夢見のピアニスト~夢に見ただけでピアノを弾けるようになった僕が、活動休止中の天才ピアニストと動画配信を始めることになった件について   作:矢上鉋

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第八話 乙女の祈り

 朱鷺ノ宮(ときのみや)さんとの初収録を無事に終え、週末が明けた。

 結局、”作戦”とやらは教えてもらえなかった。「ストックが溜まってからのお楽しみです」なんて言われたら余計に気になってしまうけれど、今はそれどころじゃない。

 

「……楽譜の勉強を頑張らないと」

 

 千聖(ちさと)さんのバイト先である楽器店が見えてくる。朱鷺ノ宮さんが編集作業に勤しんでいる間に、僕は楽譜を覚えなくてはならない。

 

「今日はまだ頭が痛くない」

 

 不思議なのは、身体の状態だ。今日はピアノを弾いていないのに、発作のようなあの痛みが襲ってこない。

 まるで、これから千聖さんに楽譜を教わることが、「ピアノのための行動だから」と見逃してくれているようで気味が悪い。

 

「着いた。千聖さんは店に入って来てって言っていたけど……」

 

 とりあえずショーウィンドウに並んでいる楽器越しに店内の様子を確認してみる。

 店内には今のところお客さんはいないみたいで、レジのところで千聖さんが頬杖を付いて暇そうにしているのが見えた。

 

「……いらっしゃいませ。あ、悠!」

「こんにちは。千聖さん、言われた通りに来たよ」

「うん、待ってたよ」

 

 頬杖をついたまま気怠げな挨拶をした千聖さんは、相手が僕だと気づくとぱぁっと表情を変えて笑顔で迎えてくれた。

 なんで店の営業時間中に待ち合わせしたんだろう。まだ閉店までは時間がある。

 

「今日はよろしくお願いします」

「お願いされてあげよう。バイトもう少しであがりなの。あと少しだけ待ってて」

「適当に店の中を見ながら待ってるよ」

「それもいいんだけどさ。悠、ひとつ提案があるんだけど」

「提案?」

 

 千聖さんが良くない顔をしている。

 昔はこの顔した時って振り回された覚えしかない。楽しい思い出もあるけど、大変な目にあったことのほうがずっと多い。複雑な心境にさせてくれる顔だ。

 

「悠、この店でバイトしてみない?」

「バイト……俺が?」

「うん、『俺』が」

 

 バイトはやったことないけど興味はあった。

 楽譜を覚えるのに教本は必要だし、音楽って何かとお金が掛かるイメージがある。

 今後のことを考えると、先立つものは必要だった。

 

「興味はあるけど、千聖さんバイトだよね。勝手に決めてもいいの?」

「店長には話を通してあるんだよね~」

「そうなんだ。ならやってみたいな。バイト」

「悠ならそう言ってくれると思った。店長に言うからちょっと待ってね」

「え、あっ、うん」

 

 話がトントン拍子に進んで置いていかれそうになるけど、ただバイトを知り合いに紹介されて始めるだけだ。

 クラスメイトもバイトしている人がそこそこいるし、何も珍しいことじゃない。

 

「前に話した新しいバイトの子、今来てるから。うん、うん、は~い」

 

 スマホを取り出した千聖さんが、どこかに電話を掛ける。

 さっき言った店長さんだろう。この店は二階もあるし、上にいるのかもしれない。

 

「悠、店長がこっちに来てだって」

「……どこに行くの?」

「ちゃんと案内してあげるから」

「ここ離れていいの?」

「もともと悠が来たら交代の予定だったから大丈夫だよ」

 

 裏からもう一人の店員さんが出て来て、千聖さんと交代の話を始める。

 少しのやり取りで引き継ぎが終わったようで、千聖さんは交代の挨拶を済ませると軽やかな足取りで僕のほうへやってきた。

 

 千聖さんと交代した店員さんに僕も会釈をして、千聖さんの後に続いて店の奥へと向かう。

 

「……さっき“前に話した”って言ってたけど、元から俺のことバイトに誘うつもりだった?」

「悠に楽譜を教えてあげるって約束した日に思いついたんだよね」

「……そうだったんだ。あの日に」

「バイトで時間取られちゃうけど、休憩中とか上手いこと時間使って教えてあげられると思う」

 

 もともと千聖さんの時間が取れる時に教えてくれるって約束だ。

 それをバイト中も教えてもらえて、お金まで稼げるなら一石二鳥だと思った。

 

「ありがとう。お金は必要になると思ってたから、助かるよ」

「そうそう、音楽をするのはお金掛かるよ。こういうのは自分で稼がないとね」

「うん、俺もそう思う」

 

 この楽器店は二階で音楽教室もやっているらしい。僕と千聖さんが向かったのは、その音楽教室で使っている部屋だった。

 

「バイトの面接代わりに悠にはピアノを弾いてもらいます」

「え、聞いてないけど」

「言わなかったからね」

 

 さっきの顔はこれを企んでいたからだったのか。ただバイトを紹介するだけにしては変だなと思っていたけど、こういうことだったんだ。

 

 千聖さんのこういうところは昔から変わらない。

 

「ふふ、ごめんね。でも、こういう急な状況でも弾けるようになっておかないと」

「……一理ある、かな? 一曲でいいんだよね」

「そういうことになってる。入ろっか」

 

 いきなり弾くことになったけど、覚悟を決めよう。どうせ弾かないといけないんだ。あの痛みの原因は分からないけど、音楽に向き合っている間は治まってくれる。

 

 だったら、自分を音楽のある環境に置くしかない。演奏できるようになったことを前向きに考えるのが、今の僕に必要なことなんだろう。

 

「店長、連れてきたよ」

「その子が話していた子ね。へえ……千聖ちゃんの幼馴染なんだってね」

「篠原 悠貴です」

「私はここの店長の飯田よ。よろしくね」

「よろしくお願いします」

「あら、礼儀正しい子ね。千聖ちゃんの幼馴染だって聞いてたから、どんな子が来るのかって身構えてたのに」

 

 防音扉を開けるとそこには、千聖さんと同じ店名が刺繍されたエプロンを付けた女性がいた。僕のお母さんと同じ年代くらいに見える。

 

「あ、ひどい。敬語は店長が使わなくていいって言ったのに」

「それは構わないの。そういうこと言ってるんじゃなくて……この前だって」

「ちょっと、私の話はいいから! 今は悠の面接、ピアノの実力見たいんでしょ」

「あ、そうだったわね。篠原くん、曲はなんでも良いから弾いてみてくれる?」

「わかりました」

 

 店長さんに促されたピアノの前に座る。昨日弾いたグランドピアノではなく、壁に寄せられるコンパクトな電子ピアノだ。

 

 初めて触れるタイプだが、指先は自然に鍵盤に馴染んでいく。弾くのは今朝、夢で聴いたばかりの曲。名前は知らないけれど、耳に残っている旋律だ。

 

「……あら?」

「ふふっ、すごいでしょ」

「『乙女の祈り』ね。弾くのは流行りの曲だと思っていたけど、クラシックを弾くのね」

「うん、悠のはすごいよ」

 

 そんな2人の声が聞こえた。千聖さんの自慢げな声に、なぜかリズムが弾んでいく。

 心地の良いリズム、耳触りが優しい。この曲の名前『乙女の祈り』っていうのか。今まで弾いた中で一番好きかもしれない。

 

 ――音が、全身と一体になっていく。自分の存在そのものが旋律に変わって響いていくようだった。

 

 昨日のスタジオよりは狭い空間だけど、ここもピアノがよく響く。駅のどこまでも音が届いていきそうな感覚も好きだけど、音が返ってくるスタジオも同じくらい気に入っていた。

 

 この曲、僕には同じようなリズムが繰り返されるように聴こえる。

 だけど退屈するとか、飽きるとかは無い。簡単な曲のようで、とても奥が深い。

 

 これ、今度の朱鷺ノ宮さんとの収録のときに弾いてみよう。この曲を聞いてもらいたい。

 自分で作った曲でもないのに不思議な感覚だけど、そう思ってしまう魅力がこの曲にはあった。

 

 次の演奏、朱鷺ノ宮さんの前で弾いている自分を思い浮かべる。

 きっと喜んでくれる。そんなイメージの中、祈りの響きの最後の一音を紡いだ。

 

「えっと、終わりました」

「どうだった店長?」

「……想像以上ね」

「ふふん」

「なんで千聖さんが勝ち誇ってるの」

「篠原くん、歓迎するわ。これからよろしくね」

「あ、ありがとうございます」

 

 まだ演奏の余韻から抜け出せないのか、店長はまばたきを忘れたように、ただ僕の手元を見つめていた。

 そんな店長を見て千聖さんがニヤニヤと勝ち誇っている。さっきと同じ顔だ。

 

 今まで千聖さんや、朱鷺ノ宮さんも僕の演奏を評価してくれた。ただ、2人に褒められるのはどこか現実離れした感覚があったように思う。

 

 今日、初めてちゃんと僕の演奏が知らない誰かに届いたような気がする。店長さんの顔を見れば演奏の出来は一目瞭然だった。

 

 不思議だ。痛みから逃れるために弾いていたのに、演奏の出来に喜んでいる自分がいる。

 

「これから一緒に働けるね悠!」

「あ、うん……ありがとう千聖さん。アルバイトを紹介してくれて」

「悠なら絶対合格だと思ったけど、ちゃんと決まると嬉しいね」

「あらあら、千聖ちゃん。はしゃいじゃって」

 

 僕がアルバイトに正式に採用されたからか、千聖さんが感極まった様子で駆け寄ってきた。そして僕の手を取って包むように優しく持ち上げた。

 

 まるでさっきの演奏を労ってくれているようで、伝わってくる体温が心地よかった。

 

「あ……悠、顔が赤くなってる?」

「……気のせいじゃない?」

「えー、絶対赤いよ。可愛いな悠は」

「演奏のせいだよ」

「ふふっ、そういうことにしといてあげる」

「あと可愛いって言うのはやめて、俺もう高校生だよ」

「えー、可愛いのに……」

 

 僕だけ届いた小さな声、少しだけスネたような声音。

 その声色が千聖さんの本心からの言葉だったんだと教えてくれた。

 

 そんな様子を店長さんに見守られていて少し居心地が悪かった。でも僕はその手を振り払わずに、されるがまま千聖さんが手を離すまでそのまま身を任せていた。

 

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