夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第四十二話 お祝い

 目が覚めると空はぼんやりと薄暗くて、パラパラと雪が降っていた。

 どうりで寒いわけだ。布団を肩まで引っ張りあげて、スマホを確認する。

 

 『22:26 明日13時に駅で待ち合わせでいいでしょうか?』

 

 朱鷺ノ宮(ときのみや)さんから連絡が来ていた。正直、顔を合わせたくない。

 ただ、昨日の千聖(ちさと)さんと姉さんとのことを思い出す。約束を破ってしまった罪悪感にチクリと胸が痛む。

 

 『9:23 返事が遅くなってごめん。その時間で大丈夫』

 

 今度はちゃんと約束を守ろう。連絡を返すと画面を閉じる前にスタンプが返ってくる。

 そろそろ起きよう。ベッドから出て着替えを済ませる。昨日、一緒にいてくれた千聖さんはいつの間にか姉さんの部屋に戻ったようだ。

 少し、寂しいな。

 

「……情けないとこ見せちゃったな」

 

 今更かもしれないけど、また甘えてしまった。千聖さんには助けられてばかりだ。

 もう甘えていられる年じゃないのに、どうしてもあの優しさに甘えてしまう。

 

「しっかりしないと」

 

 もう高校2年生なんだ。いつまでも千聖さんにも、姉さんにだって甘えてられない。

 僕1人で朱鷺ノ宮さんにちゃんと向き合わないといけない。だから、今日ちゃんと会ってこないと。

 

「あ、おはよう悠くん。ココア飲む?」

「おはよう姉さん、自分で淹れるからいいよ」

 

 リビングに行くと姉さんがもう起きていた。台所で何かしていたみたいだ。

 

「いいから、悠くんの分もついでに入れちゃうから座って待っていて」

「……うん、ありがとう」

 

 淹れてくれたココアを受け取ってリビングのソファに並んで座る。

 

「千聖ちゃん、まだ寝てるの。あれは昼まで起きないね」

「昨日は迷惑掛けちゃったから……姉さんも心配させてごめん」

「本当に心配したんだよ。あんなこともうしちゃ駄目だからね」

「うん、ごめんなさい」

「はい、ちゃんと謝ったからこの話はここでおしまい! あ、お昼ごはん何がいい? 千聖ちゃんも一緒に3人で食べようね」

 

 姉さんは話をすぐに切り替えてくれた。あまり深く聞いてこないのも、きっと気を使ってくれているんだと思う。

 

「お昼に予定があるんだ。約束していて、だから出掛けなくちゃ」

「……大丈夫? 無理しなくていいんじゃない?」

「平気だよ。約束してたし、ちゃんと行かないと。昨日の今日でどの口がって話だけど……」

「悠くん、駄目だよ。そんな風に自虐的になるの」

 

 また怒られてしまった。

 確かに良くないよなこういうのって、どうやらまだ昨日のことを引きずってるらしい。

 

「……ごめん」

「私たちのことは気にしなくていいから、ちゃんと楽しんでくるんだよ」

「ありがとう」

「それでも気になるんだったら、また3人でパーティーすればいいんだから。もうすぐ年越しだし、イベントには困らないからね」

「……今度はちゃんと約束守るよ」

「よろしい」

 

 何だか芝居がかった仕草が、僕を慰めようとしてくれているんだと分かる。その心遣いがぽっかりと空いた胸の穴を少し埋めてくれた気がした。

 

「じゃあ、千聖ちゃんが起きてくる前に出たほうがいいかも」

「え、どうして?」

「さっきのやりとりまたする羽目になっちゃうよ? 大丈夫なのって絶対心配するから……私が上手いこと言っておくから、準備できたら家出たほうがいいと思うな」

「……そうだね。千聖さんには悪いけど、そうするよ」

 

 ゆっくり行って時間を潰していればいいか。朱鷺ノ宮さんに会うまでに、1人で気持ちの整理もしておきたいし、ちょうど良いかもしれない。

 

「じゃあ、もう準備して行ってくるよ。千聖さんには昨日はありがとうって伝えておいてくれるかな」

「ちゃんと伝えとくから任せて。今日はあんまり遅くなっちゃ駄目だからね」

「用事が終わったらすぐに帰ってくるよ」

 

 準備をして駅に向かう。ゆっくり歩いて向かったけど、駅に着いたのはまだ約束の時間まで余裕があった。

 どこかで時間を潰しておこう。カフェとか、あとは本屋とかもいいかもしれない。

 

「悠貴くん?」

 

 その声を聞き間違えるはずがない。

 胸がゾワッとして、やけに今日の寒さが背中を刺すような感覚がした。

 

「朱鷺ノ宮さん?」

「やっぱり悠貴くんでした。うふふ、まだ約束の時間には早いですよ」

「……朱鷺ノ宮さんのほうこそ、だいぶ早いよ」

 

 振り返るとそこには朱鷺ノ宮さんがいた。不意に会えたのが余程嬉しいのか、曇りのない笑顔で駆け寄ってくる。

 

「なんだか家でいても落ち着かなくて……早く悠貴くんの感想が聴きたいって、約束の時間じゃないのに家を飛び出しちゃいました」

「ああ、それでこんな時間に」

「家を飛び出して大正解でした。まだ早いですけど、チャンネルのお祝いにお店へ行きませんか?」

「うん、行こう」

 

 向かった先は前回と違う店だったけど、似たような雰囲気のカフェだった。

 こういう感じのカフェが好きなんだろう。収録の時にこんな話もした気がする。

 

「悠貴くん、お昼まだですよね? ここはオムレツが絶品なんですよ」

「じゃあ、それにしようかな」

「私も同じものにしますね。ソースは…… 王道のデミグラスか、一番人気のホワイトソースか、悩みますね。悠貴くんはどうしますか?」

 

 メニューとにらめっこして真剣に悩む姿はいつもの朱鷺ノ宮さんに他ならなかった。

 いや、復帰コンサートを終えたからか、以前のような影はない。

 それだけは良いことだった。僕の悩みとは別に、朱鷺ノ宮さんはまた舞台へ立てるようになったんだから。

 

「デミグラスかな。どっちも美味しそうだけど」

「なら私はホワイトソースにしますね。あの、良かったら半分こしませんか?」

「うん、いいよ。そっちも気になってたんだ」

「良かった。来るのが楽しみですね」

 

 2人でオムレツを頼んで来るのを待つ間、話題はチャンネルの話になった。

 登録者数がまた伸びたらしい。この前のコラボ動画があったからか、復帰コンサートで登録者を増やしたんじゃないかってことだ。

 

 この冬休みの間はストックで乗り切れるらしい。ただ心許ない数にはなってきているので、また年明けから収録を再開したいと言われた。

 

 まだ必要なんだろうか。朱鷺ノ宮さんが復帰できた今、僕がピアノを弾く理由なんてないと思ってしまう。

 

「ん~、絶品ですね。デミグラスも、ホワイトソースもほっぺが落ちそうなレベルです」

「……本当にどっちも美味しいね。個人的にはデミグラスのほうが好みかな」

 

 オムレツを半分こして食べ比べ、また来ましょうねと無邪気に笑う朱鷺ノ宮さんが次はデザートを頼もうと提案してくれた。

 せっかくのお祝いなんですからと、2人でケーキを頼む。

 

「悠貴くん、お祝いにケーキの写真を撮ってもいいですか?」

「いいよ。そっちに寄せる?」

 

 お祝いのケーキを2つ並べて写真に収めようとする朱鷺ノ宮さんを見守りながら、このあとどうすればいいんだろうって考える。

 

 ここにはピアノが無いから気分が楽だ。もし朱鷺ノ宮さんと2人でピアノの前へ立つことになったら耐えられないと思う。

 会って確信した。僕は朱鷺ノ宮さんの前ではもう弾けないと、何の根拠もないことだけどそう思ってしまう。

 

「そろそろ、出ましょうか。随分と長居してしまいましたから」

「そうだね。お会計済ませて出ようか」

 

 店を出ると、流れで前に2人で行った公園へ行くことになった。

 冬休みだから僕たちと同い年くらいの人の姿もけっこう見かける。公園の奥の方へ歩いていくと、先を歩いていた朱鷺ノ宮さんが振り返った。

 

「悠貴くんは、今日のお祝い楽しくありませんでしたか?」

「……そんなことは」

 

 朱鷺ノ宮さんは笑顔のままだった。ただその笑顔はとても悲しげなものにも見えた。

 

「いいんです。正直に言ってくれて、私だけはしゃいでいたのは自覚していますから」

「……」

「……私が舞台に戻れたこと、悠貴くんには喜んでもらえないのでしょうか?」

 

 否定したかった。でも取り繕うだけの言葉は、朱鷺ノ宮さんを傷付けるだけのような気がして言葉にできなかった。

 

「どうして……どうしてですか? コンサートまではあんなに……ッ」

「……ごめん」

「謝らないでください! そんなの、喜んでないって言ってるようなものじゃないですか!」

「ごめん、朱鷺ノ宮さん」

 

 それでも僕には謝罪の言葉くらいしか口にできなかった。

 詰め寄ってきた朱鷺ノ宮さんが僕のコートを掴む。もう言うしかないと思った。きっと、これ以上一緒にいても傷付けるだけだから。

 

「ごめん、もう弾けない」

「……っ、最後まで付き合ってくれるっていったじゃないですか!」

「朱鷺ノ宮さんは1人でやっていけるよ。ここが最後、そういうことなんだ」

「いや、いやっ、聞きたくない! お願いします、また2人で……ッ」

 

 女の子を泣かせてしまった。心臓が張り裂けそうだ。

 でもこれで良いんだ。朱鷺ノ宮さんは1人でやっていける。僕なんてもう必要ないんだから。

 

「……ごめん」

「待って、悠貴くん!」

 

 縋り付くように握られた手を乱暴に振り払い、僕はその場から逃げ出した。

 これ以上は耐えられなかった。

 

「いやっ、1人にしないで……悠貴くん、悠貴くんッ!」

 

 悲鳴のような声で朱鷺ノ宮さんが僕の名前を何度も呼んでいる。その叫びが届かなくなる場所まで、僕はただがむしゃらに走った。

 

 冷たい風が頬に突き刺さる。きっと、もう戻れない。あの夢のような日々は、終わりを迎えた。

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