夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第十六話 セッション

 千聖(ちさと)さんとセッションすることが決まり、バイトの無い日の放課後に待ち合わせをした。

 レンタルスタジオってところに連れて行ってくれるらしい。「自宅での練習も限界があるし、ここらで悠も一度使っておいたほうがいいよ」そう提案してくれた千聖さんに僕は首を縦に振った。

 

「お待たせ、待たせちゃった?」

「全然、待ってないよ」

「それ重かったでしょ」

「重かった。このあと家に持って帰るのが大変」

「そこは大丈夫。ちゃんと考えてあるから」

「考え?」

 

 このキーボード、専用のバッグに入れて持ってきたけどかなり重い。

 一度家へ取りに帰ったけど、学校に持っていかなくて正解だった。

 

「それは後のお楽しみ。それじゃあ、行こっか」

「結構近くなんだっけ?」

「そうだよ。徒歩五分も掛からないと思う」

 

 そう説明され千聖さんに付いて歩くこと数分、目的地のスタジオがあるビルの前まで辿り着けた。

 

「時間決めて受付で手続き済ませば、あとは好きなだけ練習できるよ」

「へえ、近くにこんな場所あるなんて全然知らなかった」

「縁が無いとなかなか利用するような場所じゃないからね」

 

 エレベーターで地下へと向かう。

 防音というだけあって、地下にスタジオがあるらしい。

 

「着いたよ」

「いらっしゃいませ」

 

 どうやらエレベーターを出てすぐ受付になっていて、店員さんの挨拶が聞こえた。

 千聖さんに続いて降りると、防音室から僅かに漏れたベースの音がした。

 冷たい地下の空気。初めて来た場所に、少し落ち着かない。

 

「あ、千聖ちゃんだ。珍しいねライブ前じゃないのに来るの」

「今日は特別なゲストが一緒だからね」

「誰かと一緒なの? 一体誰と――あれ、悠くん?」

「……姉さん?」

 

 一瞬、頭が追いつかなかった。そこにいたのは朝と同じ服の上にエプロンを付けた姉さんだった。

 こういう店もバイトはエプロンなんだって、変な感想が頭に浮かぶ。

 

「千聖さん、知ってて教えなかったでしょ」

「そっちのほうが面白そうだったから」

「えー、なになに、お姉ちゃんも混ぜて~」

 

 千聖さんはニヤニヤと楽しそうに笑って、姉さんがニコニコ嬉しそうに笑っている。

 完全にしてやられた。姉さんがバイトしているのは知っていたけど、どこで働いているかは知らなかった。

 

「いいサプライズになったでしょ」

「心臓に悪いよ」

「特別ゲストって悠くんだったんだね。千聖ちゃんと一緒に練習するの? そういえば最近キーボード部屋に置いてるのって、あれも千聖ちゃんに関係あった?」

「……姉さん、一気に色々聞かないで」

「えー、教えてよ。お姉ちゃんだけ仲間外れは寂しいよ~」

 

 もうすぐ20歳になるはずの姉さんが、ほっぺたをふくませて抗議している。

 千聖さんと俺が一緒なのに、自分だけ仲間外れなのがお気に召さないらしい。

 

「バイト中でしょ。今日くらい弟離れしてあげなよ」

「弟離れはしません! あー、2人の練習見たいな」

「姉さんはバイト中なんだから、ちゃんと働いたほうがいいよ」

「2人とも冷たい。いいもん。お姉ちゃんは1人寂しく労働に勤しみますから」

 

 むくれた姉さんがそっぽを向いた。それを見た僕と千聖さんは、思わず顔を見合わせて吹き出してしまった。

 

「悠は優里香(ゆりか)に良いとこ見せたくて練習してるの。だから今は我慢してあげて」

「うそ、ほんとに? もう、悠くんったら」

「……千聖さん」

「これが一番手っ取り早いじゃん」

「そうだけど、家に帰ったら大変なんだけど」

 

 さっきとは打って変わって、姉さんは嬉しそうに体を揺らした。

 小声で千聖さんにクレームを言うが、どこ吹く風と気にした様子はない。

 

 こうなった姉さんは、家でやたらと僕に構ってくるようになる。もう何を言っても無駄だと僕は肩を落とした。

 

「悠くん、お姉ちゃんのこと大好きなんだから~」

「受付さん、1人ではしゃがないの。部屋の手続きしてくれる?」

「はーい、予約入れてくれてるんだよね?」

「うん、ネットで入れた」

「確認するね。うん、千聖ちゃんの予約ちゃんと入ってる。Aスタジオだよね」

「今から入っても大丈夫?」

 

 千聖さんがスマホをカウンターに出して、慣れた様子で予約の話をしている。

 それを姉さんがパソコンを操作して確認していた。家族が働いているとこを眺めるのは、どうにも妙な気分になる。

 

「うん、大丈夫。ちょうど予約の時間だしね。今から2時間の貸出、私もちょうど上がりの時間だから一緒に帰ろうね」

「3人で帰ろっか。良かったね悠。優里香が車に乗せてくれるって」

「さっき言ってたのはこういうことだったんだ」

 

 だから姉さんが今日は車でバイトに出たんだ。いつもは電車で行くのに、変だと思った。

 

「それじゃあ、また後でね」

「はーい、一緒に帰ろうね」

 

 一旦、姉さんと別れて僕は千聖さんとスタジオに向かった。

 中に入るとそこにはドラムやら、他の機材があって想像のまんまの姿があった。

 

「早速始めよっか。優里香のバイト終わりに合わせたから、2時間しか時間ないの」

「演奏してたらあっという間に過ぎるよね」

「お、悠もそう思う? いくらあっても時間足りないよね」

 

 こんな些細な共通点を見つけることに喜びを覚えながら、僕たちはお互いに演奏の準備をする。

 

「準備できた? こっちはもう大丈夫だよ」

「あとちょっとだけ待って。うん、もう大丈夫」

 

 僕にとって初めての一人じゃない演奏だ。相手は千聖さん、緊張はある。

 でもそれ以上に楽しみでもあった。きっと何かが得られる。そんな予感と、憧れの存在と隣に並べたような高揚感が僕を埋め尽くしている。

 

「まずはギターからだったね。悠は私のギターの音でリズム取って入ってきてね」

「千聖さんのギターを聴いてだね」

「最初だから緊張しないで気楽にね。じゃあ、始めよっか」

 

 ギターを肩に掛け、僕と向き合う形で千聖さんがピックを持ち上げた。

 そのまま振り下ろすように弦を掠めた。柔らかい音が空気を震わせ、スタジオの静けさが一気に打ち破られる。

 よく耳にする流行りの曲を、千聖さんが演奏している。

 

 同じメロディーのはずなのに、イメージがまるで違った。

 寄り添うように、導くように、この空間を優しく包み込むように響いている。

 

「……っ」

 

 ギターの音がピアノの始まりを告げる。僕の演奏するパートが近づいていた。

 こんな風に演奏を始めるのは経験がない。どんな感じで入ればいいのか分からなかった。恐る恐る、千聖さんの音に導かれるように僕は鍵盤を押し込む。

 

 それを受けて千聖さんがクスッと笑った。今のは成功したのか、それとも駄目だったのか。分からないけど、この狭いスタジオで音が交わっていった。

 

「……どうだった?」

 

 この曲は3分くらいの短めの曲だ。あっという間に演奏が終わり、僕は千聖さんにさっきの出来栄えを確認していた。

 

「悠、誰かと演奏するの初めてだったんだよね?」

「うん、そうだよ」

「その相手になれて……一緒に演奏できて、すごく嬉しい。またしようね」

「うん……ってそうじゃなくて! 演奏。どうだったか教えてほしい」

「あ、ごめんごめん。さっきの演奏が本当に良かったから、ついね」

 

 千聖さんはそう余韻を噛みしめるように微笑んだ。

 もしかして上手く出来たのだろうか? あまり自信はないんだけど、千聖さんはすごく喜んでくれている。

 

「いいよ悠。お世辞抜きにめちゃくちゃ良かった」

「本当に?」

「本当に、駄目だよ。ちゃんと自信持てるようにならないと。細かいとこはミスってたけど、最後まで一緒に弾ききれたでしょ?」

 

 また自信の無さを指摘される。1日、2日じゃ治ってくれないみたいだ。

 それでも楽しかった。千聖さんの言う通り、僕もあの短い3分間をずっと楽しんでいたから。

 

「すぐには治りそうにないかも。でも、千聖さんと演奏して本当に楽しかった。なんか上手く言葉にできないけど、一体感? そういうのがあって、あっと言う間に終わっちゃった感じ」

「そっか。悠も楽しんでくれたんだ」

「誰かと一緒に演奏するのって、想像以上に楽しいね千聖さん」

「ふふ、そうでしょ。悠にこの魅力を伝えたかったの」

「あれ、でも千聖さんシンガーソングライターって……」

 

 そう確かに言ったはずだ。軽音部だったとは聞いたけど、今はソロで活動しているはずだ。

 何かトラブルでもあったんだろうか。

 

「バンド組むと色々あるからね。だから今は1人でしてるの」

「へー、そうなんだ」

「でも時々は軽音部が一緒だった子とか、音楽友達と合わせたりしてるよ。だから、この楽しみを悠にも知っておいてほしかったの」

「うん、伝わった」

 

 あっという間だった3分間がまだ胸に残っている。誰かと合わせる楽しみというものを知ってしまった残り香かもしれない。

 また合わせたい。今日だけじゃなくて、これから先もずっと。

 

「今日の最大の目的は果たせたかな」

「このためのセッションだったんだね。ありがとう、すごくためになったと思う」

「どういたしまして、あとは悠が自信を持って演奏できるようになったら完璧なんだけどね」

「えっと、頑張ります」

「本当に大事だよ自信って。自信ある人の演奏のほうが悠も聴きたいでしょ?」

 

 自信のある人と無い人、2人の技術力が一緒なら自信ある人のほうが良いと思う。

 もっと、演奏を続けていたら自然と身に付いていくかな。今は演奏を重ねて頑張るしかなさそうだ。

 

「自信つけるためには、もっと演奏するしかないよ」

「根性って感じだね」

「大事だよ根性も、音楽にはね」

「そういうものなんだ」

「そういうもの! ほら、スタジオの時間はまだあるよ。もっといっぱい練習しよう」

 

 この日、僕は時間ぎりぎりまで千聖さんとのセッションを繰り返した。

 自信を持てたかは分からない。そして――千聖さんのギターの音色に合わせている時間はあっという間に過ぎ去った。

 

 ただ音を合わせるのが楽しかった。この時間がいつまでも続けば良い。

 そう願いながら、姉さんが終わりの時間を告げにくるまで僕は千聖さんと音を重ね続けた。

 

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