夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第三話 告白

 朱鷺ノ宮(ときのみや)さんに連れられて向かったのは、駅ビルから出て少し歩いた場所に建っている1軒の喫茶店だった。

 

 アンティーク調の洋館のようなデザインをしている。こういうのって映画とかアニメでしか見たことなかったけど、不思議と惹かれるものがある。

 

「まずは何か頼みましょう。悠貴(ゆうき)くんはどうしますか?」

「えっと、コーヒーかな」

「私は紅茶とタルトにします。悠貴くん、ここのスイーツはどれも絶品ですよ」

「スイーツ……どれにしよう」

 

 幸いなことにメニューの価格帯は思ったより高くない。

 コーヒーともう一品を頼んでも手持ちの金額で何とかなりそうだ。

 

「迷っているのでしたら、ガトーショコラがお勧めですよ。ここのパティシエはガトーショコラで有名な賞を取ったこともある方ですから」

 

 静かに微笑みながら朱鷺ノ宮さんはメニューの一角を指す。そこには写真付きでガトーショコラが載っていて、他のメニューと比べても値段は同じくらいだ。

 けれど「賞をとった」と聞いただけで、悩んでいた時よりもずっと美味しそうに見えてしまう。

 

「いいかも、これにしようかな」

「では頼みましょうか。すみません」

 

 朱鷺ノ宮さんが軽く手を上げて店員さんを呼ぶ。

 何気ない仕草のはずなのに、同じ高校生とは思えない気品を感じる。

 

「紅茶を1つ、あとはこの季節のフルーツタルトをお願いします。彼には……」

「えっと、ホットコーヒーとガトーショコラを」

「かしこまりました。少々お待ち下さい」

 

 注文を取りに来た店員さんが礼をして戻っていく。

 改めて思うけど、僕はいま“お茶してる”んだよな。朱鷺ノ宮女子学院に通うお嬢様。それも、そのど真ん中の朱鷺ノ宮のご令嬢と。

 目の前で起きていることなのに、どうしても現実感がない。

 

「改めて自己紹介をしましょう。朱鷺ノ宮女子学院の2年、朱鷺ノ宮 静流(ときのみや しずる)です」

篠原 悠貴(しのはら ゆうき)です。翔鶴高校の2年です」

「なら同い年ですね私たち」

 

 そう言って朱鷺ノ宮さんは屈託ない笑顔を見せた。本当に僕と同い年であることを喜んでいるように見える。

 ――けれど、あの鬼気迫る姿は何だったのだろう。

 目の前の彼女がどんな人なのか、ますます分からなくなっていく。

 

「私、ピアニストだったんです」

「ピアニスト?」

「今はお休みしているんですけど、それなりに有名だったんですよ」

「朱鷺ノ宮さんが、ピアニスト……」

 

 同い年のピアニストなんて、僕には一人しか思い浮かばない。

 『Shizuru』僕が中学生の頃、海外の有名なコンクールで最優秀賞を取って一躍その名が知れ渡った天才少女の名だ。

 

 確か、『神に愛されたピアニスト』と呼ばれ、将来を期待されていた天才少女。だが、ある日唐突に理由も明かさずに表舞台から姿を消した。

 

「Shizuruってピアニストがいたけど、朱鷺ノ宮さんと同じ名前だね。まさか……」

「私のことですね」

「……マジか」

「はい、マジですよ」

 

 僕を真似したのか、「マジですよ」なんて似つかわしくない言葉を口にして、朱鷺ノ宮さんは悪戯した子供のように笑った。その無邪気な姿に、僕は驚きを通り越して呆気にとられてしまう。

 Shizuruって言うと僕と同世代で一番有名な人と言っても過言じゃない。謎多き天才ピアニスト、活動期間は短くて、有名なコンクールで賞を取った後の一年間だけだったはずだ。

 

「良かった。悠貴くんに知らないって言われなくて」

「……同世代で知らない人、いないんじゃないかな」

 

 最後にCDを出したことがニュースになったと思ったら、いきなり休止宣言をしてパタリと活動を止めてしまった。

 当時は多くの人が突然の活動休止の謎に関心を集め、色んな噂が飛び交った。

 その熱量はクラシック界に疎い僕の耳にも届いたくらいだ。

 

「お待たせいたしました。こちらご注文のお品です」

「ありがとうございます」

「あ、どうも」

 

 注文した品が届く。朱鷺ノ宮さんに倣って店員さんにお礼を言うと、コーヒーの香りが鼻をくすぐった。

 

「いただきましょうか。そのガトーショコラもとても美味しいですよ」

「あ、うん、いただきます」

 

 一口サイズにガトーショコラを切って口へ運ぶ。

 賞をとったというのも納得の、絶妙な甘さが咀嚼するたびに口全体へ広がっていく。

 

「気に入っていただけたようですね」

「……ん、すごく美味しいよ」

 

 あまりに洗練された味に感動してたら、朱鷺ノ宮さんがくすくすと笑っていた。

 庶民感丸出しだったなと恥ずかしくなりながらコーヒーを口にする。

 朱鷺ノ宮さんも同じように紅茶を口に運ぶ。何気ない仕草だけど、品があってまるで1枚の絵画のようだった。

 

「今はピアニストをお休みしているんです」

「……みたいだね。テレビで見たことがあるよ」

「練習だけはしているんですよ。触れていないと指が固まってしまいますから」

「へー、なら怪我とかで休んでいるわけじゃないんだ」

「はい、怪我が理由ではないんです」

 

 さっきの雰囲気はピアノが嫌で離れているって感じではなかった。

 むしろその逆だと思う。でなければ、あんな切迫した表情で初対面の人間に詰め寄ったりしないだろう。

 

「人には話しづらい理由があって……それが原因で休止しています」

「話しづらい理由?」

「はい。悠貴くんには知って欲しいのですが、実は私……音が歪んで聞こえてしまうことに悩んでいるんです」

「音が歪んで……あれ? でもさっき俺の演奏に拍手してくれていたけど」

 

 あの時の朱鷺ノ宮さんは僕の演奏に満足していたように見えた。

 自分でこんなこと考えるのはこそばゆいが、あの時の拍手はそういった温かみを感じた。

 

「ええ、演奏があまりに素晴らしくて足を止めて聴き入ってしまいました」

「……歪んで聴こえるのに?」

「私もあの瞬間までは、全ての音がそう聴こえるものだと思っていました」

「あの瞬間までって……」

「はい、貴方の音は歪んで聞こえなかった」

「あの音が?」

 

 朱鷺ノ宮さんは僕を真っ直ぐと見つめていた。ガラス細工のような澄んだ瞳からはとても強い意志を感じて、さっきストリートピアノの前で見せたものと同じ雰囲気をのぞかせていた。

 

「どんな音色も、ぐちゃぐちゃに潰れた不協和音に聞こえてしまうはずだった。でも、貴方の音だけは違った」

「……」

「自分で弾く時だけは平気だったんです。ですが、それが怖かった。いつか私の音も崩れてしまう。そう考えたら怖くて、恐ろしくて仕方なかった。次第に自分の音ですら信じられなくなって、私はピアノに触れられなくなってしまったんです」

「……朱鷺ノ宮さん」

「そんな私が貴方に出会った。歪まない音を奏でる貴方に」

 

 目を逸らせなかった。僕を射抜くように、瞳の奥に宿る何かが僕を捉えて離さない。

 朱鷺ノ宮さんの事情、決して簡単に他人に話せるようなものじゃないはずだ。

 それを僕に明かした。その事実が胸の奥深くへと落ちていく。

 

「貴方の音に私は希望を見出しました」

「希望?」

「はい、貴方の音色はピアノが弾けなくなった私に射した光明だったのです」

 

 大げさだ。僕は希望という強い言葉に当てられて、怯んでしまっている。

 だけどそれ以上に胸が高鳴っている。あの夢がきっかけで始めたピアノ、そして朱鷺ノ宮さんとの出会い、あの痛みはこの出会いに導きたかった?

 何の確証もないはずなのに、僕の中で点と点が線として繋がった気がする。

 

「大げさだよ。あれはただ少し小遣い稼ぎができればいいなって、動画撮りながら弾いていただけで」

 

 ドキドキする感情を押し殺して僕は朱鷺ノ宮さんに、なんでもない風を装って軽口を言った。

 こんな大きな期待、もし応えられなかったらどうすればいい。まともに楽譜すら読めないのに、天才ピアニストの希望になんて応えられるはずがないだろう。

 心の中の冷静な自分が、必死に忠告している。

 

「動画があるんですか!?」

 

 テーブルに置いてあったティーカップが音を立てた。朱鷺ノ宮さんが机に手を付いて立ち上がったからだ。

 僕はただ唖然とするしかなかった。

 

「……すみません。お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」

「えっと、大丈夫だよ」

「……ありがとうございます」

 

 お客さんの視線を集めたことに気が付いて、朱鷺ノ宮さんは顔を赤くしながら座った。

 その姿はさっきの強い決意を秘めた顔でも、違う世界に生きるお嬢様の顔でもなかった。

 僕と同い年の女の子なんだと、妙に親近感を覚える。

 

「良かったらだけど、さっきの動画見てみる?」

「……いいんですか?」

「素人が撮影したもので良ければだけど」

「是非!」

 

 ぱっと花が綻ぶような笑顔に、恐れ多さをさっきより感じなくなっていた。

 スマホを出して再生ボタンを押そうとして指が止まる。流石に公共の場で垂れ流すのは良くないよな。

 

「あの、イヤホン……俺ので悪いけど、大丈夫? 朱鷺ノ宮さんのがあれば……」

「あいにくイヤホンは持っていなくて、悠貴くんのをありがたく貸していただきます」

 

 ためらうことなくイヤホンの片側を受け取って、朱鷺ノ宮さんは片耳に付けた。

 姉さんから誕生日プレゼントに貰った、ちょっと値の張る有線イヤホン。「悠貴くんも一緒に」と誘われて、物理的に近くなった距離にドギマギしながら再生ボタンを押す。

 

「ああ、歪んでない……スマホ越しでも、悠貴くんの音は歪んでいません」

「……朱鷺ノ宮さん」

 

 まるで救われたように朱鷺ノ宮さんは微笑む。

 微笑んでいるのに壊れてしまいそうだ。『革命のエチュード』に安心したように耳を傾ける朱鷺ノ宮さんは、まるで迷子の子供のように見えてしまう。

 

「……悠貴くん、2人で動画チャンネルを始めませんか?」

「え、チャンネル?」

「さっきお小遣い稼ぎができればって言っていましたよね。私にも協力させてほしいんです」

「……マジ?」

「はい、マジです!」

 

 差し出された細い手に戸惑いながらも、僕はその手を握り返した。その手は熱く、微かに震えている。

 痛みに脅されるようにピアノを弾く僕と、音が歪んで弾けなくなった天才ピアニストの、奇妙な協力関係がここに結ばれた。

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