昨夜の決起集会の熱も冷めやらぬ朝、俺たちは辺境伯スメルジャコフに案内され、彼が用意したという3万の軍勢と兵糧を視察に行っていた。
「閣下、本当に約束通り用意したのでしょうね?」
「ええ、しましたとも。約束通り、ね」
近隣の平原にはテントが立ち並び、煙が上がっている。俺は期待に胸を膨らませた。もう少しここに留まって機を伺う計画はあのアホのせいでご破算になったが、本当に大軍があるのなら、勢いに乗って帝都まで攻め上るのも悪くない。
兵営に到着したカタリナを、屈強な兵士たちが各々剣や槍、銃を携えて出迎えた。一斉に敬礼する様は壮観である。脇には溢れんばかりの黄金の麦が何台もの荷車にうず高く積まれていた。隣で辺境伯が昨夜の演説に感動した貴族や豪商からたくさんの寄付金が届いていると囁いてくる。
……これは、ひょっとして俺にツキが回ってきたのではないか? これまでの人生、しみったれたことしかなかったんだ。ここらで帳尻を合わせなきゃおかしいだろ。しかし、石橋は叩いて壊して自分で架け直すのが俺の流儀だ。
辺境伯に促されて、そのまま軍議を行う予定であるテントに入ろうとするカタリナの手を引き、俺は精鋭たちのさらに奥にあるキャンプまで歩いて行った。兵士たちが口々に「おやめください」といってくるが、それは俺の悪い予感の補強にしかならない。
何人の兵士たちを通り抜けただろうか。ざっと数百人を尻目にしたとき、にわかに視界が開けた。その先に広がっていた光景とは……テントの脇に座り込む老人、ろくにまともな服を着ずに凍えながらかゆを炊く女、ぼろぼろの靴でそこら辺を走りまわる小汚いガキども……。粗方、各地からかき集められた口減らしの連中だろう。
ふざけるな! これじゃあ3万の兵じゃなくて3万の難民じゃねえか!
カタリナが握る手に力が入る。少し痛い。余計なところを少尉に似る必要はないのだが。
「辺境伯、これはどういうことかな?」
「ご覧の通り。3万のツワモノでございますよ、殿下」
したり顔で髭を撫でる辺境伯。よくいう。俺たちは油狸の腹踊りに乗せられていたというわけか。いや、待て。ということは兵糧は……?
「あれ以外の兵糧はどこにあるのですか閣下?」
「こちらでございます……何分、不景気なもので」
そういって案内された蔵の中をのぞくと、カビの生えた黒パンや何の肉かわからない干し肉がどっさり。うん、知ってた。
剣の柄に手をかけたクリエムヒルトが、頻りに囁いてくる。
「どうする? この痴れ者、ぶっ殺すか?」
「絶対に殺すな。いいか、フリじゃないからな」
「ふん、脆弱者が」
「お前が野蛮すぎるんだよ。あと脆弱者ってなんだよ」
カタリナが視線で伺いを立ててくる。俺は力なくうなずいた。これはもう仕方がない。与えられた手札で何とかするしかないのだ。
最大のテントに移った俺たちは、地図を囲んで作戦を話し合う。辺境伯が口火を切った。
「現在、殿下の旗下には3千の精鋭と2万7千の通常兵が集っております。兵糧はもって半月、まあこれは現地で調達すればよいでしょう。周囲の貴族や豪農からの寄付金はわしからのも合わせてなんと400金!」
3千の精鋭と2万7千の通常兵? 調子よく抜かしやがって、現在の兵力配置を見るに、まともな兵は自分の護衛に使って、俺たちには穀潰ししか回さないつもりなのは明白だ。
カタリナが不安そうにいった。
「その通常兵は本当に戦えるのか?」
すかさずクリエムヒルトが勢いよく立ち上がる。真っ赤な瞳に闘志を漲らせ、つばを飛ばしながらいった。
「殿下! このクリエムヒルト、全力であの腑抜けどもを死地をもいとわぬ精兵に鍛え上げて見せましょう!」
「やめとけ。どうせ鬼教官のしごきに耐え切れず、いたずらに頭数をすり減らすのが落ちだ」
「なんだと貴様ァ! もういっぺんいってみろォ!」
俺の胸倉をつかみ、クリエムヒルトが激しく揺さぶった。足が地面から浮いているんだけど何事!? しかも首が締まって息ができない!
ギブアップを示すために彼女の鍛え上げられた腕を必死に叩くも効果はない。俺は喉の奥から声を絞り出した。
「……で、でんかぁ。この者もそろそろ昇進させては……大佐ぐらいに」
「そ、それもそうだね。クリエムヒルト、貴殿のこれまでの働き実に大儀であった。フリードリヒ・オイレンシュピーゲル・フォン・エーデルワイスの名において、クリエムヒルト・ライデンシャフトを大佐に昇進する!」
「はっ! ありがたき幸せ! この肩書に恥じぬよう、以後も粉骨砕身、殿下の剣として働いてまいります!」
クリエムヒルトが敬礼したために、俺の喉は解放された。新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込む。危うく気を失うところだった。
もうこんな泥船嫌になってきた。どのみち俺は戦場で負けて死ぬか、カタリナの正体が暴かれてブチギレた狂犬に殺されるだろう。それならいっそ、この寄付金を持ってどこか知らないところで新しく始めた方が……。
そこまで考えが及んだとき、カタリナが今まで見たこともないような冷徹なまなざしで俺を見下ろしているのがわかった。その瞳は深い海よりも暗く、ルーシの永久凍土よりも冷たい。黄金の髪が俺を縛り付ける糸のように見えた。カタリナはゆっくりと俺のところまで歩み寄ると、片膝をついて俺の手を両手で覆った。温かい。しかし、今はその温かさが途方もなく恐ろしい。
「ヨーゼフ・ハーゲン。貴殿のこれまでの忠義、しかと余の心に刻まれた。……ゆえに、貴殿を我が軍の総司令官に任命する」
「は……?」
俺が事態を把握できずに呆けていると、大佐が拳骨を頭に落としてきた。
「ほら、しゃきっとしろ! 殿下からの大命であるぞ!」
「は、ははあ。謹んで拝命いたしますう!」
畜生畜生畜生! なんてことしてくれたんだカタリナァ! これじゃあもう逃げられないじゃないか! せめて参謀にしてくれたらいいものを! なんで総司令官なんだよ!
自分の席にカタリナが戻ると、よろよろとイスに座る俺を見てにっこりと微笑んだ。傍から見れば、心からの善意だと思われるだろう。しかし、俺は気づいてしまった。やつが、カタリナがもう絶対に俺を逃がす気がないことを。
辺境伯が面白いものを見るような目でにやにやと葉巻をふかした。見世物じゃねえぞ!
「美しき主従愛ですなあ? ヨーゼフ殿。まことに羨ましい限りだ」
じゃあ代わっていただけませんかねえ? こちらとしてはいつでもその準備はできているのですが。
「ボクの総司令官はこの軍……どうする?」
真っすぐにこちらを見てくるカタリナ。全幅の信頼が鋭利なツルハシのように俺の胃に穴を開けていく幻覚が見えた。憎々しげに大佐が睨みつけてくる。寿命を削りながら俺は必死に頭を回す。
そのとき、陣営に1人の兵士が駆け込んできた。葉が服についたまま息を切らしている。
「で、伝令! フリードリヒ殿下挙兵の報を受け、帝都で討伐軍が編成された模様! その数2万! 現在こちらへ向けて進軍中とのこと!」
はあああ!? いくらなんでも早すぎるだろ!? 畜生、昨日の舞踏会に内通者が紛れ込んでやがったな!
辺境伯やクリエムヒルトの手前、俺は焦りをおくびにも出さず、大佐に目を向ける。
「大佐、連中の軍はいつ着くと思う?」
「進軍速度にもよるが、おそらく3日後には国境付近まで到達するだろう。迎え撃つならスニェーク丘が良いと愚考する」
訓練している時間はもうない。数は俺たちの方が多いが、正規軍とまともに激突したら壊滅するのは烏合の衆であるこっちだ。どうにかして交戦せずに虚仮威しで勝つ必要がある。なんだよ……いつも通りじゃねえか。
「……大佐。俺たちは今、どこにいる?」
「北のルーシ領、スメルジャコフ閣下の領内だが……それがどうした?」
俺はにやりと笑い、葉巻をふかしている辺境伯へ視線を向けた。
「閣下。外にいる2万7千の通常兵だが、あれはれっきとしたルーシの臣民ということでよろしいですね?」
「……いかにも。貧しくとも我が領民、誇り高きルーシの民ですぞ。それが何か?」
「素晴らしい。ならば勝ったも同然だ」
俺の言葉に、大佐も辺境伯も訝しげに眉をひそめた。カタリナだけが期待するような目で俺を見つめてくる。
「……いいか大佐。帝都から来る討伐軍2万は間違いなく強敵だ。けどな」
俺は地図上の国境線を指でトントンと叩いた。これはただの線じゃない。盤上に引かれた、絶対に越えてはならないデッドラインだ。
「討伐軍が俺たちを攻撃するためには、武装した2万の正規軍が、無断で国境を越える必要がある。その上で、大砲と銃で一方的に領民を虐殺するわけだ。……大佐、お前ならどうする?」
「愚問だな。殿下の敵ならば、たとえ神域であろうと踏み荒らして皆殺しにするまでだ」
「だろうな。お前みたいなキチガ……バーサーカーが敵の司令官なら、俺たちの負けだ」
俺は呆れてため息をつき、辺境伯へ視線を向けた。
「だが、相手は2万の兵を任されるエリートだ。政治的な責任の重さを嫌というほど知っている。世界大戦の引き金がかかっていると思わせることができれば……どうなるかな?」
そこまで言って、大佐がようやくハッとしたように目を見開いた。
辺境伯の指から、ぽろりと葉巻がこぼれ落ちる。
「……ハーゲン殿、まさか」
「閣下の慈悲深いお力添えに感謝しますよ。これで帝国軍は、1発の弾も撃てずに国境で指をくわえて立ち尽くすことになる」
権力のために甥をぶっ殺すヴァルデマールの犬に同情を期待しても無駄だ。ならば相手のモラルではなく外交的な恐怖を人質に取る。前線の一指揮官にすぎない男に独断で「大国ルーシとの全面戦争」の引き金を引ける度胸などあるはずがない。
「連中が国境線に到達した時、目にするのは武装した反乱軍じゃない。他国の国旗を掲げた、数万の無抵抗な難民だ」
「――撃つな! 絶対に手を出すなァッ!」
3日後。スニェーク丘に吹き荒れる吹雪の中、帝国軍の先鋒司令官の悲痛な叫びが響き渡っていた。
彼らは今、完全に凍りついていた。寒さのせいではない。目の前の国境線の向こう側にズラリと並ぶ、薄汚れた数万の民衆。そして彼らが掲げている無数の「ルーシ国旗」という最悪の盾を前にして。
『1発でも撃てばそれはルーシへの宣戦布告となる。エリートであればあるほどその重圧に耐えられず、足を止める』
俺の予言通りだった。帝国軍は抜いた剣を下ろすこともできず、かといって前進することもできず、ただ無為に雪原のど真ん中で体力を削られていく。
『……敵は雪原で足止めを食らう。数日もすれば兵糧が底をつき、凍傷者が続出するだろう。ならば、彼らが選べる道は1つしかない』
「くそっ……! 謀ったな、卑劣な反乱軍め……! 全軍撤退! 帝都へ引き返せ!」
司令官が血を吐くような声で撤退を命じた。大軍が重い腰を上げ、後ろを向き細い雪道に長い撤退の列を作り始める。彼らの背中は「これで国際問題にならず済んだ」という安堵に緩みきっていた。
『大佐、お前の出番はそこからだ。敵が諦めて背を向けた瞬間――』
丘の上から、バサリ、バサリと、無数の布が雪に落ちる音が響いた。
難民たちが一斉に「ルーシの国旗」を雪原に投げ捨てたのだ。代わりに天高く掲げられたのは、黄金に輝く「双頭の鷲の紋章」。死んだはずの皇太子の御旗である。
帝国軍の兵士たちが、信じられないものを見るように振り返る。外交の盾が、一瞬にして皇太子の槍へと反転した。
『……偽装の旗を捨てろ。そしてお前は、3千の精鋭を率いて敵の無防備な背後に突撃するんだ。いいか、これは戦争じゃない(だからちょっと脅すだけでいいぞ)』
「――ただの『処刑』だッ!!」
総司令官の冷酷な命令を、大佐――クリエムヒルトが狂喜の咆哮と共に代弁した。
雪煙を上げて斜面を駆け下りる3千の狂戦士たち。完全に無防備な背中を晒していた帝国軍2万の列に、彼らは文字通り鋭利な刃となって突き刺さった。
「ひ、ひぃぃっ!?」
「敵襲ゥ! 陣形を立て直――ぎゃああっ!」
悲鳴と怒号、そして血しぶきが真っ白な雪原を汚していく。もはや指揮系統は崩壊し、逃げ惑う帝国兵が同士討ちを始めるという地獄絵図。
はるか後方の安全な丘の上からその惨状を見下ろしながら、俺は激しい胃痛に襲われてその場にうずくまった。
「ちょっと牽制して追い払えっていっただけだろ……っ! なんで敵を殲滅する勢いで殺しまくってんだよあの脳筋はぁぁッ!」
俺の悲鳴は戦場の喧噪にかき消され、誰の耳にも届かなかった。