夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第四話 楽器店

 喫茶店で朱鷺ノ宮(ときのみや)さんと動画投稿の協力関係を結んだ翌日、僕は地元のそこそこ大きな楽器店へ来ていた。

 

 朱鷺ノ宮さんは一緒じゃない。あの日の別れ際に「準備のために少し時間をくれますか」と言われて、今は連絡待ちの状態だ。

 

「……準備、どれくらい掛かるんだろう」

 

 ピアノを弾く夢を見て、現実でも弾けるようになった。弾かないと頭が痛くなったり、気分が悪くなって苦しくなる。

 僕の状態を正直に打ち明けるべきだろうか。出会ったばかりの女の子に言っても困らせるだけだから、やめておいたほうがいいだろう。

 

「とりあえずキーボードだよな」

 

 ストリートピアノへ毎日弾きにいくのは現実的じゃない。痛い出費だけど、キーボードを買って家で弾ける環境を作っておこう。

 

「……安いのでいいかな。とりあえず弾ければいいし」

 

 壁に掛けられて天井近くまで積み上げられたキーボードを見上げて、予算内の物を探す。

 なんとなく国産の有名メーカーが良いと思うけど、それでも種類が豊富で悩んでしまう。

 

 あとは教本も買わないと。朱鷺ノ宮さんと動画チャンネルをすると決めたからには、楽譜が読めるようになる必要があるだろう。

 

 僕が弾けるのは夢で見た曲だけだ。店内に掛かっている有名なポップスの曲、ピアノのメロディが特徴的なのに、どうやって弾けばいいか見当もつかないのだから。

 千聖さんとの約束もあるし、早く覚えないとな。

 

「お客様、キーボードをお探しですか?」

「あ、いえ、その……見ていただけで」

 

 買う決心をしたばかりなのに、店員さんに背後から声を掛けられて反射的に答えてしまう。

 

 よく分からないまま色々と薦められてしまうくらいなら、予算内で手頃なものに決めておくんだった。そんな後悔をしながら僕は振り返った。

 

「いらっしゃい。最近よく会うね悠」

千聖(ちさと)さん!?」

 

 振り返った先には星野楽器店と刺繍された緑のエプロンを付けた千聖さんがいた。

 ふんわりと柑橘系の香りが広がる。下から覗き込むように見上げて、良いオモチャを見つけたって顔をしていた。

 

「千聖さん、もしかして……」

「ここでバイトしてるの。悠はキーボード見に来たの?」

「う、うん、練習用の探していて」

「そうなんだ。買い替えってことだよね。前はどこのメーカーの使ってたの?」

「……前の?」

 

 あ、これあれだ。ストリートピアノ弾くとこ見られたから、僕が既に練習用のを持っていると思われている。

 

 何か適当なキーボードメーカーを答えないと。だけど頭が真っ白で、さっきまで見ていたキーボードメーカーすら出てこない。

 

「……えっと、どこだったかな」

「……ふーん、あんまりこだわりとか無いんだ。だったら私のオススメとかにしとく?」

「千聖さんのオススメ?」

「バイトだからね。それなりに知識はあるよ。自分でも持ってるからね」

 

 ぽんっと胸を軽く叩く姿は何だかとても頼もしいものに見えた。千聖さんがキーボードも弾けるとは思わなかった。前に会った時はギターっぽいの背負ってたからてっきり、あれ?

 

「……駅で会った時はギター背負ってなかった?」

「ギターがメインだけど、キーボードも軽くなら弾けるの。すごいでしょ」

「え、すご」

 

 ギターだけじゃなくて鍵盤もいけるんだ。千聖さん、多才だな。

 やっぱり、バンドとかやってるのかな。

 

「千聖さんってバンドとか組んでるの?」

「ううん、バンドは組んでないよ」

「バンドは?」

「ソロで活動だからね。シンガーソングライターだね」

 

 シンガーソングライター。作詞と作曲、歌も全部1人でする人をそう呼ぶんだっけ。

 ギターがメインってことは、サブってことだよな。曲作るのにピアノもいけたほうが便利なのかな。

 

「1人で活動してるだけだし、そんな大したもんじゃないけどね」

「え、すごいよ千聖さん」

「ふふっ、ありがと」

 

 知り合いが音楽活動をしていた。そうなれば実際に見てみたくなるのが自然な反応だろう。

 

 例に漏れず僕も千聖さんのライブを見てみたかった。

 チケットの値段ってどれくらいするんだろう。

 

「姉さんは知ってるんだよね? 全然教えてくれなかったな」

「口止めしてたからね」

「口止めって、どうして?」

「ビッグになってから悠をライブに呼んで驚かせてやるつもりだったから」

「……からかってるでしょ」

「ふふっ、けっこう本気だったよ。例えビッグになれなくても、いつかは悠を招待するつもりだったよ」

 

 そう言って笑う千聖さんの笑顔が昔のままだった。この笑顔に恋をした。

 優しくて、格好良い千聖さんの姿に憧れた記憶が、鮮明に蘇るようだった。

 

「……それは嬉しいけど、今はライブとかしてないの?」

「ううん、先月したよ。そこそこコンスタントに活動してる」

「だったら次のライブの日程教えてよ。チケット買って応援しに行くから」

「駄目、悠をあんなとこに呼べません。高校卒業したらね」

「そんな保護者みたいなことを……」

「私も悠のお姉ちゃんだからね。昔はそう呼んでくれたでしょ」

 

 千聖さんの言う通り、昔は千聖お姉ちゃんと呼んでいた。「お姉ちゃんって呼んで」と千聖さんにお願いされて、それが変だと幼い僕は思わなかったから。

 

 思い出しただけで恥ずかしくなる。「千聖お姉ちゃん、千聖お姉ちゃん」って実の姉のように懐いていた恥ずかしい記憶だ。

 

「まだ小さかったからね」

「今も千聖さんじゃなくて、千聖お姉ちゃんって呼んでくれたらいいのに」

「流石に、それは遠慮しとく」

「残念。あんなに可愛かった悠が反抗期か、お姉ちゃん寂しい」

「……姉さんみたいなこと言わないでよ」

「言われたことあるんだ? ふふっ、確かに優里香なら言いそう」

 

 そう言って猫のように目を細め、からかうように千聖さんが笑う。

 昔もこんな風にイジられたよな。敵わないなと思いつつも、昔のようなやりとりに懐かしさと嬉しさも感じていた。

 

「ごめん、話が脱線しちゃったね。キーボード探してたんだよね」

「あ、うん。手頃なのが欲しくて」

「手頃なのね。悠ってどういう感じのが欲しいの」

「どういう感じのって?」

 

 値段以外に違いってあるんだ。あとはメーカーとか、機能面も知識が無いから何を質問されているのか判断ができなかった。

 

「悠が前に弾いてた駅のピアノみたいなのって88鍵でしょ。でも、キーボードって色々あるよ。例えば悠の目の前にあるのは61鍵、その隣のが88鍵。全然違うでしょ」

「あ、本当だ。よく見ると長さが違う」

「キーボードは初めてなんだね。練習はちゃんとしたピアノでしてたんだ。そういう部活とか、音楽教室で習ったの?」

 

 夢で見て弾けるようになりました、とはやっぱり言えないよな。

 今日も誤魔化すしかなさそうだ。

 

「……そんな感じ。買うなら88鍵かな。でも61鍵のより高いね」

「手頃なのは61鍵とか、49鍵とかもあるけど、おすすめはしないかな。あれだけ弾けるなら88鍵の買うほうが良いよ」

「なるほど、88鍵か……どれにしようかな。88鍵でも種類があるよね」

「悠、私の使ってないキーボードいる? 譲ってあげよっか」

「え、いいの?」

 

 88鍵の中からどれにすれば良いか千聖さんに聞いたつもりが、予想しなかった答えが返ってきた。

 

 お金が浮くことはもちろんだけど、千聖さんが使っていたものを譲ってくれるということにテンションが上がっていた。

 

「今はギターばっかりだしね。音楽を始めたきっかけはおばあちゃんが買ってくれたキーボードだったんだけど、気がつけばギターに目覚めちゃってね」

「そ、そんなの受け取れないよ」

 

 流石におばあちゃんに買ってもらったキーボードなんて大事なもの、簡単に譲ってもらうのは気が引ける。

 

「なんで? あ、違う違う。悠に譲るのは2台目のほうだから」

「2台目?」

「私がバイトで貯めたお金で買ったほうね。こっちなら悠に喜んで譲ってあげる」

「そっちも大事なものだと思うんだけど」

 

 プレゼントされたものじゃないとしても、自分でお金を貯めて買ったものなら想い入れだってあるはずだ。

 

「いいの。最近触ってあげられてないから、悠にもらってもらえたら嬉しい。あれだけ音を鳴らせるんだもん。あの子も喜ぶよ、きっと」

「……本当に、いいの?」

「正直想い入れはあるよ。だから下手に売ったりできなかったんだけど、なかなか弾いてあげられてないし……悠がもらって弾いてくれるならそっちのほうがずっと良いと思う」

「……ありがとう、千聖さん」

 

 千聖さんが譲ってくれたキーボードが僕の初めて持つキーボードになる。

 痛みを抑えるためにキーボードが欲しい。胸を張って言える理由じゃないから、大事なものを譲ってもらうのは気が引ける。

 

 でも、贅沢を言っていられる立場じゃない。ここは千聖さんの好意に甘えておこう。

 

「それじゃあ、ちょっと待っててくれる?」

「待つ?」

「バイトもう上がりだから、これから家へ取りに来てよ」

「え、千聖さんの家に!?」

「うん、すぐ着替えてくるから」

 

 ひらひらと手を振ってバックヤードへと消えて行く千聖さんの背中を黙って見送る。

 駄目だ。心臓が高鳴っている。そんな急に千聖さんの家へ行くことになるなんて夢にも思わなかった。

 

 千聖さんが戻るまでの数分間、胸の鼓動が嫌というほど僕の耳に響いていた。

 

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