夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第三十話 帰り道

 耳打ちされた内容に、本当にそんな方法でと疑問が浮かぶ。

 考えていることが顔に出てしまったんだろう。いたずらが成功した子供のように|朱鷺ノ宮さんは笑った。

 

「お友達を待たせたままでは申し訳ないので、今日はここで失礼しますね。また、次の収録でお会いしましょうね」

 

「あ、うん」

 

 スキップするかのように軽やかな足取りで朱鷺ノ宮さんは去っていった。

 僕も早く千聖(ちさと)さんを探さないと。

 朱鷺ノ宮さんの姿が見えなくなってからようやく頭が働き出した。

 

 このまま時間を無駄にしているとクラスメイトに見つかるかもしれない。連絡してどこかで落ち合おう。

 

「なーんか、いい雰囲気だったじゃん?」

「うわっ!?」

 

 朱鷺ノ宮さんよりも更に近い距離でそんな声がした。耳元に吐息を感じるレベルの距離、こんなことするのは千聖さんしかいない。

 慌てて振り返ったら予想通りそこには千聖さんがいた。

 

「……千聖さん、驚かせないでよ」

「さっきの子、同級生って感じじゃなかったよね。私服だったし……もしかして、あの子がチャンネル一緒にやってる子?」

 

 千聖さんは朱鷺ノ宮さんが去った方向を見ながらそんなことを聞いてきた。

 珍しいな。千聖さんが他人のことを、しかも会話すらしていないような人のことを気にするなんて。

 

「そうだよ。よくわかったね」

「見れば分かるよ」

「見れば?」

「……雰囲気でね」

 

 さっき別れた時とは違う表情だ。

 怒っているとかそんな感じではないけど、妙に心がざわついて落ち着かない。

 

「千聖さん?」

「ごめん。らしくなかったね。もう帰れるんだよね。一緒に帰ろっか」

「うん、大丈夫。一緒に帰ろう」

 

 空気が入れ替わったように軽くなった。千聖さんの表情が優しいものへと戻る。

 それが、どこか寂しげに見えた。さっき拳を合わせて別れた時はあんなにも眩しい笑顔だったのに。

 

 千聖さんにはこんな顔をさせたくなくて、心に浮かんだ言葉をそのまま口にする。

 

「千聖さん、来年も文化祭でライブしよう」

「ライブって、もう来年の話ってこと? ……ふふっ、気が早いよ悠」

 

 呆れたように笑う千聖さんだけど、さっきより表情が柔らかい。

 チャンネルのことは大事だけど、同じくらい千聖さんとの時間も大事だ。照れくさくて遠回しな言い方になったけど、笑ってくれて良かった。

 

「今回のは準備が短すぎたよ。もっと前から準備しとかないと、新曲とかもまたチャレンジしたいし」

「お、言ったなー? なら来年も悠には作曲をお願いしちゃおうかな。来年なら先生の怪我も大丈夫だろうし、星野楽器店翔学出張所が4人揃うってわけだ」

「翔学出張所?」

「星野楽器店で翔学に関係あるの私と悠、店長と先生だけなんだよね。だから4人で翔学出張所ってこと」

「あー、なるほど。うん、来年は4人でやろうよライブ」

 

 来年は僕がどうなっているかなんて分からないけど、みんなでライブできたらいいと思う。

 3年生か、どうなっているんだろう。ピアノは続けていると思うけど、受験勉強で忙しいだろうな。千聖さんや姉さんと同じ地元の国立大学が希望進路だけど、1年後の僕はどんな進路を選んでいるんだろう。

 

「その頃の悠は受験勉強が忙しくなる頃だね。きっとライブは良い気分転換になるよ」

「千聖さんの頃はどうだったの?」

「しょっちゅうギター触って気分転換してたね。そのほうが勉強捗ったし」

「スイッチの切替が上手すぎない? 普通はそんな風にはできないと思うんだけど」

「そうかな? やってみたら、意外とやる気ってついてくるよ」

「……そういうもの、なのかな?」

 

 千聖さんだからこそできるような気がするなと思いながら、なんとなく言わないまま僕たちは学校を後にした。

 校舎から出て裏門を通って校外に出ると、まばらだけど帰宅する生徒の影があった。そういえば千聖さんと並んで学校から帰るのって小学生以来だな。なんだか懐かしい。

 

「小学校の頃、私と優里香、悠の三人でよく一緒に帰ったよね」

「覚えてる覚えてる。このまま行ったら小学校も見えてくるし、同じ道で帰ることになるね」

「本当に懐かしい。あの頃の悠はこんなにちっちゃくて、可愛かったなー」

「流石にそこまで小さくなかったよ」

 

 千聖さんが手で当時の僕の身長を表現する。腰よりちょっと低い位置で、いくら小学生でも低すぎるように思う。

 

 小学生の頃は背の順で並ぶと前から数えたほうが早いくらいだったけど、低学年の頃に自分がどれくらいの大きさだったかは流石に覚えてなかった。

 

「千聖お姉ちゃん、千聖お姉ちゃんって私の後ろついてきてくれてさ。それを優里香が怒って……ふふっ、今でもよく覚えてる」

「あー、あの頃の姉さんって僕に構いすぎだったから。ちょっと邪険にしてたのは覚えてる」

「優里香のブラコンは筋金入りだからね。今もすごく仲良いじゃん」

「歳3つ離れてるのがいいのかもね。2つだと中高って一緒の学校になるし、そういう兄弟って喧嘩しがちって聞いたことある」

「あー、私も聞いたことあるそれ」

 

 もしこの話が本当なら、3つ離れていたのは幸運なことだったのかもしれない。

 そもそも姉さんが2つしか離れていなかったから、千聖さんと出会えていなかった訳だし。

 

「優里香と悠が2歳差だと、私たち出会えてなかったんだよね。一緒の学校に通って先輩後輩ってのにも憧れたけど、今の形が私たちには一番良かったのかもね」

「千聖さんと同じ大学に俺が入れば一応先輩後輩になれるよ」

「そんなこと言ったら、期待しちゃうぞ~?」

「えっと……ほどほどでお願いします」

 

 姉さんや千聖さんが通っているのはモチベになるけど、確約できる自信はなかった。国立だけあって求められる学力は高い。

 

 受験の話をしていたからか、今日はいつもより駅近くの塾や予備校が目に付く。生徒募集中の広告が張り出されている。

 今年の夏休みは短期で通ったけど、そろそろ本格的に通ったほうがいいのかもしれない。

 

「千聖さんって予備校どこ行ってた? 姉さんと一緒?」

「優里香と一緒だったよ。ほら、そこの」

 

 そう言って千聖さんが指差したのは、駅のほど近くにある姉さんも通っていた予備校だった。

 姉さんが受験生だった頃、母さんが迎えに行くのに着いて行ったこともあった。だけど、千聖さんとは合わなかったな。母さんと車の中で待っていたから仕方ないか。意外と近くにいたかもしれないんだな。

 

「そろそろ本格的に受験勉強やっていかないといけないのかな」

「大丈夫じゃない? 優里香が悠のほうが勉強できるって言ってたよ」

「それは姉さんの身内びいきだよ。似たようなものだと思う」

「なら私より勉強できるじゃん。大丈夫だよ」

「千聖さんはギターばっかりしてたんでしょ」

「あ、バレた? うん、ギターばっかりしてた」

 

 改札を通って駅構内へ入る。いつも使う路線のホームへ千聖さんと向かう。

 エスカレーターで上がるとちょうど電車がホームへ入ってくるところだった。

 

「ラッキー、タイミング良かったね」

「だね」

 

 電車へ乗り込むと、まだ帰宅ラッシュの時間じゃなくて2人で並んで座れる場所がいくつもあった。

 扉から近い場所へ千聖さんと座ると、一気に疲労が全身に押し寄せてくる。

 

「はあ」

「初めてのライブ、大変だったでしょ」

「座ったら一気に疲労感が押し寄せてきた」

「寝る? 膝枕してあげよっか」

「……千聖さん」

「はーい、ごめんなさい」

 

 千聖さんがニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべてそんなことを言ってくる。

 少ないけど同じ学校の生徒だっている。千聖さんだって分かっているはずなのに、そういうこと言うんだからたちが悪い。

 

「でも、辛かったら言ってね。駅ついたらタクシー呼ぶなり、おばさんか優里香に迎え来てもらってもいいんだから」

「そこまで大した事ないから、いつも通り歩いて帰るよ……でも、ありがとう」

「ふふっ、私は初めてのライブのあと車で帰ったよ。もうヘトヘトでさ」

「あはは、なんか想像付く。千聖さん細すぎて体力無さそうだもん」

「あ、言ったな。悠だって初ライブでヘトヘトな癖に~」

 

 千聖さんってガリガリとはまではいかないんだけど、全体的に細いんだよな。

 

 ギターを抱えると細さがより強調される。でも今日のライブ中は、あの背中がすごく頼もしく見えたんだよな。音楽って不思議だよな。

 

「筋トレとかしてる? やっぱギター持ってるの体力いるよね」

「したことないけど、そんな細い? けっこう力あるよ。ほら触ってみて」

「えー、いいよ触るのは」

「なに、照れてるの?」

 

 細い腕で力こぶを作るようなポーズをする千聖さんだけど、やっぱり腕は細い。

 触ってみてと言われたけど、他の乗客だっているし普通に恥ずかしくて遠慮してしまう。

 

「えい」

「……なに?」

「悠が触らないから、こっちから触ってやろうと思って」

 

 力こぶを作るポーズをした千聖さんをそのままにしておいたら、しびれを切らしたのか僕の手を取って両手で包み込まれる。

 作曲した時もこんな風にされたなと頭に浮かぶ。

 

「これが悠の手なんだね」

「千聖さん?」

「この手で、あの曲……私たちの新曲を生み出してくれたんだって思って」

「……大げさだよ」

 

 冗談を言ってる風でもなく、いつもの悪戯するような表情でもない。真剣な表情に思わず視線を逸らしてしまう。

 なんだか照れくさくて、けれど振り払わないままにしてしまう。

 

「大げさじゃない。あの曲はもう私の宝物なの……ずっと、大事にするからね」

「……ありがとう」

「ふふっ、お礼を言うのは私のほうじゃない?」

「言いたくなったんだから、別にいいでしょ」

「ふふっ……じゃあ、私も……ありがとう悠。また一緒に演奏しようね」

「うん、必ず」

 

 今はそう応えるのが精一杯だったけど、たぶんこれが正解だと思う。

 強い夕陽が差し込んで視界が眩しく霞むけど、目を細めた先に見える千聖さんの顔は笑顔だったから。

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