遅くなりましたが、ジャパンカップ編です。
乗り代わりって○そ。
かなりショックですが、続けて行きます。
「んんっ...ふわぁ...」
射し込んだ日差しで目を覚まし、重い体をゆっくりと起こす。
寝癖のついた黒い後ろ髪を手櫛でいじり、寝ぼけ眼のままいつもの第一声を発する。
「おはようございます...ソールさん...」
隣のベッドへ朝の挨拶。
ソールはいつも、マスカレードより早起きだ。
わざわざ見なくても、彼女なら既に仕度まで終えてこちらを見守っているだろうことは分かる。
だが、今日はいつまで経っても返事が返って来ない。
不思議に思って眠い目を擦り、隣のベッドに顔を向ける。
「あ...。」
マスカレードの目に映ったのは、空っぽのベッド。
部屋半分、まるで空家のようにさっぱりしている光景だった。
「...お腹空いた。」
いい加減見慣れているはずなのに、と内心情けなく思いつつ。
のんびりしている暇はないと登校の仕度を始めるマスカレード。
彼女が制したGⅠ"天皇賞(秋)"から、一週間が経過した。
晴れてGⅠウマ娘となったマスカレードの勇姿を見届け、ソールオリエンスはトゥインクル・シリーズを引退した。
長年彼女を苦しめていた怪我の治療に専念する為、現在はトレセン学園からも離れている。
マスカレードとしては勿論寂しいが、もう悲しんだりはしない。
何故なら、彼女たちの夢は
『これがね、届いてたんだ。』
『!...これって!?』
『うんっ!ドリームトロフィーの招待状!』
天皇賞が終わってすぐのことだ。
嬉しそうにソールに見せられたのは、トゥインクル・シリーズとはまた別枠のレースシリーズ。
"ドリームトロフィーリーグ"への招待状だった。
トゥインクル・シリーズを離れる決意をしたウマ娘に提案される特別リーグであり、トゥインクル・シリーズにて優秀な成績を残した、選ばれた者のみが参加出来るレース群だ。
自身の成績では足りないのではないかと諦めていたソールだったが、観衆もURAも彼女の実力を正しく評価していた。
トゥインクル・シリーズでなくとも、また走ることが出来る。
しかもそこには憧れのキタサンブラックもいて、いつかはライバルたちやマスカレードもやって来るだろう。
そう思うだけで、ソールの傷ついた心は癒されて、昔のようなワクワクとした気持ちが湧いてくるようだった。
『また絶対...走ろうね、ぼうるちゃん!』
『はぃ...はいっ...!』
新たな約束を交わし、ソールはここから旅立って行った。
別れではなく、また戻る為に。
向かう先はウマ娘の療養地として有名な、"ゆこま温泉郷"。
そこで傷を癒しながら、なんと
ただ休むことも出来たが、出来ることなら恩返しをしたいと本人が希望したそうだ。
いかにもソールらしいと思い、勝手に口元が弛む。
「着物姿、似合うだろうな。」
ハツラツとして働き、太陽のような笑顔でお客を出迎える姿が目に浮かぶ。
離れていても、今日もきっと彼女は頑張って前に進み続けている。
自分も寂しがってばかりではいられないと気合いが入り、そこで漸く準備が完了した。
「行ってきます。」
誰もいない部屋へ、それでも笑ってマスカレードは声を掛ける。
思考はもう、今日のトレーニングのことで一杯だ。
託されたモノを背負って、GⅠウマ娘マスカレードボールは進み続ける。
ただひたすらに前へ。
次の目標は、国際GⅠ"ジャパンカップ"。
"最強"を決めるに相応しい、日本最高峰のレースだ。
―――――――――――――――――――――――
「ジャパンカップに出たい!?」
「はい。というか、出ます。」
驚くトレーナーに対し、あくまで冷静そうな顔でノールは言い返す。
天皇賞が終わってすぐのことだ。
凱旋門賞で疲弊したクロワデュノールの復調プランを練っていた、トレーナーとクロノジェネシス。
年内はなるべく負荷を掛けず、可能であれば"有マ記念"への出走を目指す。
それが来年シニア級となるノールの為に、最良の選択肢であるというのが二人の共通見解だった。
常勝のウマ娘など、基本的にはあり得ない。
歴史に名を残すウマ娘であっても、必ず負けるタイミングというのは確実に存在する。
大事なのは
ノールをこれから先も勝ち続けるウマ娘だと信じるからこそ、今は無理に勝ち星を増やそうとする必要はないのだ。
なので正直、有マ参戦すら彼らは薄く考えていたのだが。
「出るって...何で急に」
「私は大丈夫です。まだやれます。だからジャパンカップを勝って、その後有マも獲ります。」
この通り、授業を終えやって来たノールは、トレーナーたちの思惑と真反対なことを申し出てきた。
さも当然のように言うノールに面食らってしまうトレーナー。
間を置いて、最初に冷静さを取り戻したのはクロノだった。
「ま、待ってください。ノールちゃんはフランス遠征の疲れがまだ抜け切っていないはずです。そんな状態でいきなりGⅠなんて」
「だから、大丈夫です...当日までに回復してればいいんでしょう?」
「本人にも分からない疲労があるはずです。こんなスパンで走ったら怪我をすることだって」
「大丈夫だって言ってるじゃないですか!!」
「っ...!」
諭すクロノの言葉を遮ったのは、聞いたこともないノールの怒声だった。
呆気に取られるクロノの肩に手を置き、トレーナーが一歩前に出る。
明らかに今のノールはおかしい。
精神的に酷く焦っているように見える。
その理由に心当たりはあった。
「ノール。改めて、凱旋門賞はすまなかった。君に力がなかったんじゃない。俺が分かってなかったんだ。前哨戦を勝って、正直浮かれてた。信じていれば勝てるって...。もっと知識を得て、考えて...俺の力が足りなかった。」
「あっ......違います、私...トレーナーさんを責めたいわけじゃ...っ」
「期待に応えられなかったのが辛いことは分かる。でも、だからって焦る必要はないんだ。君はダービーウマ娘で」
「......だから、何なんですか...?」
「え?」
凱旋門賞の負けが想像以上に彼女の心を傷つけていたことは分かった。
だからと言って、無理に勝ちを取り戻そうとする必要はない。
"だって、クロワデュノールはあの日本ダービーを勝ったウマ娘なんだから。"
そう伝えたかった。
だが、一瞬普段の様子を取り戻したかに見えたノールは、最後の一言を聞き再び顔を俯かせた。
「ダービーウマ娘でも、最強じゃありません...」
「それは...これから」
「トレーナーさんは悔しくないんですか!?マスカレードさんやミューズは先輩たち相手に互角以上に渡り合ってる!あの人が勝った秋天で、その力を示したんですっ!私が...私がフランスで情けない走りをしている間にっ!!」
「情けなくなんかないだろ...!」
「トレーナーさん...!」
彼女の心を焦らせていたのは自身の負けだけではなかった。
飛躍するライバルたちの姿がダービーウマ娘という誇りさえ揺らがし、言い知れない劣等感を与えていた。
感情を爆発させるノール。
トレーナーも彼女自身を否定する言葉に、つい感情的になってしまう。
「このまま"世界最強"になんてさせたくない!私の方が強いんです...!私はっ!私はもっとやれます...!それをただ黙って見て!負けろって言うんですか...!?」
「ノールちゃん...。」
涙さえ滲ませて叫ぶノール。
内容は拙く、子どもの駄々のようにも聞こえる。
ただ、トレーナーが同意出来る部分もあった。
"クロワデュノールが一番強い。"
そう信じているのは間違いない。
無理をさせるのは、得策ではない。
だからと言って、このメンタルのままではどうやってもトレーニングは身にならないだろう。
捉えようによっては傲慢な言葉も、かつて自信を無くしていたノールから出たと思えば、そう悪いものではないように感じられた。
一気に頭を冷やし、トレーナーは考える。
クロワデュノールというウマ娘を更に成長させる為に、自身が出来ることは何か。
「...分かった。じゃあ出るといいよ。ジャパンカップ。」
「と、トレーナーさん!?何を言って」
「ただし、条件がある。」
「条件、ですか...?」
一転して、強引なジャパンカップ参戦を認めるトレーナー。
困惑するクロノを制し、その為の条件を口にする。
「身内じゃなく、
―――――――――――――――――――――――
「フッ...!!」
最終直線で一気にスパートを掛けるノール。
トレセンの練習場、目立つ位置で行われたダービーウマ娘の試走。
多くのギャラリーが自身の練習の手を止め、じっくりと見学している。
そのコース付近には、いつものようにトレーナーとクロノがいて。
しかし、更にもう一人。
通常はいないはずの人物が、彼らと並んでこの舞台に立っていた。
「ふーん...?」
鮮やかな鹿毛を上品にカールさせた、特徴的な流星を持つウマ娘。
耳カバーと合わせた帽子型の髪飾りが豪華ながら洒落ていて、どこかお嬢様然とした印象を受ける。
「どうかな?
「そう急かさないでくださいまし。」
"ジェラルディーナ"。
ジュニア、クラシックでは順調さを欠いたものの、シニア期にその才覚を開花。
オールカマーからエリザベス女王杯を連勝し、GⅠウマ娘の称号を得た根性のヒロイン。
決して諦めず好成績を残し続けたその姿は、彼女が憧れるかの"貴婦人"とはまた違った強さをトゥインクル・シリーズに示した。
そんな彼女とこのトレーナーだが、勿論担当同士というわけではない。
ジェラルディーナにはなかなか未勝利戦を勝てなかった過去があり、そこを脱出するきっかけとなったのが彼のアドバイスだった、というのが始まり。
それ以来担当ではないものの、会えば話すような友人関係を築いていたのであった。
「ディーナちゃんは、第三者と言うには近過ぎる気がしますが...」
「彼女に見て欲しいのはノールだけじゃない。
「私たち、ですか?」
「ノールを客観的に見るなら、極論実力のあるウマ娘なら誰でもいい。でも、俺たちの"判断"を客観的に見てもらうには、俺たちのことをある程度知っている必要があるんだ。動揺してないかとか、視野が狭くなってないかとか。ディーナなら俺やクロノの理論を普段から聞いてるし、遠慮するタイプでもないからね。」
「な、なるほど。」
「最後の部分が余計ですわよ?」
いらぬ一言に目くじらを立てるディーナだが、視線はずっとノールから離していない。
ジャパンカップに出走するには、このGⅠウマ娘を納得させる必要がある。
ノールは手を一切抜かず、力強い伸びを見せる。
そして勢いを保ったまま、ゴール地点を駆け抜けた。
「ふぅ...どうですか?ディーナ先輩。」
「そうですわね...」
すぐに息を整えディーナたちの前までやって来るノール。
その姿も注意深く観察し、トレーナーたちが息を飲む中ゆっくりと審判の講評が始まった。
「スピードも持続性も並以上。フランス帰りで、もうこれだけ走れる回復力は天賦の才。あらゆる面で、流石ダービーウマ娘と言ったところですわね。」
「じゃあ...!」
「...ええ。調整すれば
「...そうか。」
ディーナの所感は比較的高評価のように思えた。
実際あれだけの惨敗を喫して疲労しても、走りを見失わず安定した動きを維持できていることは称賛に値する。
だが、素直に受け取り喜ぶノールに対し、トレーナーとクロノの表情は明るくない。
「ですが、1つだけ。」
「...何でしょう?」
これで文句はないだろうという顔の前に、ディーナの人差し指が突き付けられる。
彼女の真剣な、"強者"としての表情がノールの笑みを掻き消す。
「ジャパンカップはただのGⅠではありませんのよ?
世界を相手に日本の意地と力を示す、
強者たちの集い。
あなた、それをお分かりになって?」
彼女自身にジャパンカップの出走経験はないが、かのレースは彼女が憧れる貴婦人が制した、代名詞とまで言える気高いレース。
"国際交流レース"としての側面を持つジャパンカップには、過去に凱旋門賞を制覇したモンジューを始めとし、世界の強豪が幾度となく参戦して来た。
GⅠの中でも特に熾烈な争いになる、"スーパーGⅠ"と言ってもいい戦場。
そこにクラシック世代で挑むというのは、生半可なことではない。
その覚悟があるのかと、ディーナは毅然たる態度で告げる。
「分かってます。でも勝たなきゃ、世界最強になんてなれないですよね?」
「...ならば、挑みなさい。その手が届くと信じて。」
「...ありがとうございました。」
言葉少なに返事をし、さっさとその場を離れてしまうノール。
そんな姿を心配そうにクロノは見送るが、トレーナーは追うつもりがないらしい。
「気は遣ってないよね?」
「全然。別に、悪くなかったわ。」
雰囲気が穏やかになると同時に、口調も砕けたモノへと変化する。
気を抜くと素が出てしまうのが彼女の悩みなのだが、今更気にする間柄でもない。
特に焦ることもなく、"でも、"と言葉を続ける。
「いいの?このままだと
「...だよなぁ。」
「分かってて出すつもり?酷いトレーナーよね。」
「トレーナーさんが酷いのは、そういう時に、それ以上に自分を追い込むところだと思います。」
「あはは...まあ、それがトレーナーって仕事だからさ。」
ディーナの口から宣言された、クロワデュノールの敗北。
トレーナーもクロノも、承知しているようにそれを否定しない。
それぞれの理由で抗議の視線を送る二人に対し、トレーナーは疲れたように笑い。
「もし失敗したら...その時は俺、
冗談みたいなことを、冗談に見えない顔で言い放つのだった。
―――――――――――――――――――――――
「はぁ...。」
すっかり日が暮れた夜。
賑やかな昼とは打って変わって人影が見られない学園のベンチで、ノールは独りポツンと力無く座っていた。
最近、何かがおかしい。
今日だって、あんなことを言いたかったわけじゃない。
ただ
"自分はもう回復してるから、可能性のあるレースはどんどん走りたい。"
と伝えたかっただけなのに。
あれではまるで八つ当たりだ。
ジェラルディーナにも失礼な態度を取ってしまった。
このままでは同室のミューズにまで当たりかねないと危惧し、夕食後わざわざここまで戻って来たというわけだった。
「はぁ...。」
もう何度目になるか分からない溜め息を吐き出す。
凱旋門賞のトラウマが響いているのかと思った。
でも、違う。
明確におかしくなったのは、あの秋天を見てから。
我ながら恥ずかしい奴だとノールは思う。
"自分が走っていたら?"
なんて、一番ウマ娘としてくだらない考えだ。
その選択をしたのは自分で、第一走っていたら勝てたとでも言うのか。
あの時のマスカレードは強かった。
見覚えがある、強さだった。
ノールの"支え"でもあるそれを、マスカレードもまた持っていたのだ。
ダービーの時にそれを力に勝った経験があったからこそ、分かる。
もし出ていたとしても、きっと。
「っ...」
違う違うと頭を振る。
もう一度と戦えば、勝つのはまた私だ。
それを証明するんだ。
だから、ジャパンカップに出るんだ。
私が"世界最強"になるんだ。
そう言い聞かせる自分に気付き、またしても呆然とする。
何でそんなことを焦る必要があるのか。
ダービーという舞台で戦い、健闘を讃え合った時はそんな濁った気持ちじゃなかったはずだ。
スゴいと、強いと思えるライバルだから、これからも一緒に走りたいと思ったはずなのに。
それではまるで。
まるで。
「
「え、なに?ここ心霊スポット的な感じ?」
「わぁっ!?!?」
思考を突然かけられた声でぶち切られ、全身の毛を逆立てて飛び上がる。
バン!という音を立ててそのままベンチに落下すると、隣にいつの間にかウマ娘がいたことに気付く。
「ウケる。撮っとこ。...なんてジョーダン!ごめんごめん、なんかめちゃテン下げっぽいから無視出来なくてさ。思わず声かけちゃったけど、アポ必要だった?」
「え、えっと...ぁ...」
いきなりのことで異様に驚いてしまったが、ノールはこのウマ娘のことを知っている。
知り合いではないが、今や日本で、
中心から外れメッシュのようになった流星、トレードマークの海老色ハット。
サングラスを掛けた一見派手な見た目も、世界を征した風格に妙な説得力を与えていた。
「"フォーエバーヤング"さん、ですよね...。」
まさにあの天皇賞(秋)の日。
同じ日の朝に、世界を相手に日本史上初の快挙を成し遂げたウマ娘。
ダートレース最高峰であるアメリカのGⅠ"ブリーダーズカップクラシック"を、日本のウマ娘として初めて勝利した生ける伝説。
永遠に朽ちることのないその伝説の名は、フォーエバーヤング。
目の前に座っている人物こそ、その当人で間違いなかった。
「固いなぁ。アタシのことはヤン子って呼んでよ。あだ名は追々として、こっちはクロワちゃんでいいっしょ?とりまよろしく♪」
「は、はぁ...。」
初対面ではあるがやはりノールのことは知っていたらしく、割とグイグイ距離を詰めてくる。
さっきまで本気で落ち込んでいたのもあり、今はヤン子のテンションに付いて行けないようだ。
動揺しながら、とりあえず会話をしなければいけないという社会性は無意識に発揮。
無難な話題を必死に探してみる。
「え、えっと...ヤン子さんは、どうしてこんな時間に学園に?」
「いやぁ、アタシもここまでタスク積むつもりはなかったんだけどね?帰国してからミーティング爆盛りサマリー爆速プリーズって感じで、気付いたらこの時間なわけ。」
「あ、あぁ~...」
学生のノールには聞き慣れない単語が続いたが、要は歴史的快挙を達成したことでインタビューやら何やら色々と忙しいということだろう。
ダービーを勝った後のことを思い出し、何となく事情を察する。
「...おめでとうございます、ブリーダーズカップ優勝。」
「お、あざまる♪...って、アタシの話はいいから。さっきの、どしたん?ヤン子さんが相談に乗るよ?」
「それはその...」
相談と言われても、自分自身まだ気持ちがまとまっていないし。
そもそも初対面の相手に言うべき話とも思えない。
それにノールにとっては偉業を成し遂げたヤン子は自分と正反対の存在に思えて、理解を得られる予感はなかった。
ただ、何の影もなく笑い掛けてくる彼女の顔に甘えたくなったのか、それとも断り辛かっただけか。
悩み自体はボカして、自分と違うからこその質問をしてみることにした。
「...ヤン子さんは、"自分が間違ってると分かっていても止まれない"って気持ち、分かりますか?」
「OK、心と頭がテレコってるわけね。」
相変わらず聞き慣れない単語を呟き、少し思案するヤン子。
変なことを聞いてしまったかと不安になるノールだったが、答えはすぐに返ってきた。
「それって、間違ってるって思う必要ある?」
「え...」
「心はそうしたくてしょうがないわけでしょ?なら、やるっきゃなくない?」
「でも、間違えた結果みんなを裏切ることになったら」
「ならないって。だって、止まる気ないんだし。」
「だから、頭では」
「そうじゃなくて。
指摘されて、意外にもそれはそうだと素直に思えた。
トレーナーたちの言う通りジャパンカップに挑むのが無茶だとしても、それで全てを無くすわけではない。
走り続ければ、その間違いもまた"過程"に出来る。
ヤン子はそういうことを言いたいのだろう。
「アタシだって、来年はBC連覇とタイトル総ナメを期待されるし、自分でもそれにフルコミするつもりだけど。マストってわけにはいかないかもね。だからこそ、今年これだけブチ上げられたんだし。」
「すごい、プレッシャーですね...」
「プレッシャーは自分が成し遂げたことへのインセンティブ。一回出来たことなんだから、続けさえすればまた出来る。そのエビデンスにもなるし、もらえるだけもらっとくべきじゃん?」
「やっぱり、スゴいな...」
自分とは器も何もかも違う。
そう塞ぎ込もうとするのが透けて見えたのか、話すべきことはまだあるとヤン子は人差し指を立てる。
「クロワちゃんだってもう持ってるっしょ。"ダービーウマ娘"っていうエビデンス。」
「...それって本当に、スゴいことなんですかね?」
「一生に一回。どう足掻いても、その名を手にするのはただ一人だけ。パないことは間違いないね。」
「でも、最強ってわけじゃありませんから...。」
ノールの言いっぷりは、相手によっては激怒させても仕方のないものだ。
勝利したならば敗北した者がいる。
それを大したことないなどと断じれば、競った全てを侮辱することに等しい。
ついこの間まで理解していたはずの、勝者としての矜持。
それが分からなくなってしまう程に、彼女は精神的に追い詰められているということだろう。
ならば、自分ではこれ以上の改善は成せない。
冷静に引き際と判断し、"それならば"とヤン子はスマホを取り出す。
「ね。連絡先いい?♪」
「え...は、はい。」
メッセージアプリのアカウントを交換すると、直ぐ様可愛らしいお手製のスタンプが送られた。
スタンプには得意気なヤン子の顔と、"アサイン中!"の文字が描かれていた。
「ある程度落ち着いたら、また話そうよ。今のキミにピッタリの人材を連れて来るからさ♪」
「ピッタリって...?」
それは秘密、と前置いた後で。
サングラスを少しずらして、茶目っ気のある顔でウィンクを飛ばす。
「アタシたちの、自慢のダービーウマ娘ってとこかな♪」
"それって一人しかいないのでは?"とツッコむ気力もなく、この日の出会いは過ぎていく。
クロワデュノールの夜は、まだ明けることはないようだ。
―――――――――――――――――――――――
「どこにいんのよあのバカ...!」
"レガレイラ"は激怒した。
教室、寮部屋、部室。
どこを捜しても目的の人物はいない。
頭をストレスのままに搔きむしりたい気持ちをおさえ、代わりに鹿毛に紅が混じった美しい髪をサラリと手櫛で流す。
「何でこの私がこんなことを...っ」
今日は朝から何となく運が悪かった。
星座占いは最下位だったし、泥は跳ねるし、テストの点数もいまいち。
食べたかったキャロットケーキは売り切れだったし、泥は跳ねるし、ハンカチは失くすしやっぱり泥は跳ねたし。
何故大事なGⅠレース前にこんな目に遭わなければならないのか。
「元はと言えば全部アイツのせいよ!」
以前はこんな扱いではなかった。
エリート志向で優雅でカッコよく、余裕のある佇まいが出来ていたはず。
それが色々あって、流されるように口車に乗り。
ついにはトレーナーを変えてしまった。
それがいけなかった。
おかげで、今や日常生活はあのアホの尻拭いで埋め尽くされており、最早クラスメイトにまでお目付け役扱いされている。
「誰が実質"キングさん"よ...!」
断じて自分は"おかん"などではない。
もういい加減我慢がならない。
悪いのはトレーナーではなくどう考えてもあのお調子者バカだが、トレーナーはトレーナーで問題だ。
腕は確かで性格も悪いわけではないが、妙なタイミングで突発的な行動に出る上に、それが絶妙にあのバカの歯車と噛み合うのだ。
"ぱかチューバーになろうと思う!"
そう言われた時は流石に病院に行きたくなった。
自分の診察で。
そこそこ人気が出ているのが非常に不愉快である。
"そんなことばかりして、成績が落ちても知らないから!"
という台詞を言いかけて、ついにおかん味を自覚した時の感情を教えてやりたい。
「まったく...!」
彼女は今秋、前哨戦である重賞"オールカマー"を実の姉を打倒することで制しており、本番のGⅠ"エリザベス女王杯"を直前に控えている状態だった。
そんな大事な時期を意識して、気合いの入った面持ちでトレーナー室へ向かったレイラ。
"今日はどんなメニューだろうか?"
指示を待つ彼女に告げられたのは、
『ちょっとデサイル捜して来てくれる?その間に撮影済ましちゃうから!』
という、トレーナーなのかチューバーなのか分からない一言だった。
「私はアシスタント扱いなわけ!?」
まず何で捜しに行かないといけないのか。
彼女は彼女でジャパンカップが控えているはずで、練習には必ず顔を出すだろう。
捜すなら自分で行けばいいし、第一そんな隙間時間で撮影なんてするな。
あらゆる不満という不満が重なり、今日という今日は爆発寸前。
「言ってやる...!今日こそはっきり言ってやるわ...!」
三行半を突きつける覚悟を決めながら、とりあえず捜す手を止めていないのが彼女の面倒見の良さを物語っている。
傍目にも相当不機嫌に学園を練り歩くレイラだったが、頭が軽く冷えてきたタイミングで食堂が妙に騒がしいことに気付く。
「まさか、ね...。」
胸騒ぎがして、念の為その喧騒を確認することに。
ウマ娘混みを押し退けて、恐る恐る覗き見てみると。
「いいぞデサイル!さあ食え!今食え!もっと食え!運命がそう言っている!!」
「はいエピせんぱい!私にも聞こえますよっ!この牛丼の声がっ!!」
そこには、何十個ものどんぶりを積み上げてなお牛丼を掻き込み続ける捜し人、
"ダノンデサイル"の姿があった。
赤いハチマキが特徴的な、鮮やかな栗毛のダービーウマ娘。
レイラたちの世代の頂点。
なのだが。
何ということでしょう。
これからトレーニングをしようと言うのに、彼女の腹は見事に制服からはみ出し、まるで風船のように膨らんでいるではありませんか。
「牛丼の声まで聞こえるのか!やっぱりお前は最高だなデサイル!」
「ありがとうございます!でもエピせんぱい!私運命さんの声は"牛丼はた..."までしか聞こえなかったんですが!"食べちゃいけない"というお告げの可能性はないのでしょうか!」
「安心しろデサイル!運命はお前に"走れ"と言っている!そのまま突き進め!ダノンデサイル!!」
「エピせんぱいっっ!!」
ちなみに隣に立って激励というか間違った方向にデサイルをバンジーさせているのは"エピファネイア"のようだ。
菊花賞とジャパンカップを制覇した優秀なウマ娘なのだが、その"運命暴走特急"ぶりは相変わらずである。
幸か不幸か、デサイルはこのエピファネイアに大変気に入られているようで。
定期的にこうして、"運命の声"に呼ばれる形で共に奇行に走ることがある。
「デサイルちゃんは本当に牛丼が好きなんですね~。」
よく見ると同じように腹をふっくらさせているウマ娘が何人かいる。
スペシャルウィークとか。
察するに大食い対決でもしていたのだろうか。
このおやつ時に。
とりあえず、そんな孫を慈しむおばあちゃんみたいな目で見ないで欲しい。
大層げんなりして、レイラは幸せが全て逃げ去ってしまいそうな、深い溜め息を吐いた。
「ん?...そっちか!すまないデサイル!アタシは行くぞ!」
「はいエピせんぱい!...あ!ちょっとま」
いつも通り...まあこれがいつもなのはおかしいのだが。
エピファネイアは運命の声に導かれ、突然どこかへと去ってしまう。
デサイルは何か言いたげだったが、すぐにどんぶりへと視線を戻した。
「運命さんに"今日の夜ごはんも牛丼でいいか"聞こうと思ったのに。まあ、いっか。間を取って...夜は豚丼で!」
「どの間よおバカっ!!」
「あぶぅっ!?!?」
どこからともなく取り出したハリセンで、無防備な頭を一喝。
どんぶりを手放し、突っ伏すデサイル。
なかなかバイオレンスなシーンだが、周りの反応は薄い。
この一年近くで、最早日常の風景と化しているからだ。
つくづくレイラが不憫でならない。
「いたぁい...痛いよレイちゃ~ん...」
「あんたのせいでしょうが!トレーニング前にバカ食いして!どうすんのよこのバカ!」
「フフフ...この程度、尻尾の準備運動にもなりませんよ。」
「量の問題じゃないわよ!!」
「そ、そない怒らんでもええやないのぉ...」
落ち込んだり調子に乗ったり。
この何とも気の抜けたウマ娘、これで走るとスゴいのだからタチが悪い。
彼女の同期は大体がそういう感想を抱いている。
「はぁ...何であんたみたいなのが私たちのダービーウマ娘なのよ...」
「そんなこと言って~!レイちゃんってば私が好きでチームに入ってくれたくせに~!」
「はっ倒すわよ?」
「どうも。あなたのダービーウマ娘です(キリッ」
「ぶっ潰す。」
「あ!やめっ!?耳はやめて耳はぁ!?」
形は違えど、ほぼ毎日繰り広げられるこのやり取り。
"夫婦漫才"と呼ばれているのを、いつの日かレイラが気付かないことを祈る。
「もうすぐジャパンカップでしょ!実績的にも舞台的にも負けられないレースでしょうが!少しは真剣に取り組んだらどうなの!?」
「だいじょぶだいじょぶ。ちゃんと練習してるし、エピせんぱいにだってジャパンカップのこと色々聞いてたんだよ?」
「本当でしょうね...?」
確かに、エピファネイアはかつて実際にジャパンカップを勝ったウマ娘だ。
アドバイスをもらっていたならば、それは有益だろう。
そうなると、この寄り道もあまり強く責められないかもしれない。
そう配慮するくらいには、レイラは優しい心根の持ち主だった。
「何て言っても私、ダービーウマ娘ですのでっ!」
「とにかく自信だけは無駄にあるってわけね...。」
配慮の必要があるのかは微妙だが。
やっぱり、そこまで考えているようには見えなかった。
それに、あのエピファネイアが論理的なアドバイスなどするとは思えないし。
などと、それなりに失礼なことも考えるのがレガレイラというウマ娘である。
「いいから、早くトレーナーのとこに行くわよ。」
「あ!やめっ!?だから耳はやめてぇ!?」
もう考えるのも心配するのもやめよう。
私には関係ない。関係ないのだ。
そう言い聞かせ、無理矢理にデサイルを引っ張っていこうとした時だった。
『"カランダガンさん!どうか、どうか一言だけでもっ!"』
食堂の大モニターに映し出されたニュース映像。
生中継であるそれは空港内を映していると思われ、食堂にいた全ウマ娘がその光景に注目していた。
レイラとデサイルもじゃれ合うのをやめ、自然とそちらに目を向ける。
『"D'accord, juste un peu.(いいでしょう。少しだけですよ。)"』
サングラスと帽子で顔を隠している、モデルのような佇まいのウマ娘。
彼女はフランス語で自身を取り囲む記者たちに応じると、変装を外しその優雅で美しい姿を見せつけた。
「あ!カーラちゃんだ!」
その褐色のウマ娘の名は、"カランダガン"。
由緒正しき王家の血を引くウマ娘にして、トゥインクル・シリーズの現"世界最強"。
今日はその彼女が来日する日だったのだ。
「ちゃんって...
「だってマブだもん私たち!激闘を繰り広げた後はみんな親友!友情こそジャスティスだよ!」
「あーはいはい。」
あだ名で気安くカランダガンを呼ぶデサイルだが、言っていること自体は間違いではない。
今年の初旬、ダノンデサイルは海外GⅠ"ドバイシーマクラシック"にて、このカランダガンを僅差で打倒していた。
お互いに健闘を讃え合ったし、友人と思っても不思議ではない。
嬉しそうにモニターに近づくデサイルを抑えながら、レイラはこの後の"流れ"を何となく察していた。
『"当初は複数のウマ娘が海外から参戦するはずでしたが、最終的にはカランダガンさんただ一人での来日となりました。何故今回ジャパンカップを選ばれたのでしょうか?"』
記者の質問に頷き、カーラは立ち止まってカメラに向き直った。
『"日本のウマ娘たちは、自国に留まらず果敢に世界へと挑んで来ました。適性がないとされたレースも、前例のないレースも。恐れず想いと知識を繋いで、いずれもその脚で踏破してきた。そんな貴女たちを、私たちはいつも待ち構えるだけ。それでは、フェアとは言えない。"』
流暢な日本語でインタビューに応えるカーラ。
毅然としたその態度に、まるで演説を聴かされているような心地になる。
『"私は貴女たちに敬意を表します。今や世界最高峰のウマ娘たちが集う地、日本。その中心である東京で、完全なアウェイで行われるGⅠがジャパンカップ。貴女たちがして来たように。今度は私が挑戦者として、その舞台に立つ。これは日本をリスペクトするからこその、宣戦布告と思って頂きたい。"』
その言葉にザワついたのは空港だけではない。
中継を見ていた各所のウマ娘が、トレセン学園全体が震えていた。
ジャパンカップは国際GⅠではあるものの、昨今の日本の高速バ場化の影響で海外ウマ娘の勝利は皆無。
言ってしまえば、
それを承知の上で、カランダガンは日本にやって来た。
自分たちを尊敬しているから。
だからこそ、打ち勝つことに価値があると。
単独であるという不安は微塵も感じられない。
ただ一人で日本を相手にする覚悟。
まさに王者に相応しい、堂々たる宣戦布告だった。
「ほわー、カーラちゃんかっちょええ~...私もああいうの考えとくべきかのう...どないしましょ、レイちゃん?」
「うっさいわね、ちゃんと聞いてなさいバカ。」
『"つまり、自身への試練としてこの戦場を選ばれたというわけですね!"』
『"ええ。...でも、実はそれ以上の理由がありまして。"』
『"その理由とは?"』
フッと笑って、雰囲気が柔らかくなったと誰もが思った。
しかし次の瞬間、纏うオーラがガラリと一変する。
先程とは比べ物にならない苛烈な、
『"ここには彼女がいる。私に敗北の土をかけた、彼女が。敬意を持つのと、負けを認めることは同義ではない。私がただ敗北したまま、おめおめとそれを忘れてしまえると思いますか?"』
『"っ...その、ウマ娘の名前は...?"』
カメラを鋭く見つめ、組んだ腕に力が籠る。
睨んでいるのはレンズではない。
その先にいる、この中継を見ているはずの"仇敵"だった。
『"彼女がダービーを制したのも、東京の2400mだろう?最も得意な舞台で、強く誇りを持つ距離で。今度は私が、屈辱を与えよう。楽しみだよ、ダノンデサイル。"』
「っ...!?」
日本全てなど彼女は眼中になかった。
屠るべきはただ一人きり。
デサイルへのリベンジの為に、彼女は遥々日本まで追って来たのだった。
「あれのどこがマブダチだってのよ...?...あれ?デサイル?」
カランダガンの圧に冷や汗を垂らすレイラ。
喧嘩を売られたデサイルに嫌味を飛ばすが、本人からの返答がない。
「そろーり、そろーり...」
「どこ行くつもりよ。」
「ぐえっ!?」
どこからか取り出した風呂敷を抱え、フェードアウトしようとしていたデサイル。
レイラは手慣れた様子でそれを捕獲し、白々とした目を向ける。
「やだやだこわいこわい!あんなん勝てるわけないやんレース前に今度こそチビっちゃうよぉ!?」
「何情けないこと言ってんの!あんた一回はあれに勝ってるんでしょ!さっきまでの自信はどこ行ったのよ!」
「消化しちった☆てへっ♡」
「作戦会議と特訓。覚悟しなさい。」
「いややめて堪忍してぇ~!?痛くしないでこわいよ助けてミラちゃぁ~ん!?!?」
ズルズルと女傑に引き摺られていく今年の総大将候補。
顛末を端から眺めていたウマ娘たちは、皆一様に溜め息を吐いた。
"今年は本当にヤバいかもしれない。"
預かり知らぬところで勝手に膨らむ、縋るような期待。
それが自分へと向けられることを、マスカレードボールはまだ知らない。
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ダノンデサイルの秘密①
枕元には英会話の教科書を置いて寝ている。
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次回
第11話
『同調疾走』
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