夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第三十二話 コラボに向けて

「この前の子と連弾……ふーん、私とライブしたばっかりなのに、もう他の子とそんなことするんだ?」

「……もしかして怒ってる?」

「別に怒ってませんよー」

 

 バイト終わりの事務所で千聖(ちさと)さんにコラボのことを報告したら、楽しく話していたはずの千聖さんが面白くなさそうに眉をひそめる。

 

 怒ってないと言うけど、確実に機嫌は悪い気がする。一緒にライブしたばっかりなのに、別の人とまた違う舞台に立つのが良くなかったんだろうか。

 

「その、あっちも大事なことだから許してほしいんだけど……」

「ふふっ、冗談だよ。別に律儀に報告してこなくて良いのに、悠は真面目なんだから」

「千聖さんには話しておきたかったから」

「うん、ちゃんと教えてくれて嬉しい」

 

 優しく微笑む千聖さんの表情にさっきの鋭さはなかった。

 冗談にしては、いつもの悪戯とは違って本気めいた鋭さがあったのは言わないでおこう。

 

「黙ったままだったら拗ねてたかもね~」

「そんなつもりは無かったけど……ちゃんと話しておいて良かったよ」

「真面目な話、こういうのバンドでもトラブルの元になったりするんだよ?」

「千聖さんの経験談?」

「ふふっ、どうでしょう?」

 

 いつもの雰囲気、千聖さんらしい姿にホッとする。

 僕の音楽の中で千聖さんの存在は大きい。朱鷺ノ宮(ときのみや)さんも同じようなものだけど、どちらかを蔑ろにするのは嫌だ。

 

「聞きたいんだけど、あの子とどこで知り合ったの? チャンネルを一緒にするような子がいるのって不思議だったんだよね。学校も違うんでしょ?」

「千聖さんとストリートピアノで再会した次の日に出会ったんだ。千聖さんが褒めてくれたから、練習をしようって思って……それがきっかけかな。楽譜読めないから練習しなきゃとか、他にも事情はあったけど」

「……私が褒めたからって、次の日もピアノを弾きに行ってたの?」

「一緒に演奏しようって言われたのが嬉しくてさ。でも俺、夢で見たのしか弾けないから。千聖さんと一緒に演奏するためには練習しなくちゃって」

「なにそれ、もう……」

 

 拗ねたような口ぶりだけど、千聖さんの口元には笑みが浮かんでいた。

 僕が音楽やっているのをすごく喜んでくれてたし、練習しようって次の日もピアノを弾きに行ったのも同じように嬉しく思ってくれたみたいだ。

 

「そっか、あそこのピアノで出会ったんだ。私と一緒だね」

「なんでコンクール出てないんですか、何方に師事されているのですかって詰め寄られたんだけど、夢で見たまま弾けるとはいえなくて」

「ふふっ、夢のことは私たちだけの秘密だもんね」

 

 なんだか嬉しそうだ。僕たち2人だけの秘密、千聖さんも特別なものだと思ってくれているのかもしれない。

 

「小遣い稼ぎにスマホで自分の演奏するとこ撮ってただけだって言ったら、2人でチャンネルを始めることになっちゃって」

「なにそれ、めちゃくちゃ面白いことになってたんだ。見たかったな」

「あの時、千聖さんまで混ざってたら絶対収拾が付かなかったよ」

「あ、言ったなー」

 

 あの時は千聖さんにだって夢のことは秘密にしていた。もしあの場に2人ともいたらどうやって説明すればいいか、考えただけで恐ろしい。

 

「まだ千聖さんにも夢のことは言ってなかったから、夢で見たまま弾けるなんて音楽やってる人を馬鹿にしてるみたいで怖かったんだよ」

「あー、私は面白いと思ったけど……そう考える人もいる、かな?」

「千聖さんに言うのだって正直怖かったよ」

 

 嫌われてしまうんじゃないか、馬鹿にしてるのって怒られるんじゃないかってすごく不安だった。

 

「それでも言ってくれたんだ?」

「……あれ以上、千聖さんに嘘は付きたくなかったから」

 

 それでも偶然の再会で思わず言ってしまった嘘を、もうあれ以上は重ねたくなかった。

 

「あれ以上? あー、あの駅で会った時のことだ。なんか誤魔化してるなって思ったもん。あってるでしょ?」

「あってる。やっぱ千聖さん鋭いよね」

「ふふっ、悠が分かりやすいんだよ」

 

 否定したかったけど、駅で再会した時の口からデマカセも気が付かれていたんだよな。

 

 自分から話して良かったと思う。今の千聖さんだったらあの嘘を指摘しなかったと思う。嘘をついたままだったら、僕は嘘をついた後ろめたさを抱えて、千聖さんは僕が何か嘘ついているのを察したままの関係だったはずだ。

 きっと今のような関係にはなれていなかったと思う。

 

「千聖さんにしか言われたことないよ。分かりやすいなんて」

「えー、悠は昔から変わってないと私は思うけど」

「変わったよ。背だって今は千聖さんより高いんだから」

「ふふっ、追い抜かれちゃったもんね」

 

 弟扱いが昔と変わらないのが玉に瑕だけど、実は悪くないって思っている自分がいる。

 

「いつから練習するの? その連弾って」

「明日からだよ。曲もまだ決まってないけど、会う約束だけはしてあるんだ」

「明日からね。連弾だと何するんだろう。『ハンガリー舞曲』とか、『動物の謝肉祭』とかかな。有名なのだとその辺りだよね」

「そうなの? どっちも知らないかも」

 

 今までたくさんのクラシック音楽に触れてきたけど、名前と音楽が一致しない曲はたくさんある。

 

「ハンガリー舞曲のほうは絶対に聴いたことあると思う」

「そんなに有名なやつ? だったら名前知らないだけかな」

「そうじゃない。ちょっと待ってね。調べたらすぐ聴けるはずだから……ほら、聴いたことあるでしょ?」

「うわ、めちゃくちゃ聴いたことある」

「でしょ? 本当に有名な曲だもん」

 

 千聖さんのスマホから聴いたことのあるメロディーが流れる。

 簡単そうじゃないけど、めちゃくちゃ難しそうって訳でもない。今の僕なら頑張って練習すれば弾けるようになるはずだ。

 

「ま、お相手さんが決めてくるかもだしね。ここであれこれ考えても仕方ないよね」

「うーん、何の曲するんだろう」

 

 明日、朱鷺ノ宮さんは連弾用にどんな曲を持ってきてくるんだろう。

 千聖さんが言った曲だろうか。それとも僕が聴いたこと無いような曲かもしれない。難易度が高くて合わせるどころか、弾けるようになるのが精一杯って曲かも。

 

「悠、そろそろ帰ろっか。私お腹空いちゃった」

「え、あー、結構話し込んじゃってたね。うん、帰ろう」

「……明日、練習頑張ってね」

「ありがとう。頑張るよ」

 

 気が付けば事務所でけっこう話し込んでいた。千聖さんに言われて気が付き、慌てて帰り支度をする。

 

 店を出て帰路についたあと、千聖さんとの話題は全然別のものになっていた。楽しい話だったけど、頭の隅ではずっと連弾のことを考えていた。

 

 翌日。

 僕は朱鷺ノ宮さんとの約束のため、いつも収録で使うビルへやってきていた。

 

「悠貴くん、おはようございます!」

「おはよう朱鷺ノ宮さん」

 

 スタジオに付くとパタパタと小走りで朱鷺ノ宮さんが近づいてきた。

 

 胸元には目を見張るほどの大量の紙束が抱えられていた。学校のテストでクラスの生徒全員分を集めてもあの量にはならない。その倍でも足りないほどの量を大事そうに、まるで赤ちゃんを抱えるように抱いている。

 

 きっと楽譜だ。紙の楽譜が良いって話をしたことがあったから、間違いないと思う。

 

「朱鷺ノ宮さん、それは?」

「これですか? 連弾用の楽譜です。いくつか候補を選んだんですけど、こんな量になっちゃいました」

 

 首をコテンと傾けて困ったように朱鷺ノ宮さんが笑う。すごく楽しそうだ。

 僕と連弾する曲、朱鷺ノ宮さんも弾くことになる曲を選ぶのが楽しかったんだ。曲選びで躓くことだってありえたはずで、きっと良いスタートを切れたんだと思う。

 

「……すごいね。何曲くらいあるの?」

「曲数ですか? ラフマニノフに、モーツァルト。あとはブラームスに、サン=サーンスもあって……えっと、たくさんです!」

「あ、ははっ……たくさん、ね。その中から選ぶ感じだよね?」

「そのつもりですが、悠貴くんは何か弾きたい曲はありますか?」

「楽譜、見せてもらっていい?」

 

 手渡された楽譜の束を確認していく。さっき朱鷺ノ宮さんが名前をあげた作曲者の名前順に色んな曲が並んでいる。

 

 この中から選ぶのか。量が多すぎて、どれを選べばいいのか悩んでしまった。

 

 とりあえず頭にあるのは千聖さんと昨日話をした『ハンガリー舞曲』だ。どんな楽譜か見たくて紙束を捲っていくと、ある楽譜で手が止まった。

 

「……あ、これって」

「どうしましたか?」

 

 この曲、今朝夢に見た曲だ。弾いていたのは僕一人だったけど、これ連弾用の曲だったんだ。

 

 ドビュッシーの『小舟にて』という曲、この前の収録で弾いた『月の光』の作曲者と同じだ。

 

「これ弾けるなって思って」

「『小舟にて』前回と同じ作曲者クロード・ドビュッシーの曲ですね。悠貴くん、最近のお気に入りはドビュッシーなんですか?」

「そんなとこ。ちょっと弾いてみてもいい?」

「ええ、もちろんです」

 

 楽譜を近くに置いて『小舟にて』の楽譜だけ持ってピアノに向かう。

 夢に見た曲が連弾用なんて運命めいたものを感じる。あながち本当に運命だったりするのかも、僕は浮足立つような気持ちで指を走らせていた。

 

 夢で見たままに弾くと、夢で見た時とは弾いている感覚が全然違う。この曲が連弾用だって知ったからだ。

 

 この曲、僕だけじゃ足りない。弾いている間、ずっと喪失感のような物足りなさが纏わりついて、演奏が終わるまでずっと離れなかった。

 

「……悠貴くん」

「どうしたの朱鷺ノ宮さん?」

「この曲にしましょう! ドビュッシーの『小舟にて』、私たちのコラボには、この曲しかありません」

「え、決まり?」

「はい、決まりです!」

 

 あんなに候補があったはずの連弾用の曲の中から、あっさりとドビュッシーの『小舟にて』に僕たちの連弾の曲が決まったのだった。

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