夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第十二話 デート

 千聖(ちさと)さんの言っていた“とっておきの方法”が判明してから、ピアノが弾きたくて仕方なかった。

 そんな僕を、千聖さんは自宅のスタジオに招待してくれた。

 

 バイト先からは千聖さんの家のほうが近いから「早く弾きたいよね」って誘ってくれたのだ。

 スタジオに入ってからもう1時間、ずっと楽譜を見ながらぶっ続けで千聖さんのキーボードを弾いて、今は休憩をしていた。

 

「ありがとう千聖さん。”とっておきの方法”のお陰で勉強がかなり進んだよ」

「効果絶大だったでしょう?」

「絶大だった」

「悠ならそうなると思ったんだ」

「凄いよ千聖さん。こんなの思い付くなんて」

 

 すでに弾ける曲だったなら、その曲の楽譜を見ればいい。楽譜が理解できていなくても、音符と音が結びつく。

 僕は全く思いつかなかった。天才的な発想だと思う。

 

「この方法って、実はそこまで特別なものじゃないんだよ?」

「え、そうなの?」

「楽譜を覚える前に耳で覚えて弾けちゃう子とかそれなりにいるの。そういう子向けの練習方法のひとつなんだよ」

「そうだったんだ」

「でも悠は特別かな。あそこまで楽譜も知らないまま弾けるようになってる子って普通はいないから」

 

 夢で見たから弾けるってのは普通じゃありえない。それは僕の特異な点だ。でも実際に僕は弾くことができる。

 何故か、といくら考えても答えは出ない。改めて考えてみても不思議なことだった。

 

「悠が特別なだけで、私がしたことは特別なことなんかじゃないんだよ」

「特別だよ。すごく千聖さんに助けられてる」

「……ありがとう。でも、そういうことクラスの女の子に言ったら駄目だからね。勘違いさせちゃうから」

「こんなこと、千聖さんにしか言わないよ」

「もう、分かってない!」

 

 周りにからかわれるまま疎遠になってしまった後悔があるから、ちゃんと言葉にして伝えたかった。だけど、顔を赤くしてそっぽを向かれてしまう。

 怒らせてしまったかと思ったけど、どうやらそういう感じではなさそうだ。

 

「こほん……悠、実はこの方法には弱点があるの」

「え、弱点があるの?」

「結構深刻な弱点がね」

「そ、それって……どんな?」

 

 こちらに振り向かないまま、千聖さんは深刻な声色で秘密兵器に弱点があると語った。

 あんなに頼もしかった”とっておきの方法”に弱点があるなんて、一体どんなものか気になって聞き返す声が少し震える。

 

「それはね」

「……それは?」

「ものすごく、お金が掛かるってこと!」

「……お金?」

「悠、バイトのお給料が振り込まれるの来月からでしょ。それまでお金大丈夫? 楽譜って結構するよ」

「……あ」

 

 そうだった。アルバイトを始めたのだって音楽はお金が掛かるって千聖さんが教えてくれたからだ。

 楽譜もまだ1冊や2冊なら買えるかもしれないけど、夢を見る度に買うなんてとてもお金が足りない。

 

「ちなみに、今日は悠が使ったショパンの楽譜は輸入版、原典版っていうのかな。お値段はだいたい5000円くらいかな」

「……5000円」

 

 絶望的な値段だ。今日は初めてのバイトだったけど、その3時間分の時給を足した金額を超えている。

 

「私たちのバイト先は従業員割引してくれるんだけど、それでも大変になると思う」

「夢で見るたびに買い足してたらいくらあっても足りない」

「せめて悠が見る夢が同じ作曲家を連続して見せてくれればいいのにね」

「それなら安く済むってこと?」

「一冊に色々載せてくれてるからね。その本もそうでしょ?」

「……このページしか見てなかったから気が付かなかった」

「ふふっ、それだけの厚みで1曲しか載ってないなら、音楽家はみんな破産しちゃうよ」

 

 ずっと店で弾いた曲を楽譜を見ながら繰り返していたから他の曲も載っているなんて、全く意識していなかった。

 高いんだから1曲ってことは流石にないよな。千聖さんの反応からも、普通は色々と載せてくれているものらしい。

 それにしても5000円か。高いよなこの楽譜……あれ?

 

「千聖さん、これ店から持って来ちゃったけど……」

「そうだね」

「俺、お金払ってないよ」

「やっと気付いたか。それ私からのプレゼントだから、ありがたく受け取ってね」

「えっ!? あ、ありがとう」

 

 ”とっておきの方法”に浮かれて全然気がついていなかった。

 

「初のバイト記念ってやつだね。誘ったのは私だし、これくらい当然ってね」

「……ありがとう。大事にする」

「ふふっ、そうしてくれると嬉しいな」

 

 キーボードに続く千聖さんからの贈り物、大事にしよう。本当にそう思った。

 

 

 ――翌日、学校。

 授業中でもつい指で旋律をなぞっていた。千聖さんから貰った楽譜は持ってきていない。休み時間になればスマホに撮っている楽譜を見て、そこを繰り返し指でなぞる。それだけでも今までよりも遥かに楽譜というものの理解が進んだ感覚があった。

 

 そして気が付けば放課後になっていた。帰ればもっとちゃんと練習ができる。

 早く帰りたくてホームルームが終わった瞬間に教室の出口へ向かう。

 

「おい、今日はもう帰るのか」

「ちょっと急ぎでね」

「どこかに寄って帰ろうと思って声掛けたが、間が悪かったみたいだな」

「悪い。また今度」

「いや、お前が行けないならいい。一緒に帰ろうぜ。駅まで一緒だろ」

「うん、そうだな」

 

 同じクラスの佐川 武蔵《さがわ むさし》に呼び止められ、駅まで一緒に帰ることになった。名前の順で席が近くだったのがきっかけで仲良くなった友人だ。

 そもそも一分一秒を争う訳じゃない。友達と普通に帰るだけだ。

 

 どうも昨日から浮足立った感覚が残っている。気を付けないとな。

 

「悠貴、今日は何かあったのか?」

「何かって?」

「こっちが聞いてるんだ。授業中、変だったぞお前」

「あー、ちょっとね。いまハマってることがあって、それで……」

「ハマってること……? まあ、ほどほどにな。面倒な教師に見つかると厄介だぞ」

「だね。気をつけるよ」

 

 周りに気づかれてたか。

 今日は無かったけど、厳しい先生の授業の時に見つかるのは良くない。武蔵はそれを警告するために呼び止めてくれたんだろう。

 

「おい、あれ見てみろ悠貴」

「あれ? なんか人だかりができてる」

「なんかイベントあったか?」

「さあ?」

 

 校門付近に人だかりができていた。ざわめきと大勢の視線が集まる先に誰かがいるのが分かったけど、僕と武蔵はああいう人混みに首を突っ込むタイプじゃない。

 そのまま通り過ぎようとしたとき、声が聞こえた。

 

「あ、悠貴くん!」

「呼ばれているんじゃないか?」

「『悠貴』なんて珍しくもない名前だし、別の人だって。待ち合わせの約束をした覚えもないし」

 

 同じ名前の誰かが呼ばれているんだろうと判断して、僕と武蔵は歩みを止めずに駅へ向かう。

 

「悠貴くん、待ってください!」

「やっぱり、お前じゃないのか?」

「まさか……あ」

 

 もう一度名前を呼ぶ声がしたので振り返る。するとそこには朱鷺ノ宮(ときのみや)さんがいた。

 朱鷺ノ宮女子学院の制服を身に纏った姿で僕を呼んでいる。

 

「と、朱鷺ノ宮さん!?」

「悠貴くん、急にごめんなさい。どうしても会いたくて来ちゃいました」

 

 周りの視線が集まる。急な展開について行けず思考がフリーズする。

 眼の前まで小走りで迫ってきた朱鷺ノ宮さんが嬉しそうに僕に話しかけていた。

 

「悠貴、とりあえずここから離れたほうがいい」

「……そうだね」

 

 あの人混みは朱鷺ノ宮さんが居たからできたものだった。当然、その原因である当人が僕の前にいるのだから好奇の視線が集まる。

 その中にはスマホを向けている生徒までいる。

 

「悠貴くん?」

「朱鷺ノ宮さん、ごめん」

「きゃあ!?」

 

 この状況から抜け出すために、僕はとっさに朱鷺ノ宮さんの手を取った。

 そのまま駅の方に向かって僕たちは走り出す。幸いなことに追ってくるような気配は無かった。

 

「はあ、はあ」

「……きゅ、急に走り出したので驚きました」

「ごめん、校門前から離れたくて」

 

 少し学校から離れた位置で立ち止まり息を整える。

 朱鷺ノ宮さんも乱れた呼吸のままだ。周りに人は居なくて、武蔵はしれっと僕らを2人きりにして何処かに行ってしまっていた。

 

「朱鷺ノ宮女子学院の生徒があんなところにいたら騒ぎになっちゃうよ」

「……それで急に」

「うん、今日はどうして? 連絡くれれば良かったのに」

 

 次の約束はまた週末ということになっていた。

 そこで撮影する予定で、僕はその撮影に向けて千聖さんに授けられた”とっておきの方法”で猛特訓するつもりだった。

 

「ごめんなさい。どうしても悠貴くんに会いたくなって、あそこで待っていれば会えると思って来ちゃいました」

「どうしてもって、なにかあったの?」

「はい、撮影した曲の編集がすべて完了したんです!」

 

 誇らしげに朱鷺ノ宮さんは胸を張り、宣言するように語った。撮影した曲すべて、10曲は超える動画の編集がもう終わったと。

 大変だっただろうと心配になるけど、嬉しそうに報告してくれた朱鷺ノ宮さんにそう伝えるのは無粋に思えた。頑張ってくれたんだから、せっかくだから感謝を伝えたい。

 

「ありがとう朱鷺ノ宮さん。編集お疲れ様……終わるの早くて驚いたよ」

「悠貴くんが驚いてくれたなら、頑張ったかいがありました」

「大変だったんじゃない?」

「早く私たちのチャンネルを始動させたかったですから」

 

 これからきっと楽しくなる。朱鷺ノ宮さんの表情はそう確信しているように見えた。

 チャンネルの始動、それは誰かに僕のピアノを聴いてもらうということだ。

 

 否応なしに評価される。

 怖い。でも、楽しみでもあった。真逆の感情が僕の中で不思議と同居していた。

 

「悠貴くん、これからお暇ですか?」

「え、うん」

「ならデートしましょう!」

「へ?」

 

 さっきとは真逆に僕の手を朱鷺ノ宮さんが取った。

 そして花が咲いたような笑顔でそう朱鷺ノ宮さんは僕を誘ったのだった。

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