夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第二十話 鐘はまだ遠く

 『My etude』チャンネル登録者数が1,000人を超えていた。最近は『ラ・カンパネラ』の練習であったり、千聖さんとのセッションばかりで気が付いたらこうなっていた。

 

 動画サイトで見ればまだまだ弱小チャンネルだけど、この数は僕の通う学校の生徒数よりもずっと多い。それほどのチャンネル登録者数がいるという事実に、現実感がまだない。

 

「1023人か」

 

 朱鷺ノ宮さんが用意してくれたピアノに機材、そしてビルの中にある撮影用のスタジオ。音楽の知識が付いていけばいくほど、どれだけ僕が恵まれた環境にいるのか分かってくる。

 

「恵まれているよな」

 

 放課後。予定がなかった僕は何となく駅のストリートピアノに向かっていた。

 さっき電車の中で確認した『My etude』の画面、どの動画もけっこう再生されていた。そんなことを考えていると、ストリートピアノが見えてきた。

 

「……先客だ」

 

 素直な良い音が響いている。これは僕も知っている。ショパン、僕が千聖さんと再会した時に弾いていた曲だ。

 

 綺麗に弾けているけど、まだ練習中みたいだ。時々危なっかしいところがあるけど、逆にその危なっかしさが微笑ましい。

 

 適当な場所に座って待っておこう。そう思った瞬間、演奏が止まった。

 

「……お兄さん?」

「あれ、君は確か……この前、ピアノを見に来ていた」

「はい! 美音(みおん)です。悠貴(ゆうき)お兄さん」

「美音ちゃん、久しぶりだね」

「お久しぶりです、お兄さん」

 

 この前、バイト先にピアノを見に来ていた美音ちゃんだ。

 

「この前、ピアノを買いに行きました!」

「あー、バイト入ってない時に買いに来てくれたんだ」

「ピアノを買ってもらえたのはすごく嬉しかったですけど、お兄さんとお姉さんに会えなかったのが残念です」

「ごめんね。千聖《ちさと》さん……あのお姉さんに仕事教わってるところだから、俺と休みも一緒なんだ」

 

 まだ新人バイトだから、千聖さんとシフトは一緒だ。週3~4日くらいのペースでシフトには入っている。今回はそれ以外の日に来てくれたのか。

 

 それにしても、ランドセル背負って演奏か。結構重そうだけど、ちゃんと演奏できてたな。

 

「じゃあ、連絡先教えてもらってもいいですか? 今度お店に行くときはお兄さん達がいる日にしたいので!」

「え、ああ、うん、いいよ。連絡先交換しよっか」

「やった!」

 

 まさか小学生の女の子と連絡先を交換することになるとは思わなかった。美音ちゃんが取り出したスマホは、落ち着いた雰囲気とは真逆で小学生らしい可愛いスマホケースだった。

 

 せっかく会いたいって言ってくれてるんだし、無下にはしたくないよな。僕もスマホを出して連絡先の交換に応じる。

 

「ありがとうございます。これで次はお兄さんたちが居る時にお店へ行けます」

「うん、千聖さんと一緒に待ってるね」

「また演奏聴かせてくださいね。あれ、お兄さんここに来たってことはもしかして……」

「ちょっとそのピアノ弾いていこうと思って」

「え、聴きたいです! 何を演奏するんですか?」

「ちょっと今練習している曲をね。まだ上手く演奏できないんだけど、練習しておきたくて」

 

『ラ・カンパネラ』最近は通しで一曲弾き切る練習をしている。まだまだ完成度は高くないけど、少し形になってきたと思う。

 

 今もちょっとした隙間時間にこうして練習しようってくらいにはモチベも高いままだ。

 

「聴きたいです! 是非、練習してるとこ見せてください」

「えっと……そうだね。せっかく来たんだし、弾いていくよ」

「やった!」

 

 もう完全に弾く流れだな。もともとそのつもりだったけど、予想外のことがあったから変な感じだ。

 

「弾くのはショパンですか? 私、この前お兄さんが弾いてくれたショパンを今練習してるんです」

「聴いてたよ。すごく上手だった」

「いっぱい練習したんです! お店でお兄さんが弾いたピアノを買ってもらって」

「うん、それが伝わってくる演奏だったよ」

「あ、私カバン持ちます!」

 

 肩から鞄を降ろそうとすると、美音ちゃんが僕から引ったくるように鞄を預かってくれた。

 

 そんなに聴きたいって思ってくれてるんだろう。それが少しだけ嬉しくて、演奏に気合が入る。

 美音ちゃんに変わって鍵盤の前に座り、指をほぐす。

 

「……まだ練習中で間違えることもあると思うから、あまり期待しないでね」

「はい!」

 

 分かってるのかな。そんな期待に満ちた目を向けられると、とても分かってくれているとは思えなかった。

 

 これ、恥ずかしいところは見せられないな。僕はスイッチをオンにするように意識を切り替える。

 

 鍵盤に指を乗せる。冷たい感触に何故か胸が高鳴る。

 最初の音を叩いてピアノの音が響くと同時に周囲の雑踏が遠のいた。

 まるで世界が僕だけになったようにピアノの音と僕の息遣いだけ。

 何度も繰り返した指運びが淀み無く流れていく。

 

 良く弾けている。自分でもそう思えるくらい良い出来だった。

 だからだろうか。ふと、頭の片隅に“夢”がよぎった。

 もし、僕が夢の中で弾いたらどんな音になったんだろう。

 もっと違う輝きがあるかもしれない。そう考えると、ほんの一瞬、手が迷った。

 

 けれど、それでも止まらない。

 鍵盤を叩くたび、迷いよりも先に音が出てくる。

 現実の僕が出せる音は、これだけだ。

 だからこそ――今は、この音を信じたい。

 

 指先が火照るように熱を帯びて、最後の一音を叩いた。

 響きが消えていく。

 静まり返った空気の中に、遅れて拍手の音が届いた。

 

 ――パチパチパチ。

 

 演奏を終えた僕に拍手が届いた。美音ちゃんだけじゃない複数の音、結構な人が足を止めて聴いてくれていたようだ。

 

 何故か急に恥ずかしくなって、美音ちゃんのもとへと戻ろうと立ち上がる。一歩踏み出して顔を上げると美音ちゃんだけではなく、見知った顔があった。

 

「あれ、朱鷺ノ宮(ときのみや)さん。どうして……?」

「偶然通りかかったんです。まさか、悠貴くんが演奏しているところに立ち会えるなんて……今日は運が良かったみたいです」

「お兄さん、お知り合いですか?」

「あ、ごめん美音ちゃん。鞄、預かってくれてありがとう」

「悠貴くんの妹さんですか?」

 

 首を少しだけ傾けて、朱鷺ノ宮さんはそう疑問を口にした。

 確かにお兄さんって呼んでるもんな美音ちゃん。お兄さんって兄弟だと珍しい呼び方ではあるけど、僕も朱鷺ノ宮さんの立場なら同じことを考える。

 

「あ、違うんだ。この子は、えっと……なんて言えばいいだろう。ちょっとした知り合いで」

若田部(わかたべ) 美音(みおん)です。お兄さんにはピアノを買う時お世話になったんです」

「ピアノ買う時、ですか?」

「言ってなかったっけ? 楽器店でバイトしてるんだ」

 

 そういえば言っていなかった。バイトは平日の放課後や、週末の収録のあとだったから言う機会がなかった。

 

 今はまだ収録に被ってないけど、いずれは被ってくるはずだ。だからこの機会に朱鷺ノ宮さんには知っておいてもらって良かったかもしれない。

 

「美音ちゃん、さっきの悠貴くんの演奏はいかがでしたか?」

「すごかったです。『ラ・カンパネラ』ですよね。とっても難しいのに、すごく上手でした」

「ええ、私もそう思います」

 

 やっぱりこうも褒められると照れくさいな。

 2人は初対面なのにピアノという共通の話題があるからか、僕のさっきの演奏を話の種にして会話に花を咲かせている。

 

「あ、もうこんな時間……すいません。塾の時間だから、そろそろ行かなくちゃ」

「そうですか。もっとお話したかったですけど、塾なら仕方ありませんね」

「またね美音ちゃん」

「あの……また、演奏聴かせて下さいね」

「また? うん、もちろん」

 

 美音ちゃんは名残惜しそうに何度もこちらへ振り返りながら、僕たちから遠ざかっていた。

 その様子を姿が見えなくなるまで見送ると、朱鷺ノ宮さんが口を開いた。

 

「悠貴くんにファンができちゃいましたね」

「ファンって、大げさじゃない?」

「いえ、大げさじゃありませんよ。現に私だって悠貴くんのファンなんですから」

「あ、ありがとう」

「うふふ、どういたしまして」

 

 いきなりのファン宣言に少しだけ戸惑って返事をすると朱鷺ノ宮さんは楽しそうに微笑んだ。

 

「さっきのを聴いて思い付いたことがあります」

「思い付いたこと?」

「一度、収録してみませんか。今の状態で」

「今の状態でって、『ラ・カンパネラ』を?」

「はい」

 

 冗談ではないのだろう。朱鷺ノ宮さんの表情はそう言っている。

 ようやく通しで演奏できるようになったばかりなのに、朱鷺ノ宮さんの瞳は完成品を見たようにうっとりとした眼差しだった。

 

「朱鷺ノ宮さんが言うならやってみようって思うけど、もう少し練習しなくて大丈夫かな?」

「完成度を高めるという意味でなら、そうかもしれません」

「だったら……」

「ですが、今の状態で収録することにも意味はあると思いませんか?」

「意味、あるのかな?」

 

 動画で上げる以上は上手くできたほうが良いと思うけど、朱鷺ノ宮さんは違う考えのようだ。

 

「私はあると思います。それに収録してしまったからって練習を止める必要はありません。もっと良く弾けるようになったら、また収録してチャンネルに投稿すればいいと思うんです」

「……確かに、同じ曲を投稿しているチャンネルってあるね」

 

 最近はピアノで演奏する動画を上げるチャンネルを見たりしてるけど、同じ曲を投稿しているのを見たことがある。

 

 ピアノが変わったり、登録者〇〇人達成の記念だったり色々な理由で、決して珍しいことじゃなかった。

 

「また挑戦したいと動画の概要欄に明記しておけば、視聴者も楽しみにできます」

「なるほど、いいかも。うん、やってみる」

「では、決まりですね」

 

 こうして『ラ・カンパネラ』を収録することが決まった。

 まだ不安は残るけど、この不安ごと今の僕の全てを残しておく。それも悪くないと思えた。




ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
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これからも『夢見のピアニスト』をよろしくお願いいたします!
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