あっという間に夏が過ぎ。
9月を迎えたトレセン学園は、秋シーズンを控えるウマ娘たちの活気に包まれていた。
「...。」
まだ夏に近い気候であっても、多少は涼を感じるようになった朝方。
マスカレードは制服姿で、一人朝食の為に食堂へと向かっていた。
いつもであれば同室のソールと一緒なのだが、今日はそのソールが見当たらない。
マスカレードが起床した時にはいなかったので、何かしら用事があるのだろうと流す反面。
あの優しい先輩が自分に何も言わないなんてことがあるのかと、釈然としない気持ちもある。
だがまあ、そんなことは後で聞けばいい。
結局はまた部屋で会えるのだから、今は食べる物でも考えておこう。
「デザートは、カツ丼...?」
最近は食欲も出てきて、それなりに状態が上向いている気もする。
今日もたくさん食べて、たくさんトレーニングをしなくては。
そう内心意気込みながら、やはり真顔のまま食堂へ足を踏み入れる。
「お。」
「あ...。」
まだ人気の疎らな食堂で出会したのは、同期で同級生のミュージアムマイルだった。
挨拶をするでもなく軽く見つめ合った後、何事もなかったように食事を取りに並ぶ。
希望通りの朝食を選び、静かに過ごせる座席を探す。
しかし、ちょっとした問題があった。
何故かは分からないが、ミューズがマスカレードをまるで追うようにくっついて来るのだ。
お気に入りの場所と被ったのかとそこから離れ、お盆を持ったままグルっと座席を見て回る。
けれど結局後ろを振り返ると、やはりミューズがそこにいるのだ。
「...何?」
「いや、一緒に食おうかと。」
「なぜ?」
「何となく?」
露骨に嫌そうな顔をして、けれどせっかくのご飯を冷ますわけにもいかず。
観念するように、マスカレードは近くの座席に着き。
ミューズはさも当たり前のようにマスカレードの真正面の席に座った。
「なんだよ、同じ釜の飯食った仲だろ?」
「馴れ合うつもりは」
「馴れ合いじゃなくて、最低限のコミュニケーションだって。な?」
「......はぁ。」
溜め息を吐き出し、ホカホカと湯気が立ち上る味噌汁を一口啜る。
このマスカレードとミューズ、夏休み前はウマが合わずそれなりに険悪な雰囲気だったのだが。
例の特別合宿で、主にミューズの方に心境の変化があったらしい。
それ以降、事あるごとに気軽なコミュニケーションを計ってくるようになったのだ。
その度に素っ気ない態度を取るマスカレードだが、ミューズが嫌気を出す様子はまったくない。
「...妹さんに起こしてもらったの?」
「何故それを!?って絶対クロワだろアイツまたいらんことをペチャクチャと...!」
マスカレードはマスカレードで、ちゃんとミューズのだらしなさを把握していたり。
端から見れば立派な雪解け済の関係。
友だちにしか見えないと、そうわざわざ言う必要もないだろう。
「んで?どうよ、調子は。」
「ノーコメント。」
「自信ないなら回避をおすすめするぜ。」
「アタシは寝坊しない。」
「オレもギリしてねぇよてかしないからな!?」
今秋、クラシック世代でありながらシニアGⅠの"天皇賞(秋)"に参戦する二人。
一番身近なライバルの近況が気になるのは当然のこと。
とは言っても、彼女たちが望むのは万全な状態での打倒。
ある意味心配し合っていると言ってもいい。
「...アイツ、今頃走ってんのかなぁ?」
「...寂しいんだ?」
「ちげーよ。また強くなってんだろうなってさ。」
話題は天皇賞から、彼女たちの最大のライバルの話に。
菊花賞に出ない以上、マスカレードたちのクラシック戦線はある意味決着したと言える。
あのダービーウマ娘に借りを返せるのは、有マか。それともシニア期か。
応援というよりも、帰って来てからのことをつい考えてしまう二人。
互いにその気持ちだけは同じなんだろうと分かってしまい、少しだけ頬が弛む。
「今度は
「ダービー、凱旋門賞ウマ娘。それを倒した、最強のウマ娘。名前に箔が付くだけ。」
「ハッ。違いねぇ。」
必ず自分が倒す。
だから、勝って帰って来い。
そんな静かなエールを胸に抱き、ライバルたちは穏やかな朝を過ごす。
クロワデュノールの凱旋門賞挑戦まで、後1ヶ月のことだった。
――――――――――――――――――――
朝靄の浮かぶ早朝。
日本とは違う広く深い芝の上を、二人のウマ娘が疾走していく。
「っ...!」
「気負わず、そのままのペースです...!」
併走する青鹿毛と芦毛のウマ娘。
青鹿毛のウマ娘がペースを上げようとするのを制し、クロノジェネシスはあくまでも併走に注力するよう呼び掛ける。
青鹿毛のウマ娘、クロワデュノールは呼吸を落ち着かせながら、何とか速度をそのままにゴール地点を通過する。
「お疲れ様、二人とも。」
走り終えて息を整えるウマ娘たちに、彼女たちのトレーナーがタオルとドリンクを手渡す。
笑顔のクロノと対象的に、ノールはどうも浮かない顔をしている。
「...やっぱり、慣れないかな?こっちの芝は。」
「対応は出来そうなんですが、どうしても勝手が違くて混乱しちゃって...。」
ダービーウマ娘、クロワデュノールは凱旋門賞挑戦の為にここ、フランスはパリにやって来ていた。
最初の数日間は時差ボケ等身体の調子を整えることに使い果たし、漸くまともな練習が出来るようになったのが先週後半から。
二週間後には前哨戦であるGⅢ"プランスドランジュ賞"を控えている為、多少焦りを覚えている状態だった。
「それでも、大分良くなって来たと思います。普通のウマ娘ならもっと良化に時間がかかりますから。」
クロノに励まされるノールだが、足下の芝を難しい顔で軽く踏み締める。
予想外に深く沈む感触に、つい大きな溜め息を吐いてしまった。
「よう!やってるな、トレーナー!」
微妙な空気に包まれるノールたち。
その雰囲気を断ち切ったのは、快活でどこか幼い印象も受ける女性の声だった。
「佐岳さん、お疲れ様です。」
「「おはようございます!」」
「おはよう!今日も元気そうだな。」
トレードマークの黄色い帽子にジャケット、大きめのリュック。
身長は低めながら、自信に満ちた端正な顔の少女。ではなく、女性。
"佐岳メイ"はURAのトレセン学園強化部門に所属しており、特に凱旋門賞に対する造形が深いことで有名だ。
秋川理事長と個人的な知り合いらしく、その縁もあって主に凱旋門賞を目指すウマ娘のサポートを担当してくれている。
以前出走したクロノとは当然面識があるようで、今回も二つ返事で案内を買って出てくれたのだった。
「と、言いたいところだが。何か問題か?」
「問題というか...」
「...すみません。俺が上手く指導出来ないせいで、ノールを焦らせてしまっているみたいで。」
「トレーナーさんのせいじゃないですよ!?私が飲み込み悪くて」
「ストップ!仲が良いのはいいが、両方マイナス思考じゃ困る。」
現状を自分のせいだと卑下する双方を窘め、クロノから事情を聞くメイ。
"なんだそんなことか。"と笑い飛ばし、帽子の鍔を握って胸を張る。
「焦ることはない。今はただ、アウェーに体を馴染ませることだ。来る前にレースの特徴やコースの特性は頭に入れて来てあるんだろ?」
「それは、まあ...」
「勿論、詰め込めるだけ知識は入れてありますが...。」
凱旋門賞出走を決めてからと言うもの、ノールたちはあらゆる知識書を読み漁った上、ロンシャンで行われたたくさんのレース映像を研究した。
座学だけならほぼ満点を取れるレベルだ。
ただ、はっきり言ってそれだけで勝てる程凱旋門賞は甘くない。
故に、こうして調子の上がらない現状に歯噛みしてしまっているのだが。
「凱旋門賞における一番の敵は
何故今まで日本のウマ娘は凱旋門賞を勝てていないのか。
その理由の大部分は"適性"という一言で説明出来てしまう。
言ってしまえば、凱旋門賞に挑戦する
日本で凱旋門賞に挑むウマ娘と言えば、大体が強豪のGⅠウマ娘を思い浮かべるだろう。
"日本のGⅠを勝っている"。
それはつまり、日本のレースに慣れてしまっているということに他ならない。
ある程度実力を示してから凱旋門賞に向かうのに、その時にはすっかり日本のレース専門になってしまっているのだ。
故にいくら前哨戦を挟もうと畑の違う舞台に立たされていることに変わりはなく。結果として実力も出せずに返り討ちに遭っているというのが、この悲願の実態なのである。
「言い換えれば、能力に関して日本のウマ娘が欧州のウマ娘に劣っているなんてことはない。ダービーを見たが、クロワデュノールの能力は十分凱旋門賞に手が届くレベルだ。経験の少ないクラシック世代だからこそ、適応力も期待出来る。」
「だから、今はとにかく慣れろ。ですか?」
「そうだ。心が悲観的になればなる程、体も強張って適応を拒むようになる。"やれる!こんなの楽勝だ!"そう思って、ただ走ればいいのさ。」
心と体のバランスがレースに与える影響なら、ノールも強く実感したばかり。
メイの激励を受け、その瞳に闘志が灯る。
「私、もう少し走ってきます...!」
「あ!ノールちゃん!?」
元気よく駆け出していくノール。
呼び止めるクロノを制し、トレーナーは静かにその後ろ姿を見守る。
「ありがとうございます、佐岳さん。俺が言わなきゃいけないことだったのに。」
「気にするな。私だって、本当はもっと日本全体で彼女を支えるような...
昨今、凱旋門賞への挑戦は賛否両論の的となっている。
先程の適性という話が世間に浸透し、それ以外の海外で日本のウマ娘が活躍。
イクイノックスが凱旋門賞なしに世界最強と認められたこともあり、"わざわざ合わないレースに出す必要があるのか"という声は少なくない。
実際、凱旋門賞に出したせいでその後のレース人生を崩してしまったウマ娘もいる。
否定的なトレーナーは普通にいるし、学園側も"悲願"という言葉を"呪い"にはしたくないと、少々及び腰になっているのだ。
「大丈夫です。きっと...必ずノールが、道を切り拓いてくれます。彼女は俺たちの、最強のウマ娘ですから。」
「...あぁ、そうだな。そう信じよう!」
適性も呪縛も関係ない。
何故なら、あのクロワデュノールこそが最強のウマ娘なのだから。
彼女は必ず勝つ。
凱旋門賞を勝って、必ず彼女の憧れを超えていくはずだ。
トレーナーとしての矜持をブレさせず、ひたむきにノールを信じるトレーナー。
いつの時代に見ても眩しく感じるその信頼関係を横目に見ながら、メイはいつか届くであろう、その遠き玉座に微笑むのだった。
――――――――――――――――――――
「はぁ~...」
盛大な溜め息を吐き出して、勢いのままにベッドへダイブする。
フカフカの感触が気持ちよくて、少しだけ癒されたような心地になる。
「疲れた...」
主に気疲れだけど。
今日の練習を終えて、時間はたぶん朝と昼の間くらい。
詰め込み過ぎても調子を崩すということで、この後は丸々OFFということになっている。
「...練習、したいなぁ。」
今まで誰一人として、日本のウマ娘が勝つことの出来なかった舞台。
自分が本当にあの凱旋門賞に挑戦するんだと思うと、緊張というか焦りというか。
とにかく居ても立ってもいられない心境になってしまう。
メイさんは焦らず慣れていけばいいって言ってくれたけど...。
「...。」
スッキリしない心持ちで、何かをしようとも思えずその場をゴロゴロ。
寝落ちするなんてこともなく、自然と手は枕元のスマホに伸びる。
何となくギャラリーを開いて、今まで撮った写真を見返す。
トレセンに入ってからの写真だと、当然誰かしらと写っているものが多いわけで。
知り合いが出てくる度に、"ちゃんと起きれてるかなぁ?"とか。
"また強くなってるのかなぁ?"とか。
"輝いてるんだろうなぁ。"とか、そんな感想が浮かんで来る。
そうしてしばらく思い出の振り返りをしていると、ある1枚の写真でスワイプする指が止まった。
ダービーを勝った日に撮った、"お姉とのツーショット写真"だ。
自分が勝ったみたいに号泣するお姉に釣られて、私も泣けてきてしまって。
結局二人してボロボロの顔で撮ることになった写真。
『大丈夫。ノルちゃんならきっと出来るよ。なにせあたしの自慢の妹だからね!』
空港でお母さんと一緒に見送ってくれたお姉の言葉を思い出し、気付けばメッセージアプリでお姉のチャットを開いてしまっていた。
「...甘え癖っ!」
寸でのところでチャットを閉じ、また甘えようとした自分をポカポカと殴って反省させる。
こんなんじゃダメだ。
私はダービーウマ娘で、キタサンブラックの妹なんだから。
このくらいで弱気になってたまるもんか。
「...どこか行ってみよ。」
部屋にいてはどうもナーバスになってしまう。
気持ちを切り替える為にも、少し外に出てみることにした。
必要最低限の荷物を持って、ベッドにしばしの別れを告げる。
「観光、そういえばしてないし。」
思えば、ゆっくりパリを観光するタイミングは今までなかった。
遊びに来たわけではないとはいえ、我に返ると少し勿体ない。
一人というのは不安だけど、私だって今やGⅠウマ娘だ。
スマホさんの翻訳機能と、お小遣いにしては多いユーロがあれば何とかなるだろう。
期待半分、不安半分の気持ちでホテルのロビーまで移動する。
「あ。流石にトレーナーさんたちに一声掛けるべきだった。」
家出だと思われては困る。
何かあればチャット出来るって油断してしまった。
...でも、もし二人っきりでいい感じになっていたらどうしよう?
お二人にとっても悲願の地パリ。
トレセン学園を離れることで、進展のなかった二人の間に急激な変化が。
なーんて。
「きゃー...///」
私はお二人のデートの口実でしたか!
光栄です!なんちゃって!
そうなるとおいそれと声掛けられないし、後でチャットしとけば問題ないよね。
帰った時にトレーナーさんとクロノ先輩が更に仲良しになってたらどうしよう。
きゃー、気まずい!でも嬉しい!
「なんつって!///」
「もし。そこのジャパニーズUMAMUSUME。」
ロビーで一人盛り上がる私の目の前に、いつの間にか誰かが立っていた。
フランスの地でまず聞かないはずの日本語に驚きながら、その誰かを観察する。
一言で言えば、"美人"だった。
ウマ娘の美人さん。
帽子から出している耳に、腰から見える尻尾を見間違えることはない。
黒いドレス姿は絵本の舞踏会に出てくるような綺麗さで、顔はベールでよく見えないけど端正なことは分かる。
身長も高くて、一見するとフランスのウマ娘さんって感じ。
大人っぽい葦毛さんだなぁ...。
「Can you speak japanese?」
「い、イェス...じゃなくて、はい。...ん?」
「よろしい。丁度いいところに手頃でいいサイズのこじゃり娘がいましたわね。」
何で日本語話せるかをわざわざ英語で聞いたんだろ?
そこはフランス語では?
というか、こじゃり...?
評され方が完全に鮮魚コーナーのししゃもなんだけども。
怒った方がいいのかな?
葦毛の美人さんは扇子を優雅に扇ぎながら、愉快そうに私を下から上に見流す。
「あなた、お暇でして?」
「え。いや、暇というか」
「顔が心底暇そうですもの。ワタクシと出会えて幸運でしたわね。」
顔が暇とはなんだ額に"暇"なんて書いてないぞ!
なんて、初対面の人に言えない辺りやっぱり私は日本人。
でも、とにかく失礼でいきなりな人だな。
せめて顔だけは嫌な表情にしとこう。
「あなたをワタクシの"案内人"にして差し上げますわ。」
「はい?」
「ワタクシ、フランス語はフィーリングとボディランゲージに頼るタイプですの。」
「はぁ。」
「そんな弱々しく可憐で美しいワタクシが一人でパリを観光なんて、可哀想で可愛くて仕方がないでしょう?」
「ほぉ。」
「なので、あなたが案内しなさい。」
「...え?」
言っている言葉は分かるけど、まったくその意味が分からない。
私が案内?パリを?何で?Why?
思考が混乱してフリーズした私の腕を、葦毛の美人さんがガッチリとホールドして来る。
ここで漸く、私は自分が危機的状況に置かれていることに気付いた。
「行きますわよセバスチャン。」
「ちょっ!?私そんなカレン先輩みたいな名前じゃないし案内なんて出来るわけって力強ぉっ!?」
追い付かないツッコミに気を取られたのが運の尽き。
"セバスチャン"というありきたり過ぎるあだ名を付けられ、葦毛さんの怪力に成す術なく引き摺り拉致られてしまうのだった。
――――――――――――――――――――
「わぁ~!写真で見たやつだ~!」
心地よい風を受けながら、遠くても確かに見える"エッフェル塔"に年相応にはしゃぐノール。
今彼女がいるのは"セーヌ川"の上。
つまり、クルーズ船に乗船しているのである。
「それにしても本当に助かったよ...ダイヤ姉がいてくれてよかったぁ~...。」
「こういう時はキタちゃんより頼りになるでしょ?」
「なるなる!お姉なんてたぶん"あたしに任せて!"って言った後ガイドブックと小一時間格闘し始めるだけだもん!」
「ふふっ。そこがキタちゃんのいいところなんだけどね。」
見るからにお嬢様な服装で傍らに立つウマ娘、サトノダイヤモンド。
クルーズ船が緑と黄のカラーリングだったり、妙に様になっているご令嬢。
それもそのはず、実はこのクルーズ船は
30分程前、謎の葦毛美人に無理矢理パリ観光案内を強いられたクロワデュノール。
初対面なのに本能的に従わないとヤバい気がして逆らえず、逃げようにも逃げられなかった。
しかし、案内しろと言われてもノールだって観光客側。
名所の名前を知っていても位置関係や行き方など分かるはずもない。
困り果てたノールが最後の手段として頼ったのが、もう一人の姉であるダイヤだったのだ。
実は感動的にノールを送り出したキタサンとは違い、フットワークの軽いサトノのお嬢様は旅行感覚でこの凱旋門賞遠征に同行。
当然のようにパリを楽しみ尽くしていた。
そういうわけで、可愛い妹分のSOSに素早く駆け付けたダイヤはその場で"セーヌ川クルーズ"を提案。
川から一望出来る名所の数々を眺めて、まずはどこに行きたいか決めてはどうかと葦毛美人を説得してくれたのである。
特に自己紹介もなく二人が自然に会話していたのは不思議だったが、ノールにとってはまさに地獄に仏。パリでダイヤ姉。
そこそこドジも踏むキタサンと比べて、姉の威厳という点ではかなりリードを広げたと言っていい。
「これで後は好きなところに行ってくれるはず...。」
視線は船頭で腕組み仁王立ちを決める謎の葦毛さんへ。
まるでマグロ漁船みたいな雰囲気だが、彼女の格好と船の見た目は洋画劇場なので頭がバグる。
そんな様子がツボなのか、定期的に葦毛さんを見たダイヤは吹き出しては耐えてを繰り返している。
ああいうシュールなのが好きなんだなぁ...と姉の新しい一面を記憶するノールだが、ツボっているのはそこではない。
そうやって気付いていないノールも含めて、ダイヤには相当に笑えてしまうのだろう。
「それで?練習は順調?」
「順調、なのかなぁ?やっぱり適応するのが大変っていうか。メイさんは慣れれば大丈夫って言ってたけど。」
「そっか...うん、私もノルちゃんなら大丈夫って思うよ。」
日本ダービー前とは違い、今度は明るく素直な気持ちを話すノール。
ダイヤは努めて笑顔で励ますが、ノールはその様子に僅かな
「私も、大丈夫って思うことにする。そんなに心配してくれるなら、ダイヤ姉も一緒に練習すればいいのに。みんな喜ぶよ?」
「私は...凱旋門賞に関して伝えられること、何もないから。だから、ごめんね...。」
「ダイヤ姉...。」
沈んだ表情で"自分では役に立てない"と返答するダイヤ。
ノールが凱旋門賞に挑戦すると話した時も、キタサンは驚いた後すぐに応援を返してくれたが、ダイヤは難しい顔でしばらく押し黙ってしまっていた。
それが実際に挑戦した者の反応なのだと、ノールは悟った。
凱旋門賞が与えた傷が、未だダイヤの中に残っていることも。
「...大丈夫、絶対に勝つから。不安になることなんてないよ。だって、やってみなきゃ何も始まらないんだから!」
「!...そうだね。怖がってたら、勝てるレースも勝てないもの。楽しみにしてるね?凱旋門賞ウマ娘。」
「うん!任せて!」
自分に出来るのは、明るく笑って彼女の希望になることだけ。
ノールの成長し、頼りたくなるような強さに親友の面影を重ね、ダイヤは笑顔を取り戻す。
本当にそっくりで妬けてしまうと、心の中で愚痴りながら。
「もし。サトノの。なかなか素晴らしいクルージングですわね。褒めて差し上げますわ。」
「ぷっ...喜んで頂けて光栄です。」
「おかげ様で、ワタクシが行くべき道をしかと見定めましてよ。」
「よかった。じゃあ船を降りたらタクシーを呼んで好きなところに」
「
「はい...?」
クルーズ船が陸に近づく中、満足そうにダイヤに感謝する葦毛さん。
もうお別れだと内心ホッとして挨拶しようとするノールを遮り、というかズタ袋に突っ込み。
それを小脇に抱えた葦毛さんは、各名所を順繰りに指差し堂々とした宣言を始める。
「どれもこれもインスピレーション!ワタクシが見るに相応しいパリっとした食感ですわ!全て見るまで帰りませんわワタクシ!案内しなさいセバスチャン!」
「前が、前が見えないっ!?!?」
ジタバタと暴れるノールだが、葦毛さんのパワーには遠く及ばず抱えられた荷物状態。
視界も塞がれ割とガチ目な恐怖を感じているものの、今回はロビーとは話が違う。
大好きで頼れるお姉さんが、必ず私を助けてくれるはず。
今こそ姉妹の絆が火を吹く時!
ノールの期待に応えるように、ついにダイヤがその口を開いた。
「いってらっしゃい!ノルちゃん!」
「助けてよお姉ちゃあぁぁ~~んっ!?!?」
希望と真反対に送り出され、ノールは涙ながらに断末魔の叫びを上げる。
せめてもの救いはダイヤの満面の笑みが彼女からは見えなかったことだろう。
船を飛び降りた葦毛美人がノールを抱え、ダイヤの視界から消えるまで10秒とかからなかった。
やはり万国共通、ウマ娘の脚は早いのである。
こうして正式に開幕した、謎の葦毛美人との大変不本意なパリ観光ツアー。
若きクロワデュノールの運命や、如何に。
――――――――――――――――――――
そこからは意外や意外。
非常にテンポよく観光は進んで行った。
まず手始めに向かったのは"エッフェル塔"。
誰もが知る、パリのランドマーク。
つまり、観光客はこぞって向かうのでいつも基本的に大混雑。
急に行って登れるもんじゃないと、現代っ子のノールは諦めムード。
しかし、あの謎葦毛は違った。
スマホと翻訳アプリを華麗に扱い、
"予約してたNavire d'orですわ。"
と受付に予約票を提示。
列を成す有象無象を尻目にするりとエレベーターに案内され、気付けば展望エリアにやって来ていた。
『え?何で予約してるんです?』
行き方も分からないし、どこを行くかも決めていない。
葦毛は確かにそういう風に話していたはず。
なら何故予約をしているのか。
それではまるで、今までのゴタゴタが全て茶番だったかのようではないか。
"よく考えたら私案内してないし、もしかしなくても一人で来れましたよね?"
そう言いたかったが、言えなかった。
『支配者のポーーッズ!人がゴミのようですわぁ!!』
言ってもたぶん、まともな回答が返ってくることはないと悟ったからだ。
諦めて、とりあえず友達に送る用の写真を撮ることにした。
パリを見下ろす構図で、コメントは勿論、『支配者、なう。』である。
『あぁダメですって登っちゃぁ!?』
『離しておくんなまし!ワタクシも天に羽ばたくファンタジーになりたいんですの!!』
続いてやって来たのは"アレクサンドル三世橋"。
華麗な彫刻や街灯が特徴で、セーヌ川から見た時もよかったが、実際に足を運ぶとよりその素晴らしさを実感出来る。
惜しむらくは、夜の方がライトアップで美しさが際立つことだろうか。
葦毛が暴走して柱の彫像に登ろうとしたが、それは流石に死ぬ気で阻止した。
こんなところで恥を晒せば、日本のウマ娘の評判はガタ落ち。
一生ネットの笑い者である。
『ふむ。ブラーボ。これが印象派というやつですのね。』
『それただの柱です。』
だんだん扱いに慣れてきたノール。
3つ目の観光名所である"オルセー美術館"では、パンフレットとスマホを使いこなし本日初の案内に成功。
ガチ目な芸術にふざけ方が分からなかったのか、比較的大人しい葦毛の手綱を握り、見事穏便な観光を実現してみせた。
正直ノールには絵画やら彫刻やらは理解し切れなかったが、ゴッホだけはギリギリ知っていたので、お土産によく分からないキーホルダーを購入しておいた。
ミューズに渡せばきっと喜ぶだろう。
このツアーで恐らく唯一の収穫と言っていい。
"漸く楽しくなって来たぞ!"
そう思ったのが間違いであった。
「はぁ...どこ行ったんだろ、あの人...。」
そして時間軸は現在へ。
ノールは今、
正確には、美術館という名の
例によって、ここもきっちり予約済だった謎の葦毛美人。
最早ツッコまず館内の美術品を調べていたノールだったが、ふと視線を見上げるとあのでかい葦毛が忽然と姿を消していたのだ。
慌てて周囲を確認するが、あの変人の姿はどこにも見当たらない。
何となくで館内を移動し探索するも、こういう時に限って目立つ行動はしてくれないらしい。
まったく足取りを掴めず、ついでに自分がどこにいるかも分からない。
迷子を探していたらいつの間にか迷子になっていた。
所謂、"二重遭難"というヤツである。
「どうしよう...捜さないで出口に行った方がいいのかな?でも道がどっちだか分からないし...。」
そもそもあの葦毛はここで何を見るつもりだったのか。
ノールを無視してさっさと行ってしまうということは、相当見たい物があったはずだ。
必死にあの無茶苦茶な言動を思い出し、記憶を辿っていく。
『'モナリザ"という名前のウマ娘、絶対に世界に3人くらいはいますわよね。』
「......モナ、リザ?」
まさか、そんなちょっと話題に出たくらいの物が正解だったりするんだろうか。
モナリザは有名かつこの美術館の目玉で間違いないが、あの人そんなにミーハーなのか?
私はそんな単純な人に振り回されて遭難しているのか?
怒りとやるせなさと怒りを抱きつつ、他に手がかりもないと"モナリザ"の展示に向かうことにするノール。
しかし相変わらず場所が分からない為、道中誰かに道を訪ねるという翻訳マスト案件が発生してしまう。
こんなことなら、もっとフランス語の勉強をしとおくべきだった。
知っている単語と言えばボンジュールと"調子に乗んな!"くらい。
そう後悔して、今日何度目かのため息を吐こうとした時だった。
「!...あれって...。」
ノールの視線の先。
あまり見覚えのない絵画の前で、一人のウマ娘が静かにそれを鑑賞している。
私服の雰囲気から年代はそうノールと変わらないように見えるが、明るい鹿毛を縦ロールにしていたり、どことなく"高貴"さを感じる立ち姿だった。
他に声を掛けられそうな人物がいないからか、吸い寄せられるようにそのウマ娘にノールは接近する。
「...?」
「あ、えっと...」
その気配に気づき、鹿毛のウマ娘は振り返ってその瞳をノールへと向ける。
力強く輝く、自信に満ちた面持ち。
彼女に驚く様子はなく、ただ焦っているノールを観察し。
やがて耐えられないように息を吐き、その顔に笑みを浮かべた。
「Tu as encore fait tout ce chemin depuis le Japon? Juste pour perdre.」
「え、へ...?」
そのウマ娘はフランス語で何やら呟くと、戸惑っているノールにまたクスリと笑いを漏らし、咳払いを一つ。
「
「に、日本語分かるますなんですか!?」
見るからに外国人さんから出た日本語に驚き、その日本語すら怪しくなるノール。
感じのよい笑顔のまま、ウマ娘は日本語で流暢に言葉を綴る。
「日本語は少し勉強する機会があって。それで?何かお困りなの?」
「た、助かったぁ~...!実は私、道に迷ってしまって!」
地獄に仏part2。
日本語の分かるウマ娘に偶然出会えたノールは、今までの経緯を話した後モナリザへのルートを質問。
幸いなことに彼女はこの美術館に行き慣れているらしく、非常に分かりやすい説明で道行きを聞くことが出来た。
「本当にありがとうございます!このご恩はいつか必ずっ!」
「気にしないで?フランス人として、お客様には親切にしないとね。」
「いい人だぁ...私も日本に帰ったら、あなたを見習って人助けしますね!」
「ふふっ、光栄だわ。それじゃあ、よい旅行を。」
「はい!本当に、ありがとうございました!」
笑顔で去っていくノールを、同じく笑顔で見送る鹿毛のウマ娘。
ノールの背中が見えなくなるまで手を振り、見えなくなった途端
『捜したよ。また一人でこんなところに来たのかい?』
フランス語で掛けられた声の先には、褐色の気品溢れるウマ娘の姿が。
鹿毛のウマ娘は先程までと違う、不機嫌そうな顔でその声に応える。
『...また来たわよ、日本のウマ娘が。』
『凱旋門賞は彼女たちの悲願だからね。毎年一人は来るのが慣例になっているだろう?』
『毎年毎年、よくやるわね。
振り返ったその顔は笑顔でも、友好的どころか心の底から何かを馬鹿にするような、"嗤い"という表現がピッタリなモノだった。
『...
『あら、随分弱気ね
忠告に煽りを返す、リズと呼ばれたウマ娘。
穏やかだったカーラというウマ娘の雰囲気が、一瞬怒気を孕んだモノに変化する。
その圧力にリズは気付かぬうちに冷や汗を垂らすも、視線は逸らすことなくカーラを睨み付ける。
『フッ...まあ、キミにはいらぬ心配だったか。
『よく分かっているじゃない。せいぜい今は最強を謳っていなさい。』
一触即発とはならず。
どちらともなく緊張を解き、気の知れた様子で笑い合う。
並んで歩いていく二人。
余裕のあるカーラに向かって、リズは引き続き挑発的な言葉を続ける。
それは悪態というより、自らに課す"誓い"のようにも聞こえた。
『世界最強、"カランダガン"。あなたを倒すのは、この"ダリズ"よ。』
――――――――――――――――――――
ダリズの案内で、無事モナリザコーナーにかじり付く葦毛と合流出来たノール。
これで最後という言葉を半分くらいに信じて、タクシーに乗り込み数十分が経過した。
この料金は誰が払うんだろうかと一抹の不安も加えつつ、移ろう景色をぼーっと眺める。
夕焼けに照らされるパリは美しく、"何だかんだいいリフレッシュになったかも?"とも思えていた。
「着きましたわ。」
「え...ここって!?」
促され車を降りると、目の前には洋風ながらどこか見覚えのある建物、敷地が見えた。
「
フランスのレース場で最も有名かつ権威のあるレース場、それが"ロンシャンレース場"だ。
ノールの出る前哨戦プランスドランジュ賞も、本番である凱旋門賞もこのレース場で行われる。
スクーリング自体は入国直後に終えているが、開催日ではない無人のレース場はその時とはまったく違う印象を受ける。
「ウマ娘なら一度は見ておきたい場所でしょう?」
「それはそうですけど...ってどこ行くんです!?」
スタスタと先へ進んでいく葦毛美人。
まさか無理矢理入ろうとするのではと危惧するノールだったが、待っていた係員と軽く言葉を交わし、スムーズに中へ通される。
「今、フランス語喋ってませんでした...?」
本当にこの人は何者なんだろう。
逃げるなら今だったりしないだろうか?
冷や汗を浮かべながら、結局ノールはその後ろ姿を追っていく。
「あの、どこまで行くんですか?」
「...友人を待たせておりますので。」
「友人...?」
今度はどんなトンチキな人が出てくるのかと身構えていると、いつの間にかコース前の立ち見エリアに辿り着いていた。
夕暮れ時に赤く燃えるような輝きを放つ芝コース。
しかしその手前に、それ以上に鮮烈な
「...貴様。余を待たせるか。豪胆さは時に浅慮に過ぎぬことを知れ。」
「ごめんあそばせ。少々ハッスルし過ぎましたの。」
「ぇ...えぇぇぇっ!?!?」
トレセン学園生なら誰もが知っている。
鮮やかな栗毛に真っ白な流星。
威厳溢れるその佇まい。
その場にいるだけで、思わず傅いてしまいそうな程の覇気。
激情の三冠ウマ娘にして金色の暴君、
"オルフェーヴル"。
今度は看板でなく、本物だった。
「して。余が足を運ぶに相応しい余興とは、何だ。」
「彼女ですわ。」
「......私ぃ!?」
一瞬遅れて気付く無茶振り。
ただでさえあのオルフェーヴル本人の登場で慌てているのに、その上面白いことをしろとは何事か。
それを聞いたオルフェーヴル、心なしか眼光鋭く圧もマシマシになっている気がする。
怒っているのは火を見るより明らかだった。
「というのはジョーダンですけれど。」
「今その冗談いりますか...!?」
「彼女、凱旋門賞に出るそうなんですの。」
「何でそれを!?」
「ほう。」
初対面のはずの葦毛さんの口から告げられる、クロワデュノールの凱旋門賞挑戦。
"やっぱりこの人、全部分かってて私を連れ回してたんだ!"
"でも、何故?というか誰?"
混乱と緊張で、ノールの頭はもうぐちゃぐちゃである。
「先輩として、何かアドバイスをして差し上げたらいかが?」
「知らぬ。戯れ言は終わりか?」
怒っているから当然というか、恐らく怒ってなくともこの反応なのだろうが。
オルフェは少しもノールに興味を示す様子がない。
葦毛さんにとっても予想通りだったのか、ニヤリと笑って更に言葉を続ける。
「よろしくて?彼女はこの舞台に、確かな絆を持ってやって来た。
「貴様...。」
今の言葉に挑発の意図があるのはノールにも分かったが、オルフェにとっては看過出来ないレベルの煽りだったらしい。
一層強まる怒気は一時呼吸を忘れる程のモノで、何故そこまでして自分と会話させようとするのか、ノールには皆目見当が付かなかった。
「...よかろう。僅かだが、興が乗った。」
「え...?」
しかし、返って来たのは意外な返答だった。
オルフェはその圧力を幾分か弛め、真っ直ぐにノールを見つめる。
「答えよ。何故、貴様はここへ来た。あの忌々しき門を越え、何故玉座を奪わんとする。」
「っ...」
最早慌てることすら許されない。
絶対的強者の視線がノールを射抜き、今まさに試されていることを痛感させる。
何故、クロワデュノールは凱旋門賞に挑戦するのか。
その理由はたとえ暴君の前であっても、変わり揺らいでしまうことはない。
「憧れた人たちを超える為に、今の自分が出来る最大の挑戦がしたい。みんなの夢を背負って、"未踏の頂き"に辿り着きたいんです。」
簡潔に、だが真剣に。
夏合宿で得た答えを余さずオルフェに伝える。
暴君はその回答をしかと受け取り、静かに吟味し。
そして。
「未踏。...下らん。道化にもなれぬか。無駄足だったな。」
「......は...?」
「ちょ、少しは手加減しろっての!?」
踵を返しさっさとその場から離れていくオルフェ。
葦毛美人もここまで辛辣になるとは思っていなかったらしく、焦った様子でオルフェを引き留めようとする。
「ここで待っていればサトノさんが迎えに来ますわ!...なんてーかその!あんま気にすんなよ!?」
葦毛美人の励ましも耳から耳へと流れ出て、ノールはただその場に立ち尽くす。
凱旋門賞制覇に最も近付いたウマ娘に、必死に見つけた答えを否定された。
それが何を意味するのか。
何故、下らないと切り捨てられてしまったのか。
今のノールには分かるはずもなかった。
「おいおいオルフェちゃんよぉ!流石に生まれたての小鹿にあれはねぇだろうがよい!やっぱ怒ってんの!?パリで一番かってぇガチガチフランスパン奢ってやっから許し」
「フッ...!」
抗議する葦毛美人の顔、そのすぐ横をオルフェのハイキックが掠め通る。
風圧で吹き飛ぶ帽子とベール。
隠されていた葦毛美人の、その素顔が露になる。
「貴様にしては無様な余興であったな。
「...まだまだ終わってねーぜ、このゴールドシップ様のターンはよ。」
なんと、謎めいたミステリアスビューティーの正体は、あの奇天烈ウマ娘ゴールドシップだったのだ!
気付いてなかったのはノールだけ、とは言わないのがお約束である。
「珍妙な仮装。もしくは、マックイーンの真似事。それで余を満足させたつもりか?」
「へっ。パーペキにマックちゃんだったろ?」
「囀ずるな。本人の前で披露するがいい。マックイーンの反応を以て、漸く雨粒程度の娯楽に足るだろうよ。」
ゴルシのモノマネを酷評しつつ、それでも僅かに微笑むオルフェ。
オルフェにとって、ゴルシという存在自体が笑いのツボなのだろう。
「でもよ。さっきのはオルフェちゃんにしては激辛だったんじゃねーか?やっぱおこプン丸?」
「結果は見えた。勝てぬと分かっている者に、何故価値を見出だす。」
「そりゃ舎弟のダチでダチのジャスのコーハイのコーハイで弟子の妹子だからな。アタシにベリベリ近しい存在だろ?」
「無縁だ、それは。」
「アイツはまだ稚魚なだけだ。はじめっから王様のオメーとは違うんだよ。」
「異なことを。王たる余と同じ者など、この世に在りはしない。」
凱旋門賞に挑んだ先達だからこそ分かる感覚。
届かなかった過去を思い出し、二人には珍しい沈黙が流れる。
遥か遠き玉座を幻視し、不沈艦と暴君は何を思うのか。
「...どうやったら、勝てんだろうな。」
「さてな。だが...道化であっても囚われぬ者であれば、見定める価値もあろう。」
――――――――――――――――――――
ロンシャン 芝2000m
【GⅢ】
《プランスドランジュ賞》
『"ダービーウマ娘、クロワデュノールがフランスの地で初戦を迎えます。凱旋門賞に向けたステップとして選んだのが、このプランスドドランジュ賞です。"』
オルフェーヴルとの邂逅から、2週間程の時間が過ぎ去った。
自身の覚悟を認められず、ショックでなかったかと言えば嘘になる。
しかし、だからと言って止まるわけにはいかない。
オルフェーヴルと、クロワデュノールは違う。
必ずしも強者であるというだけで先達が正しいわけではない。
そうやってすぐに落ち込み諦めてしまうことこそ、かの暴君には余計に興醒めとなるとノールは気付いていた。
"私は私なりの覚悟でここにいるんだ。"
"それを間違ってると言われても、あなたの方が間違ってると私は突っぱねる。"
"私は私を信じるみんなを、私を信じるだけだ。"
それが願いの頂点に立つダービーウマ娘、クロワデュノールのプライドだった。
じっとコースを見つめ、枠入りのタイミングを静かに待ち続ける。
『"日本トレセン学園からの出走は、シリウスシンボリ以来となります。さて、このクロワデュノールどういった形でパリロンシャンレース場にフィットするでしょうか。"』
GⅢ"プランスドランジュ賞"は、ロンシャンレース場で実施される芝2000mのレースだ。
出走人数は7人の少数であり、GⅠウマ娘はノールのみ。
実績では圧勝してもおかしくないメンバー構成。
しかし、ノールの心は少しも休まる気配がない。
視線を僅かに移動させ、あるウマ娘に合わせる。
「ふふっ...。」
緑の勝負服に鮮やかな鹿毛、"ダリズ"は不敵な笑みを浮かべてノールの視線に応える。
他とは比べ物にならない強者の風格。
初対面とは違う彼女の様子に、自然と拳を握り締める。
『まさか、あなたがクロワデュノールだったなんてね。』
『そちらこそ、あなたがダリズさんだったんですね...。』
パドックにてお互いの素性を知った二人。
ダリズはフランスの名門出身のウマ娘で、あのカランダガンと同じトレーナーに指導を受けている新進気鋭のウマ娘だ。
GⅠ勝ちはまだないものの、既に実力は一線級と呼び声高い。
"ダリズという重賞ウマ娘だけは要注意だ"と事前に聞いていたノールだが、レースはともかく恩人との再会を喜ぶところが大きかった。
『楽しかった?フランス旅行。』
『は、はい。おかげ様で有名なところは』
『ならこれ以上、
『へ...?』
だが、ダリズの方は違った。
実際にぶつかる相手となれば、気遣いは最早不要。
一気に表情を険しくし、被っていた親切者の皮を脱ぎ去る。
『旅行気分でレースに来られると迷惑なの。さっさと帰ってくれない?』
『なっ...私は旅行気分なんかで!?』
『わざわざ
『勝てないって、勝負はやってみなくちゃ...!』
『勝てるわけないでしょう?悲願や挑戦で勝てる程、凱旋門賞は甘くないの。やめるなら今のうちよ。
理不尽な決めつけ、あまりにスポーツマンシップに欠ける発言。
すぐに言い返してやりたかった。
けれど、出来なかった。
その否定する言葉が、あの暴君と何故か重なるように思えたから。
「...関係ない。私は私の全力を尽くすだけ。」
そんなやり取りがあった後も、ノールの精神は落ち着きレースに集中出来ていた。
本来の持ち味である冷静さは、海外であっても変わらない。
ムカつく気持ちも悲しい気持ちも、今は必要ない。
感情を切り取って、ただレースのことだけを考える。
『"クロワデュノールがゲートに向かいます。すんなりとゲートに入りました。5番ゲートに入っています。"』
そしてやって来た枠入りの順番。
特に抵抗も示さずゲートインを終える。
そのノールの様子を観察した後、最後にゆっくりとダリズが7番枠に収まった。
『"枠入り完了。プランスドランジュ賞、スタートしました!"』
「っ...!」
ついにスタートした前哨戦。
全員が揃ったスタートを見せる中、ノールもまた横一線の一団に加わっていく。
『"さあ坂を駆け上がっていきます。ウートレット、ボルスター広がって、クロワデュノールは抑えながらの3番手追走。"』
今日も作戦は得意の先行策。
しかし、その位置取りさえ一苦労なのが欧州レースなのである。
日本のレースはスタートから一定の厳しいペースで流れることが多いが、フランスでは道中のペースが
その理由はコース自体、そして芝の特性にある。
日本の芝はスピードが出やすい軽い物だが、欧州の芝は長く、柔らかく、でこぼこしているのでスピードが乗りにくい。
日本とは桁違いにパワーとスタミナが要求される為、走るだけで大きく消耗してしまう場合がある。
今日のような重馬場なら、尚のこと体力の消費は激しい。
故に、飛ばさずゆったりとした速度で、終盤まで隊列を組むように走るのが基本。
全員が体力の温存を優先するレース展開。
そうなると抜け出しやすいポジションを取れるかどうかが勝負の肝となる為、序盤の位置取りは勝敗を左右すると言っていい。
人数が少ない為ノールのポジションは悪くないように映るが、外を走らされているのは面白くない。
それに気付き、トレーナーは静かに固唾を呑む。
『"3コーナーまではまず高低差10mほどを上がっていきます。ボルスターとウートレット2頭が並んで、3番手ナフラーン、そしてクロワデュノールは4番手追走。"』
「変な感じだ...!」
起伏の無茶苦茶なコースは日本の整備された物とは違い、一々ノールの感覚に引っ掛かり不快感を残していく。
『"さあ坂を駆け上がった後は、今度は一気に下っていきます。ダリズは後方から、最後方がデアリングプリンスの体勢。ゆったりと流れていきます。"』
不気味な重賞ウマ娘ダリズは、セオリーとしては後ろ目のポジション。
その表情は余裕に溢れており、自分の脚への絶対的な自信を感じさせる。
位置を全員がまったく変えないまま、各ウマ娘がロンシャン名物の偽りの直線、"フォルスストレート"へと入っていく。
『"先頭はボルスターです。単独先頭。そしてウートレット。土が飛ぶような形、かなり重いバ場のパリロンシャンレース場。3番手はナフラーン。4番手クロワデュノール、そしてデュモネ、ダリズが続いていきました。最後方からデアリングプリンス。"』
ゆったり流れるようなペースで走りながら、ジワジワと体力を削られていくウマ娘たち。
しかし、それも後僅か。
レースは早くも終盤を迎える。
真の直線を前に、欧州レースの真骨頂である"ロングスパート合戦"が始まった。
「全力は、ここ...!!」
『"533mあるこの直線。さあ先頭はボルスターです。ボルスター、そして外から接近するのはクロワデュノール!"』
全員がほぼ同時にスパートをかける中、好位から一気に抜け出そうとしたのがノールだった。
トレーナーと何度も確認した"仕掛け"のタイミング。
既に後方のウマ娘たちがスピードに乗れず脱落する中で、勝利をもぎ取ろうと力強い伸びを見せる。
『"4人広がって、そしてその間を狙ってダリズも追い込んでくる!まだ横一線!"』
「っ...!?」
「終わりよ...!」
しかし、例外は存在した。
先行した4人の争いになると思われた矢先、後方から突き抜けようとする緑の勝負服。
末脚を爆発させたダリズが、ノールの背後から迫る。
「させないっ...!」
「っ!生意気ね...!!」
しかし、追い縋られてからが強いのがクロワデュノール。
根性のウマ娘は自身に再び気合いを入れ、二度目のスパート。
重い欧州の芝ながら、日本と遜色のない加速を実現した。
『"外からわずかにクロワデュノールか!そしてダリズが迫ってくる!ダリズが迫ってくる!"』
「負けるかぁぁぁっっ!!」
「こいつ...っ!!」
最早二人のマッチレース。
外側から他を抜き去り、粘るノールをダリズが捉えようと猛追する。
しかし抜かれない。
加速を続けるダリズだが、ノールの踏ん張りに今一歩差が縮め切れない。
目前に迫るゴール板。
『"クロワデュノール先頭!ダリズ先頭!ダリズが並んでくる!さあ先頭はクロワデュノールか!クロワデュノールが今ゴールインっ!"』
驚愕に染まるダリズの表情。
先頭は僅かなハナ差でクロワデュノールだった。
フランスの豪脚を、日本の根性が凌ぎ切った勝利であった。
『"さあ重い馬場をこなしてクロワデュノール先頭!最後にダリズが鋭く詰め寄りましたが、わずかに凌いだクロワデュノール!
実績に相応しい力を見せましたダービーウマ娘。凱旋門賞に向けて、まずは順調な滑り出しを見せました!"』
「ハァっ...ハァっ...!...やった...私は、やれる...!勝てるっ...!」
レースを見守っていた日本からのファンやトレーナー、クロノやダイヤたちが喜びの声を上げる。
ノールもまた、自らが掴んだ異郷の地での勝利に可能性を感じ、歓喜していた。
否定された言葉も、今や考える必要がない。
自分は戦える。勝てるはずだ、このまま。
凱旋門賞だって、きっと。
『ハッ...こういうことね、カーラ。痛かったわよ、十分に。』
だが彼女は気付いていなかった。
疲れ切り、息も絶え絶えの自分とは違い。
辛くも打倒した強敵の、その
ノールを鋭い目つきで睨んだ後、すぐにその顔を含みのある笑顔に変えるダリズ。
その瞳はもう次のステージを捉え、見つめているのだった。
『
――――――――――――――――――――
『"フォルスストレートを抜けて最後の直線に出てきました。
先頭はクロワデュノール。
リードは1バ身ですがミニーホークが早くも並んでくる。
内を狙ってビザンチンドリームも上がってくる。
外から追い込んでくるのはダリズ。
残り300を切ってミニーホークが抜け出しを計る。
1バ身リードを取った!
外からダリズが追い込んでくる!
内からはビザンチンドリーム、さらにジアヴェロットも追い込んで来ていますが先頭はミニーホーク!
ダリズが迫って来て2人の争いになった!
ミニーホーク!ダリズ!
ダリズか!ミニーホークか!
ダリズ先頭でゴールイン!
凱旋門賞、勝利したのはフランスのダリズ!日本のクロワデュノールはバ群に沈みました...!"』
――――――――――――――――――――
「ぼうるちゃんはね。私の夢なんだよ?」
次回
第9話『おくりもの』