エルザのことを忘れない   作:区隅 憲

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強引な笑顔に秘密を暴かれた

―17.9―

 

 

 コンコン、コンコン

 

「え、エルザちゃん、起きてる?」

 

 窓辺でベンチを見下ろしながら読書していると、部屋にノックが響いた。

巣穴から子リスがそっと顔を出したように、今日も朝の静けさが途切れる。

フウリの声だった。また院長先生から伝言でも頼まれたんだろうか?

 

(何? 今日は私の食事当番じゃないはずだけど?)

 

 私はいぶかしみ、挿絵だらけの本から視線を上げる。

もしかしたらあの茶髪の人も一緒にいるかもしれない。そう思うと少し身構える。

 

 コンコン、コンコン

 

 かすかなノック音がまた部屋に伝う。

私の注意はすっかり扉の外に攫われていた。

 

「あ、あの、部屋の中に入ってもいい? 鍵、開けてくれないかな?」

 

 おずおずした腰の引けた声。ドアノブが回る様子はない。

どうやらフウリは私が来るのを待っているようだった。

私ははぁ、とため息をつき、うんざりしながら返事をかえす。

 

「……扉なら開いてるから、勝手に入れば?」

 

「えっ!?」

 

「『えっ!?』ってなに? 用事があるならさっさとしてよ」

 

「う、うんっ!」

 

 頷く声とともに、勢いよく扉が開かれた。

フウリは緊張と期待が入り混じった顔つきをしており、子リスのように駆け寄ってくる。……あの人はいないみたいだった。

 

「お、おはようエルザちゃん! 今日のご飯はパスタのバター炒めなんだって! マウル先生がいま作ってくれてるよ」

 

「……あっそう。で、用事って朝食のメニュー伝えにきただけ? 別に私は一階に降りる気ないから」

 

「えっ!? そ、そう? そっかぁ……」

 

 私がけん制するように言っておくと、フウリはしょんぼりと肩を落とす。

あの人と一緒にトマトスープを作った日以来、フウリはやけにしつこく私を朝食に誘うようになっていた。

 

 ――正直、うざったくて面倒くさい。

けれど胸の奥では正反対に、どこかむずがゆくなる感触がさざめいていた。

はじめて私が料理を作った時も、こいつはおいしいと褒めてくれた。

 

「で、用事ってそれだけ? なら私は読書で忙しいから出てってよ」

 

 けれど私はあえて素っ気なく振る舞う。

胸の中にあるそわそわと揺らぐ感情に、まだ気を許せてなかった。

 

「う、ううん! それだけじゃないよ! あの、あのねエルザちゃん……ご飯食べ終わったら、私と一緒に遊ばない?」」

 

 フウリは声を上擦らせながら、いきなりそんな誘いかけを投げかけてきた。

瞬間、私は胸の奥でふわりと浮き立つ感覚が走る。

そんな風に誰かに誘われたのは、多分これがはじめて。

けれどそんなくすぐったくなる刺激を、すぐに疑念の声で打ち消した。

 

「なんで私なの? 遊びたいなら他の子でも誘えばいいじゃない」

 

 私はわざとしかめ面を作り、相手の言葉の真意を推しはかろうとする。

不愛想で嫌われ者の私に、そんな台詞を言うのは不自然だ。

何か打算があって、そんな呼びかけをしてくるんじゃないか?

 

「う、うん。それは、そうなんだけど……マウル先生がね、『エルザちゃんが気になるならフウリちゃんが遊びに誘ってみたらどう?』って……」

 

(あの人がフウリに余計なこと吹きこんだの?)

 

 フウリがいつになく積極的だったのは、やっぱりあの人の差し金だった。

私が独りぼっちだから、お節介を焼いてフウリをダシにしたんだろう。

……そう思うと、なんだか急にがっかりしてしまう。

それからだんだん胸がムカムカして、反射的にそっぽを向いた。

 

「いやだよ。私、騒がしいの嫌いだし」

 

「えっ?」

 

「別に私である必要なんてないんでしょ? どうせ私なんかと遊んでもつまらないだけだから」

 

「そ、そっかぁ……残念だなぁ」

 

 そう呟くとフウリはうなだれて、すごすごと出口へ向かった。

後ろ髪を引かれるようなわだかまりが胸に残ったけれど、どうせいつも一人なのは変わらない。傷ついてなんか、決してない。

 

 そう自分の胸に言い聞かせようとした時、フウリが扉の前で足を引き止めているのが目に入った。どうして出ていかないのかと目を凝らしていると、突然フウリはぐるっときびすを返す。呆気にとられる私をよそにズンズンこちらへ迫ってきて、いきなり私の隣のベッドに腰かけた。

 

「な、なに? なに勝手に座ってんの?」

 

「うん。マウル先生がね、『エルザちゃんは押しに弱いからしつこく誘ったら遊んでくれるよ』ってアドバイスしてくれたんだ」

 

 フウリはまたあの人の名前を出し、私にしつこく絡んできた。

あの人の名前を出されると、ちょっと身じろぎしてしまう自分がいる。

何故だかわからないが、私はお母さんに叱られている気分になった。

 

「あっ、あのねエルザちゃん。実はここへ来たのはもう一つ理由があったんだ。……聞いてくれないかな?」

 

「な、なんなの? いきなり改まって」

 

 急にフウリは声のトーンを落とし、上目遣いに真剣な眼差しを送ってくる。

瞳がうるうると潤みだし、おいそれと無下には断れない雰囲気。

何か変な発言が飛んできそうな予感がして、私はハラハラと言葉を待った。

 

「……私に、文字の書き方教えてほしいんだ」

 

「ッ!!?」

 

 瞬間、私は手に持った本を落としかける。

急所を突かれたように、体からドッと冷や汗が吹きだした。

けれど熱っぽい切実な視線は、じっと私を捉えて離さなかった。

 

「エルザちゃんっていつもたくさん本読んでるから頭いいんでしょ? でも私はバカだから、孤児院の勉強会にも全然ついてこれてないんだ。だから、エルザちゃんに文字の書き方教えてほしいなって……」

 

「そ、そんなの、嫌に決まってるでしょ!?」

 

「えっ?」

 

 私は飛び退くように窓辺の椅子から立ち上がる。

フウリからそっぽを向き、今度こそはっきりと拒絶の意志を露わにした。

 

「文字の書き方なんて、あの新入りの先生にでも頼んだらいいじゃない! あの人が文字を書けるかどうか知らないけど、一応先生なんだから!」

 

「そ、そっかぁ。やっぱりダメかぁ……」

 

 今日はやけに押しの強かったフウリは、花がしおれたように元気をなくす。

がっくりとうなだれたままベッドから立ち上がり、そのままトボトボと出口に向かって歩いていった。

 

「やっぱり文字を教えてもらうなんて無理だよねぇ……私、先生にも叱られてばっかだし、もうどうしようもないや……」

 

 そんな嘆きの独り言を最後に、バタリと扉が閉められる。

私はまたポツンと一人残され、朝の静寂が巻き戻った。

 

(フウリのやつ、なんであんなお願い私にしてきたの? 嫌なこと思い出しちゃったじゃない……)

 

 私は心臓をドキドキさせながら疑問の声を浮かべる。

同時に頭の中ではもやもやと、ずっと隠していた秘密がもたげそうになっていた。

 

 

*****

 

 

 ドンドンドン!

 

「エルザちゃ~ん! 入るよ~!」

 

 正午の日差しが射した頃、今度はあの茶髪の人が部屋を訪ねてきた。

相変わらずズケズケと足を踏み込んできて、私の許可なんてお構いなしだ。

私はブスっとした顔を本から持ち上げて、侵入者に睨みの視線を送った。

 

「……ふふっ」

 

 けれど、部屋に入ってくるなり相手は不敵な笑みを漏らす。

ニマニマとからかうように頬を緩ませ、何か企んでいる気配を漂わせた。

 

「エルザちゃん、フウリちゃんと仲良くなりたいんだね?」

 

 開口一番、決めつけるような台詞が飛んでくる。

ぶしつけな挨拶代わりの言葉に、私はポカンと口を開けた。

 

「は? いきなりなに? なんでそう思うの?」

 

「だってエルザちゃん、普段はみんなのこと絶対部屋に入れたりしないんでしょ? 『珍しくエルザちゃんが入ってもいいって言ってくれた』って、さっきフウリちゃんが喜んでたよ」

 

(あいつまた余計な……私のプライバシーなさすぎでしょ)

 

 私は口軽なチビの顔を思い出し、やっぱりあいつとは絶対仲良くなれないと思い直す。不満げな決意を固めていると、あの人はトコトコ近づいてきて当たり前のようにベッドに座った。

 

「ところでさ、エルザちゃんって本好きなんだよね? 普段は本読んでるって言ってたし」

 

「……別に。暇つぶしで読んでるだけってこの間も答えたはずだけど?」

 

「そういうちょっとしたきっかけが、本当の好きになるかもしれないじゃん! 実は私も昔はよく本読んでたし、エルザちゃんとは気が合うかも」

 

「合わない」

 

 私は即座に否定して本に視線を戻す。

この人といると調子が狂うから、さっさと出ていってほしい。

けれどやっぱり相手は居座って、延々と無駄話を垂れ流した。

 

「そんなのこれから付き合ってみないとわからないじゃん! 私はねぇ、伝記とか英雄譚とかが好きだったなぁ。そういう本読むと、すごくワクワクして夜眠れなくなるんだよ」

 

「聞いてないから。そんな年寄りくさい趣味私にはないし」

 

 ばっさりと私は切り捨てる。

相変わらず一方的に喋ってくるので、適当に聞き流しながらあしらった。

しかし相手は心外そうに眉を吊り上げ、大げさな声で異議を唱えてくる。

 

「ええ~っ、そういうのって『食わず嫌い』って言うんだよ~? 今度『英雄カルシスの伝説』貸してあげるから読んでみなって。エルザちゃんも絶対ハマるから!」

 

「……なんでそう思うわけ?」

 

「だって私とエルザちゃんって似てるんだもの! 私も若い頃は全然友達ができなかったからさ。それで仕方なく本読んでたんだよね~」

 

「……ふ~ん、そう」

 

 私は俯けた視線を少しだけ上げる。

ちょっと意外だった。この底抜けに馴れ馴れしい人に友達がいなかったなんて。

ほんの少しだけシンパシーを感じて、私はわずかに身を乗りだす。

……それにしても『若い頃は』って、いくつなんだよこの人。

 

「まぁ、私の悲しい過去は置いといてさ、フウリちゃんに文字の書き方教えてってせがまれたんでしょ? せっかく可愛い後輩が先輩を頼ってくれたんだから、私じゃなくてエルザちゃんが教えてあげたら? そしたらフウリちゃんとも仲良く――」

 

「絶対に嫌ッ!!」

 

 言い終わらないうちに私は断固として拒否した。

嫌な汗がまた背中から流れてくる。

それでも相手のズケズケした追及は止まらない。

 

「えっ、どうして? 本当はフウリちゃんに懐かれてまんざらでもないくせに。わざわざ部屋にも入れたんでしょ?」

 

「……そういう問題じゃないし」

 

「じゃあどういう問題なのさ?」

 

「…………」

 

 私は黙り込んで、話を無理矢理打ち切ろうとする。

しかしそれを相手が見とがめると、急にねばっこい視線で私を眺めまわした。

 

「あっ、さては何か隠してるなぁ~? 人には言えない事情があるんでしょ?」

 

「…………」

 

「ねぇ、教えてよ。どうしてフウリちゃんに文字の書き方教えてあげないの? もしかして勉強のやり方が個性的すぎて秘伝の技になってるとか?」

 

 好奇心丸出しな顔で、相手は私の膝をツンツンとつついてくる。

それでも私は我慢して、ひたすらだんまりを決め込んだ。

 

「もう~っ、無視しないでってば~! そんな風に石像さんみたいになるなら、私エルザちゃんの膝の上でお昼寝しちゃうよ~? ほら、早く~」

 

「字が書けないんだよっ!」

 

 挑発にたまりかねて、とうとう私は叫んだ。

相手は顔をきょとんとさせ、まん丸な瞳を向けてくる。

それでも私は一度吐いた勢いが止まらず、べらべらと事情を打ち明けた。

 

「私教育係の先生に叱られてばっかで嫌だったんだよ! 『エルザさんは字が汚いから補習しなさい』って勉強会の度に言われて、だから授業もサボるようになって。

……それで、その、自分の名前も書けない」

 

「ふふっ……」

 

 洗いざらい話すと、急にあの人が堪えるような声をにじませる。

そして――

 

「あははは、あははは、あはははははっ!!」

 

 けたたましい笑い声が部屋いっぱいにとどろいた。

予想だにしなかったリアクションをされ、私は頬がカッと熱くなる。

 

「な、なんで笑うんだよッ!」

 

「いやごめんごめん。エルザちゃんにも可愛いところあるんだなぁって」

 

「な、なにそれっ!? どういう意味っ!?」

 

「本当は字が書けないくせにフウリちゃんに意地張って隠してたところ~。

勉強が苦手なら最初からそういえばよかったのに」

 

 相手は涙を拭きながら、必死で笑い声を抑え込もうとする。

私の頬はどんどん赤くなり、噛みつくような勢いで言い訳を並べた。

 

「い、いいでしょ別に! 本読んでるのに字が書けないとかダサいから!」

 

「そう思うならエルザちゃんも勉強すればいいじゃ~ん。そしたらフウリちゃんの前でもかっこいいお姉さんでいられるよ?」

 

「い、いいよ私は! 勉強なんて嫌いだし、そもそも字なんて書けなくたって別に生きるのに困らないし!」

 

「ええ~、それはエルザちゃんの思い違いだよ~。これからの時代、文字が書けないとすっごく不便だよ~? 私も字が書けなかった頃は苦労したんだから」

 

 急に相手は説教くさい顔つきになり、そのままくどくどと昔話を始めた。

 

「まず買い物するとき、メモを取らないとすぐ忘れちゃうでしょ~? アパート借りるとき、自分の出自を誤魔化さないといけないでしょ~? 若い頃は代筆屋さんに偽の契約書書いてもらってたんだけど、それもけっこうお金かかるしさ~。

ま、つまるところ文字を書けたほうが世の中困らないってこと」

 

「……あなた、どういう人生送ってたの?」

 

 相手の闇深そうな話に、思わず私は冷静になって問い質す。

やっぱりこの人、なんか胡散臭い。

しかし相手はとぼけた顔をして、わざとらしく視線を泳がせた。

 

「まぁいろいろ~。私の昔のことなんてどうだっていいじゃない。それよりも今はエルザちゃんの将来のほうが大事だよ」

 

 そしてニッコリと、また私に向かって笑いかけてくる。

有無を言わせぬ、圧力をかけて。

 

「勉強しよっ、エルザちゃん! 文字を書けるようになれたら、これからの人生で役に立つし、絶対友達もできるから!」

 

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