偽皇帝の脚本家   作:束田せんたっき

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人は決して騙されるのではない。自ら騙されるのだ。――ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

「……あと1枚。この孤児院の売買記録の年代を少しずらして、公爵の筆跡を真似れば完璧だ……」

 

 帝国の公文書偽造という、バレれば即座に極刑が確定する綱渡りの作業。その緊張感すら、今の俺にとっては心地よい子守唄だった。

 丸3日。一睡もせずに、数百枚の羊皮紙と格闘し続けたのだ。俺の精神力は限界を超え、今はただの書類作成マシーンと化していた。最後の印章を押し終え、俺は事切れたように机に突っ伏した。これでようやく眠れる。

 

 バンッ!

 

「ヨーゼフ! 起きろ、朝だぞ!」

 

 俺の安眠は、司令官室の扉を蹴破る音と、無駄に元気なクリエムヒルトの大声によって粉砕された。

 

「……うるせえ脳筋。あと3日寝かせろ」

「寝言をいっている場合か! 北部の代表団が、決闘の場であるヴィントミューレ平原に到着したとの報が入った! 殿下はすでに出立なされたぞ!」

「……は?」

 

 俺は目の下の隈をこすりながら、ゆっくりと顔を上げた。

 そうだった。今日は北部のオッサンとの決闘の日だ。俺が観客席で最後の仕上げをしなければならない重要なイベントじゃないか。

 

「くそっ、行くぞ大佐! 俺を馬に乗せろ、自分じゃ立てねえ!」

「まったく、情けない男だ!」

 

 俺はクリエムヒルトに土嚢のように担がれ、慌ただしく戦場へと向かった。

 

 

 

 決闘の舞台となった平原には、すでに両軍の兵士が見届け人として整列していた。中央の広場には、2つの影がある。

 一方は、我らが最高傑作カタリナ。白馬にまたがって瀟洒な軍服に身を包み、マントを風になびかせて悠然と立っている。その姿は、戦場に咲いた一輪の黄金の薔薇のように美しく、そして不遜だった。

 ……なるべくおとなしい馬をあてがったが、大丈夫だろうか。あいつ、乗馬とかしたことないだろ。

 対するもう一方は――

 

「フハハハハ! 我こそが地獄からの使者ッ! 僭称者キラーにして復讐に燃える男ッ! 皇太子フリードリヒであるッ!」

 

 思わず吹き出しそうになった。

 そこにいたのは、見事な金髪と、立派な髭を蓄えた、身長2メートルはあろうかという巨漢のオッサンだった。どう見ても40代だ。過酷な逃避行で老け込んだとかいうレベルじゃない。生物学的な奇跡でも起きない限り、あれが15歳の皇太子なわけがないだろう。というか地獄からの使者ってなんだよ。地元に帰れ。

 

 だが、やつが跨っている馬は素晴らしかった。

 鮮やかな栗毛の巨体。筋肉質な脚。俺たちが辺境伯の金で裏ルートから手配した、元サーカス団のスターホースだ。何も知らないオッサンは、ご機嫌な様子で馬の首を撫でている。

 俺はクリエムヒルトと共に、最前列の観客席に座った。懐のポケットには特注の犬笛が忍ばせてある。

 

「両者、構え!」

 

 審判役の兵士が声を張り上げる。オッサンが巨大な戦斧を振り上げ、馬腹を蹴った。

 

「情け無用ッ! 死ねい小童ァァァ!」

 

 ド、ド、ド、ド! と地響きを立てて、重戦車のような人馬がカタリナに向かって突進していく。

 まともにぶつかれば、カタリナの華奢な体などひとたまりもない。平原の赤いシミになるだろう。

 

「殿下ッ! 危険です、お避けください!」

 

 隣でクリエムヒルトが悲鳴を上げ、腰を浮かす。

 だが、カタリナは動じない。涼しい顔で迫りくる死の塊を見据え、ゆっくりと腰の剣に手をかけた。

 

 ――今だ。

 

 俺はマントの襟に顔を埋め、思い切り犬笛を吹き鳴ら……あれ? 何か詰まっていて鳴らないんですけどおおお!? まずいまずいまずい、何で事前に確認してねえんだよ俺のアホォ! あ、三徹中でした! そうじゃなくて、いやマジでやばい!

 顔面蒼白で笛を持ってあたふたしている俺に大佐がいった。

 

「おいどうするんだヨーゼフ! これで殿下の御身に何かがあってみろ! 私は貴様を殺して自分も死ぬ!」

「クリエムヒルト! これ吹いてみろ!」

「え、は? 笛? わかった!」

 

 クリエムヒルトが息を大きく吸って吹き込むと、その尋常じゃない肺活量によって詰まっていたゴミが取れ、人間には聞こえない、高周波の音が平原を切り裂いた。次の瞬間、サーカス時代に体に叩き込まれた条件反射が名馬の肉体を支配する。

 

 ヒヒィィィン!

 

 全速力で走っていた馬が、突如として前足をつっぱり、急ブレーキをかけた。それだけではない。そのまま前膝を折り、観客席に向かって優雅な「お辞儀」のポーズをとったのだ。

 

「ぬおおおおっ!?」

 

 物理法則は残酷だ。馬は止まったが、乗っていたオッサンは止まらない。慣性の法則に従い、巨体が砲弾のように鞍から射出された。

 オッサンは哀れな放物線を描きながら空を飛び――

 

 ズボォォォンッ!!

 

 カタリナの足元から数メートル離れた、前日の雨でできた巨大な水たまりに、顔面から豪快に突っ込んだ。

 

 時が止まったような静寂。

 やがて、泥まみれのオッサンが、溺れかけたカエルのような声を上げて顔を上げた。

 

「ぶはっ! ごぼっ、な、何が……!?」

 

 その瞬間。両軍の兵士たちから、どよめきが起こった。

 

「……おい、見ろよあれ」

「ああ……光ってやがる……」

 

 泥で汚れたオッサンの頭部が、太陽の光を反射してツルリと輝いていた。見事なハゲ頭だ。そして、少し離れた背後の泥水の上に、無惨に泥を被った「金髪のヅラ」がポツンと浮いていた。

 

 ……は?

 

 俺は息を呑んだ。

 いや、待て待て待て。ハゲてたんかい! 俺はただ馬を急停止させて、大衆の面前で泥水に落として威厳をぶち壊そうとしただけだぞ! ちょっと失敗しかけたけど! ヅラが吹き飛ぶなんて想定外だ! それにしてもよくこんなクオリティでフリードリヒを名乗ろうと思ったな!

 

 沈黙を破ったのは、隣にいたクリエムヒルトの震えるような大音声だった。

 

「お、おおおお……っ! 見よ、全軍!  そして恐れよ!」

「え? 大佐?」

「我らが殿下は剣を抜かれただけで、敵将の馬を平伏させ、あろうことか偽りの皮をも不可視の斬撃で吹き飛ばしてしまわれたぞ! これぞ神に選ばれし真の皇帝の威光なり! フリードリヒ殿下ァ! 万歳ッ!」

 

 いや、不可視の斬撃って何だよ! ただの慣性の法則だろ! というかお前さっき吹いた笛どこにやった!?

 よく見ると、少し離れた泥の中に木製の笛が見えた。いやイカサマの証拠を投げんじゃねえ!

 

 だが、大佐の狂信的な叫びが導火線となり、平原は爆発的な大爆笑と熱狂の渦に包まれた。いや、違うけどな。ただのイカサマと物理法則なんだけどな。まあいい。結果として、北部の偽物は完全に再起不能になった。

 カタリナは剣を鞘に納めると、泥の中で震えるハゲたオッサンをゴミを見るような目で見下ろし、一言だけ吐き捨てた。

 

「ヨーゼフの足下にも及ばないね。……次は、もう少しマシな役者を用意しなよ」

 

 完全勝利だ。

 この直後、ただでさえ俺が事前に美少年の肖像画をバラ撒いて不信感を煽っていた北部の諸侯たちは、「あんなハゲを担いだせいで大恥をかいた!」と互いに責任をなすりつけ合い、またたく間に内乱状態に陥って瓦解した。

 一滴の血も流さず、笑い者にすることで1つの勢力を崩壊に追い込んだのだ。俺は安堵のため息をつき、泥のついた犬笛を回収するとそのまま倒れ伏した。

 

「……ヨーゼフ! しっかりしろ、ヨーゼフ!」

 

 遠のく意識の中でクリエムヒルトの声を聞きながら、俺は思った。

 あと2人。このバカげたサーカスを、あと2回も続けなきゃならないのか……。

 

 

 

 というわけで、北部のバカどもは自滅した。これでゆっくり眠れ――

 

 数時間後。再び司令官室のベッドで微睡んでいた俺の首根っこを、クリエムヒルトが無情にもつかんで引きずり起こした。

 

「寝ている場合か! たった今、西部の自由都市コルベスから使者が来たぞ!」

「……はぁ? なんだって?」

「やつらめ、『我が都市の平和の祭典において、どちらが真の皇太子か神聖なる試練で白黒つけようではないか』などと抜かしおった! これは明確な挑発だ!」

 

 痛む胃を押さえながら、俺は深くため息をついた。

 北部のふざけた前座が終わったと思ったら、休む間もなく次のろくでなしが動き出しやがった。しかも今度は、金の力で動く厄介な商人たちと、見栄えの良い本職の役者だ。畜生。

 

「馬車の準備だ。それから、辺境伯に伝えておいてくれ。留守は任せた、と」

 

 正直あの油狸に拠点を任せるのは気乗りしないが、人手不足なのだからしょうがない。俺は胃薬を一錠口に押し込みながら、上着を羽織った。

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