夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について 作:矢上鉋
「ふふっ、こうやって出掛けるのって初めてだよね」
「え、そうかな?」
「バイト先とか、レンタルスタジオとかは行ったけどね。悠から誘ってくれたのは初めてだよ」
バイトが休みの日、僕は
ご機嫌な千聖さんと並んで歩きながら目的の店に向かっている。
「あー、確かに一緒に買物へ行くのって無かったもんね」
「デートみたいだね」
「……すぐそうやって茶化す。お願いって頼んだでしょ」
「ふふっ、そうでした。ちゃんとコーディネートしてあげるからね」
お願いしたのはコーディネートだ。
あまり知識の無かった僕でもコンサートにいつもの服で行ったら不味いことくらいは分かる。
「
「姉さんも僕とこういうことの知識って同じくらいだと思う。それに、姉さんと服を買いに行ったら長いんだよ。人を着せ替え人形にして遊ぶから」
「悠と買い物に行った後ってすごく機嫌が良いけど、悠の尊い犠牲があったんだね」
「めちゃくちゃ嫌って訳じゃないけど、姉さんいると長くなるからさ。そもそも今日は姉さんバイトだし」
「ふふっ、そうだね。優里香いると長くなっちゃうもんね」
ということで今日は姉さん抜きだ。
あとでバレたら怖いけど、埋め合わせで着せ替え人形になる覚悟さえしていれば大丈夫だろう。
「コンサートってドレスコードとかあるんだよね?」
「海外に比べて日本はそこまで格式高くないみたいだけどね。でも、あの『Shizuru』の復帰コンサートだからレベルは上がっちゃうかもね」
「レベルが上がる?」
「観客側が気合入れてきちゃうってこと」
中止になったクリスマスコンサートが朱鷺ノ宮さんの復帰コンサートに変更された。
クラシックファンなら大喜びだと、ニュースにもなっていたし、千聖さんの言うことも説得力があった。
「私の想像だけどね。あながち間違ってないと思うな」
「だったら余計にちゃんとしたの用意しておかないと」
「バイト代ちゃんと貯めてた? 悠なら無駄遣いしてないと思うけど」
「それは大丈夫。ちゃんと貯めてたから」
せっかくだしチャンネルの収益から振り込まれたお金も使うことにした。振り込まれた金額を見た時はお母さんと驚きのあまりしばらく固まってしまったことを思い出す。
朱鷺ノ宮さんが紹介してくれた税理士さんが税金のこととかは問題が起きないようにしてくれるらしい。
だから今日は安心して買い物ができる。収益のお金は今まで手を付けていなくて今日は初めて使うけど、良い使い方だと思う。
「おー、頼もしいじゃん。他にも色々服買っちゃう? 千聖お姉ちゃんがそっちもコーディネイトしてあげるけど」
「……ちょっと興味あるけど、目的のものを優先しないと」
「うん、そうだね。じゃあまずはそっち選んじゃおっか」
気がつくと店の前まで来ていて、千聖さんに「こっちだよ」と手を引かれる。
「コンサートに行くならこのあたりかな」
さっそくジャケットを手に取って僕の身体に合わせて、品定めが開始された。僕の顔とジャケットを見比べる千聖さんの姿は真剣そのものだった。
「色はこれがいいかも…… うーん、悠はどっちがいい?」
「俺も千聖さんのオススメの色がいいと思う」
「お、趣味合うじゃん。じゃあ、これに決まり。あとは他のも選んじゃおっか」
何度も試着させられると予想していたのが外れた。あっという間にコンサートに行くための服一式を千聖さんは選び終えた。
姉さんと服買いに来た時と比べ物にならない。驚いている僕に選んだ一式を渡して「合わせてきてよ」と背中を押されて試着室に放り込まれる。
「着替えたよ。どうかな?」
「……いいじゃん。思った通り、よく似合ってる」
「ならこれにする。買ってくるね」
「他にも見ておかなくて大丈夫?」
「大丈夫、千聖さんの選んだ服だから。それに、コンサート用以外の服も見てくれるんでしょ?」
鏡に写った姿が自分で見ても良い感じだった。これで決まりでいいと思う。
初めて制服買って貰った時の高揚感と似たような感覚だ。
「ふふっ、そうだったね。他のお店も行こっか。悠って優里香が選んだ服ばっかり着てるよね? 今日は私が違うタイプの服選んであげるからね」
「えっと、あんまり派手なのは選ばないでくれると嬉しいな」
「分かってるって、そこまで派手なのは選ばないよ。ただ、いつもと違う感じの服選ぶだけだから」
高校入ってからは姉さんに選んでもらった服ばっかり着ている。
着せ替え人形にされることさえ目を瞑れば文句のつけようがないチョイスをしてくれるからだ。
「今日買った服、今度のバイトの時に着てきてよ」
「まだ買ってないのに気が早くない?」
「細かいことはいいじゃん。ほら、次の店に行くよ」
「ちょっと、まだ買ってないから」
次の店に僕を引っ張っていこうとする千聖さんを静止して、レジで会計を済ませる。
チャンネルの収益が無かったらギリギリだったな。けっこう高くついたし、大事に着よう。
「会計済んだよ千聖さん、次の店に行こう」
「前に来た時、悠に似合いそうなの見つけたんだよね~」
目的の店へ向けて、千聖さんが足早に進んでいく。
コンサート用の衣装を買う時より楽しそうだ。千聖さんは機嫌良く鼻歌なんか歌いながら、目当ての店に到着した。
「優里香と服買いに来た時にね。この店で悠に似合いそうなの見つけたんだ~」
「姉さんとって……ここ、男物の店だよね?」
「優里香が悠くんの服買う時の下見に付き合ってよって、一緒に来たの」
「したみ……? えっ、下見? 姉さん、下見とかしてたんだ……」
下見した上で丸一日を僕の服を買うのに費やすのか。
凄いと感心すればいいのか、やりすぎと呆れればいいのか、身内の知らない一面を知って複雑な心境になる。
「けっこう付き合わされるよ。で、その時に見つけた服がこれ! 悠に似合うと思うな」
「オーバーサイズ系だね」
「優里香が選ぶのって身体のサイズに合ったのばかりでしょ? たまにはそういうのも良いと思ってたの」
「へえ、ちょっと合わせてみるよ。似合う?」
「似合う似合う! それなら今悠が履いてるパンツにも合ってるし」
軽く身体の前に合わせただけなのに、千聖さんが胸の前で小さく手を叩いて褒めてくれる。
さっきのコンサート用のを選んでくれた時は真剣そのものって感じだったけど、今はただ楽しそうに喜んでくれている。
「悠、こっちも合わせて!」
「う、うん」
そこから怒涛の着せ替えショーが始まった。姉さんみたいに1回1回試着室へ行かされた訳じゃなかったけど、僕の身体に服を合わせては、他の服と見比べている。
「あ、これも似合ってる」「……明るい色もありかも」「うーん、さっきの良かったけどこっちも……」服を合わせる度に感想を口にしながら千聖さんが何枚も服を選んでいく。
「悠、これ良くない? すごく似合ってるよ」
「……千聖さん」
「ん? どうしたの悠?」
「ちょっと近いよ」
「え? あ、ごめんっ」
最終的に僕を鏡の前に立たせて後ろから抱き着くように服を合わせてくるものだから、流石に止めてしまった。
抱き着かれる感触だけじゃなくて、鏡にもばっちり姿が映るから恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
「あ、あはは……ちょっと、はしゃぎすぎちゃったね」
「……いや、こっちもごめん」
いつもの千聖さんならからかって来そうだけど、今日は何だか気まずそうにしている。
何故か僕たちの間に沈黙が流れる。
「それ、買うよ」
「え、これにするの?」
「すごく似合ってるんでしょ?」
「……うん、一番似合ってた」
また笑顔に戻ってくれた千聖さんから服を受け取ってレジに向かう。
レジで「プレゼントさせて」ってお金を出そうとする千聖さん「いや、自分で買うから」と断る僕で少し言い合いになる。
結局、「私が選んだ服だから」と折れない千聖さんに根負けして服を買ってもらってしまった。
「服も買ったし帰りたいとこだけど、優里香の誕プレも買っておこうよ」
「あー、もう今年も終わりだもんね」
もうすぐ姉さんの誕生日の一月七日がやってくる。「せっかくだし今日は買って帰ろう」という千聖さんの提案に、僕はありがたく乗っかることにした。
「1月7日の人日の節句と、9月9日の重陽の節句だよね。私も7月7日の七夕産まれだし、3人でお揃い……五節句でお揃いだって知ったとき、すごく嬉しかったな」
「七草粥でいいんじゃない? 姉さんの誕生日プレゼント」
「ふふっ、流石に優里香でも怒るんじゃない?」
僕たち姉弟の名前は、この節句にちなんで名付けられたものらしい。
小さい頃、お母さんが嬉しそうに教えてくれたのを覚えている。
「3人でお祝いできるね」
「二人とも二十歳……お酒飲めるね」
「あ、悠は駄目だからね。お酒は二十歳になってから!」
「分かってるって」
他愛のない話をしながら、姉さんへの誕プレを二人で選ぶ。
割とあっさり決まり、そろそろ帰ろうと駅に向かう。
「千聖さん。今日はありがとう」
「私も楽しかったよ。また一緒に買い物いこうね」
帰りの電車に向かいながら、千聖さんのために用意したプレゼントをポケットの中に確認する。
いつものお礼に買ったギターピック、バレないように隣町まで買いに行ったやつだ。
「千聖さん、これ……」
「なに、プレゼント? え、私に?」
「お世話になってるお礼……いつも本当にありがとう千聖さん」
「……開けてもいい?」
「うん、気に入ってくれるといいんだけど」
千聖さんは僕からのプレゼントのリボンを外して包み紙を綺麗に開けて、中身のギターピックを取り出した。
「……ありがとう悠、大事にするね」
千聖さんがギターピックを両手でぎゅっと包みこんで、まるで宝石のように胸の前で抱え込む。
目尻から涙が一筋溢れていく。それを隠そうともせず、千聖さんはただ幸せそうに微笑んでいた。