夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第十五話 テイストの違い

 朱鷺ノ宮(ときのみや)さんと電話の後、教室に戻っても僕は朱鷺ノ宮さんから送られてきた楽譜のデータをしばらく眺めていた。

 無性に練習がしたくなったけど、今日はバイトがある。練習に取り掛かるのは、終わってからだな。

 

 まだ新人なので今日も千聖《ちさと》さんが指導に付いてくれる。バイト先に着くと、まだ千聖さんは来ていなくて僕だけだった。

 ちょっと早く来過ぎたな。バイトが始まるまで少し時間がある。

 

「……ちょっとだけ、練習しててもいいよな」

 

 着替えは済ませた。千聖さんを待っている間、朱鷺ノ宮さんが送ってくれたデータで練習しておこう。

 前に公園で朱鷺ノ宮さんがやったように、眼の前に鍵盤がなくてもイメージで演奏すれば練習ができると思う。

 

「スマホを立て掛けて、これでよし」

「何がよしなの?」

「わあ!?」

 

 急に後ろから声を掛けられて飛び上がってしまう。心臓がバクバク言ってる中、振り返るとそこには千聖(ちさと)さんがニヤニヤしながらこっちを見ていた。

 

「……千聖さん、驚かせないでよ」

「ごめんごめん。だって悠、私が来たのに気が付かないんだもん」

「どうせ、コソコソ忍び寄ったとかでしょ」

「否定はしないけど、普通に入ってはきたよ。それで気付いてないから、つい」

「ついじゃないよ。心臓が爆発するかと思った」

「“わあ!?” って驚いてたもんね」

「千聖さん」

「ごめんなさい、もうしません」

 

 ……絶対、またやる。

 それを悪くないって思ってるあたり僕も大概なのかな。さっきみたいに文句を言いながらも、千聖さんとの会話を楽しんでいる僕がいる。

 

 ただ、バイト先で練習するのは控えたほうがいいかもしれない。

 最近はこうして練習していると、あっという間に時間が過ぎてしまう。

 たぶん、周りが見えなくなっているんだ。

 

「で、何をしてたの? もうすぐバイトだよ」

「まだ着替えてない千聖さんに言われても、こっちはちゃんと着替えてるし」

「もう、怒んないでよ悠。謝るから、ね?」

「全く……これ、楽譜見てちょっと練習しようとしてた」

「スマホで見てるの珍しいね。この楽譜って……悠、クラシックから宗旨替えでもしたの?」

「え、楽譜見ただけで何の曲か分かるの?」

「分かるよ。これでも作詞と作曲してるんだからね。最近バズってた二人組バンドの曲でしょ。クラシックとは正反対じゃん」

「すご……そこまで分かっちゃうんだ」

 

 楽譜見ただけで分かるのか。最初のフレーズを拡大してたから、タイトルは見えなかったはずだ。やっぱり千聖さんすごいな。

 

「うん、ちょっとね。動画投稿始めたんだけど、こういうのもあったほうがいいって」

「相方の子が? なんか本格的だね」

「戦略とか色々考えてるみたいなんだ」

「へえ、そのチャンネルって教えてもらっても大丈夫なやつ?」

「大丈夫。ただ一応言っておくけど、誰かに僕がやってるって言ったりしないでほしい」

 

 千聖さんなら心配いらないと思う。ただ、念の為言っておこう。

 さっきみたいな悪戯はするけど、そういうことはしない人だ。

 

「うん、言わない。だから教えてほしいな」

「ちょっと待ってね。『My etude』ってチャンネル名なんだけど、今画面に出すから」

「『My etude』ね。なんか良い感じの名前じゃん」

「これも一緒にやってる子が考えてくれたんだ。俺も案を出したけど、全然センスが無かったし」

「……ふーん、相方の子が考えたんだ」

「そうだよ。千聖さん、これがチャンネル。まだ二曲しか投稿してないけど」

 

 スマホに出したチャンネルを千聖さんに見えるように差し出す。それを受け取った千聖さんが、自分のスマホを取り出して操作を始める。

 

「チャンネル登録しとくね。陰ながら応援してるから」

「うん、ありがとう」

「誰にもこのチャンネルのことは言わないって約束は守るけど……」

「どうしたの?」

「優里香にも内緒にしたほうがいいの? 悠のことだから、まだ言ってないでしょ」

「あー、言ってない。姉さんに言うのはまだちょっと恥ずかしいかな」

「やっぱり、だと思った」

 

 特に深い理由はないんだけど、家族にはチャンネルのことは言えていない。

 妙な恥ずかしさを感じて、何度か言おうとしたけど結局言えないまま今日まで過ごしてしまっている。

 

「前に千聖さんから譲ってもらったキーボードがあるから、ピアノやってることは分かってると思う」

「流石にそれで気が付かないほど優里香も鈍くないよね。いつかちゃんと言ってあげてね」

「……うん」

 

 いつかは言わなくちゃいけない。これからどれくらい続けるかは分からないけど、朱鷺ノ宮さんに最後まで付き合うって決めたのだから。

 

「それにしてもだよ。悠がその手の曲の練習を始めるなんてね」

「似合ってないかな?」

「そういうのじゃなくてね。やっぱりクラシックとはテイストが違うから」

「テイスト?」

「うん、楽しみ」

 

 クラシックとはテイストが違う。

 それは僕が上手く弾けないって意味で言ったのかと思った。でも千聖さんは本当に楽しみにしているように微笑んでいる。

 

「クラシックであれだけ弾けるんだもん。きっとその曲だって自分のものにできる」

「自分のものに……」

「だってその曲よりもショパンのほうが難易度高いよ。どっちが上とかじゃなくて、技術的に求められるものは悠が弾ける曲よりも易しいってこと」

「だよね。楽譜見ててもこの曲は弾きやすいように見える」

 

 これだけシンプルに削ぎ落とされているのに、キャッチーな曲なんだからすごい。

 なにせ『簡単だから練習して弾いて欲しい』と作曲した人が音楽番組で言っていたくらいだ。

 

「だから、今からそんなに不安にならなくていいよ」

「千聖さんにはお見通しだね」

「ふふっ、悠のことだからね」

「そんなに分かりやすいかな? でも、ありがとう。今から不安に思っていても仕方ないよね。ちょっと気が楽になったよ」

「どういたしまして」

 

 千聖さんが僕の不安を晴らしてくれた。

 今はただこの曲を練習したい。きっと形になる。楽しみにしてくれている千聖さん、そして朱鷺ノ宮さんのために早くピアノに触れたかった。

 

「あんまり焦っても、こういうのって良くならないからね」

「それって千聖さんの実体験?」

「私も悠くらいの頃は悩んだりしたよ」

「千聖さんが……? 想像つかないな」

 

 千聖さんにも僕のような経験があるのか。僕から見た千聖さんはいつも余裕があって、落ち着いていて、カッコいいって印象だ。

 でも、僕が知らないところで駄目だって分かっていても無理をしてしまった。そんな経験があったということなんだろう。

 

「例え夢からこぼれ落ちたようなものだって思うかもしれない。けど悠が現実でピアノをあれだけ弾けるのは事実なんだから、自信を持って良いんだよ」

「自信を持つ。俺に足りないところだよね」

「あれだけ弾けたらもっとイキってもいいと思うよ」

「いや、それはちょっと……遠慮しとく」

「あはは、そうだね。悠には似合わないね」

 

 自信を持つのが大事なのは痛感した。だけどイキるってのは抵抗が勝つ。

 バシバシと僕の背中を叩きながら千聖さんも笑っている。痛いよと少しだけ抗議の意味を込めて視線を向けると、ごめんごめんとお腹を押さえながら叩くのやめた。

 

「はあ、おかしい……えっと、いつもは1人で弾いてるんだもんね?」

「練習も、収録も1人で弾いてる」

「それが自信を持てない原因かもね。うーん、何か良い方法ないかな」

「千聖さんって自信を持って演奏するために何か特別なことをしたりした?」

「特別なことか。私が悠くらいの時って、軽音部だったから、その仲間と……」

「千聖さん?」

 

 千聖さん軽音部だったんだ。そう思って話を聞いていると千聖さんが途中で言葉を止めて、黙り込む。

 何かを考えているようだけど、僕にはその内容は全く分からなかった。

 

「いいこと思い付いちゃった」

「いいこと?」

「悠、知ってる? その曲、結構簡単だから作曲者がファンに練習して弾いてみてほしいって言ってたの」

「音楽番組で言ってたやつだよね。ちょうど見てたから知っているよ」

「ピアノだけじゃなくて、ギターもそこまで難しいメロディーラインじゃないんだよね。その曲って」

「へえ、そうなんだ」

 

 作曲者の人がキーボード担当だったからキーボードが簡単なんだと思っていたけど、どうやら他も簡単に作ってあるらしい。

 

「悠、この二人組ってどんな風に曲を演奏してるか知ってる?」

「ボーカルの人がギターの演奏もするんだよね。もう1人はキーボードで、作曲とか担当してる人だよね」

「そう、この2人って他の足りない部分は打ち込みで代用してるの。ライブとかだとプロの人雇うみたいだけどね」

「みたいだね。それがどう『いいこと』に繋がるの?」

「ここにボーカルとギターできる私がいて、キーボードできる悠がいるでしょってこと」

 

 千聖さんはその言葉に合わせて自分を指差した後、今度は僕のほうをビシッと指差した。

 

「え、ええっ!?」

「もう分かったよね。 私と悠でセッションすれば良い練習になるよ!」

 

 その言葉で僕の中に燻っていた悩みは吹き飛んでいた。

 初めて誰かと演奏する。その相手が千聖さんだと考えるだけで、楽譜の曲が福音のように頭の中で鳴り響いていた。

 

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