夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第四十四話 もう一度

 年の瀬の慌ただしさがあっという間に通り過ぎて、新年を迎えた。

 テレビ番組が正月特番から普段の様子を取り戻そうとしていた頃、彼女の名前がテレビから聞こえた。

 

『先日、2年の沈黙を破り復帰した『神に愛された天才ピアニスト』のShizuruさんが新たなコンサート・ツアーを開催すると発表されました!』

 

「……っ」

 

 こんなこと考える資格なんて僕にない。

 なのに、置いていかれたと思ってしまった。

 

『是非、行ってみたいですね。実は私ピアノを習っていて、朱鷺ノ宮さんのことは……』

 

 画面にはコンサートの時の映像、演奏を始める前の朱鷺ノ宮さんの姿しか目に入らない。

 誰もがあのコンサートで天才ピアニストの復帰を歓迎し、あの音に酔いしれた。

 

「……これで良かったんじゃないか」

 

 ピアノを止めたはずなのに、ぐるぐると頭の中を嫌な感情が埋め尽くす。もうずっと弾いていないのに、どうしてこんなに苦しいのだろう。

 朱鷺ノ宮さんが復帰できた。それが目的だったはずじゃないか。

 

「悠くん、大丈夫?」

「……姉さん、帰ってたんだ」

「うん、さっきね。声かけたけど、気づかなかった?」

 

 気が付けば買い物に出掛けていた姉さんが帰ってきていた。

 最近、こんなことばかりだ。周りが見えていない。

 

「ごめん、ぼーっとしてた」

「……そっか。あ、さっきね。千聖(ちさと)ちゃんと電話してたんだけど、『そっち戻ったら3人で初詣だからね』って」

「千聖さんはまだ東北だっけ?」

「うん、まだお母さんの実家だって」

「雪……大丈夫だといいけど」

 

 何かと気に掛けて会いに来てくれたけど、千聖さんは今この街にいない。

 お正月は家族で東北のほうへ帰省しているからだ。毎年恒例のことらしく、今年はやっぱり止めとこうかなと渋る千聖さんを僕は大丈夫だからと送り出した。

 

「うーん、今年はどうかな? 高校の頃にね、大雪で帰って来られなくて始業式を休んじゃったことあったから」

「始業式に間に合わないって、すごいね」

「本人はおばあちゃんと一緒にいられたから良かったって喜んでたけど」

「千聖さんらしいな」

 

 千聖さんにキーボードを初めて買ってあげたのもおばあちゃんだと言っていた。

 音楽を始めるきっかけをくれた人がいる場所なら、長居したくなるのも無理ないと思う。

 

「初詣どこに行こっか? 近所にも神社はあるけど、大きいとこも行きたいよね」

「もう三箇日過ぎてるし、どこでも空いてるんじゃない?」

 

 散歩にでも行ってこようかな。そういえば最近あまり家から出ていない。

 たまには出掛けて気分転換でもしたほうがいいかもしれない。ここにいると、どうしてもさっきのニュースが頭に浮かぶ。

 

「ちょっと出掛けてくるよ」

「散歩? 夕飯までには戻ってくる?」

「うん、それまでには戻るよ」

 

 心配そうな表情を浮かべた姉さんにすぐ帰るからと告げて僕は家を出た。

 特に目的地がないまま歩みを進めると、商店街が見えてきた。

 

 地元だけあって、朱鷺ノ宮さんのクリスマスコンサートのポスターがまだ残っている。

 流れてくる音楽もコンサートのプログラムにあった曲ばかりだ。

 

「……朱鷺ノ宮さんの音じゃない。当たり前か」

 

 踵を返して、僕は商店街に背中を向けて別方向へと歩みを進めた。

 今は音を聴いていると、クリスマスのコンサートを思い出してしまう。失くしたものを突き付けられているようだった。

 

 次はクラシックが聞こえないような場所にしよう。

 そう行き先を決めると、ガラガラとうるさい音がクラシックを邪魔するように割り込んできた。

 

「もしかしてと思ったけど、やっぱり悠だ」

「……千聖さん?」

 

 音に釣られて視線を向けた先には、大きなキャリーケースを引いた今は東北にいるはずの千聖さんの姿があった。

 

 ギターバッグを背負って、手には赤いキャリーケース。空はどんよりと雲が覆っているのに、再会した日のように大きなサングラスをした姿で千聖さんがそこにいた。

 

「酷い顔して、早く帰って来て良かった」

「どうして、まだ東北じゃ……」

「天気予報見てない? 明後日から荒れそうだったから早めに帰ってきたの。悠のことも心配だったし」

 

 見た気はするけど覚えていなかった。最近、何かを見ていても頭に入ってこない。

 久しぶりに顔を見られて嬉しいはずなのに、俯いた顔を上げられなかった。

 

「あっちでもたくさん考えてたの」

「……何を?」

「悠のこと、私にできることはないかって」

 

 まだ心配させてしまっている。

 こんなの良くない。早く立ち直って元気な姿を見せて安心してもらわないと、千聖さんの負担になってしまう。

 

「ねえ、このあと時間ある? 久しぶりだし、3人でご飯食べに行きたいな」

 

 僕の手を、千聖さんが優しく握った。

 それにつられて、顔を上げる。

 

「やっと顔上げた。新年なんだし、いつまでも辛気臭い顔なんてさせないからね」

 

 さっきまで掛けていたサングラスを外して、千聖さんは顔を上げた僕の顔に掛けた。

 いつも僕をからかう時に見せる微笑みを浮かべて、千聖さんはそう力強く宣言してぎゅっと手を握る力を強くした。

 

 

 姉さんと合流して、3人で夕食へ向かう。

 場所は姉さんがお気に入りのお店だ。3人で夕飯を済ませて、今は千聖さんと2人で食後に頼んだデザートを片付けているところだ。

 

優里香(ゆりか)、バイトだったんだね。悪いことしちゃったかも」

「会えたの喜んでたよ」

「それでも急に誘っちゃったから、今度埋め合わせしておかないと」

 

 ついさっき姉さんは名残惜しそうにバイトに向かっていった。

 

「ねえ、悠」

「なに?」

「このあと、一緒に優里香のとこ行かない?」

「姉さんのとこって、バイト先の?」

 

 ついさっき姉さんはバイト先のレンタルスタジオに向かっていった。

 そこに行こうと、千聖さんは僕の様子を探るように提案してきた。

 

「やっぱりさ。音で絶望したなら、音で救われなくちゃって私は思うの」

「……弾けないよ」

「悠は自分の音だけ壊れたって言っていたよね。ならさ、逆に考えようよ。私と一緒なら大丈夫なんじゃないかな?」

「千聖さんと一緒なら……?」

 

 考えたこともなかった。もう僕がピアノを弾く必要はない。

 あんな壊れた音しか出せないなら、鍵盤の前に座る資格なんてないと思っていた。

 

「あのクリスマスの日に悠は自分の役目は終わったんだって言ったよね?」

「……うん」

「もしそうだとしても、クラシックの音以外も同じだとは限らないと思うの」

「クラシックの音、以外?」

「私と一緒にやってきた音楽、それは悠の夢が産み出したものじゃないよね? 私たち2人で紡いできた音はまだ悠の中にきっと残ってるよ」

 

 とくん、って胸が跳ねた。千聖さんの言葉に期待が胸の奥から浮かんでいた。

 あのライブのように一緒に演奏ができればどれだけいいだろう。でも、怖い。もし一緒に演奏して僕の音だけ壊れてしまっていたらと思うと恐ろしくて指先が震えてくる。

 

「怖い?」

「……うん」

「そっか、でも悠は1人じゃない。私が一緒にいるから」

 

 その言葉に、今までずっと無視して蓋をしていた気持ちが溢れるように口をつく。

 

「弾きたい……千聖さんと、また一緒に演奏したい……」

 

 まだ震えは止まらない。それでも弾きたくて仕方なかった。

 またあのライブのように千聖さんと一緒に弾きたい。あの舞台で感じた熱気、練習通りに弾こうと思っても音が走って指が絡まりそうになった。それでも千聖さんのギターと音を合わせる感覚が欲しくてたまらない。

 

 弾きたくて、弾きたくて仕方なかった。

 

「うん、そう言ってくれると思ってた」

「……ありがとう、千聖さん」

「私は自分がしたかったことしただけだから、もう一度音楽に向き合うって決めたのは悠だよ」

「それでもだよ。千聖さんが居てくれたからまた向き合おうって思えたんだ」

 

 恐怖はまだある。だけどもう逃げない。

 僕には夢だけじゃない。これまで積み上げてきたものだってちゃんと残っている。

 

 千聖さんと、そして朱鷺ノ宮さんとも僕は音を紡いできた。例え役目を終えたんだとしても、音楽に向き合う権利は神様にだって奪えないはずだから。

 

「やっと良い顔になった」

「……そんなに酷い顔してた?」

「もう死にそうって感じ、ゾンビみたいだった」

「あはは、それは酷いね」

 

 久しぶりに笑えた気がした。

 確信なんて何もないけど、きっと大丈夫だ。千聖さんと一緒なら、あのライブのようにまた弾けるような気がする。

 

 「そうと決まれば早く行こう。思い立ったが吉日ってね」

 

 そう意気込む千聖さんと店を後にして姉さんのバイト先であるスタジオに向かった。

 到着した僕らを見て受付にいた姉さんは目を丸くした。

 

「あれ、2人ともどうしたの?」

「どうしたのって、ここに来る理由なんてこれしかないでしょ」

 

 驚く姉さんに千聖さんがギターを指して目的を告げる。そうしたら次は心配そうに僕へと視線を移した。

 

「姉さん、大丈夫だよ。ごめんね心配掛けて」

「……悠くん、そっか。また頑張るんだね」

「いつまでもウジウジなんてしてらんないからね」

 

 帰りは一緒にね。受付してくれた姉さんとそう約束して、僕と千聖さんは前に使ったのと同じスタジオの中に移動した。

 

「どう? 久しぶりに鍵盤の前にいる気分は」

「……やっぱりまだ怖い。でも不思議と、帰って来たんだって感じもする」

「いいね。悠もやっぱり音楽を求めてたんだよ」

「……うん」

 

 鍵盤の前に立つとまた身震いがした。千聖さんと一緒でも音が壊れていたらって、そんな恐怖が纏わりつく。それでもやってやるんだ。

 あの夢がなくたって構わない。僕は音楽に向き合う。もう迷わない。

 

「……千聖さんから、お願いできる?」

「任せて」

 

 アンプに繋いだギターが馴染んだ音を掻き鳴らす。

 千聖さんの音だ。優しいけど、どこか力強い音がスタジオの中に響く。

 

 鍵盤へ手を伸ばすと、無意識に引っ込めそうになる。

 まだ怖いのかって、何故か他人事のように感じる。もうすぐ僕が入るパートだ。今度はちゃんと鍵盤の前に手を翳して待機させる。

 

 そんな僕を見て、千聖さんが優しく微笑む。大丈夫だよ。そう言ってくれている気がした。

 

「……っ」

 

 最初の一音を奏でただけで分かった。

 歪んでいない。壊れていない。

 

 僕の音が、千聖さんの音と重なっている。

 

 僕が積み上げてきたものは失われてなんかいなかった。心の奥底から湧き上がるように、どんどん音が形となって溢れていく。

 

 そのまま、僕は夢中になって鍵盤を叩いた。ようやく奏でた音を手放さないよう、1つ1つ宝物のように。

 

「……悠、どうだった? 私にはちゃんと弾けてたように聴こえたけど」

 

 曲が終わって千聖さんが恐る恐る声を掛けてきた。

 久しぶりの演奏に、僕は肩で息をしながら両手をじっと見ていた。

 

「ちゃんと、音になってた。歪んでない。壊れてなかった」

「……悠」

「また、弾いていいんだ。ちゃんと僕の中に積み上げたものは残ってたよ千聖さん」

 

 また弾いていい。音楽に向き合っていい。

 そう思うと、涙が溢れて止まらない。

 

「よかった、悠……よかったよ……っ」

 

 千聖さんが飛び込むように抱き着いてくる。お互い、子供みたいにボロボロに涙を流してる。

 

 目頭が熱くて止められそうにない。抱き締められた暖かさの中で、僕と千聖さんは笑い合っていた。涙は止まらないけど、悲しみはない。

 

 僕は音楽に触れていい。そのことが、ただ嬉しかった。

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