エルザのことを忘れない   作:区隅 憲

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それでも私はずっと待ち続ける

「エルザ、いるんでしょエルザ! 起きなさい!」

 

 埃っぽい古びた部屋の中で、騒々しいノックが鳴り響いた。

何度無視してもその催促は止まらず、しつこいくらい耳をつんざく。

 

 ――朝っぱらから鬱陶しいなぁ――

私はベッドの傍らの窓辺に座り込んだまま、闖入者が諦めて去るのを待っていた。

 

「起きなさい! エルザ・ペート!」

 

 けれど鍵のかかった扉は、思いがけずガチャリと開けられる。

部屋の隅までツカツカと、無遠慮な足音が近づいてきた。

横目で見ると、不機嫌そうな皺だらけの顔と、後退した白髪。

マスターキーを手にぶら下げた、ファルナ院長先生が仁王立ちしていた。

 

「……やっぱり起きていたのね。返事ぐらいしたらどうなの?」

 

「…………」

 

「朝食の準備があるから一階まで降りてきなさい。今日はお前の当番でしょ?」

 

「……別に。そんなの私には関係ない」

 

 私はブイと顔を逸らし、また窓辺の景色に目を移す。

院長先生に構ってる余裕なんて私にはない。

けれど院長先生ははぁ、とひとつため息をつくと、いつもの聞き飽きた小言を並べてきた。

 

「全く、お前はいつもそうね。ろくに勉強も手伝いもせず、部屋の中に引きこもってばかりいて。少しは自分の身の振り方ぐらい考えたらどうなの?

 

 お前ももう今年で13歳。来年の14歳になる誕生日には、ファイウェル孤児院を出ていかなければならないのよ? いつまでもそんな不良少女のままで通用するほど世の中は甘くないわ」

 

 くどくどと押しつけがましい説教に、私はつま先で床をたたき始める。

『孤児院から出ていく』だの『不良少女』だの、気に障るワードばっかり。

じりじりと我慢も限界になって、キッと院長先生を睨み上げた。

 

「うるさいなっ! 私のことなんて放っといてよ! ゴチャゴチャ言われなくても自分のことぐらい自分でできるから! 余計なお世話だからもう出てって!」

 

「まともに家事や仕事もできない半人前が、いっぱしの口を利くんじゃないよ!

あのねエルザ、いつまでもそんな風に反抗ばかりしたってお前の母親は迎えに来やしないわ!」

 

 些細な言い返しが言い争いになり、ガタンと私は椅子を蹴って立ち上がった。

触れられたくない部分にまで触れられて、こめかみにはグッと力が入る。

それでも院長先生はひるむことなく、容赦なく私の心に踏み込んできた。

 

「お前は5歳のときに母親に捨てられたんだよ! いい加減現実を認めたらどうなんだい? いつまでも感傷に浸ってばかりいて、過去にしがみついてみっともない!」

 

 ――お前の母親は、とっくにお前のことなんて忘れてるよ!」

 

 バァンッ!!

 

 とっさに私の腕がうねりを上げた。

院長先生の体が大きくのけぞり、ヨロヨロとうしろに後退する。

むき出しになった額からは一筋の血雫が垂れ落ちる。

私はすさまじい勢いで、『ファーグリンの食文化大全』を投げつけていた。

 

「うるさいっ! 出ていけッ!!」

 

 私が怒鳴り散らすと、院長先生は額を押さえながら私を睨み返してくる。

けれど次の瞬間にはその眼からすっと鋭さが消え、吐き捨てるような台詞が返ってきた。

 

「……勝手におし!」

 

 院長先生はハンカチで額を拭いながら背を向けて歩き出す。

バタンッ! と乱暴な音を立てて扉から出ていった。

あれほど騒がしかった部屋の中が、再び朝の静寂を取り戻す。

一連のいざこざが終わると、私はもう一度窓辺の椅子に座り、外の景色を見下ろした。

 

(今日も、誰も通りかかりそうにないなぁ……)

 

 ファーグリンの街の裏通りは、いつものように殺風景だった。

周囲の石畳の道には誰も通らないし、人の声すら聞こえない。

たまに誰かが通ったとしても、それは仕事に向かうらしきこの辺りの住人ばかりだ。遠くのほうに見えるあのベンチには、やっぱり誰の姿も現れなかった。

 

(お母さん……いつになったら私を迎えに来てくれるの?)

 

 街の隅に置かれた寂しげなベンチ。それを眺めるだけで、あの時の記憶がいつも砂嵐のように蘇った。

 

 

 八年前、お母さんは私を置いてどこかへ行ってしまった。

雨でずぶ濡れだった私は院長先生に拾われ、このファイウェル孤児院まで連れてこられた。〝この街じゃ親に捨てられる子供なんて珍しくない。お前もその一人なんだろう〟そうため息混じりに教えられた記憶が今でも残っている。

 

 けど、私はそんなこと信じない。

お母さんは何か事情があって、私を迎えに来るのに時間がかかってるだけだ。

お母さんが私を捨てるはずない。

何年でも、何年でも、私はお母さんを待っている。

 

 

 コンコン、コンコン

 

 ふいに控え目なノックが部屋に響き、私は過去の回想から浮かび上がった。

そういえば院長先生が出て行ってから、部屋の鍵をかけ直していない。

とっさに私は息をひそめ、扉の向こうの正体にじっと目を凝らした。

 

「エルザちゃん……入るよ」

 

 キィ……とわずかなきしみ音とともに扉がゆっくりと開かれる。

――銀髪のショートヘア、灰色の瞳をした8歳のチビ娘――フウリが朝食のトレイを持って入ってきたのだった。

 

「エルザちゃん、今日も朝の支度に来なかったね。おかげでみんなの朝食の時間も遅れちゃったんだよ」

 

 フウリは大人しい声で私に苦言をのべてくる。

どこかぎこちなさがあり、言いにくそうに顔を俯けていた。

 

「……あっそう。別に私には関係ないから」

 

「関係あるよ。誰も朝食を作らなかったらエルザちゃんだってご飯食べられないんだよ? 今朝は私が全部作ったけど」

 

「なら、そこに置いといてよ。後で食べとくから」

 

「…………」

 

 フウリはトボトボした足取りで、黙って机にトレイを置く。

けれど用が済んだはずなのになかなか出ていかず、窓辺に座る私にチラチラと視線をよこしてきた。

 

「エルザちゃん、今日も一日中窓の外眺めてるつもりなの?」

 

「……そうだけど、だから何?」

 

「えっと、その、他のことも考えてみたほうがいいんじゃないかな? エルザちゃんっていつも独りぼっちだし、たまには孤児院のみんなとも遊んだほうがいいと思うよ?」

 

 その瞬間、私はカッと頭に血が上った。

ロクに事情もわからないくせに無神経なアドバイスをされて、反射的に私は声を荒げた。

 

「放っといてよ! 私が何してようがフウリには関係ないでしょ!? くだらない指図するつもりなら出てって!!」

 

「う、うん、ごめん……ちょっと、気になっただけだから」

 

 フウリはサッと目をそらし、首をうなだれたまま扉まで足を運んだ。

けれどドアノブを握ると私のほうへ振り返り、おずおずとまた呼びかけてきた。

 

「あっ、あの、院長先生が正午になったら大事なお知らせがあるって言ってたよ? 新しい先生が来るんだって。若いきれいな女の人らしいよ? その時はちょうど昼食の時間だし、エルザちゃんもそろそろ部屋を出てみんなと仲良く――」

 

「だから放っといてって言ってるでしょ!? 私には関係ないから!」

 

「う、うん……ごめん」

 

 縮こまりながら謝ると、今度こそフウリは出ていった。

誰とも関わりたくないのに、朝っぱらから気に障る指図ばっかり浴びせられる。

『みんなと仲良くなろう』なんて、そんなこと私にできるはずもないのに。

 

(馬鹿らしい……友達なんて、馬鹿らしい……)

 

 この孤児院に来てから、私はずっと独りぼっちで生きてきた。

初めてこの孤児院に来た時にさんざん暴れたから、みんなが私を避けている。

後で入ってきた子たちにも、すぐに私の素行の悪さは知れ渡っていた。

 

 私は不愛想だし、不良少女だし、だからどうせみんなからも嫌われている。

フウリがわざわざ私の部屋を訪ねてきたのだって、院長先生から頼まれたから仕方なくそうしてるだけだ。

 

 ――誰も私のことなんて愛してくれない――

 

 胸の内にはいつも埋めようのない空白が広がっている。

だから私はお母さんを待ち続けるしかなかった。

 

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