夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第二十二話 自分の音楽

 朱鷺ノ宮(ときのみや)さんが先週、他のストックを置いて先に編集を終えた『ラ・カンパネラ』を投稿していた。

 その動画は僕の予想を越えて、大きな反響を生んでいた。

 

 ・これ無料で聴いていいの? 金払っていいレベル

 ・感動した。鳥肌とまんないw

 ・これだけ鮮やかに弾けたらさぞ気持ちいいだろうな

 ・途中から人が変わったのってぐらいレベルが上がってない? これで練習中って嘘だろ…

 

 バイト終わりにコメント欄を見ていると、称賛の嵐で誰もが夢に侵食された演奏を褒め称えている。

 その中に見覚えのあるアイコンの英語コメントがあった。

 

 I felt like I saw a glimpse of your shadow at the beginning. But I can't help being drawn to both sides of your music. Your music always lifts my soul.

 

 この人、初期からコメントくれている人だ。多分喜んでくれているんだと思うけど、今は翻訳してコメントを読む気にならなかった。

 

「悠、すごいじゃん。登録者数、このままの勢いなら10万人も夢じゃないよ」

「……そうだね」

 

 複雑な僕の感情とは関係なしに『My etude』はチャンネル登録者数を大きく伸ばした。

 4桁だった登録者数は、『ラ・カンパネラ』を投稿してから一気に3万人を突破してしまった。

 

「元気無いじゃん。嬉しくないの?」

「……複雑な感じ」

「なに、悩み事? 千聖お姉ちゃんが聞いてあげよっか」

 

 素直に喜べない僕を、千聖(ちさと)さんが茶化すように覗き込んでくる。きっと励まそうとしてくれているんだと思う。

 相談してみようか。夢の悩みなんて、千聖さんくらいにしか話せない。

 

「千聖さん、このあと時間ある?」

「ふふっ、あるに決まってるじゃん」

「ありがとう」

「いいって、お姉ちゃんに任せなさい」

 

 『ラ・カンパネラ』を演奏していた時の夢が現実に侵食してくるような感覚、話してもどうにかなるものじゃないかもしれない。それでも、聞いてほしかった。

 店長に挨拶をして、バイト先を後にする。

 

「家に来なよ」

「千聖さんの家?」

「相談なんでしょ? どこかのお店だったら知り合いに会うかもしれないよ」

 

 この辺りのファミレスやチェーン店のカフェなんかでばったり会うはずないのに、真っ先に思い浮かんだのは朱鷺ノ宮さんだった。

 それと同時に今は会いたくないって思っている自分に驚く。

 その理由を考えてみたけど、上手く言葉にできなかった。

 

「……だね。そうさせてもらうよ」

「じゃあ、行こっか」

 

 千聖さんの家に向かう途中、会話は無かった。どうこの悩みを切り出せばいいか分からなくて、僕はずっと言葉を探していた。

 

 そんな僕を察したのか、千聖さんはただ寄り添うように隣を歩いてくれていた。

 悩みはまだ僕の中で渦巻いている。この沈黙の優しさがありがたかった。

 

「ただいま~」

「お邪魔します」

 

 特に会話もないまま千聖さんの家に着いて、後に続いて上がらせてもらう。

 

「悠ちゃん? あら、いらっしゃい! もう千聖……連絡くれたら夕飯用意したのに、今からじゃ遅くなっちゃうじゃない」

「あ、忘れてた。どうする悠、家で食べてく?」

「今日は家で姉さんが作ってくれてるから、ありがたいけどまたの機会にさせてください」

「あら、残念。また次の機会ね。そうだ! 優里香ちゃんも誘って昔みたいに、ね」

「また今度ね。ちょっと悠とスタジオで話してくるから」

 

 さっきまでの沈黙が嘘みたいに千聖さんのお母さんの雰囲気に持っていかれる。

 千聖さんがなだめるようにしている光景に、心が少しだけ軽くなっていくような気がする。

 

 スタジオに移動すると、以前とは違って物が散乱していた。

 

「あちゃー、やっちゃったなこれは」

「散らかってるね」

「いつもは綺麗にしてるんだけどね。これはたまたま……勘違いしないでよ?」

「珍しいね。千聖さん綺麗好きなのに」

 

 スタジオの中央には机が出ていて、その上一面にびっしりと本とかノートが広がっている。それに床にも丸められた紙が落ちている。

 キーボードはカバーこそ掛けてあるけど、前に見た位置から引っ張り出したままだった。

 

「……新曲を作ってたの。それで行き詰まって、気が付けばこんな感じに」

「曲作りって大変なんだね」

「大変だね。でも、楽しいよ」

「悩んだりするの?」

「悩むよ、もう悩みまくりだよ~!」

 

 僕の抱えている悩みとは関係ないことなのに、千聖さんも悩んだりする事実に救われた気がする。

 たったそれだけのことだけど、一人じゃないんだよって言ってくれている気がした。

 

「千聖さんも悩んだりするんだね。なんか、安心した」

「安心したって、酷いな悠は」

「あ、ごめん。馬鹿にするつもりとかじゃなくて」

「ふふっ、分かってるよ」

 

 お互い、吹き出すように笑っていた。散らかったスタジオが、僕たちを包み込むように暖かいものに思えた。

 まるで悩みを吐き出すように、笑いが止まらなかった。涙が出そうになって、指で拭う。

 

 今ならこの悩みを上手く話せそうな気がする。

 

「はー、笑った。こんなに笑ったの久しぶりかも」

「なんか、気が楽になったよ」

「そう? なら悠に恥ずかしいとこ見られたかいがあったかな。ちょっと待ってね。座れるように片付けちゃうから」

「手伝うよ」

 

 2人で座って話せる程度にスタジオを片付ける。

 さっきの一面が物だらけだった机を挟む形で千聖さんと対面に座る。

 

 千聖さんは僕が話し出すのを待ってくれていた。

 

 僕はあの日のことゆっくりと口にした。夢のことも、『ラ・カンパネラ』のことも。

 千聖さんは僕が話をしている間ずっと口を挟まず、ただ黙って聞いてくれていた。

 

 「……そっか。積み上げてきたものが、夢にね」

 

 僕の話が終わって、千聖さんがゆっくりと口を開く。

 

「結果は上手く行ってるから余計に変な感じがして」

「悠は、嫌? その夢に侵食されるって」

「……分からない。でも、嬉しくはなかったよ」

「なるほどね。それって、良い傾向だったりしない?」

「え?」

 

 予想しなかった言葉に思わず目を見開く。良い傾向、千聖さんは今たしかにそう言った。

 あの積み上げてきたものが、夢に飲み込まれるような感覚が本当に良い傾向なのだろうか。僕には全く分からなかった。

 

「だって、それは悠が自分だけの音楽を持ち始めてるってことでしょ? 夢とは違う悠自身の音楽を」

「僕だけの、音楽?」

「そう、だから今は夢とのギャップで苦しいんじゃないかな」

 

 僕だけの音楽、そんなものがあるんだろうか。

 練習して少しずつ弾けるようになった喜びは覚えている。それ以上に、収録の時に夢の音が侵食するように音を塗りつぶしてきた感覚が強烈だった。

 

 まだ、こびり付くように指に残っている。

 

「そうだとしても、また夢で見た音に塗りつぶされるよ」

「……悠」

「ごめん。励ましてくれてるのに、こんなこと言って」

「ううん、気にしないで」

 

 こんなこと言いたくなかったのに、気が付けば口にしていた。

 夢に塗りつぶされる前の音が僕の音楽だとしても、結局は夢に塗りつぶされてしまう。また同じことが起きると思うと、体が震える。

 

「思ったより重症みたいだね」

「……ごめん」

「これは、荒療治が必要かな?」

「荒療治?」

「そう、荒療治。悠が夢に見るのはクラシックだけだったよね?」

「……そうだけど」

 

 一体何をするつもりだろう。荒療治って言うからには生半可じゃないことをしそうだけど、どんなものか全く想像できない。

 そんな僕の戸惑いを見透かすように、千聖さんは小さく笑って本当にとんでもないことを口にした。

 

「悠、私とバンド組もっか」

「ば、バンド!?」

「そうバンド、私たちでロックを奏でるの。クラシックなんかぶっ飛ばす勢いのやつをね」

 

 バンド、その言葉が頭の中で繰り返される。

 僕と千聖さんがバンドを組む? その衝撃を全く受け止めきれていなかった。

 

「ふふっ、驚きすぎじゃない?」

「驚くよ。バンドなんて組んだことないし……」

「誰しも初めてはあるもんだよ」

「そうかもしれないけど、そんな急に……」

「だから荒療治って言ったでしょ」

 

 僕が千聖さんとバンド組むなんて、確かに荒療治だ。

 前にバンドは組まないって言ってたはずなのに、どうしてこのタイミングで僕とバンドを組もうと思ったんだろう。

 

「きっと悠の音楽は、まだ見つけたばかりで小さいものなんだよ。だからね、夢に負けないくらい確かなものにしていくのが一番だと思う」

「その方法が千聖さんとバンド組むってこと?」

「そう! 最高の手だと思うでしょ」

「……前にバンドは組まないって言ってなかったけ?」

「悠ならいいに決まってるでしょ」

 

 あっさり言われて、僕は何も言い返せなくなった。

 夢に負けないくらい確かなものにする。方法はとんでもないけど、今の僕に必要なものなのかもしれない。

 

「で、ライブに出よう」

「ライブ!?」

「そう、私と悠でライブに出るの」

 

 思わず大きな声が出てしまっていた。バンドを組むことだけでも驚きなのに、ライブにまで出るなんて。

 

「そんな驚く? バンド組むんだからライブも出るでしょ」

「……バンド組むのは決定なんだね」

「いいじゃん。バンド組んだって何かが変わる訳じゃないんだし」

「ライブに出るって、何かが変わるには充分だと思うんだけど……」

「いいの!  ライブで夢のクラシックなんかぶっ飛ばしちゃえ」

 

 『夢をぶっ飛ばしちゃえ』僕には無かった考えだ。

 千聖さんの言葉に、ムカムカと怒りが込み上げてくる。

 

 千聖さんにではなく、僕の夢にだ。

 

「なんか、腹立ってきた。夢のことで悩むのって馬鹿らしいよね」

「お、いいじゃん。ロックだよ悠」

「ライブ出るよ。ぶっ飛ばしてやる」

「ふふっ、いいね。その意気だよ」

 

 どうして夢でこんなに悩まなくちゃいけないんだ。

 弾かないと頭が痛くなるし、練習した曲を侵食してくるし、喧嘩売ってるとしか思えない。

 

 ライブでも何でもやってやる。僕は怒りに任せる形で、千聖さんと二人きりのバンドを組むことになった。

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