夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第四十五話 孤高のピアニスト

 僕が音を取り戻した翌日、クラシックを弾くために千聖(ちさと)さんのスタジオに来ていた。

 千聖さんが見守る中、演奏を始める。

 

 クラシックを弾くのは本当に久しぶりだ。

 音の強弱を上手く操れない。指がもつれてミスタッチばかりで、酷い演奏だった。

 

 それでも、演奏していると心が満たされていく。

 

 クリスマスの日からピアノを弾く夢は見ていない。

 あの夢が朱鷺ノ宮(ときのみや)さんのものだって証明だと思う。だけど、例え僕が偽物だったとしても、この瞬間を手放すつもりはない。

 

「お疲れさま、ちゃんと弾けてたよ」

 

 演奏が終わり、僕の演奏を見守っていた千聖(ちさと)さんが声を掛けてくれた。

 

「そういえば、千聖さんの前でクラシックの曲ってあんまり弾いたりしてなかったよね」

「チャンネルに上げてたのは見てたよ」

「……今の聴いていてどうだった? やっぱり夢で見たまま弾くのと比べて駄目だったよね」

 

 自分の音は取り戻せた。もう不協和音は聴こえない。

 それでもクラシックを弾くと、どうしても朱鷺ノ宮さんの音が頭を過る。あれだけ完璧な演奏をイメージしてしまうと、僕の演奏はどうしても稚拙なものに思えた。

 

「すごく良かったよ」

「……お世辞はいいよ。自分でも駄目なのは分かってるから」

「全く……まあ、あんな子の演奏聴いちゃったら勘違いもするか」

「千聖さん?」

 

 千聖さんは呆れたようにため息をついて、そして考え込むように腕を組む。

 何か言葉を探している。そんな雰囲気だった。

 

「……あの子のための夢だった。そう悠が答えを出したなら私もその通りなんだと思う。神に愛された天才ピアニストって呼ばれてたくらいだし」

「あの日から夢も見なくなったしね。間違ってないと思うよ」

「はあ、間違ってるのは悠の自己認識だよ。めちゃくちゃ良く弾けてたからね」

「……え?」

「あの天才ピアニストのために神様が悠を選んだんだとしたら、その理由って何だと思う?」

 

 僕を選んだ理由。そんなこと考えたこともなかった。

 近くに住んでいたから、もしくは僕なら夢を見せたらストリートピアノを弾きにいくって分かってたから。

 

 ぱっと思いつくのはそんなところだ。

 

「悠が神様だったらあの子のために誰を選ぶ? 誰でもは良くないよね。やっぱり同じものを持った人なんじゃないかな」

「……そんな、まさか」

「今の悠の演奏を聴いてたら私はそう感じたよ」

 

 いつものように茶化すような雰囲気はなくて、その言葉には確信が込められていた。

 

「朱鷺ノ宮さんと同じような才能があるってこと? でもそんなの……だって、さっき演奏だって……」

「さっきの演奏、悠は全然駄目だったって思ってるよね」

「……うん」

「私は感動して胸が震えたよ。あの駅で再会した時と同じ気持ち、なんて素晴らしい音なんだろうって……そう思った」

 

 僕の目を見て真っ直ぐと千聖さんは言う。それは疑う余地のない、純粋な眼差しだった。

 

「ま、いくら考えても答えは出ないんだけどね。才能の有無なんてさ……だったら、良い方に考えて突き進むほうが良くない?」

「……千聖さんらしいよ。うん、そうだね。そう信じてみる」

「うん、悠も分かってきたじゃん」

 

 信じてみよう。大丈夫、僕には今まで積み上げてきたものがある。

 きっと僕は音楽からはもう離れられない。このまま、迷わずに進んでいこう。

 

「……それで、あの子から連絡は返ってきた?」

「えっと……ううん、まだ。既読は付いたんだけどね」

「迷ってるのかもね。あの子も」

「朱鷺ノ宮さんも?」

 

 あの日、酷いことを言ってしまった。それを謝りたくて話がしたいってメッセを送ったけど、朱鷺ノ宮さんから返事は今日になっても返ってきていない。

 既読は付いているから確認しているはずだ。

 

 もう会ってくれないかもしれない。そんな不安が頭を過ってしまう。

 

「悠は『Shizuru』のことはあんまり知らないんだよね?」

「神に愛された天才ピアニストって言われてたんだよね? それは知ってるけど」

「もう1つ呼び名があったの。国内で活動している頃はこう呼ばれてた。『孤高のピアニスト』……あの子はそう呼ばれてたの」

「孤高の? 初めて聞いた」

 

 調べれば知ることはできただろう。でも、そうすることには抵抗があった。

 だから朱鷺ノ宮さん自身から聞いたことや、最近メディアで取り上げられて自然と耳に入ってくる内容くらいしか知らなかった。

 

「圧倒的だったんだよ、あの子。出るコンクール全部勝って、誰も追いつけなかった。偉い先生が国内にライバルがいないって言ってたくらい。海外でも一緒だったみたいだけどね」

「……それで、孤高」

「悠からあの子の話を聞いたとき、私が知ってる印象とはだいぶ違ったんだよね」

「朱鷺ノ宮さんの印象?」

「うん、もっと苛烈な子だって思ってた。ストイックで、妥協できない子。クラシック音楽に人生を捧げたような子だって思ってたから、悠の話を聞いて驚いたもん」

 

 千聖さんの語った印象は僕が朱鷺ノ宮さんに抱いていた印象とは大きく異なった。

 確かに音楽に対してはストイックで、妥協できないようなとこあるかもしれない。

 

 でも、僕と同い年の1人の女の子だったと思う。

 

「だから悠の話を聴いて……ああ、耐えられなくなったんだなって思ってた」

「耐えられなくなったって、何に?」

「孤独に。誰にも理解されなくて、ライバルや仲間がいない。そんな状態で1人音楽に向き合い続けて、耐えられなくなったんだって」

「それで、音が不協和音に聴こえてた……?」

「私の勝手な想像だけどね。だから、怖いんじゃないかな。悠をもう一度失ってしまうことが」

 

 あの時、朱鷺ノ宮さんは「1人にしないで」と悲痛な声をあげた。

 あれはそういう意味だったのか。分からない。だけど、僕はとんでもないことをしてしまったんじゃないかって、そう不安で心が落ち着かない。

 

「あの子にとって、悠が初めてできた”同じ場所に立ってくれる仲間”だったんじゃないかな」

「……僕が、朱鷺ノ宮さんの」

 

 スマホをポケットから引っ張り出して朱鷺ノ宮さんとのメッセージ画面を開く。

 相変わらず昨日送った僕からのメッセージに返事はない。このままじゃ駄目だ。何か行動を起こさないといけない。

 

 理由なんて説明できないけど、そうしなくちゃいけないって分かる。

 

「……会いに行く?」

「うん、行くよ。このままは嫌だから」

「悠らしいね。行ってあげな」

「ありがとう千聖さん、行ってくる!」

 

 まだ何処で会うかも決まっていないのに僕はスタジオを後にした。

 目的地も定まらないまま走り出す。何てメッセージを送ればいいかも分からないまま、ただ飛び出すように街に出た。

 

「そうだ。ストリートピアノ!」

 

 あそこしかない。僕が初めて朱鷺ノ宮さんと出会った場所、あそこで待ってるってそう伝えよう。

 

『あのストリートピアノで待ってるから』

 

 そうメッセージを送って駅に向かって駆け出す。

 辺りはもう暗い。そろそろピアノの使用時間も終わってしまう。それでも僕は必死になって走り続けた。

 

 「はあ、はあ……ッ」

 

 ストリートピアノに辿り着いたけど、時間のせいか周りには誰もいなかった。

 もちろん朱鷺ノ宮さんの姿もない。それでも僕がしなくちゃいけないことは変わらない。

 

 あの日のように弾こう。ピアノの前に座って鍵盤に手を翳す。

 

「そうだ。ここに来なくても届くように」

 

 手を引っ込めてスマホを出す。開くのは『My etude』の画面、僕にもチャンネルの操作はできるようにしてくれたままだ。

 どんな形でも朱鷺ノ宮さんに届くように、配信をすればいい。タイトルは『Shizuruへ』。

 ピアノの鍵盤の横に立て掛けて、配信開始ボタンを押す。そしてもう一度鍵盤に手を翳した。

 

『革命のエチュード』

 

 僕たちが出会った時の曲、それを奏でる。

 今の僕にはあの時と同じように弾けているか分からない。それでも精一杯、今の僕の全てを込めて音を紡ぐ。朱鷺ノ宮さんに届いてほしいって一心で鍵盤を叩く。

 指がもつれそうだ。息も上がって、きっとちゃんとなんて弾けてない。

 それでもこれが僕の精一杯だ。朱鷺ノ宮さんに届いてほしい。 僕のありったけの音を響かせる。

 

『K.545』

 

 エチュードが終わり、続けて2曲目を演奏する。

 これは2人でチャンネルを立ち上げた日に弾いた曲、朱鷺ノ宮さんが圧倒的だったって言ってくれたっけ。今聴いたらどう思ってくれるかな。

 あの時と一緒? それとも全然違う感想になるのかな?

 

 聴いて欲しい。届いて欲しい。

 僕はもう何処にも行かないから、音を止めないから、そんなメッセージを乗せて弾き続ける。

 

『乙女の祈り』

 

 届いて、届いてくれ。

 祈りを込めて、ひたすらに弾き続けた。

 

 このピアノを弾いていられる時間の終わりが迫る。

 それでも、ぎりぎりまで僕は演奏を続けた。最後の1秒まで全力で、ただ必死に弾き続けた。

 

 使用時間が終わり、配信を終えて立ち上がる。気が付くと演奏に耳を傾けてくれた人がいて、拍手を送ってくれていた。

 

 その中に、朱鷺ノ宮さんの姿はなかった。




次回、最終回です。
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