夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について 作:矢上鉋
バイト前の事務所、
面白くなさそうに見つめながら、画面をスクロールしていく。
「あの『Shizuru』が2年の沈黙を破って奇跡の復活! 意外なことに復活の舞台に選んだのはある動画チャンネルとのコラボ動画だった!? だって」
「……」
「『Shizuru』が選んだのは『My etude』というピアノ演奏を投稿するチャンネル。コラボ前から人気の高いチャンネルだったが『Shizuru』とのコラボ後に人気が世界的に爆発、現在の登録者は100万人を突破、謎のピアノ奏者『My etude』とはいったい何者なのか!? だって」
「……今はその話やめようよ千聖さん」
再生数は勢いを増して伸び続けている。その影響で国内外問わずに登録者が増えて、チャンネル登録者数は100万人を突破してしまっていた。
想像を遥かに上回るバズで、生きた心地がしない。
「まさか悠がチャンネル一緒にやってた子が『Shizuru』だったなんてね。こないだの子が『Shizuru』……可愛い子だったよね」
「……千聖さん。もし『My etude』だってバレたらどうしよう。学校退学になったりする?」
「ぷっ、心配し過ぎだって。別に炎上系とかじゃないんだし、演奏動画バズったくらいで退学になんてならないよ」
「そ、そうだよね。退学はないよね流石に」
放課後、先生に呼び出される最悪なイメージが頭に浮かんでいた。千聖さんが笑ってくれて、少し不安が和らぐ。
コメント欄を見ると朱鷺ノ宮さんが世界的に評価されていたピアニストなんだって改めて理解させられる。国際色が一気に豊かになっていた。色んな国から『Shizuru』の復活を喜ぶ声が寄せられている。
「あ、このコメント」
「変なこと書かれてた?」
「ううん、この英語のコメントの人……バズる前から見てくれてる人だ。チャンネルの動画が少ない頃からコメントくれてる人なんだ」
「ってことは悠のファンだ。翻訳してみなよ。えっと……『Shizuru』は自分の影響力を使って『My etude』を乗っ取っている。これはフェアではありません。彼のファンとして、これは望んでいない……だって、大分強火な悠のファンだよこれ!」
いつもコメントくれているけど、翻訳はしたことなかった。酷いこと言われていたら落ち込むと思ってスルーしてたからだ。
初めて翻訳してみたけど、コラボに不満みたいだ。じゃあ、他の動画にあったコメントはどうなんだろう。確認すると「美しく洗練された演奏は私の人生を豊かにしてくれます」と翻訳した内容はとても好意的なものだった。
僕のことをずっと応援してくれていたのかな。だったら、ちゃんと見ておけば良かった。
でも、朱鷺ノ宮さんとのコラボはあまり気に入らなかったみたいだ。
「悠のことだって応援してくれてる人もいるんだから、いつまでも気にしてたら駄目なんじゃないの?」
「……そうだね。これは朱鷺ノ宮さんの影響が強いって割り切って自分なりに頑張るしかないよね」
もともとプロのピアニストだった朱鷺ノ宮さんと僕じゃ釣り合いは取れないってことかな。
けっこう悔しい。演奏の時は素晴らしい演奏ができたと思っていたから、最初から応援してくれていた人も喜んでもらいたかった。
「朱鷺ノ宮? 待って、『Shizuru』って朱鷺ノ宮の人なの?」
「……もしかして公表されてない?」
「私は知らなかったけど……」
調べてみると『Shizuru』のプロフィールが出てくる。ピアニストとしての朱鷺ノ宮さんの経歴が綺麗に纏められていて、早速復活したことまで書かれている。
ゆっくり読みながら下へスクロールしていくと最後のほうへ朱鷺ノ宮の人間だって書かれていた。さらにその下に理由まで載っている。
「書いてあったよ千聖さん、『Shizuru』はピアニストとしての活動名であり、本名は『朱鷺ノ宮 静流』である」
「あ、公表はされてるんだ」
「そうみたい。『Shizuru』というのは海外で活動する際に朱鷺ノ宮家のイメージを受けず評価されたいと、活動名を付けて活動することにしたと本人がインタビューで明かしている」
「家の影響を受けないために活動名で……ふーん、格好良いじゃん」
確かに格好良い。朱鷺ノ宮は世界的にも知られる日本の名家であり、世界的企業の名だ。その名を名乗れば、否応なしに色眼鏡で見られてしまう。だから彼女は『Shizuru』と名乗ったんだ。
『Shizuru』という1人のピアニストとして、世界を舞台に勝負していた。朱鷺ノ宮さん、凄いな。本当に住む世界が違う人なんだって突きつけられるような気がする。
「格好良いね」
「……その格好良い『Shizuru』ちゃん、復帰コンサートするんだよね。クリスマスの朱鷺ノ宮国際音楽ホールで」
「あれ、怒ってる?」
「怒ってないよーだ。ま、それはいいとして……クリスマスの朱鷺ノ宮国際音楽ホールを押さえられる時点で気が付くべきだったよね。朱鷺ノ宮の関係者じゃないと絶対に無理だもん」
朱鷺ノ宮国際音楽ホールは数年前に全面改装されたばかりの国内有数の音楽ホールだ。演奏家からの評価も高く、色んなコンサートで利用されているこの街のシンボルの1つとして街の人間なら誰もが知っている場所だ。
クリスマスは海外のオーケストラが来てコンサートするのが定番だけど、今年は朱鷺ノ宮さんが復帰コンサートをすることになっている。
もしかして朱鷺ノ宮さんのために予定を空けた?
いや、コンサートって早い段階から予定を組むはずだし、急に予定を変更するなんてありえるんだろか。
「悠はコンサート招待されないの? チャンネルの相方で、復活して最初が悠とのコラボだったくらいだし。呼ばれてるんじゃないの?」
「……うん、招待されてる」
「すごいよね。今年は来るはずだったオーケストラが来られなくなって、それの代打で復帰コンサートでしょ? いくら朱鷺ノ宮の人間でも元々決まってたのはどうにもできないだろうし……本当に、持ってるよね。その子」
「え、そうだったの?」
「知らなかったの? 私たちが文化祭のライブに向けて練習しているくらいかな。ニュースにもなってたはず……オケの運営会社が破綻、給料も未払だって」
「うわー、大変だね」
「とても演奏できる状態じゃないからコンサートは白紙、一ヶ月前だったから代打を見つけるのも難しいって話だったらしいけど」
まるで仕組まれたような偶然だ。
神様が朱鷺ノ宮さんの復帰のために、舞台を用意してあげたみたいだ。
『神に愛された天才ピアニスト』と呼ばれていたのが真実味を増すように思えた。
「そこに朱鷺ノ宮さんが代打でソロコンサートをすることに」
「もともとコンサートの運営も朱鷺ノ宮の系列でしょ? その一族のピアニストが代打で出るのは不可能じゃないと思うけど、かなり無茶だよね」
「……だよね」
「私らが文化祭でしたライブも無茶なとこあったけどさ。そのコンサートは私ら以上に無茶だと思う。活動も休止してたでしょ、その子って」
千聖さんの言う通りだ。朱鷺ノ宮さんはつい先日、弾けるようになったばかりだ。
僕と連弾してから、一人でも弾けるようになったとは聞いたけど、それでも無茶なスケジュールだと思う。
「……それでもやるんだって」
「ふーん、心配なんだ?」
「それはそうだよ。詳しくないけど、知識無いなりに無茶だって思うし」
「ま、だよね。かなり気も座ってると思うもん。普通はやろうって思わないよ」
無茶だとしても朱鷺ノ宮さんは舞台に戻りたいんだろう。
何が彼女をそこまで駆り立てるのか分からない。それでも、僕だけは応援しようと思う。
「悠、コンサートに呼ばれてるんだよね。仲良さそうだったし、残念」
「え、どうして?」
「クリスマス、一緒に過ごしたかったから。優里香も一緒に、家でクリスマスパーティしようって誘おうと思ってたの」
「……そうだったんだ」
残念そうに笑う千聖さんに胸が痛む。クリスマスパーティーにも行きたいけど、朱鷺ノ宮さんの復帰コンサートも見届けたい。
「ごめん。先に約束したのは朱鷺ノ宮さんのほうだから」
「うん、わかってる」
「あ、コンサート終わってからなら大丈夫かも……コンサートは17時開演で19時くらいには終わってるはずだって本人から聞いたし」
「……本当? コンサートの後にその子と会うんじゃないの?」
「世界的なピアニストの復帰コンサートの後だよ。会ってる時間なんて無いって、当日は多分話をする時間も取れないって朱鷺ノ宮さんも謝ってたくらいだし」
最初に朱鷺ノ宮さんからそれを聞いた時も、無理もない話だってすぐに納得した。
舞台を終えたあとの主役が、僕みたいな観客と話をする時間なんて無いのは分かりきっている。ちょっと寂しい気持ちもあるけど、朱鷺ノ宮さんが復帰できることを喜ぼう。
「じゃあ、一緒にパーティできる? コンサートの後来てくれるの?」
「千聖さんさえ良ければだけど」
「もちろん! 皆で楽しいクリスマスにしようね」
クリスマスまでもう1ヶ月を切っている。朱鷺ノ宮さんは復帰コンサートに向けて忙しくしているんだろう。
僕も招待されたんだからちゃんと準備をしておかないといけない。とりあえず千聖さんに相談してみよう。きっと良いアドバイスがもらえるはずだ。