夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第三十四話 ツーショット

 『動物の謝肉祭』『ハンガリー舞曲』『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』、最近夢に見たのはどれも連弾用の曲ばかりだった。

 

 まるで夢に応援されているようだった。僕は朱鷺ノ宮(ときのみや)さんに夢のことは伏せて、他の連弾用の曲も弾けるように練習してきたから一緒に弾こうと誘った。

 バイトが休みの日もここへ通い、色んな曲を弾いた。

 

 そこからの朱鷺ノ宮さんはまさに水を得た魚のようだった。

 僕がセコンドパート、朱鷺ノ宮さんがプリモのコンビで何曲もの連弾を演奏してきた。この一週間で、数え切れないくらいの連弾を2人で紡いでいた。

 

「色々と弾きましたけど、当初の予定通りにコラボで弾く曲は『小舟にて』にしましょう」

「そうだね。一番さらったのが『小舟にて』だったし」

「当初の予定通りですね。他の曲も素敵ですが、一番馴染んでいるものを今日は弾きましょう」

「……本当に今日は収録するの?」

 

 まだ朱鷺ノ宮さんが弾けるようになって一週間だ。それなのにもうコラボ用の動画を収録しようって話になっている。

 

 今も二人で弾いたら良い感じだったけど、もうちょっと練習期間があってもいいんじゃないかと思う。

 

「はい、もう宣伝もしちゃいましたし」

「見たよそれ、登録者がまた伸びてたね」

 

 朱鷺ノ宮さんは『Shizuru』のアカウントでこのコラボを宣伝していた。

 『最近、こちらのチャンネルのピアノに夢中なんです』

 『なのでコラボのお願いをしました。○月○日にコラボ動画を出しちゃいます』

 

 休止理由が不明だった天才ピアニストのアカウントが数年ぶりに更新されたと思ったら投稿された内容がこれだ。

 ちょっとしたニュースになってしまい、気が付けばもう後には引けないって感じになっていた。

 

「もうすぐ30万人だよ。信じられない」

「私はもっと伸びると思っていますよ。クラシック音楽を投稿するチャンネルで登録者数が1000万人越えてるものだってありますから」

「そんな雲の上の人と比べないでよ。しかも海外のチャンネルじゃないそれ?」

 

 朱鷺ノ宮さんの言う通り、クラシックピアノを演奏するチャンネルで1000万人の登録者数を誇っているようなとこもある。

 

 流石にそんなチャンネルと比べて「もっと伸びると思いますよ」と言われても頷けなかった。

 

「悠貴くん、ちょうど良いタイミングなのでチャンネルの話をしていいですか?」

「チャンネルの話?」

「『My etude』の収益の話です。以前申請したのが通っていましたので」

「あ、そっか。再生数に応じてお金入るんだよね」

 

 そういえば『My etude』、結構再生数回ってる。収益のことをすっかり忘れていた。

 

 僕は弾いてるだけだし、場所とか機材とか用意している朱鷺ノ宮さんのほうがチャンネルへの貢献度が高いと思う。どういう形で配分するんだろう。

 

「ええ、ですが私たちは未成年ですので、保護者に話を通しておかなければいけません」

「そうだよね。お金のことだし、ちゃんと親に話しておかないと」

「この手のことに詳しい方を朱鷺ノ宮の系列から用意しました。面倒かもしれませんが、悠貴くんの保護者の方と1度話し合いをしてもらえないでしょうか」

「う、うん、親に言っておくよ」

「ありがとうございます。後日ご連絡を差し上げるようにお願いしておきますね」

 

 この辺りはやっぱりお嬢様だなって感じる。僕はお金のこととか全然考えてなかった。

 

 チャンネルの収益か、どれくらいのお金になるんだろう。バイト代と合わせて、家族でご飯に行けるといいな。

 それと千聖さんにもお世話になってるんだし、せっかくだしお礼もしたい。

 

「悠貴くんはチャンネルのお金が入ったら何か買いたいものがありますか?」

「買いたいもの? うーん、家族でご飯とか行きたいかな。買いたいものは……ちょっとまだ思いつかないけど」

「その、私たちも行きませんか……? 収益化を記念して2人で、初めて出会った時のカフェみたいに」

「あ、確かに記念だよね。うん、どこかでお祝いしよう」

「はい!」

 

 まだ他人事のように感じているけど、収益化って1つの節目じゃないか。

 朱鷺ノ宮さんと僕のチャンネルなんだし、記念にお祝いをしておくのは全然変じゃない。むしろ良い思い出になりそうだ。

 

「オススメのお店があるんです。絶対一緒に行きましょうね。約束ですよ」

「うん、約束。オススメのお店、楽しみにしてる」

 

 さっきまでちょっと不安気だったのに、約束が決まると花が咲いたように朱鷺ノ宮さんが笑っている。

 

 前のお店も良かったし、次もきっと美味しいお店だと思う。今から楽しみだ。お祝いってのが特別感あってワクワクしてくる。

 

「お祝いの日程はまた相談しましょうね。では、そろそろ本番を……準備を始めましょうか」

「準備? こっちはいつでも大丈夫だけど」

「ごめんなさい悠貴くん。これは私の我が儘なんですけど、スタイリストを待機させているので着替えてくれますか?」

「スタイリスト!? え、今ここに?」

「スタジオの向かいのフロアを悠貴くんのために用意しています」

 

 まるで芸能人みたいで度肝を抜かれる。まだ唖然としている僕を朱鷺ノ宮さんが背中を押して僕用のフロアへ押し込まれる。そして朱鷺ノ宮さんが「また着替えてから会いましょう」と言ってパタンと扉を閉めた。

 

 中には2人のスタイリストさんがいて、自己紹介されたけど僕は何とか返事をするだけで精一杯だった。

 

 あとは言われるがまま衣装を合わせる。サイズはほとんどピッタリだったけど「細かいとこを調整してきますね」と言って、スタイリストさんが1人上着を持って奥のほうへ歩いていった。

 

 もう1人のスタイリストさんが「その間に髪をセットして、メイクもしておきましょうね」と僕を鏡の前に座らせる。1つ1つされていることは理解できるのに、どこか夢心地なまま時間が進んでいく。

 

 メイクが終わるのとほぼ同時に調整された上着も戻ってきて、袖を通すように促される。

 

「これでいかがでしょうか?」

「……あ、はい。良いと思います」

 

 髪を整えてメイクまでした上に、こんな衣装まで着ている。まるで別人みたいだ。

 正装って感じだ。光沢のある黒のスーツに真っ白なシャツ、深紅のネクタイも、どれも高そうにしか見えない。

 

 しかも小物も凝っている。このピン、スタイリストさんがラペルピンって教えてくれたやつ。鳥の羽をモチーフにしたものっぽいけど、いったいいくらするんだろう。

 

「お嬢様の準備はもう少し掛かりそうです。準備がおわり次第こちらへいらっしゃるとのことなので、少々お待ちください」

「あ、はい。待ってます」

 

 静かに礼をして、スタイリストさんは僕を残して退室していった。

 そんな状況で朱鷺ノ宮さんを待っていると、控えめに扉をノックする音が部屋に響いた。

 

「どうぞ」

「……失礼します」

 

 扉を開けたのは朱鷺ノ宮さんだった。

 

「ああ、やっぱりよくお似合いです。とても悩んだんですよ、その衣装を選ぶのに」

「……朱鷺ノ宮、さん?」

 

 真紅のドレス――何より先に、それに目が奪われた。キラキラと輝くようにきらめいて、長い艶やかな黒髪がドレスにとても合っている。カツ、カツ、と響く足音はハイヒールなんだろう。いつもより少し背が高くて、目線が僕と同じくらいになっている。

 

 朱鷺ノ宮さんのはずなのに、まるで違う人のようだった。思わず名前を呼んだ僕に、朱鷺ノ宮さんは静かに微笑みを返す。

 

 その姿はドレスに慣れた堂々とした立ち振舞で、まるで絵画のようだった。

 きっと、朱鷺ノ宮さんはこういう衣装で舞台に立っていたんだ。そんな想像が自然と頭に浮かぶ。

 

「ドレスを着るのは久しぶりなんです。悠貴くんから見てどうでしょうか? 似合っているといいんですけど」

「……すごく、よく似合ってる。なんか別人みたいで驚いちゃった」

「うふふ、それで部屋に入った時、あんな反応だったんですね」

 

 素直に感想を伝えると本当に嬉しそうに笑ってくれた。それだけでさっきまでの夢見心地な感覚が消えて、これから向かう演奏に意識が向いた。

 

 この笑顔を曇らせたくない。きっと、この演奏を成功させてみせる。そう決意を固める。

 

「一緒に写真撮りましょう悠貴くん! せっかくの機会なんですから」

「え、恥ずかしいって」

「いいじゃないですか。せっかくの衣装なんですから、演奏だけじゃ勿体ないですよ」

 

 朱鷺ノ宮さんが僕の腕を取って子供が我が儘を言うように写真をねだってくる。

 こんな綺麗な格好していても朱鷺ノ宮さんは朱鷺ノ宮さんなんだと、衣装に包まれてから感じていた緊張感が和らぐ。

 

「一緒に撮ってくれないと……私、泣いちゃいますからね」

「それは卑怯じゃない?」

「悠貴くんが写真を撮ってくれるなら、卑怯者と誹りを受けても構いませんよ?」

「……分かった。撮るよ写真」

 

 小悪魔のような笑みを浮かべる朱鷺ノ宮さんに僕は折れるしかなかった。

 スマホを取り出した朱鷺ノ宮さんがインカメで僕たちを画角に収めると、自然と距離が近くなる。

 

「ち、近いよ朱鷺ノ宮さん」

「だって、こうしないとカメラに収まらないじゃないですか」

 

 朱鷺ノ宮さんが僕の腕に、抱き着くように腕を絡める。そのまま僕の肩に頭を乗せてカメラを高く構えた。香水の甘い香りが鼻をくすぐる。いま隣を見たら心臓が爆発するんじゃないかってくらい鼓動が早くなっていた。

 

 僕は冷静さを保とうと必死にカメラに視線を固定させる。そこには僕と朱鷺ノ宮さんが写っていて、結局どこを見ても心が落ち着くことはなかった。

 

「撮りますよ悠貴くん。ほら、笑ってください!」

「……頑張る」

 

 何度かシャッターボタンが切られたけど、写真の中の僕はどれも表情が固まったようにぎこちない笑顔だった。

 

 それとは正反対に、朱鷺ノ宮さんは花が咲いたような笑顔を浮かべていた。

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