ウマ娘伝説:蒼焔の挑戦者   作:ネギ市場

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第14話「王の威厳」

 

 薄明が、まぶたの裏で白く滲む。

 目が開く。

 天井。

 知らない天井ではない。

 だが、見え方が違う。

 指を動かす。


 骨の軋みが、やけに鮮明だ。

 拳を握る。

 ゆっくりと、確かめるように。

 喉が鳴る。

 

 「……我、顕現。」

 

 声が低い。

 ベッドが軋む。

 起き上がる動作に迷いがない。


 足裏が床を踏む。

 重みを楽しむように。

 

 鏡の前へ。

 そこに映る少女は、いつもより陰影が濃い。


 目つきが鋭く、どこか劇画めいている。

 胸を持ち上げ、

 太腿を叩き、

 腰をひねる。

 腹に触れる。

 

 「ふむ。貧相だが、鍛錬の成果は出ているな。」

 

 ――は?

 

 ちゃぶ台の向こうで、誰かが声を漏らした。

 白い蛍光灯。
 

 畳。
 

 見慣れた六畳一間。

 パジャマ姿のメロヴィクトが、ぽかんと口を開けている。

 

 「……え?」

 

 立ち上がる。

 襖を開ける。

 廊下はなく、いつもの空間。

 逃げ場なし。

 壁のカレンダーが、やけにくっきり見える。

 赤丸。

 “JC”。

 呼吸が止まる。

 

 「ジャパンカップ!!」

 

 叫びは天井に吸われ、反響しない。

 

 その頃、窓が勢いよく開かれた。

 冷気が部屋を満たす。

 

 「世界よ。待たせたな!」

 

 パジャマ姿で、両腕を広げる影。

 

 「待たせてませんよ!!」

 

 六畳間の畳が、うっすら震える。

 抗議は届かない。

 洗面台の水音。

 歯ブラシを掲げる手。

 

 「文明は進歩している。」

 

 もこもこと異様な量の歯磨き粉で

 何故か溺れながら磨く。

 蛇口へ直接口を寄せる。

 ――ばしゃ。

 水が跳ねる音。

 

 「ちょっ、コップ!! コップ使って!!」

 

 六畳の中央に、ひらりと紙が落ちた。

 一枚のチラシ。

 

 『大北海道市! メロンフェア開催!』

 

 視線が凍る。

 昨夜の甘さが舌に蘇る。

 三切れ。


 四切れ目も、少し。

 天井から声が落ちてくる。

 

 『安心せよ。昼には戻る。』

 「昼ってレース本番前!?」

 

 畳を叩く。

 その振動と同時に、現実世界でノックが鳴った。

 

 「メロヴィクト、起きてるか?」

 

 ビクトリームがドアを開ける。

 

 「ちょっ、パジャマ!着替えて!」

 

 トレーナーが立っている。

 視線が合う。

 一瞬、空気が止まる。

 

 「……は、早いな?」

 

 静かな頷き。

 

 「王者は夜明けと共に起きる。」

 

 六畳のメロヴィクトが両手で顔を覆う。

 

 「やめてぇぇ……」

 

 トレーナーの眉間に皺。

 

 「……まだ寝ぼけてるか?おい、何故今の状況で体重計に乗る?」

 

 体重計の電子音。

 数値が表示される。

 

 「問題なし。」

 「そこは普通なんだ……ってかプライバシー!」

 

 六畳の天井が、かすかに揺らぐ。

 トレーナーの声が低くなる。

 

 「まぁ、本番は午後からだし、体調管理も万全みたいだから大丈夫だと思う。だが、今日は記者も多いし、国際的な大レースだ、無理だけはしてくれるなよ?」

 

 真正面から見返す視線。

 

 「無理はしない。世界を制圧するだけだ。」

 

 沈黙。

 

 「……まぁ、そう言うメンタル作りも、お前には合っているんだろうな。それじゃあ、10時頃に下のロビーで待つ。」

 

 ドアが閉まる。

 静寂。

 鏡の前に立つ少女。

 その腹部に、淡い光。

 六畳間の中央にも、同じ光。

 Vの形。

 叫び疲れたメロヴィクトは、何気なくそっとその頂点に座る。

 呼吸を整える。

 

 「……ここ、落ち着くなぁ」

 

 現実の身体が、ぴたりと動きを止める。

 鏡越しに、わずかに目が細まる。

 

 「ほう。」

 

 六畳一間の天井から偉そうな声。

 

 『恐怖はあるか?』

 「あります。ってか、早く身体返してください!」

 

 わずかな笑気。

 

 『良い。』

 

 腹のVがもう一度、淡く灯る。

 精神世界と現実が、同じ鼓動で脈打つ。

 

 「な、何で光って……」

 

 鏡の中の少女が、ゆっくりと口角を上げる。

 

 「任せよ。」

 

 その声は、外にも内にも同時に響いた。

 

 

 エレベーターの扉が開く。

 ホテルのロビーは、まだ朝の静けさを残している。


 大理石の床に、冬の光が斜めに差していた。

 

 そこへ――濃い気配。

 メロヴィクトの身体のまま、ビクトリームが堂々と歩み出る。

 両手には、明らかに高級な桐箱。

 金箔を押された文字。

 

 『最高級夕張メロン』

 

 と、誇らしげに書かれている。

 六畳一間で、メロヴィクトが絶叫する。

 

 「なんでそれ持ってきたんですか!!」

 

 ロビーのソファから立ち上がるトレーナー。

 目が細くなる。

 

 「……お前、それは何だ?」

 

 ビクトリームが恭しく掲げる。

 

 「供物だ。」

 「部屋に置いてこい。」

 

 即答。

 

 「断固拒否。」

 

 即答。

 ロビーの空気が一瞬止まる。

 トレーナーが額を押さえる。

 

 「これからジャパンカップを走るんだぞ?」

 

 そう、本日開催はジャパンカップ。

 日本URAが、世界に誇る最高峰の国際招待レースだ。

 だが、ビクトリームは真顔で譲らない。

 

 「だからこそだ。」

 「意味が分からん。」

 

 六畳一間。

 メロヴィクトが畳を転がる。

 

 「置いてきてくださいお願いです!!」

 

 ビクトリームは桐箱を胸に抱き寄せる。

 

 「勝利とは実り。
 実りとは種。
 種とは未来。
 未来とはメロン。」

 「相変わらず飛躍が酷い!!」

 

 トレーナーは深く息を吐く。

 

 「……仕方ない車に積むぞ。俺が持つ。」

 「触れるな!」

 「何故だ?」

 「王の糧だ。」

 

 沈黙。

 最終的に、ビクトリームが持ったまま車へ向かう。

 トレーナーがその姿に小声でボヤく。

 

 「秋天の後から様子がおかしい気はしていたが……」

 

 前走、天皇賞(秋) 制覇。

 あの直線から、何かが変わった。

 だが今日の“濃さ”は異常だと思った。

 

 

 東京レース場控え室

 

 勝負服がハンガーに掛けられている。

 《覇王式・白銀儀装》。

 純白の軍装ジャケット。
 

 腹部は大胆に開き、金のV字がうっすらと刺繍されている。


 超ショートの軍服風スカート。


 背面は逆三角に開き、背骨に沿う細い金線。

 威厳と露出が同居する設計。

 ビクトリームは静かに見上げる。

 

 「良い。」

 

 六畳一間でメロヴィクトが赤面する。

 

 「良くないです!! お腹見えてますから!!」

 「王の腹筋は隠すものではない。」

 「私は王じゃないです!普通の一般庶民です!」

 

 一瞬、静寂。

 ビクトリームがゆっくり目を閉じる。

 その瞬間。

 六畳一間のVが強く光る。

 メロヴィクトは勢いよく立ち上がる。

 

 「今です!! 身体返してください!!」

 

 身体がふわりと浮く。

 ――戻る。

 はずだった。

 何も変わらない。

 鏡の前には、堂々と立つビクトリーム。

 取り残されたメロヴィクト。

 

 「……あれ?」

 

 もう一度、集中する。

 Vの頂点に立つ。

 目を閉じる。

 深呼吸。

 現実の身体は微動だにしない。

 

 「うそ……」

 

 外では勝負服に袖を通している。

 ショート丈ジャケットが閉じられ、
腹部のV装飾が淡く光る。

 六畳一間のVと、同じ光。

 

 「戻らない……」

 

 ビクトリームが小さく呟く。

 

 「どうやら、遂に私の出番のようだな。」

 「困ります!!」

 

 桐箱が机の上に置かれる。

 控え室の時計が、静かに進む。

 ロビー集合からパドック入りまで、もう時間はない。

 ビクトリームは手袋をはめる。

 指なしの白。

 鏡を見る。

 白銀と金。

 完璧な王。

 

 「このまま行く。」

 

 六畳一間で、メロヴィクトが息を呑む。

 

 「ちょ、ちょっと待って……」

 

 鏡の中の口元が、わずかに上がる。

 

 「安心せよ。これより、王の戦いを魅せる!心して見るが良い!」

 

 腹部のVが、強く灯る。

 六畳のVも、同じ鼓動で脈打つ。

 

 「我が肉体よ、お前は見て感じれば良い。」

 

 鼓動が重なる。

 外の身体が歩き出す。

 内側の少女も、同時に歩き出す。

 別々の場所で。

 同じリズムで。

 

 控え室の扉が開く。


 白銀が光を裂く。

 その瞬間――

 六畳一間の天井が、まるで空のように開ける。

 

 『世界よ、刮目せよ。』

 

 鼓動が重なる。

 

 『我らが王の凱旋だ。』

 

 

 東京レース場。

 

 冬の陽光がターフを淡く照らし、スタンドはすでに揺れている。


 旗が翻り、各国の言葉が混ざり合う。


 ざわめきは波のように広がり、やがて一点へと収束する。

 白銀。

 パドックの入口から現れた瞬間、空気が変わった。

 地方の王、その身に纏うは……

 純白の軍装ジャケット。


 腹部に走る金のV。


 翻る後布。


 背面の鋭いカットライン。

 

 一歩。

 また一歩。

 視線が集まる。


 歓声が小さくなる。

 王は、見せつけるものではない。
 

 “在る”だけでよい。

 

 「……なんか、映像より濃いな。」

 

 ジャングルポケットが低く笑う。


 喉の奥で、獣のように。

 幻覚だと思っていた“何か”。


 今日は、はっきりしている。

 

 「前走ってみろよ?すぐぶち抜いてやっけどなぁ?」

 

 声が空気を震わせる。

 

 ブレイジング・コメットが肩を鳴らす。

 

 「Cute costume.
 

 (派手な衣装だな。)」

 

 鼻で笑う。

 

 「Japan always tries so hard.
 

 (日本ってのはいつも背伸びしたがるな。)」

 

 視線が斜めに流れる。

 

 「You’re still chasing us.
 

 (まだ俺たちを追う立場だろ?)」

 

 その言葉に、ジャングルポケットの目が細くなる。

 

 「……あ?」

 

 音が消える。

 135dbに達する前の、静かな怒気。

 

 「誰が後ろだって?」

 

 一歩、踏み出す。

 ブレイジングも動く。

 肩と肩が触れそうな距離。

 外側から、低い声。

 

 「Leave it.
 

 (やめろ。)」

 

 ルミナス・レガリア。


 蒼い瞳が白銀を見ている。

 

 「This country grows fast.
 

 (この国は急速に伸びている。)」

 

 だが、口元は冷たい。

 

 「But growth is not legacy.
 

 (だが成長は伝統ではない。)」

 

 侮りと、警戒。

 ベル・エトワールが肩をすくめる。

 

 「Un pays enthousiaste…
 

 (情熱的な国ね。)」

 「Mais l’enthousiasme ne suffit pas.
 

 (でも情熱だけでは足りないわ。)」

 

 視線がジャングルポケットへ。

 

 「Trop bruyante.


 (うるさすぎる。)」

 

 ジャングルポケットの口角が吊り上がる。

 

 「上等だ。」

 

 指を鳴らす。

 

 「今日のレースで全員黙らせてやる。」

 

 少し離れた場所で、アグネスデジタルが両手で頬を押さえている。

 

 「バチバチ……尊い……国際的緊張関係……最高……」

 

 一瞬ふらつく。

 だが目は真剣。

 

 「でも、メロヴィクトちゃん、煽りに乗ってない。」

 

 観察する。

 腹部のV。


 歩幅。


 重心。

 

 「主役は完全に自分だと思ってる動き……」

 

 マンハッタンカフェは静かに目を伏せる。

 白銀の背後。


 重なって見える影。

 

 「……二重。」

 

 誰にも聞こえない声。

 

 「今日は、境界が薄い。」

 

 そのとき。

 ファンファーレが空を裂いた。

 金管が高らかに鳴り響く。

 スタンドが総立ちになる。

 歓声が爆ぜる。

 六畳一間にも、その震動が届く。

 (……始まる。)

 メロヴィクトが息を呑む。

 

 

 ゲート前、スターターが台に上がる。

 静寂。

 ブレイジングが口角を上げる。

 ジャングルポケットが横目で睨む。

 

 「前は譲らねぇ。」

 「Try me.
 (やってみろよ。)」

 

 火花。

 ルミナスは目を閉じる。

 

 「Control.
 

 (制御だ。)」

 

 ベルは小さく笑う。

 

 「Ils vont se détruire.
 

 (潰し合うわね。)」

 

 白銀は、微動だにしない。

 腹部のVが淡く灯る。

 六畳のVも脈打つ。

 

 「見るが良い。我が肉体よ!」

 

 

 『さあ、各馬ゲートイン完了――』

 

 ガシャン。

 

 勢いよく開くゲート。

 先ずはブレイジングが飛びだす。

 ジャングルポケットも同時。

 ジャングルポケットの怒号が響く。

 

 「どけぇぇぇ!!」

 

 肩が当たる。

 芝が跳ねる。

 

 その外。

 ビクトリームが、静かに一歩目を置く。

 

 「マグル、荘厳回転3・6・O!」

 

 二歩目で並び。

 三歩目で前へ。

 

 「What!?」

 「は!?」

 

 加速が違う。

 伸びが違う。

 数完歩で半バ身。

 さらに一歩、一馬身。

 実況の声が裏返る。

 

 『メロヴィクトが――速い! 一気に先頭へ!?』

 

 スタンドがどよめく。

 「大逃げか!?」
 

 「いや、速すぎる!」

 

 ジャングルポケットが歯を食いしばる。

 

 「ふざけんな!!」

 

 外から押し上げる。

 ブレイジングも譲らない。

 

 「Don’t you dare!
 

 (好きにさせるか!)」

 

 内にアグネスデジタルが潜る。

 

 「これ完全に想定外です!!」

 

 マンハッタンカフェはわずかに目を細める。

 

 「……前が、遠い。」

 

 最初の直線。

 すでにビクトリームは抜けている。

 だが後ろは横一線。

 睨み合い。

 削り合い。

 芝が抉れる。

 

 第1コーナーが迫る。

 隊列は決まらない。

 

 日本は、最早レース後進国ではない。

 その証明が、いま始まった。

 

 

 『さあ、最初の第1コーナー!メロヴィクトが先頭をキープ!外からジャングルポケットとブレイジング・コメットが切り込む!内はルミナスが締めております!』

 

 ジャングルポケットは肩を突き出してブレイジングに接触し、

 体をぶつけ合うように前に押し出す。

 


 「どけぇ!俺のラインだ!」

 


 息が荒く、目は先頭のメロヴィクトを射抜いている。

 ブレイジングはジャングルポケットを受け流しながらも、舌打ちをひとつ。

 


 「I didn’t see this coming!

 (こんな展開聞いてないぜ!)」

 

 ベル・エトワールは外から滑るように寄せ、ジャングルポケットとブレイジングの間に体をねじ込む。


 小さく口角を上げ、

 視線は先頭のメロヴィクトへ。

 


 「Ils vont payer…

 (潰してやるわ…)」

 

 ルミナスは内に沿って低く身を構え、肩を落として進路を締める。


 呼吸は一定。

 静かに、しかし確実に前のメロヴィクトを追うラインを遮断する。

 アグネスデジタルは中団から、前方の動きを観察しながら全体のレースの流れを分析する。

 


 「……メロヴィクトさんのリズム、前走と違う……」

 


 唇をかむ。

 尊さに震えつつも、視線は揺れない。

 

 『1コーナーを通過し、集団はまだ不安定! そのまま向こう正面に入ります! 集団から離れて、メロヴィクトの一人旅が始まるのか?』

 

 ビクトリームは静かに首を振り、後ろを一瞥することもなく前を見据える。
 

 足が軽やかに地を蹴り、

 体幹がぶれず、空気を切る音だけが耳をかすめる。

 

 ビクトリームの走りを後ろから見たジャングルポケットは、更に前に出ようと体をねじり、声を荒げる。

 


 「抜くぞ、ぜってぇ抜く!」

 

 ブレイジングも肩を押し込み、外側からの圧で進路を切り開く。

 


 「Don’t you dare!

 (好きにさせるか!)」

 

 ベルは微動だにせずペースを保ち、先頭のメロヴィクトを睨む。

 


 「Hold… not yet.

 (抑えろ…まだ)」

 

 ルミナスは内を締め、微かに耳を傾ける。

 


 「I can’t afford to break here… control…

 (ここで崩れるわけにはいかない…制御…)」

 

 『向こう正面!メロヴィクトの一人旅はまだ続く!半バ身、1バ身…さらに開く!後続は削り合いながら前を追う!』

 

 六畳一間のメロヴィクトは息を呑む。

 


 「……何もかも違う……同じ身体なのに……」

 

 ジャングルポケットとブレイジングは互いに睨み合い、削り合う。


 ベルは外からじっと機を窺う。
 

 ルミナスは内の経済的コースで体を小さく折り、隙間を塞ぎながら前の動きに反応する。

 

 『向こう正面、ペースが固まってきました!メロヴィクトが完全に主導権を握り、後続は互いに削り合う状況です!』

 

 アグネスデジタルは少し前のめりに視線を上げる。

 


 「……あのメロヴィクトちゃん……この間見た映像と全く違う? て事は今初めて見せる推しの新しい一面!うっはぁぁぁっ!」

 

 アグネスデジタルの心理を反映してか、その走りに力が漲る。

 

 観客席では歓声でスタンドが揺れ、メインビジョンのカメラが隊列を映す。


 実況は興奮気味に、各馬の動きを追う。

 

 『メロヴィクトが先頭で抜けた!半バ身のリード!後続は混戦!ジャングルポケットとブレイジングが鎬を削る!』

 

 ジャングルポケットは肩越しにブレイジングの動きを確認しながら、体をぐっと沈ませ、一気に加速する。

 


 「いい加減どけ!……ここは俺のラインだ!」

 


 息が荒く、前傾姿勢のまま芝を蹴る。

 前髪が風に揺れ、牙をむくような表情を覗かせる。

 ブレイジングも負けじと肩を返し、外側から押し込む。

 


 「Don’t even try!

 (無駄だ、やめとけ!)」

 


 苛立ちが声に滲む。

 互いの肩がぶつかるたびに、周囲の観衆が息を呑む。

 ベルは外から滑るように前に出て、ジャングルとブレイジングの前方に

 体をねじ込む。


 小さく口角を上げ、視線は先頭のビクトリーム。

 


 「Ils vont payer…

 (潰してやるわ…)」

 

 ルミナスは内ラチギリギリを進みながら

 冷静に進路をコントロールする。


 身体を低く、風を切るように進み、

 先頭を伺う。

 


 「Maintain control… panic now and it all unravels…

 (制御を保て…今焦ればすべてがほどけてしまう…)」

 

 アグネスデジタルは中団で前方先頭集団の観察を続ける。

 


 「……ただ走ってるだけ、でもこの状況は間違いなく狙って作ったモノ。」

 


 興奮と尊さで呼吸が速くなる。

 だが目は揺れない。

 

 『向こう正面半ば!メロヴィクトは先頭キープ!ジャングルポケットが外から一気に被せ、ブレイジングも並びかける!』

 

 ジャングルポケットの声が空気を揺らす。

 


 「前を抑える気か!?ふざけんな!!」

 


 肩を返し、脚を強く蹴り出す。

 半馬身差を詰める。

 ブレイジングも食い下がる。

 


 「Still chasing us!

 (まだ食らいついてくるのか!)」

 


 外から迫る風圧に、芝が跳ねる。

 ベルは少し距離をとりながら、絶妙な角度で体を左右に振り、ジャングルポケットとブレイジング
2人の進路を塞ぐ。

 そして優位を保つ。

 


 「No need to force it… not yet.

 (無理に仕掛ける必要はない…まだ。)」

 

 ルミナスは内側で体を折り、

 進路を閉じつつ前の動きに反応する。


 脚をしなやかに回し、外からの圧力にも微動だにしない。

 


 「No rush… I’ll move when it’s my moment.

 (焦るな…動くのは自分の瞬間だ。)」

 

 『各ウマ娘が削り合う!ペースはメロヴィクトが主導、しかし後続の攻防も激しい!ここで一度、順位を見ていきましょう! 

 

 先ずは先頭メロヴィクト軽快に飛ばしております。

 スナップミギワ、サワヤカタチアオイと続きまして4番目はベル・エトワール、その後ろにジャングルポケット、ブレイジング・コメット、ルミナス・レガリア、ここ迄で先頭集団を形成。

 

 少し離れてアグネスデジタルを先頭に中団を形成。

 先頭から大きく離れて日本のマンハッタンカフェが続きます。

 

 先頭に戻ります。

 メロヴィクトがそのままリードを維持!

 後続は三つ巴の攻防!

 内からベルが巧みに進路を封じ、ジャングルポケットとブレイジングが横並びで進む!』

 


 「ぜってぇ抜く!ぜってぇだ!」

 

 ジャングルポケットは前を行くメロヴィクトを睨む。

 前傾姿勢で一歩ごとに全身の力を芝に伝える。

 その横では、ブレイジングが軽く舌打ちをし、その走りが荒くなる。

 最早その走りは、ジャングルポケットとの接触も厭わない乱暴なものになって来ていた。

 ベルはそんな2人の前でほくそ笑む。

 


 「It’s not my time… not yet.

 (まだ私の時間ではない…まだ。)」

 


 体を滑らせつつ、前を交わしメロヴィクトの前に出る為の最適な角度を探る。

 ルミナスは内で静かに呼吸を整え、足音以外の雑音をシャットアウトする。

 

 『メロヴィクトの逃げは異質!半バ身、さらに1バ身と開く!ジャングルポケットとブレイジングの攻防も激しい!向こう正面後半、このまま行くのか?』

 

 この展開に六畳一間のメロヴィクトは息を呑む。

 


 「……王の走り……ただ走ってるだけで、レースを制圧してる……」

 

 ビクトリームは振り返らず、体幹をぶれさせずに空気を切り裂く。
 

 腹部のVが淡く光り、視線は前だけ。


 後ろで繰り広げられる争いを完全に封じるその走りは、逃げの枠を越えた“王者の領域”だった。

 

 『第3コーナー出口!コーナーを過ぎてもメロヴィクトはまだ先頭!後続は依然として三つ巴の攻防!』

 


 「このまま逃がすかよ!」

 


 ジャングルポケットは、前傾の姿勢で芝を蹴りブレイジングの前に出て、更に前を走るベルに並びかける。

 ブレイジングは、コーナーでの僅かな減速の差で前に出たジャングルポケットを追う。

 


 「You think you can just run?

 (走るだけで勝てると思ってるのか?)」

 


 歯を食いしばり加速し、再びジャングルポケットと競り合いながら前を追う。

 2人に追われるベルは前で微笑む。

 


 「Pas encore…

 (まだよ…)」

 

 先頭のメロヴィクトをチラリ。

 ルミナス・レガリアは内側で進路を完璧に締め、わずかな隙も与えない。
 

 冷静に呼吸を整えつつ、後続の動きを監視する。

 アグネスデジタルは、そんなルミナスの少し後方で足を溜める。

 


 「……すごい……ただの逃げじゃない……圧倒的……」

 

 マンハッタンカフェは、内ラチ沿いを走り足を溜めながら後方で静かに姿勢を低く保つ。


 風切り音だけが聞こえる。


 目線は遥か先、先頭のビクトリームへ。

 

 『メロヴィクトのリードは依然2バ身以上!しかし後方はジャングルポケット、ブレイジング、ベル、ルミナスが入り乱れる!』

 

 ジャングルポケットが咆哮する。

 


 「ふっざけんな!1人だけ余裕ある走りしやがって!」

 


 ブレイジングとベルに同時に切り込む。

 外から前に押し上げ、芝を蹴り上げて威圧する。

 ベルは、ジャングルポケットがブレイジングを交わす間に、隙を見つけて加速。

 並んで来たジャングルポケットと、並走する形で加速して行く。

 先団後方にいるルミナスも慎重に加速して行く。

 


 「If I rush now, everything will collapse…

 (ここで焦れば全てが終わる…)」

 


 冷静に、しかし確実に前の動きを捉える。

 

 『最早メロヴィクトが異質!完全に主導権を握る!後続の攻防は激しいが、差は開く一方!』

 

 「マグル!」

 

 ビクトリームは振り返らず、腹部のVが淡く光る。
 

 脚音だけが鳴り、空気を切り裂く。


 後ろのジャングルポケットもブレイジングもベルも、力を出し尽くして喰らい付くしかない。

 

 『さあ、直線を抜けて第4コーナー突入!メロヴィクトは依然リード!後続は三つ巴の睨み合い!ここからレースが動いて行きます!』

 

 観衆の歓声がスタンドを揺らし、実況席も声を裏返す。


 ビクトリームはまるで存在そのものが壁となり、後続を押しやる。


 その逃げの異質さが、この瞬間さらに際立った。

 

 『各ウマ娘一斉に仕掛ける!メロヴィクトはまだ先頭!』

 

 ジャングルポケットは足に力を入れぐっと前に出し、芝を蹴る。

 


 「ここで譲るわけにはいかねぇ!」

 


 ベルが外から被せるも、踏ん張る。

 肩と肩がぶつかるたび、歓声が爆ぜる。

 アグネスデジタルは、わずかに後方から鋭く加速して間を詰める。

 


 「……ここが勝負……!」

 


 静かに息を整えながらも、踏み込む脚に力が宿る。

 マンハッタンカフェは、内ラチ沿いで体勢を低く保ち、徐々に順位を上げながら前を見据える。

 


 「……ここで行かないと、届かなくなる」

 

 『日本勢、海外勢共に、猛烈な意地のぶつかり合い!ジャングルポケット、ブレイジング、ベルが入り乱れる!』

 

 ルミナス・レガリアは内側で冷静にラインを押さえ、顎の上がったブレイジングを追い抜いて行く。

 

 『メロヴィクト、依然として先頭をキープ!全くペースが落ちる気配がありません!』

 

 六畳一間のメロヴィクトは目を大きく見開く。

 


 「……あれ……逃げじゃない?……何時もと同じ走り方……ただ、力が違うだけ……」

 


 脚の回転、

 腕の振り、

 姿勢のブレのなさ。


 すべてが完璧で、圧倒的。

 ジャングルポケットが声を張る。

 


 「てめぇ、待ちやがれ……っ!」

 


 前のビクトリームに食らい付こうとするも、2バ身差がびくともしない。

 並走するベルの速度が上がる。

 動きは速い、しかし差は縮まらない。

 ベル・エトワールは外から加速し、前に出ようとする。

 


 「Pas possible…

 (無理…)」

 


 眉をひそめ、視線を外すこともできない。

 

 『さあ、最後の直線に入ります!メロヴィクトは先頭!2番手に上がったジャングルポケット、必死に食らい付いていく!』

 

 ジャングルポケットが歯を食いしばる。

 


 「ふざけんなぁあーっ!」

 

 《天上天下唯我爆走》

 その瞬間、ジャングルポケットの加速力が上がる。

 競り合っていたベルを置き去りにしてグングンと加速し、ビクトリームとの差を1バ身差まで詰め寄る。

 そして、今まさにその背に手が届くと思った瞬間、空気が震えた。

 

 《シン・チャーグル・イスミドン》

 

 「ブルァァアアアッ!」

 

 ビクトリームの叫びが響き渡る。

 暴力的な加速。

 ビクトリームは全てを置き去りにする。

 ジャングルポケットの目の前で、その届くと思った背は遠ざかって行った。
 

 

 「うそ、だろ……」

 

 ジャングルポケットは、その背を見送る事しか出来なかった。

 

 『メロヴィクト、そのまま独走態勢!後続が追いつけない!このペース、この加速…まさに異次元!』

 

 六畳一間のメロヴィクトは拳を握りしめ、唇を震わせる。

 


 「……圧倒的……これが私の……」

 

 ジャングルポケットが絶叫する。

 


 「くそっ……くそがぁッ!!」

 

 ブレイジングも唸る。

 


 「This is insane…

 (信じられない…)」

 

 ベル・エトワールは肩を落とす。

 


 「Impossible…

 (無理…)」

 

 ルミナスは冷静を装うも、内心で息を呑む。

 


 「…This is… utterly different…

 (……これは……まるで異質だ……)」

 

 『メロヴィクトは完全に逃げ切り態勢!他のウマ娘達の必死の抵抗も届かず!観客もスタンドも、ただ驚愕するばかりです!』

 

 スタンドの歓声が、ひときわ大きく響く。

 ビクトリームの脚は止まらない。


 腹部のVが光を放ち、光のラインが芝を切る。


 その姿は、逃げではなく、王の進軍そのものだった。

 

 

 『メロヴィクト、今ゴールイン!圧倒的な独走!2番手に5バ身の差をつけての圧勝です!』

 

 スタンドは総立ち。

 歓声、

 怒号、

 拍手、

 どよめきが渦を巻き、歓喜となってスタンドからターフへ降り注ぐ。

 ジャングルポケットは肩で息をしながら、悔しさに震える。

 


 「……くそっ……参った……」

 

 ブレイジングも肩を落とし、口を押さえる。

 


 「Still… out of reach…

 (まだ…届かない…)」

 

 ベル・エトワールは微かに首を振る。

 


 「Impossible…」

 

 ルミナス・レガリアは冷静に胸を押さえつつ、目だけはビクトリームに釘付けだった。

 アグネスデジタルは手を頬に当て、わずかにふらつく。

 


 「……尊死……世界を……支配してる……」

 

 六畳一間のメロヴィクトは、ようやく息を整える。


 掌に力を入れ、拳を握る。

 


 「……圧倒的すぎる……ただ走ってるだけで、全てを支配する力……」

 

 ビクトリームは、ゴールを通過しても淡々と歩幅を保ち、胸のVが誇らしげに光る。


 王の威厳は言葉もなく、ただ存在するだけで世界を震わせた。

 

 

 控え室へと続く地下道。


 独りジャングルポケットは背中を壁に押し付け、呼吸を整える。

 額には汗と泥が混じる。

 拳を握りしめ、じっと前を見る。

 

 「……くそ、メロヴィクト……!」

 


 舌打ち。

 荒い呼吸。

 悔しさが胸の奥で燃え広がる。

 だが同時に、瞳は静かに光る。

 


 「次は絶対、ぶち抜いてやる……!」

 

 ジャングルポケットの瞳に決意が灯る。

 その瞳には一瞬だが、蒼き焔が燃えていた。

 

 

 マンハッタンカフェは静かに鏡の前に立つ。

 指先で背筋を撫で、肩の力を抜く。

 


 「何かを成す前に終わってた。でも自分のリズムだけは見失わない。次はもっと……」

 


 低く呟く声は誰にも届かないが、その目はすでに次のレースを見据えている。

 冷静さを取り戻し、再起の計画を組み立てる。

 

 地下道でジャングルポケットが立ち上がる。

 拳を壁に叩きつけ、床を踏み鳴らす。

 


 「……メロヴィクト、絶対に超えてやる!」

 


 悔しさが闘志に変わる瞬間。

 汗まみれの顔が、怒りと決意に歪む。

 アグネスは小さく息をつきながら、控え室の窓の外に目をやる。

 


 「……こうして萌える感覚、悪くない……」

 


 自分を鼓舞し、再び全力を注ぐ覚悟を固める。

 

 
 ――ビクトリームの走りを目に焼き付けた悔しさが、戦士達の魂を駆り立てる。

 

 

 コンクリート打ちっぱなしの控え室。

 扉が閉まる音が、やけに硬く響いた。

 勝負服のまま、ビクトリームは仁王立ちする。
 

 胸が上下している。
 

 まだ、走りの熱が残っている。

 机の上には――
桐箱。

 金箔の文字。

 


 『最高級夕張メロン』

 

 ビクトリームはゆっくりと恭しくそれを掲げた。

 

 「見たか!」

 

 天井に向かって宣言する。

 

 「これぞ王の爆走!五バ身!世界を置き去りだ!」

 

 六畳一間。

 畳の中央。


 金色のVの前で、メロヴィクトは座り込んでいる。

 返事がない。

 さっきまで震えていたはずの空間は、
 妙に静かだ。

 

 「……おい?」

 

 ビクトリームが眉をひそめる。

 

 「どうした。我が力に腰でも抜かしたか?」

 

 メロヴィクトは、ぽつりと呟く。

 

 「……すごかった……」

 

 それだけ。

 顔を上げない。


 目も合わせない。

 ビクトリームは鼻で笑う。

 

 「当然だ。あれが王の走りだ。」

 

 反応はない。

 六畳一間の少女は、
ただ、自分の膝を見ている。

 

 「……私、あんな景色、見たことない……」

 

 小さな声。

 スタンドの揺れ。


 歓声。


 風を裂く感覚。


 何もかもが、自分のものではなかった。

 圧倒的な力。


 それだけが残っている。

 ビクトリームは一瞬だけ言葉を失うが、
すぐに咳払いをして話題を変える。

 

 「ふん。まあよい。」

 

 桐箱を机に置く。
 

 蓋を開ける。

 甘い香りが広がる。

 薄緑色の球体。


 白い網目が美しい。


 完璧な実り。

 

 「勝利の味を知るがよい。」

 

 用意しておいたナイフを手に取る。

 六畳一間では、
メロヴィクトがまだ動かない。

 だが、ビクトリームは構わない。

 

 「まずは王が――」

 

 その瞬間。

 視界が揺れる。

 指先から、感覚が抜ける。

 

 「……?」

 

 足元がふらつく。

 六畳一間のVが、ふっと光を失う。

 メロヴィクトが、はっと顔を上げる。

 

 「……あれ?」

 

 重力が戻る。

 鏡の前。

 立っているのは――自分。

 ナイフを持ったまま、呆然と。

 

 「……戻った?」

 

 勝負服の重み。


 汗の匂い。


 鼓動。

 全部、自分だ。

 床に、影が落ちる。

 頭に声が響く。

 

 「な――」

 

 ビクトリームの絶叫が、内側から弾ける。

 

 「待て!まだだ!切っていない!王の祝宴が!」

 

 メロヴィクトは、何も言わない。

 ナイフを静かに置く。


 蓋を閉める。

 桐箱はそのまま。

 ハンガーから上着を外し、
ゆっくりと私服に着替える。

 無言。

 ビクトリームが騒ぐ。

 

 「おい! 聞いているのか!? 勝ったのだぞ!? 世界だぞ!? メロンだぞ!?最高級なんだぞ?」

 

 返事はない。

 バッグを肩に掛ける。

 ドアノブに手をかける。

 一瞬だけ、
桐箱を見る。

 でも、何も言わない。

 カチャリ。

 扉が開く。

 

 「おい!!」

 

 ビクトリームが叫ぶ。

 

 「それを置いていくな!!」

 

 扉が閉まる。

 コンクリートの部屋に、
桐箱だけが残る。

 頭の中で、王が絶叫する。

 

 「私のベリーメロン!!
 王の! 王の夕張がぁぁぁ!!!」

 

 

 後には誰もいない。

 ただ、桐箱だけが佇んでいた。

 






 出来るだけわかり易く展開を書いたつもりですが、判り難かったらごめんなさい。
 今の私ではこれが精一杯でした。

 
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