エルザのことを忘れない   作:区隅 憲

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遠い過去は温もりで満たされて

―18―

 

 

 ドンドンドン! ドンドンドン!

 

 まどろんだ意識の中に、突然けたたましい音が叩きこまれた。

反射的に眉間に皺が寄り、暗闇に預けた瞼がこじあけられるように開かれる。

 

 ベッドから起き上がると、窓辺から朝の冷たい日差しが目を刺した。

人通りのない変わり映えもない道が、今日も私の眼下に広がる。

 

 同時に空腹を感じた。そういえば昨日の昼間から何も食べていない。

あの日は久しぶりに大勢に注目されてしまったから、ドッと疲れてそのまま眠ってしまったのだ。

 

 ドンドンドン! ドンドンドン!

 

 荒々しい打撃音がまた私の耳をつんざく。

感傷にふける暇もなく、面倒な一日が始まりを告げていた。

 

(朝っぱらからうるさいなぁ……院長先生がまた私を叱りつけに来たの?)

 

 そう思い、私は無視を決め込んで時間が過ぎ去るのを待つ。

時計を見上げると7時を指しており、ちょうど朝食が始まる頃だった。

 

「エルザちゃ~ん! 朝だよ~! 美味しいご飯持ってきたよ~!」

 

(えっ? 昨日のマウルとかいう茶髪の女? なんで私の部屋に来てるの……)

 

 鼻につくほど明るい声が頭を貫き、私は天敵を目にしたリスのように体を硬直させる。

 

 ガチャガチャガチャ! ガチャガチャガチャ!

 

 鍵のかかったドアノブが何度も回され、古びた扉がギィギィと悲鳴をならす。

 

 ガチャガチャガチャ! ガチャガチャガチャ!

 

 外の女はものすごくしつこい。

これ以上放っといたら、扉を蹴破られそうな予感さえよぎった。

 

(ああっ鬱陶しいなぁ! 借金取りかよ!)

 

 私はドスドスと足を踏み鳴らしながら扉へと向かう。

けっきょく私は最悪な寝覚めとともに、部屋の鍵をガチャリと開けた。

 

「おはようエルザちゃん! やっとドア開けてくれたんだね!」

 

 悪びれる様子もなく、闖入者は満面の笑みで私の正面に立つ。

とっさに私は顔を逸らし、徹底して目を合わせまいとした。

 

「今日の朝食はトマトスープだよ! エルザちゃんはやっぱりお手伝いに来なかったし、今朝は全部私が作ったんだ~」

 

 どこかで聞いたような、当てこするような台詞が耳につく。

……フウリのやつ、昨日私がサボったこと愚痴りやがったんだ。

 

 私がいけ好かない気分になっていると、茶髪女は廊下に置かれたトレイを持ち上げる。ゴロゴロと具材が入ったトマトスープが、見せびらかすように私の瞳に映った。それを盗み見ると、私はさっさと追い出すために手短に口を利いた。

 

「……食事運んできたなら、それ机に置いて出てってくれる?」

 

「あっ、うんわかった!」

 

 相手は素直にうなずくと、ベッド近くにある机にトレイを運ぶ。

しかしそれが完了するや否や、窓辺の椅子を引いて無遠慮に腰かけた。

 

「ちょ、ちょっと! なに勝手に座ってんの? 用が済んだなら出てってよ!」

 

「済んでないよ~。だって私の用事ってエルザちゃんとおしゃべりすることだから」

 

「な、なにそれ? 別に私はあなたと話すことなんてないんだけど?」

 

 私は改めて拒絶の意志を表したが、窓辺の女はポンポンと私のベッドを叩く。

『座れ』というジェスチャーだった。部屋の主は私なのに、まるで我が物顔。

 

 そんなどこまでも図々しい女に、こめかみがヒクヒクと引きつる。

けれど相手は岩のように居座っており、けっきょく私はベッドに座らざるを得なかった。

 

「ねぇねぇエルザちゃん。エルザちゃんって孤児院で普段何してるの? 見た感じいつも独りぼっちだけど」

 

 腰を下ろすや否や、ぶしつけな質問を浴びせられる。

けれど私はブスっとしたままだんまりを押し通した。 

 

「あっ、もしかして一人遊びが好きな感じかな? 絵とか詩とか。それをみんなに見られるのが恥ずかしいから誰も部屋に入れたがらないんでしょ?」

 

「…………」

 

「もうっ、さっきから無視ばっかりしないでよ~! ちゃんと答えてくれなきゃ、私エルザちゃんのベッドで眠っちゃうよ~?」

 

「……読書」

 

 強引なアプローチに根負けして、とうとう私はボソリと呟く。

この女なら、本気で私のベッドでいびきをかきかねない。

 

「へぇ~読書……読書かぁ! なかなか素敵な趣味を持ってるんだね! どんな本読んでるの?」

 

「……『ファーグリンの食卓について』」

 

「へぇ~そうなんだ! エルザちゃんって食べ物に興味あるんだね! イメージとちょっと違うなぁ」

 

「……別に。暇つぶしで読んでるだけだし」

 

 矢継ぎ早に質問され、私はとつとつと受け答える。

その度に向こうはテンションを上げるけれど、何がそんなに楽しいのかわからなかった。

 

「じゃあさじゃあさ、エルザちゃんってどんな食べ物が好きなの? エルザちゃんはねぇ、なんか野菜ってイメージがあるなぁ」

 

「……お肉」

 

「おぉっ、また予想が外れた!? でもやっぱりお肉もおいしいよね! 今度院長先生と相談して、私が何か作ってあげよっか?」

 

「ああっもうっ! うるさいなぁ!」

 

 いつまでも続く無駄話にうんざりして、とうとう私はベッドから飛び上がった。

これ以上プライベートをほじくり返されるのが嫌で、堰を切ったように声を張り上げた。

 

「何なのさっきから!? 根掘り葉掘りどうでもいいことばっかり聞いてきてさ! 私のことなんか知ってあなたに何の得があるの?」

 

「えっ? だってエルザちゃんと仲良くなりたいから」

 

「何それ? 『あなたと仲良くする気なんてない』って昨日言われたこと覚えてないの? 話し相手ならいくらでもあなたの周りにいるクセに!」

 

 そう叫ぶと、この女がみんなに囲われて楽しそうにおしゃべりしていた光景が目に浮かんだ。こいつはみんなに懐かれているし、嫌われ者の私なんかとは全然違う。それなのに――

 

「どうしてあなたはそんな風に私に構ってくるの!?」

 

 勢いに任せて、一番聞きたかった疑問が口をついた。

私は不良少女だし、誰かに好かれるような人間じゃない。

それなのに、どうしてこの女はわざわざ私なんかと関わってくるんだろう?

 

「……友達が、ほしいからだよ」

 

「えっ?」

 

 わずかにためらう間を見せた後、少し歯切れの悪い答えがかえってきた。

私は言葉の意味を捉えきれず、羽を掴まれた小鳥のようにとび色の瞳を見つめ返す。

 

 何を言ってるんだろうこの人は?

友達なんて、こいつの周りにはもうたくさんいるはずなのに。

誰とでも仲良くなれるのが当たり前で、独りぼっちとは無縁のはずだ。

 

 それなのに、その瞳の色はさっきまでとは違っていた。

ズケズケした明るさが鳴りを潜め、どこか寂しそうな影をはらんでいる。

やがて束の間の深呼吸をした後、祈るような声が吐き出された。

 

「私がこの孤児院に来たのはね、私のことをずっと覚えててくれるような友達がほしかったから。たとえ年齢を重ねてどれだけ記憶が曖昧になったとしても、ずっとお互いのことを忘れない。……そんな風に想い合える大切な人がほしかったの」

 

「なに、言ってるのあなた? どういう意味?」

 

 いきなり訳の分からない自分語りをされて、私は戸惑いの声で聞き返す。

けれどさっきまで私をさんざん質問攻めにしてたくせに、それ以上のことは何もしゃべらなかった。

 

「……ささぁっ! ご飯にしよっ!! せっかく私が腕によりをかけて作ったんだから、スープが冷めちゃったらもったいないや!

 

 いや~今朝は買い物に出かけたんだけど、すごく混んでたからなかなか材料が手に入らなくてさぁ。ファーグリンの街は本当に賑やかなところだよねぇ。でも私が苦労した分、きっと美味しさも二倍だよ!」

 

 相手はパンパンと手を叩き、不自然なほど明るい笑顔に戻った。

さっきまでの沈み切った独白が嘘のように、おちゃらけた雰囲気で日常会話を再開している。

 

「私も朝食食べそこねちゃったからお腹ペコペコなんだよねぇ。

あっ、そうだ! キッチンに私の分の食事も作ってあるから、エルザちゃんと一緒にご飯食べよ! ちょっとだけ待っててね」

 

 そう言うなり相手は窓辺の椅子から立ち上がり、そそくさと部屋の中から出ていく。私はその隙を見逃さず、素早く扉まで近づくとガチャリと鍵を閉めた。

 

「わわっ! ちょっと待ってよエルザちゃん! 勝手に鍵かけないでよ!」

 

 慌てふためいた声が扉の外からくぐもって響く。

けれど私はドアノブをしっかりと握り、絶対に開けられないように力を込めた。

 

「料理が冷めたらもったいないんでしょ? だったらあなたもさっさとキッチンに行って一人で食べてきたらいいじゃない!」

 

「ええ~っ、一緒に食べたほうが絶対美味しいのにぃ……」

 

 名残惜しそうな声が耳に届く。だがしばらくすると遠ざかっていく足音が床を伝った。完全に気配が消えるまでじっと待ち続け、私はドアノブから手を離す。

部屋の中には再び静寂が広がり、また私一人だけとなった。

 

(朝っぱらから意味わかんない……食事ぐらい一人で食べさせてよ)

 

 私は一息つくと、机の前に座りスプーンを手に取った。

トマトスープの甘酸っぱい香りが鼻の奥をくすぐる。

大きなお皿の中にはふんだんに肉や野菜が敷き詰められており、まだスープは温かかった。

 

(お母さんの得意料理もトマトスープだったっけ? 私が村にいた頃もよく食べさせてもらってたなぁ)

 

 目の前の料理の匂いに刺激され、私は過去の記憶を思い出す。

お腹がすいた時は、いつも私の好きなものを作ってくれたお母さん。

夜寂しくて眠れない時は、いつも一緒に寝てくれたお母さん。

 

 幼い頃の私は毎日が幸せだった。

疑うこともなくお母さんに愛され、そんな日々がずっと続くのだと当たり前に思っていた。ならどうして、こんなにもいま心が穴だらけなんだろう?

 

 遠い思い出を辿るだけで、途端に目頭が熱くなる。

涙がスープと混じりそうになり、慌てて私は目を拭った。

そして過去の傷口を振り払うように、温かな液体にスプーンをつける。

 

(美味しい……)

 

 舌先に触れたスープの味は懐かしくて、ほのかに甘みと苦みが広がる。

それと同時に「友達がほしい」と言ったあの人の顔が頭の中に思い浮かんだ。

 

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