東京レース場
今日は天皇賞秋が開催されるとあって、
スタンドは観客達が犇めき合い、レース場の外にも抽選に漏れたが、
現地の空気を感じたいと沢山の人が集まって居た。
観客の興奮は時間が経つにつれて高まり、
パドックを見る目は期待に溢れている。
枠順通りにパドックで、自慢の勝負服のお披露目を行う
選ばれしウマ娘達の登場に、歓声が沸き起こる。
実況の声も、出場選手の紹介で会場の雰囲気を作り上げている。
だがそれは――前触れ。
「さあ、昨年から無敗を――」
流れ作業の様に話す実況が最後の紹介で言葉を失った
……その瞬間。
コツ、コツ、コツ、
軽やかなブーツの音。
やけに響くその音に、場の空気が変わる。
一陣の風。
ピンクのマントが翻る。
陽光を受けてイエローの装飾が煌めく。
そして。
覇者がその両腕を広げる。
「――ハーッハッハッハッハ!!」
高らかな高笑い。
観客席が一瞬静まり返る。
彼女は顎を上げ、遠くの空を仰ぐ。
「待たせたね、諸君!」
くるりとターン。
マントが円を描く。
「この秋も、ボクという名の奇跡が舞い降りた!」
堂々たる歩み、オペラの本職顔負けなその声量、
まるで階段を降りるトップスター。
視線を流すだけで、観客が息を呑む。
「心せよ!」
指先を天へ。
「太陽が昇れば夜が退くように――」
胸に手を当てる。
「ボクが立てば、主役は決まる!」
何かに掻き立てられる様に、観客席から無数の拍手が起きる。
自然発生。
実況も苦笑混じりに言う。
「……さすが覇王。」
六畳一間でビクトリームが目を細める。
「……格好いいではないか。」
オペラオーから溢れる覇気を感じて、メロヴィクトは息を呑む。
(……なん、ですか……あれ?)
視線を感じたのか、オペラオーはふと立ち止まる。
観客席に向けてウインク。
「美とは罪。強さとは祝福。」
片手を胸に添え、優雅に一礼。
「本日の演目は――天皇賞(秋)」
顔を上げる。
まっすぐ、前を見る。
その視線の先に――メロヴィクト。
一瞬、空気が止まる。
オペラオーは、ゆっくりと歩み寄る。
ブーツの音がリズムを刻む。
「ほう……」
自身の小さな顎に指を当てる。
「白き衣の挑戦者」
くるりと回り込み、メロヴィクトの真正面に立つ。
距離が近い。
しかし圧迫感ではない。
舞台の中央に引き込まれる感覚。
「そのV字の意匠……」
指先が空中をなぞる。
「未来を切り裂く刃か、はたまた未熟な祈りか」
微笑む。
完璧な角度。
「どちらにせよ、美しいね?」
一歩引き、マントを翻す。
「だが!」
高らかに。
「本日の主役は、このボク!」
指を突き上げる。
「悪役も、ボク!」
ターン。
「監督も、ボク!」
胸を張る。
「せめて、アリアではなくアンサンブルになる事を祈ってくれたまえ!まぁ、このボクのアリアを聞くだけで、みんな満足だろうけどね?」
観客席から笑いと歓声。
そして、オペラオーの視線はメロヴィクトへ。
声を落とす。
低く、甘く。
「君は……そうだな」
少し考える素振り。
「第一幕の風」
にやりと笑う。
「吹き荒れるが、嵐には至らない。」
背を向け、歩き出す。
「だが安心したまえ」
肩越しに視線だけ寄越す。
「ボクは美しい挑戦を嫌わない。君にはボクからこの言葉を贈ろう。イン・ボッカ・アル・ルーポ!」
足を止めずに言うと、唐突に振り返り語りかける。
「……全力で来たまえ。この世紀末覇王たるボクに敵うと自負するならね?」
メロヴィクトだけに向けた言葉。
その目、表情、覇気、その全てに圧倒され、
メロヴィクトは首筋に寒気を感じた。
そして最後に。
スタンドへ向けて両手を広げる。
「さあ諸君!これより舞台の幕は上がる!覇王の蹄跡を、その目に焼き付けるがいい!!」
そして小さな覇王はマントを翻しゲートへ、
彼女が輝く舞台へと向かった。
「ハーッハッハッハッハッ!!」
高らかに笑いながら……。
その場に居たあらゆる者は、ただ、その背中から目が離せなかった。
メロヴィクトは、震えが止まらない自分の手を握り締め震える声で溢す。
「……勝てるの、あれに……あんな、怪物みたいな人に……」
ビクトリームが静かに答える。
「勝つのではない」
「……?」
「奪え、その玉座を!」
V字が、わずかに光る。
午後の日差しが東京競馬場の芝コースを柔らかく照らす。
スタンドは熱気に包まれ観客たちは、
メインレースの出走表に目を向け、
期待と緊張の入り混じったざわめきを上げている。
「間もなく東京芝2000m、メインレース、天皇賞秋が発走します!」
実況の声が場内に響く。
「今日は晴天、芝は良、コンディションは文句なしです。注目はやはり外枠からスタートするテイエムオペラオー。彼女のスタートダッシュとポジション取りは、毎回観客を魅了しますね」
解説の声が落ち着いて状況を整理する。
スタンドでは多くのファンが声援の準備を整え、
メインビジョンには出走馬の名前と枠順が表示される。
メロヴィクトの名前もそこにあり、
初のGⅠ挑戦への期待がひしひしと伝わる。
「外枠からどうやって内側に入るか、ここが勝負の鍵です。スタート直後の先行争いで無理をすれば距離を損する可能性があります。オペラオーは無理せず、ライン取りでじわりと前に出るでしょう」
ゲート前では選手達が静かに体を揺らし、
緊張の空気を漂わせる。
スタッフが最終確認を行い、ゲートの扉の前には芝の香りと、
緊張が混ざった独特の空気が流れる。
「観客席も息を呑んでいます。発走まであとわずか。ウマ娘達の意気込み、ファンの期待……すべてがこの瞬間に集中しています」
実況が声を張ると、スタンドの歓声がさらに大きくなる。
カメラは外枠のオペラオーと、初のGⅠ挑戦を控えたメロヴィクトを映す。
どちらもゲート内で静かに息を整え、心を研ぎ澄ませている。
「さあ、このあとゲートが開き、2,000mのドラマが始まります……まだスタート前ですが、すでに緊張感は最高潮です!」
G1特有のファンファーレが鳴り響く。
芝コースに漂う緊張、
観客の期待、
そして出走ウマ娘達の呼吸が一つになる
――東京芝2000m、
メインレース発走直前の瞬間。
メロヴィクトは……。
ゲートは第1コーナー奥、
ポケット地点。
奥まったその場所は、わずかに閉塞感がある。
ゲートが一斉に開き、全員がターフへと飛び込む。
横一線。
外枠のオペラオーが、ゆっくりと笑う。
「さあ諸君。序章は短いぞ?」
マントが揺れる。
スタートから120m。
すぐに見えてくるカーブ。
考える時間はない。
――開いた。
芝を裂く音。
外枠は不利。
先行できなければ大外を回される。
距離的ロス。
それは即ち敗北への布石。
オペラオーは一完歩目で踏み込む。
完璧な加速。
「道は、ボクが作る!」
半バ身前へ。
内のウマ娘の視界に入る。
進路を“奪う”のではない。
選択を迫る。
内のウマ娘がわずかに退がる。
その一瞬で、ポジションが決まる。
マントが風を孕む。
ポジションを確保し、そのまま第2コーナーへ。
メロヴィクトはその後ろに居た。
……速い。
序盤から息が上がる。
揺れる。
何時もの声は聞こえない。
ビクトリームはただ見ていた。
第2コーナーから向正面。
緩やかな下り。
脚が勝手に回る。
ここで飛ばせば加速は楽だ。
だが、メロヴィクトは抑える。
「……溜める」
ここから700mの下り。
自然とスピードに乗る集団。
だが、メロヴィクトはその先を知っている。
向正面半ば、急な上り。
高低差1.5m。
ここで脚を使えば、直線で脚が死ぬ。
メロヴィクトは慎重に機会を伺っていた。
オペラオーは下りで無理をしない。
流れを支配しながらも、押さえる。
(……まだ)
呼吸を整える。
強者はコースを知る。
向正面の上り。
周囲のウマ娘の脚色が一斉に鈍る。
「ここっ!」
踏み込む。
誰よりも早く、
誰よりも強く。
前に出る。
だがそれは焦りではない。
坂を利用した圧。
後続の脚を削る。
真摯に、勝ちに行く。
メロヴィクトに焦りが生まれる。
坂で離される。
差が開いて行く。
(やっぱり、みんな強い)
一瞬、暗い六畳一間に佇むビクトリームの姿が浮かぶ。
だが、崩れない。
「まだやれる!」
自分で言葉にする。
坂を越える。
第3コーナー。
今度は下り。
外を回れば距離ロス。
だが内は塞がれている。
一瞬迷う。
(このレース、勝つにはここっ!)
外へ舵を切る。
距離を失う代わりに、視界が開ける。
その視線の先には……。
第4コーナー。
再び上り。
そして――
長い直線、525m。
見える。
遠い。
その途中に、もう一段の坂。
東京レース場の牙。
最後の直線。
オペラオーが先頭。
マントが翻る。
だが脚は重い。
(ここからが本番だ)
最初の上りで一度削られている。
それでも止まらない。
「さぁ、カデンツァの始まりだ!」
『恵福バルカローレ!!』
領域が開く。
視界が研ぎ澄まされる。
坂の入り口。
踏み込む。
高低差2mの壁。
観客の歓声が歪む。
芝が跳ねる。
歯を食いしばる。
王は、坂から逃げない。
全てを置き去りにして、
覇王の独奏が始まる。
残り400。
まだ遠い。
壁の様な坂が立ちはだかる。
脚が震える。
メロヴィクトは奥歯を噛み締める。
(……負けたく無い!)
勢いそのままに坂へ突入する。
脚が重い。
酸素が足りていない、まるで水の中にいる様だ。
(……でも)
ここを越えなければ届かない。
メロヴィクトは、震える声で紡ぎ始める。
「怒りの力(パワー)を右腕に!!」
「チャーグル!」
「憎しみの力を左腕に!!」
「チャーグル!」
淡い緑色の光、少しずつ、力が高まるのを感じる。
「我が強さを右肩に!!!」
「チャーグル!」
「誇り高き心を左肩に!!」
「チャーグル!」
「我が美しさを股間の淑女に!!」
(……私、何でこんなの言っているんだろう。)
ふと、疑問とやるせ無さが胸中に浮かぶが、
メロヴィクトは言葉で無理矢理に流す。
「……チャーグル」
「Vの華麗な力を頂点に!!!」
「チャーグル!」
メロヴィクトの体が光り輝く。
(下りで我慢した分。向正面で抑えた分。
外を回った覚悟。全部、ここに!)
「チャーグル・イスミドン!!!」
爆ぜる。
坂の途中で加速。
通常なら失速する地点。
だが溜めた分が返る。
勝ちたい気持ちに、ビクトリームの力が答える。
「行け!我が肉体よ!!」
「……来たっ!」
振り向かない。
逃げない。
坂の頂上。
脚は大分使っている。
だが、ここから平坦250m。
まだ勝負は終わらない。
踏み込む。
いつも通り泥臭く、必死に。
覇王に驕りはない。
ただ、勝つために……。
坂を越える。
並ぶ。
残り200。
ここからは、純粋な脚比べ。
マントが乱れ、光が弾ける。
呼吸が重なる。
同時に踏み込む。
同時に限界。
「うぉぉおおおおっ!」
「ブルァァアアアッ!」
東京レース場2000mのすべてを使い切る。
縺れ込む様に2人はゴール版を駆け抜けた。
写真判定の文字が掲示板に灯る。
2人が荒い息遣いのままただ無言で見詰める先で、
番号が表示された……
静まり返っていた東京レース場に、爆発的な歓声が上がる。
ハナ差。
確定。
掲示板に、メロヴィクトの番号が灯る。
歓声が――爆発した。
はずだった。
だが、無音。
(……え?)
世界が、切り取られたみたいに静かだ。
自分の呼吸音だけがやけに大きい。
鼓動が耳の奥で鳴っている。
どくん。
どくん。
掲示板の数字は見えている。
自分の番号だと分かる。
でも意味が入ってこない。
(違うよね?)
思考が空回りする。
風が頬を撫でる。
芝の匂い。
汗の味。
そこへ、遠くから――
……わあああ……
ぼやけた波のような音。
水の底から聞くみたいな歓声。
(……あ)
少しずつ。
音が、輪郭を持つ。
「――ロヴィクト!!」
「差したァァァ!!」
実況の絶叫が、ようやく意味を持つ。
認知する。
(……勝った)
その瞬間。
音が、一気に戻る。
地鳴りのような歓声。
拍手。
叫び声。
名前を呼ぶ声。
熱が、胸に押し寄せる。
嬉しい。
苦しかった。
怖かった。
坂が、永遠みたいに長かった。
気が付けば、オペラオーのマントが、すぐ隣で揺れていた。
全部が一斉に溢れる。
「……っ」
喉が詰まる。
笑いたい。
泣きたい。
叫びたい。
達成感が身体を内側から叩く。
やった。
届いた。
奪った。
でも。
(……これ、何?)
感情が大きすぎる。
嬉しいのに、輪郭がない。
洪水みたいで、掴めない。
ただ、震えている。
隣で、静かな呼吸。
オペラオーは空を見上げている。
マントが、風を受けて揺れる。
歓声の中でも、彼女の周囲だけが凪いでいるようだった。
「……そうか」
小さく、息を吐く。
「ボクは、負けたのだな」
言葉は静か。
だが折れていない。
視線が、真っ直ぐにメロヴィクトへ向く。
「坂で止まらなかった」
それだけで充分だと言うように。
「玉座とは、飾りではない」
一歩、近づく。
「最後の一完歩を踏み抜いた者が、座る」
微笑む。
悔しさはある。
だが、誇りがそれを上回っている。
「今日は、君だ」
そう言って、オペラオーが背を向ける。
その瞬間――観客席の空気が爆ぜた。
「メロヴィクトー!!」
「新王誕生だー!!」
歓声が、波のように押し寄せる。
だがその波は、二人の間を通り抜けた。
まるで見えない境界線を引くように。
オペラオーの名を呼ぶ声も、まだ確かにある。
「オペラオー!」
「世紀末覇王!」
しかしその音は、少しだけ遠い。
熱の中心が、移動している。
メロヴィクトは、その変化を肌で感じる。
(……違う)
さっきまで、あの背中に集まっていた光。
それが、今――自分に向いている。
歓声が、オペラオーのマントを揺らす。
同時に、メロヴィクトの髪も揺らす。
だが二人の間には、埋まらない一本の線。
王座という名の境界。
オペラオーは立ち止まらない。
振り返らない。
歓声を背負ったまま、歩く。
その姿は、敗者ではない。
“王だった者”の矜持。
そして。
その背中が人波に溶ける瞬間、
メロヴィクトははっきりと理解する。
(……奪った)
胸が、強く鳴る。
遅れて。
感情が、奔流のように押し寄せる。
嬉しい。
怖い。
重い。
誇らしい。
全部、同時に。
「……っ」
足が震える。
歓声が、真正面からぶつかる。
逃げ場がない。
それでも、立っている。
自分の脚で。
自分で溜めて。
越えたから。
六畳一間。
静寂。
外の歓声は、ここまでは届かない。
だが、胸の奥に残響がある。
ビクトリームが、同じ高さで立つ。
「境界を越えたな」
メロヴィクトは、ゆっくり息を吐く。
「……うん」
まだ感情は整理できない。
だが、はっきりしていることが一つある。
「逃げなかった」
ビクトリームが、わずかに笑う。
「それが王座だ」
V字が、静かに光る。
二人の距離は、もう“主従”ではない。
並び立つ。
まだ触れない。
だが同じ高さ。
東京の坂を越えた分だけ。
ここまで読んで頂き、有り難うございました!
少しだけでも楽しめたなら幸いです。
これから完結まで毎日投稿となります。
物語は結末まで書き終わっているので、次回もお楽しみに!
そしてもし宜しければ、感想や評価を頂けると、今後の創作活動の励みになります!
お気軽にコメントをくださいね。
それでは、また次回お会いしましょう!