夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第四十一話 不協和音

 『ラ・カンパネラ』を聴いてからの記憶は曖昧だ。

 

「……ストリートピアノ」

 

 気が付けば僕は駅のストリートピアノの前にいた。朱鷺ノ宮(ときのみや)さんと出会い、千聖(ちさと)さんと再開した場所。無意識に足が向いたのだろうか。

 何故そうしたのか分からない。僕がゆっくりとピアノに近づいて、鍵盤の蓋を開いた。

 

『ラ・カンパネラ』

 

 確かめたかった。僕の役目は終わったなんて馬鹿げた考えは間違いで、ただの思い違いだと。

 例え夢が終わってしまったとしても、僕には積み上げたものがある。それを一刻も早く感じたかった。

 

 ――でも、駄目だった。これは朱鷺ノ宮さんの劣化品だって、いくら僕が弾いても価値のない音色だって知ってしまった。僕の鐘の音は何も祝福などしていなかった。

 

 ああ、なんて空虚な音なんだろう。積み上げたものがない空っぽな音、指だって朱鷺ノ宮さんのように滑らかには運べない。

 音楽になっていないんだ。ただ沈んで、響いていない。音が死んでいる。

 

 そう考えた瞬間、音が変わる。歪んで、崩れていく。

 

 曲の形を保てない。いくら覚えた譜面通りにさらっても、音が立たない。

 いくら弾いても、どんな曲を弾いても音は歪み、崩れて、鼓膜を引っ掻く。

 耳の奥で、認めたくない音が鳴り続けている。

 

 僕の指先から、不協和音が生まれていく。

 

「……っ」

 

 ――違う。

 そんなはずない。こんな終わり方は嫌だ。

 

 いくら正確に鍵盤を押し込んでも。楽譜通りに弾いても駄目だった。

 不協和音が、僕はもう要らないと突きつける。

 

 そんなの認めたくなくて、必死に鍵盤に縋り付くみたいに演奏を続けた。

 

「……君、ちょっと君!」

 

 肩を揺すられて振り向くとそこには駅員さんがいた。

 どうやら呼びかけていたのに僕が気が付かなくて痺れを切らしたようだ。

 

「もうストリートピアノの演奏可能時間は終わっているから、弾きたかったらまた明日にしてくれるかな」

「……すいません」

「……君、大丈夫かい? その、なんだか」

「平気です。本当にすいませんでした」

 

 頭を下げて謝罪し、逃げるようにその場を離れた。声を掛けられたような気がしたけど、ピアノの近くにいたくなくて足早に駅を出る。

 そのまま目的地もなく彷徨う。なんとなく家には帰りたくなかった。

 

 どれだけそうしていたか分からない。12月の冷たい風で身体はすっかり冷え込んでいた。

 それでも歩き続けた。まだ現実が受け入れられなくて、僕は一体何だったんだろうって、そんな考えが頭をぐるぐると回る。

 

「悠! やっと見つけた!」

「……千聖さん?」

「連絡も付かないし、心配したんだよ」

 

 あてもなく歩いていたら、千聖さんが僕を見つけた。

 駆け寄ってきた千聖さんの表情は焦りと心配が浮かんでいる。

 

「悠?」

「……ごめん、電源切ったままだったみたい」

 

 コンサート前に電源を切ったまま、そのままにしていた。

 

「こんなに冷えて……何かあったの?」

「ううん、大丈夫だよ」

「全然大丈夫じゃない! そんな顔で言われても説得力ない……帰ろ? ここは寒いよ」

「……うん」

 

 手を引かれて家の方向に向かって歩き出す。クリスマスパーティー台無しにしてしまった。約束していたのに。

 

「ごめん千聖さん、せっかくパーティー誘ってくれたのに」

「そんなことはいいの。今はとにかく家に戻って身体を暖めよ。あ、優里香(ゆりか)にも連絡しておかないと」

 

 なんて情けない。自分のことばっかりで約束を破ってしまった。こんなに心配掛けて、本当に最悪だ。

 

「優里香に連絡しといたから、家に戻るって」

「ごめん千聖さん、ごめん……っ」

「……悠?」

 

 子供みたいに涙が止まらない。こんなとこ見せたくないのに、いくら拭っても次から次に涙が溢れてくる。

 

 消えてしまいたかった。朱鷺ノ宮さんの音を聴いてこんな感情になっている自分も、千聖さんたちに迷惑を掛けてしまう自分も許せなかった。

 

「……っ」

「……痛いよ、千聖さん」

 

 千聖さんが僕を強く抱き締めた。

 痛みを訴えても腕の力が強くなる。痛いくらいに、千聖さんの温もりが僕を包みこんでいた。

 

「泣かないで、何があっても私は悠の味方だから……今度は、ちゃんと守るから」

「……千聖、さん?」

 

 どれくらいそうしていただろう。ふいに千聖さんのスマホが鳴った。それでも千聖さんは僕を抱き締めたままだった。

 

 着信音が止まり、すぐにもう一度鳴る。

 今度はそのままにせず、僕を離して千聖さんは電話に出た。

 

「優里香? えっと……もう着くよ。小学校過ぎたとこだから、うん、うん、ちゃんと悠も一緒。うん、あとでね」

「姉さんから?」

「どこにいるのって……ふふっ、心配させちゃったみたい。2人で怒られちゃうかも」

「……うん、怒られちゃうね」

 

 そのあとは家に着くまで会話は無かった。ただ僕の手を握る千聖さんの手は離さないよう強く握られていた。

 

「やっと帰ってきた。もう、心配したんだからね」

「ごめんなさい、姉さん」

「ごめん優里香」

 

 家に帰ると姉さんが玄関で仁王立ちして待っていた。

 

「千聖ちゃんに連絡もらって慌てて家に帰ってきたのに、二人とも全然帰ってこないんだから」

「まあ、いろいろあってね。ちゃんと帰ってきたからいいじゃん」

「そうだけど……悠くん、大丈夫?」

「大丈夫。せっかくパーティーだったのに、ごめん姉さん」

「パーティーは残念だったけど、悠くんがちゃんと無事に帰ってきてくれたからいいの」

 

 2人は僕がパーティーを放り出して帰ってこなかった理由が聞かず、ただ優しく迎え入れてくれた。

 申し訳ないと思いつつも、その気遣いがありがたかった。

 

「悠くん、お風呂沸かしてあるから入ってきて。こんなに冷えて……風邪引いちゃうよ」

「ありがとう姉さん」

「うん、いってらっしゃい。千聖ちゃんは何か温かい飲み物でも出すよ」

「やった。ちょうど何か欲しかったんだ」

 

 促されるままお風呂場へ向かう。湯船に浸かって身体を暖める。

 ぼんやりと天井を眺めながら、あの時のことを思い出す。

 

「……音が歪んでいた」

 

 いくら弾いても音は歪んだまま形をなすことはなかった。これが朱鷺ノ宮さんのいた世界なんだろうか。

 

 何を弾いても全ての音が歪み、崩れていた。暖まってきていた身体が、あの音を思い出しただけで震えてしまう。

 

「出よう」

 

 千聖さんと姉さんには悪いけど、今日はもう寝よう。

 起きてたら色々考えてしまう。明日起きたら元に戻ってるかもしれない。

 

「……そんな訳ないのにな」

 

 リビングで話をしていた2人に声を掛けて自室へ向かう。

 今日はもう遅いから千聖さんは泊まっていくらしい。こんな時間まで迷惑を掛けたと思うと、また気分が沈んだ。

 

 なんとか寝ようとベッドへ横になるけど、全然眠れないまま時間が流れていく。

 

「悠、起きてる?」

 

 控えめなノックの音のあと、小さな声で千聖さんが僕に呼びかけていた。

 

「……起きてるよ」

「入ってもいい?」

「うん」

 

 ゆっくりと扉が開いて、千聖さんが入ってくる。どうやら姉さんは一緒じゃないみたいだ。

 ベッドを椅子代わりに、二人で並んで座る。

 

「姉さんは一緒じゃないの?」

「優里香には話しにくいことじゃないかって思って」

「……千聖さんには隠し事はできないね」

「その、コンサートで何かあったの?」

 

 コンサートのあとにこれだけ心配掛けたんだ。誰だってコンサートで何かあったと思うだろう。

 

 夢のことを話していいんだろうか。千聖さんには元々話していることだけど、今回の夢の確信を伝えてもいいのか分からなかった。

 話しても困らせるだけじゃないのか。不安で頭がいっぱいになりそうだった。

 

「話したくないならそれでもいいの。もし、悠が誰かに聞いて欲しいなら……」

「……聞いてもらっていい? きっと千聖さんにしか話せないことだから」

「うん、聞かせて」

 

 ぎゅっと握られた手の温もりが心地よくて、僕はポツポツと、千聖さんに今日あったことを話し始めた。

 

 コンサート前から胸がざわついて不安だったこと、朱鷺ノ宮さんの演奏がどれだけ素晴らしかったことも、そしてその音を聴いて僕の夢が何のためにあったのか気が付いたことも全部聞いてもらった。

 

「そっか」

「……情けない話でしょ」

「ううん、そんなことない。私には悠の苦しみは分かってあげられないけど、情けない話なんて思ってないよ」

「……ありがとう千聖さん」

 

 それからも千聖さんはずっと側にいてくれた。

 ピアノを弾くのが楽しかったこと。千聖さんと再会できて、一緒に音楽やっているのがどれだけ幸せだったか。

 朱鷺ノ宮さんに評価してもらえたことも、チャンネルを評価されたことも本当に嬉しかった。

 

 このままずっと、ピアノを弾き続けられると思っていた。

 色んなことを千聖さんに打ち明けた。

 

 僕が疲れて眠ってしまうまで、千聖さんは寄り添い続けてくれた。

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