の命の危機なんだよ!

 俺はクリエムヒルトに目配せした。ワンモア暴力!

 クリエムヒルトが一歩踏み出し、剣の柄に手をかける。

 

「閣下、身に余る欲は御身を滅ぼしますよ?」

「もうその手は食わんぞハーゲン! どのみちわしを殺したところで貴様らに先はない! さあ、選べ!」

 

 2度は通じないか。しかし、どうすれば……そこでふと窓を見ると、木陰からこちらに銃口を構える黒い影が見えた。

 

「伏せろ!」

 

 直後、窓ガラスを割って室内に飛び込んだ銃弾は、辺境伯の座っていたイスの脚を粉砕した。油狸が床に転がり落ちる。

 

「ひ、ひぃいいい! わしを狙ったのか!?」

 

 腰を抜かす辺境伯。俺は内心、笑いが止まらなかった。よくやった暗殺者! お前らが誰の手先か知らないが、最高のタイミングだ!

 俺はすぐさま深刻な顔を作り、震える辺境伯の肩をつかんだ。

 

 「ご覧の通りです、閣下。ヴァルデマール帝は、殿下を匿った貴公をも反逆者として消すおつもりだ。もはや、後戻りはできませんぞ?」

 

 辺境伯の顔から血の気が引いていく。金勘定など吹き飛んだようだ。

 

「わ、わかった!  兵でも金でも何でも出す!  だからわしを守れ!  この少尉で早く外の暗殺者を捕まえて来いぃぃぃ!」

 

 ――勝った。

 偶然飛び込んできた凶弾が、俺たちの同盟を鉄の結束へと変えたのだった。

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