夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第三十一話 コラボ企画

 今日は久しぶりに朱鷺ノ宮(ときのみや)さんのところで収録の日だ。

 いつも通り受付さんに挨拶をして、エレベーターで6階へ上がると、朱鷺ノ宮さんが待ってくれていた。

 

「久しぶりの収録ですね、悠貴くん」

「一週空いただけなのに、久しぶりな感じするよね」

 

 鼻をくすぐるようなスタジオの匂いに身が引き締まる。まずはチャンネルにあげる曲の収録からだ。

 耳打ちされた方法も気になるけど、まずは収録を済ませてしまおう。

 

「ストックってまだ大丈夫?」

「えぇ、まだ余裕がありますよ」

 

 これから弾く曲は、今朝夢に見た曲だ。

 

 そして『ラ・カンパネラ』のように夢に見る前に練習していた曲でもある。なんとなく選んだ曲を、たまたま文化祭の代休に少し練習していた。

 夢で見たように弾くと、僕が練習で弾くのとは全く別物だ。完成度が段違い。

 

 やっぱり複雑な気持ちになる。あの夢ってなんなんだろう。

 練習するだけ無駄なんじゃないかって、それでも音楽を、ピアノを弾くのをやめない。それが千聖さんとのライブを経て、僕が出した答えだ。

 

 今はまだ夢の旋律が僕を飲み込むけど、いつかはこれを自分のものにしてみせる。

 そう考えられるようになったお陰で、随分と楽になった気がする。千聖さんのお陰だ。

 

「……終わったよ」

「素晴らしい演奏でした。ベルガマスク組曲の第3曲『月の光』フランスの作曲家、クロード・ドビュッシーの手掛けたピアノ独奏曲ですね。有名な曲ですが最初は『月の光』という名前ではなく……悠貴くん、どうして笑っているのですか?」

「ごめん、ちょっとね」

「教えてください。気になるじゃないですか」

 

 朱鷺ノ宮さん、僕の演奏が良かった時に曲の雑学みたいなの教えてくれるんだよね。『ラ・カンパネラ』の練習している時は無かったから、演奏に満足するとそうなっちゃうんだと思う。

 それが何だか嬉しくて、面白くてつい笑ってしまった。

 

「演奏が良かった時に曲のこといろいろ教えてくれるのが嬉しくて、つい」

「……私、そんなことしていましたか?」

「うん、気づいたのは最近だけどね。『乙女の祈り』の時とかもそうだったよね」

「ああ、ごめんなさい。無意識でした」

 

 よっぽど恥ずかしかったのか、朱鷺ノ宮さんは両手で顔を隠して、蹲ってしまう。

 あれ無意識だったんだ。責めているつもりはなくて、むしろ教えてもらえるのはすごく嬉しい。嬉しくてつい笑ってしまったのは悪かったな。

 

 「ごめん、責めてるわけじゃないんだ。むしろこれからも教えて欲しい」

「……本当ですか?」

 

 蹲ったまま朱鷺ノ宮さんが顔を上げるけど、まだ少し顔が赤い。

 めちゃくちゃ恥ずかしかったみたいだ。これで曲のこと教えてもらえなくなるのは寂しい。思い返してみれば、朱鷺ノ宮さんに曲のこと教えもらって弾き終えた充足感を覚えていた気がする。

 

「うん、あれが無いと弾いた気がしないよ。また色んなこと教えて欲しい」

「そうですよね! 悠貴くんはあれだけ弾けるのに、クラシックのことに疎いところがありますから。私がそういった面でフォローするのが良いと思うんです」

 

 さっきので立ち直れたのか、朱鷺ノ宮さんは勢いよく立ち上がってそう捲し立てた。

 『ラ・カンパネラ』を弾いたあとは僕のせいで距離を置いちゃったけど、なんとなく元の距離に戻れた気がする。

 

「曲への理解とか必要だもんね」

「はい、クラシック音楽には欠かせないことです。もちろん現代の音楽にも」

「現代の音楽も?」

「悠貴くんは文化祭で弾いた曲、ご自分で作ったと言っていましたね」

「うん、協力してもらってだけど」

「あの曲をめちゃくちゃに弾かれるのは嫌ではありませんか? 作曲者には曲を作った意図がありますから」

「……なるほど」

 

 確かに千聖さんと作り上げた曲が誰かにめちゃくちゃに弾かれていたら気分が悪い。

 クラシック音楽って楽譜に指示が多いけど、そういう意図が作曲者にあったってことなんだろう。

 

「もっと楽譜を読み込まなきゃってことか。頑張ります」

「いえ、勘違いさせてしまいましたね。実は、コンクールに出る前でも無ければピアニストもそこまで読み込んだりしないんですよ」

「え、そうなの?」

「ええ、お気に入りの曲を自由に弾くのは誰だってしますから。コンクールはそれこそノイローゼになりそうなほど読み込む人もいるそうですけど」

「朱鷺ノ宮さんもそうだったの?」

「私は……」

 

 聞いたら駄目だったかな。言い淀んだ朱鷺ノ宮さんを見て失敗したんじゃないかと不安になる。

 

 前の距離感に戻れたと言っていたけど、ピアノが弾けない状態は続いている。あまり踏み込んで聞いたりしないほうが良かったかもしれない。

 

「私はあまり苦労するタイプではありませんでしたね。むしろ得意でした。曲への理解、楽譜の読み込みも」

「あ、そうなんだ。人によるんだね」

「得意不得意が人それぞれなのはどこの分野でも同じなんでしょうね」

 

 特に気にした様子もなく、朱鷺ノ宮さんは自信があったように胸を張って応えてくれた。

 

 僕の心配は余計なお世話だったようだ。良かったと思うと同時に、朱鷺ノ宮さんがピアノを弾けないことが頭に過ぎる。

 文化祭の日、耳元で教えてくれたこと。本当にあんな方法で弾けるようになるんだろうか。

 

「朱鷺ノ宮さん、文化祭の日に言ってたこと。本当にあれで……?」

「悠貴くんには荒唐無稽な話に聞こえてしまいましたか?」

「そこまでは……けど、本当にあんな方法で大丈夫なのかなって」

「もしかしたら駄目かもしれません。ですが必ず糸口は見つかると、私はそう確信しています」

 

 そう語った朱鷺ノ宮さんの瞳には確かに確信が浮かんでいるようだった。

 あんな方法で大丈夫なのかなって思うけど、試してみるのはありだと思う。

 

「あの日、ライブが始まった時のことです。私には不協和音に聞こえていました」

「え、本当に?」

「はい、それが今回のことに気が付けたきっかけです。あの千聖さんという方のことを悪く言うつもりはないので、そこは分かって頂けますか?」

「朱鷺ノ宮さんがそんなこと言うとは思ってないよ」

「ありがとうございます。一曲目、ギターの音から曲が始まりましたよね。私には、あのギターの音は不協和音に聞こえていたんです」

 

 あんなに頼もしく感じた千聖さんのギター、朱鷺ノ宮さんにとっては不協和音だった?

 

 僕以外の音が不協和音に聴こえるのは知っている。だけど実際に僕が耳にした音が、朱鷺ノ宮さんにとって不協和音だったのがショックだった。

 不協和音に聴こえていたから、ライブの後にあんな顔をしていたんだろうか。

 

「ですが、音は瞬く間に美しい旋律へと変化していきました」

「え、どうして」

「悠貴くんの音が加わったからです。あなたのキーボードの音が不協和音を打ち消したのです」

「キーボードの音が」

「はい、そこからは大丈夫でした。そして確信したのです。私は、悠貴くんと一緒ならピアノを弾けると」

 

 僕の音が不協和音を打ち消すのなら、一緒に弾けばいいってことか。

 「連弾です。悠貴くんと一緒に弾けば……必ず」あの日、朱鷺ノ宮さんは帰り際に耳元でそう囁いて帰っていったのはこういうことだったんだ。

 

 「連弾ってあれだよね。一緒にピアノ弾くやつ」

 「はい、きっと悠貴くんとならできると思うんです」

 「えっと、それはいいんだけど……その、あれも本気?」

 「はい、本気です。このチャンネル『My etude』と『Shizuru』のコラボ。そこで悠貴くんと私で連弾を……あのライブにも負けないくらい良い舞台にしたいのです。いえ、してみせます」

 

 連弾に続けて朱鷺ノ宮さんは「コラボ動画にしましょう」と続けた。

 それがどういう意味なのかはすぐに理解できた。『Shizuru』として『My etude』とコラボしようって言っていたんだ。

 

「分かった。できる限り協力する」

「ありがとうございます」

 

 ピアニストとしての朱鷺ノ宮さんと僕とのコラボ、朱鷺ノ宮さんがピアニストとして復活するための糸口となるはずだ。

 

 やってみる価値はある。世間がどんな反応をするか分からないけど、このチャンネルだってそもそも朱鷺ノ宮さんがピアニストに復帰するためのものだ。

 

 それに、最後まで付き合う。あの約束だってまだ胸に残っている。嘘にしないためにも、このコラボを成功させたい。

 

「今このチャンネルのストックは悠貴くんが頑張ってくれたお陰で余裕があります。今の投稿間隔でもしばらく持ってくれます」

「その間に練習を?」

「はい、自分でもピアノに触れられるのか、どれだけ時間が掛かるのか分かりません。でも一歩踏み出したいのです」

「いいね。やろう朱鷺ノ宮さん」

「はい!」

 

 連弾。千聖さんとのライブとは違って、2人で同じピアノを弾くということ。

 まだ何もやってないし、どうなるかなんて分からない。

 

それでも不思議とワクワクが止まらなかった。絶対に成功させてみせる。朱鷺ノ宮さんのためにも、そして自分のためにも、そう心に誓った。

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