夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第五話 キーボード

 一軒家が多く建ち並ぶ住宅街、千聖(ちさと)さんと一緒に並んで歩く。

 

「悠が家へ最後に来たのって随分と前だよね」

「もう10年近く経ってるんじゃないかな。小学校低学年の頃が最後だったし」

「え、うそ!? 流石にそんなには経って……るね。うん」

 

 僕の言葉に驚いた千聖さんが指折り年数を数えて、同じ答えにたどり着いたようだ。

 疎遠になったのは僕が小学校低学年の頃、姉さんや千聖さんと遊ぶのを同級生にからかわれたことがきっかけだった。

 

 今になって思えば些細なことだったけど、その些細な世界が当時の僕には全てだった。僕だけじゃなくて、姉さんや千聖さんも同じように言われるのが嫌で、2人から距離を取った。

 悲しそうにする2人へ「恥ずかしいから」って、思ってもいないことを言ってしまった。

 

「そっか。もうそんなに経ったんだ」

「うん、時間が経つのって早いね」

「悠はさ、あの時は恥ずかしいからって言ってたけど……私たちも一緒にからかわれるから距離取ったんでしょ?」

「……気づかれちゃってたか」

「うん、だから寂しかったけど我慢したんだよ。そうやって我慢しているうちにそれが当たり前になっちゃって……気がついたら10年近く経ってたんだけどね」

 

 寂しかったという千聖さんに申し訳なさを覚える。それと同時に嬉しさも感じていた。あの時、寂しいと思っていたのは千聖さんだけじゃない。

 僕もあの別れは辛かった。同じように千聖さんも感じてくれてたのが嬉しいんだ。

 

「会うチャンスはいくらでもあったんだけどね」

「姉さんとは今でも仲良いんだよね?」

「腐れ縁だよね。大学も一緒だし」

 

 姉さんと千聖さんの仲は僕が距離を取ってからも続いている。音楽やってるのは教えてもらえなかったけど、今でも姉さんはよく千聖さんの話をする。

 

「よく話を聞いてたよ。音楽をしていること以外はだけど」

「ふふっ、ごめん。ビッグになってライブに呼ぶつもりだったから」

「えー、本当かな?」

「本当だよ……なんかさ。離れてた時間が長いとさ、立派になってないとって考えてた。ビッグになってなくても、会いに行けばよかったのにね」

 

 千聖さんは優しく微笑みながら「何かきっかけがほしかったんだよ」と寂しげに語った。

 僕たちには姉さんという繋がりがある。だからお互いに少し手を伸ばせば会えたはずだ。

 

 きっかけという言葉が心に刺さる。僕も入学する時には千聖さんや姉さんが卒業してしまっているのに、面影を追って同じ学校へ猛勉強して進学した。

 僕も、幼い頃より立派になった自分を見てほしかったのかもしれない。

 

「……あのストリートピアノで会えたのは良いきっかけだったね」

「ビッグになって驚かせるはずが、逆に私がサプライズされちゃったからね」

「金髪の人がめっちゃ見てるって、俺も驚いてたよ」

「やっぱり分かってなかったんだ。どうりで反応がおかしいと思った」

「いや、千聖さん変わり過ぎだよ。サングラスだったし、分からなくても無理はないって」

「私は悠だってすぐに分かったけどね」

 

 からかうように細められた瞳、まるで吸い込まれてしまいそうで僕は思わず目を反らす。

 その反応を見て、千聖さんは嬉しそうに笑みを深くした。

 

「相変わらず悠は可愛いね」

「……からかわないでよ」

「ごめんごめん。つい、ね。」

 

 あの頃のように弟扱いは変わらないらしい。嬉しいような、悲しいような、自分でも分からない感覚だ。

 

「着いたよ悠。ここが私の家、覚えてる?」

「覚えてるよ。懐かしい」

「本当に久しぶりだもんね。ほら、上がって」

「お邪魔します」

 

 懐かしさを感じながら玄関を潜る。少し置いているものが変わっているけど、ほぼ思い出通りの景色、なんだか歓迎してくれているように感じる。

 

「あれ、ママまだ帰ってないみたい。まあ、いっか。あっちの部屋に置いてあるから。着いてきて」

「う、うん」

 

 千聖さん、とんでもないことを言ったような気がする。いや、気にしたら負けだ。

 きっと他意はない。落ち着くんだ悠貴、落ち着け。

 

「ここに、悠のキーボードがあるよ」

「……スタジオみたいだね」

「パパがスタジオに使っていいって片付けてくれたの。ママも協力してくれて、家族全員で防音部屋にするのにDIYに挑戦。それでも半年近く掛かったけどね」

「自分達でってこと? ……めちゃくちゃ凄いじゃん」

 

 DIY製のスタジオ、床はフローリングで、壁と天井が有孔ボードになっている。

 よく見れば途中から有孔ボードの色が少し違って、途中で買い足した感じがDIYっぽさを感じさせた。ここで千聖さんは練習を積み重ねてきたんだろう。

 

 家族に応援されながら、そう思うとなんだか温かみを感じる優しい空間に見えた。

 

「ありがとう。ここを褒められると私も嬉しい」

「大事な場所なんだね」

「うん、大事な場所」

 

 そんな場所に僕を入れてくれた。

 キーボードを譲るためだけかもしれないけど、心が舞い上がっていた。

 

「そこのカバー掛けてるのが話してたキーボードだよ」

「あの黒いの? あれが……」

「ねえ、少し演奏してみない? 私がギター、悠がキーボードで」

「え!?」

「私、シンガーソングライターだって言ったでしょ。自作の曲があるの」

「……千聖さんの曲」

「そんなに難しくない曲だよ。悠と一緒に演奏してみたいな」

 

 まずい、僕は夢で見た曲しか弾けない。

 難しくないって千聖さんは言うけど、楽譜を見ながら弾くなんて、今の僕には不可能だ。

 

 千聖さんは、こっちに背中を向けて棚から何かを取り出そうとしている。

 

「これが私の曲の楽譜。ちょっと恥ずかしいね。こういうの見てもらうのって」

「……千聖さん」

「これ、初めて作った曲なんだ。私が今の悠くらいの時に作った曲、楽譜とにらめっこしながらああでもない、こうでもないって悪戦苦闘しながらね」

 

 照れくさそうに頬を掻きながら、千聖さんから手渡された楽譜に目を落とす。

 楽譜は手書きだった。何回も消した後が残っていて、千聖さんが悪戦苦闘したというのがわかる。けど、いくら見てもどう弾けばいいか分からない。

 もし正直に打ち明けたら、失望されるかな。夢で見たまま弾ける。そんなことを言えば、馬鹿にしてると怒らせてしまうかもしれない。

 

 この空間にいると千聖さんが音楽に長く向き合ってきたのを肌で感じる。そんな人に僕の秘密を話してしまったら、どんな反応をされるかって怖い。

 だけど、この前のように千聖さんに嘘をつきたくなかった。

 

 正直に話そうとして口を開こうとした。けれど、喉元で詰まって言葉が出ない。怖い。秘密を話したらこの取り戻せた関係が壊れてしまいそうだったから。

 それでも――。

 

「……ごめん。できない」

「……もしかして、この曲が気に入らなかった? じゃあ別の……あ、流行ってるのとかにする? 私のは、駄目だったよね」

「違う。違うよ千聖さん。駄目なんかじゃない……楽譜が読めないんだ」

 

 一瞬、沈黙が流れた。

 千聖さんは僕の言葉の意味を捉えかねているようだった。

 

「楽譜が読めないって、駅であんなに上手に弾いてたのに」

「……弾くことはできるんだ」

「どういうこと? わからないよ悠」

「変なこと言ってるよね、俺」

 

 千聖さんが目を大きく見開いている。駅でピアノを弾いていたのを見られた時もこんな反応をしていた。

 

「信じられないかもしれないけど、夢で見た曲を弾けるんだ」

「……どういうこと?」

「ピアノを弾いている夢を見るようになって、試しに弾いてみたら弾けた。それが千聖さんと、駅で会った日のことなんだ」

「うそ、そんなこと……あれが試しに弾いた演奏?」

「信じられないよねこんな話、でも本当なんだ。だから、楽譜も読めない」

 

 さっきとは違って今度は目を細め、訝しげに千聖さんは腕を組んでいる。

 その状態で人差し指だけがトン、トン、って一定の間隔で肘を叩いている。まるで均一な間をとることで落ち着こうとしているようだった。

 

「……私と一緒に演奏したくないからって、嘘ついてる訳じゃないよね」

「そんなわけない!」

 

 千聖さんの言葉に、僕は声を荒らげていた。

 その勘違いだけは絶対にされたくなかった。最初は痛みから仕方なくだったけど、千聖さんに誘われたのは別だ。弾けるのなら、喜んで弾いている。

 

 僕の想いが伝わったのか、千聖さんはホッと安心したように表情を和らげた。

 

「うん、悠はそんなことしないよね」

「……信じて、くれるの? 夢のこと」

「そのほうが面白いじゃん、それ。他にも誰かに話したりしたの?」

「話したのは千聖さんが初めて」

 

 誰にも言うつもりは無かったことだ。こんな形で千聖さんにバレるとは思わなかった。

 

「ふ〜ん、私が初めて……優里香も知らないんだ」

「姉さんにも、他の誰にも話してない」

「……私と悠の、2人だけの秘密ってことだ」

 

 あの痛みは僕だけの秘密にしよう。何だか嬉しそうな千聖さんに、痛みのことは言う気にならなかった。

 

 大丈夫、きっと定期的に弾いていれば痛むことはないはずだ。

 千聖さんに要らない心配はさせたくない。

 

「色々聞きたいことあるけど……あれだけ弾けるのに、楽譜が読めないのは不便じゃない?」

「さっき痛感したとこだよ」

「ふふっ、やっぱり……なら、私が楽譜の読み方を教えてあげよっか?」

「え、千聖さんが?」

「私にしか話してないってことはさ、 適任は私しかいないよね」

「……それは、ありがたいけど」

 

 正直、願ったり叶ったりだった。覚えなくちゃと思っていたけど、1人で楽譜をマスターしようなんて無茶だとは何となく分かっていた。

 

 千聖さんが教えてくれるなら、僕が断る理由はない。

 

「なら決まりね! ビシバシ教えてあげる」

「お、お手柔らかにお願いします」

 

 思わぬ形で先生役を買って出てくれた千聖さんが頼もしかった。

 

 ――けれど、この時の僕は気づいていなかった。

 朱鷺ノ宮(ときのみや)さんから「思っていたよりも早く、撮影の準備が整いました。近日中に一度お時間をいただけますか」という連絡が、すでに届いていたことに。

 

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