夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について 作:矢上鉋
自分の部屋でキーボードと向き合い、五線譜を前に頭を悩ませる。
この前は感覚で音を出したけど、いざ曲としてまとめる難しさは想像以上のものだった。
「……基本はこのままで、どう膨らませていくかだけど」
片手で弾いたリズムだと曲としては寂しいものがある。
「これは……なんか違うな。こう……か? いや、でも……うーん」
ああでもない、こうでもない。何度もそんなことを繰り返す。
ただ少しずつは形になってきている。今頃、千聖さんもギターの音を考えているんだろう。
「電話?
不意に着信が入る。画面に表示されるのは『朱鷺ノ宮 静流』という名前、一体何の用事なんだろう。
すぐにスマホを手にとって通話ボタンを押した。
「悠貴くん、今お電話大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だよ朱鷺ノ宮さん、どうしたの?」
「……少しだけ悠貴くんの声が聞きたくなって、ご迷惑だったでしょうか?」
「え、いや、迷惑なんてこと全然ないよ!」
「良かった。たった1度週末の収録をお休みしただけなのに、どうしても声が聞きたくなってしまって」
前回の収録はすぐに帰ってしまった。
朱鷺ノ宮さんは悪くない。それでも、夢に侵食されるような感覚が蘇るような気がして、どうしても避けてしまった。
今週は収録が無いからだろうか、今はあの時みたいに心がざわつかなかった。
「ライブの練習は、その……大変ではありませんか?」
「大変、練習は何とかやれてるんだけど……なんか作曲することになっちゃって」
「悠貴くんが作曲するんですか?」
「流れでね。一緒にライブ出る人が新曲の音で困ってたんだけど、何か弾いてくれって……それで弾いたのを気に入ったみたいで」
「……それは、本番のライブが楽しみですね」
いつもの朱鷺ノ宮さんならすぐに聞かせてくださいって言って来ると思ったけど、遠慮したような声でそう言うに留まっていた。
そんな声だったからだろうか、それとも作曲で行き詰まっていたからかもしれない。
朱鷺ノ宮さんにこの曲を聴いてほしいと、考えてしまっていた。
「少しだけ、聴いてみてくれるかな? まだ完成してないんだけど」
「……いいんですか?」
「うん、聴いてほしい」
「是非! さっきから聴いてみたくて、ウズウズしていたんです」
急に上がったテンションで吹き出しそうなったけど、朱鷺ノ宮さんらしいやと元気な声に安心していた。
ライブ前だから遠慮してくれていたのかな。全然気にしなくていいのに、むしろ気が紛れそうで助かるくらいだ。
首に掛けていたヘッドホンの端子をキーボードから外して、少しだけ音を出せるようにする。まだ時間はそこまで遅くない。小さな音なら近所迷惑にならないはずだ。
「じゃあ、弾くね」
「はい!」
千聖さんに聞かせたリズムを電話越しに朱鷺ノ宮さんに向けて奏でる。
あの時よりも装飾されたみたいに音が増えたけど、基本は何も変わらない。あの時の感情のままの音が小さな音となって通話に乗る。
「……こんな感じ、なんだけど」
「はい、ありがとうございました」
「えっと、どうだった?」
「……確かにまだ未完成といった感じでしたね。素直な音で私は好きですが、ライブで演奏する曲としてはまだ改良の余地がある。そんな風に聴こえました」
「だよね。これに苦戦してるんだ」
やっぱりライブでするにはまだ足りない部分が多いよな。
改良の余地があるか、どんな風に改良すればいいんだろう。それが難しいところだ。
「一緒に作曲したりはしていないのですか?」
「今日はちょっと予定が合わなくてね。1人で出来ることやろうと思って」
「悠貴くんは作曲初めてですよね? 相手の方が経験あるようでしたら、やはりその方と一緒に進めるのが一番だと思います」
「そうだよね。でも、1人でも形にできるとこまではしておきたくて……」
「ええ、分かります。居ても立ってもいられない。そういう経験は私にもありますから」
そう語る朱鷺ノ宮さんの声はどこか寂しげだった。きっとピアノのことだ。
まだ短い付き合いだけど、どれだけ朱鷺ノ宮さんがピアノを渇望しているかは少しだけ理解しているつもりだ。
「でしたら、お相手の方のイメージを考えるのがいいかもしれません」
「相手のって?」
「さっきの音には悠貴くんの向こう側に誰かが見えるようでした。その方を想っての音なら、きっとイメージは助けになるはずです」
「千聖さんの、イメージ」
格好良くて、優しくて、僕を導くようにいつも寄り添ってくれる。
まず思い付くイメージと言えばこんなところだろうか。これを音に落とし込んでいく。ぼやっとしているけど、さっきよりは方向性が見えたような気がした。
「ありがとう朱鷺ノ宮さん、ちょっと形にできそうかも」
「……はい、悠貴くんの助けになったなら嬉しいです」
その後、朱鷺ノ宮さんとも電話を続けた。チャンネルのこと、登録者がめちゃくちゃ増えてたこと、これでもまだ足りないと息巻く朱鷺ノ宮さんが印象的だった。
色々と話しをして、通話を終えた僕はヘッドホンを付けてまたキーボードに向き合った。
明日、千聖さんと会う時にいいものを聴かせられそうだ。そんな高揚感が眠気を吹き飛ばしていた。
そして、翌日。
千聖さんとの待ち合わせ場所はバイト先の星野楽器店だ。僕がクラスの出し物の準備を終えて到着すると、千聖さんはもうスタンバイを終えていた。
「ごめん千聖さん、遅くなった」
「あ、お疲れ悠。文化祭だもんね。授業に出し物の準備、そのうえ作曲もしなきゃだもんね。やばいくらい忙しいでしょ」
「やばい。今まで生きてきた中で一番忙しい」
「いいじゃん。青春って感じだね」
忙しいけど充実感でいっぱいで、もっと時間が欲しくてたまらない。
こんな気持ち初めてかもしれない。
「悠、すぐで悪いんだけど」「千聖さん、すぐで悪いんだけど」
「「音合わせしよう」」
作曲の続きがしたい。そう思って口にした言葉は千聖さんのものと重なった。
お互い同じことを考えていたことに一瞬だけ驚くけど、すぐに2人とも吹き出して笑ってしまった。
「ふふっ、悠も同じこと考えてたんだね」
「あはは、1人だとあんまり進まなくて」
「だよね。もう、駄目な時って全然駄目なんだよね」
店長が貸してくれているキーボードのカバーを外す。最近はだんだんと寒くなってきて、外から来たばかりの手がかじかんでいた。
これまでだったら気にしなかったけど、今はピアノをするようになったんだ。もっと手のケアとか保護は考えたほうがいいのかもしれない。
「今日は冷えたよね」
「一気にね。この前まで暑いくらいだったのに」
手をこすり合わせて手先の温度を上げる。
室内が暖かいのもあって、血が通っていくような感覚と共に指先の感触が戻ってくる。
「もう大丈夫、始めよう千聖さん」
「早速だけど、とりあえずお互い考えてきたので合わせてみない? この前の悠の音をベースに私もギターの音考えてきたから、合わせられると思う」
朱鷺ノ宮さんとの電話の後、僕なりに千聖さんのことを考えながら曲をイメージした。
それでも完成には至っていない。やっぱり千聖さんのギターの音がないと、この曲は完成させられないと思う。
「土台は悠の音があるからいいんだけど……本当だったらコード進行組んで、ドラムとかベースとか私たちなら打ち込みになる音の設計図も考えて、もっと色々と積み上げてから音合わせしたほうがいいだろうけどね」
「もっと色々決めてからにしたほうがいい?」
「ううん、今は音を合わせてみよ。時間が無いのもあるけど、この勢いのまま行けば良い方向に進めると思う」
なにも心配しなくていいよ。まるでそう言うように笑う千聖さんに、僕の中にあった不安が消し飛ぶ。
さっき2人で音を合わせようと言葉を重ねた瞬間から、僕も同じことを感じてた。この勢いのままいけば良い方向に進めるんだって。
「とにかくやってみるってことだね」
「そういうこと! ほら、悠からだよ」
とにかく前進だ。まだ固まらない形だけど、このまま進もう。
千聖さんに促されて、僕は最初の音を出す。この前の音から少しだけ変えたクラシックのような重く、震えるような音色を千聖さんに向かって響かせる。
その音に合わせるように千聖さんのギターがゆっくりと音を鳴らした。僕の音を包み込むような音色。キーボードの音単体とはまるで違う音へと変化していく。
そこへ千聖さんの声が乗った。新曲の歌詞が2人のメロディーと重なる。
イメージが膨らむ。1人で考えていた時には思い浮かばなかった音、それを足したくなって考えてきたものとは違う音になっていた。
こっちのほうが千聖さんの声に合っている。
さっきまでより、ギターの音もグッと良くなったような気がする。この感覚を忘れないようにしよう。
気が付けば歌とギターの音に合わせて、まるで即興で音を作るように変化させていた。
そのまま僕たちは最後まで音を止めずに走りきった。曲が終わっても、2人とも無言のまましばらく見つめ合う。
「悠、今の……」
「千聖さん、今の」
何とか絞り出すように出した言葉は、音を合わせようと言った時のようにまた重なった。
「良かったよ悠! 想像してたより、ずっと……この調子でもっと音を合わせて、擦り合わせていけばすごい曲が完成しそう」
「よく分からなかったけど、纏まっていた気がする」
「うん、初めて合わせたとは思えないくらい悠の音と私のギター、歌も重なってた」
想像以上の結果、しかも良い方向だ。
それなのに、僕と千聖さんは心此処にあらずだった。さっきの音を噛み締めている。千聖さんもきっと同じだ。
「千聖さん、もっと音を合わせよう」
「うん、私も同じこと考えてた」
そのあと、店長が止めにくるまで僕と千聖さんの音合わせは続いた。呆れたような店長とは対照的に、僕たちはやりきった充足感でいっぱいだった。
この日、僕たちの新曲が完成した。