ウマ娘伝説:蒼焔の挑戦者   作:ネギ市場

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第15話「世界を見る」

 

 中山の空は、低かった。

 冬の雲が流れ、ターフの緑はどこか硬い。


 スタンドは揺れている。

 吐く息が白く、歓声が白煙のように立ち上る。

 最後の直線。

 実況の声が張り裂ける。

 

 『メロヴィクト先頭! 秋三冠へ一直線だ!』

 

 風が耳を裂く。

 だが今日は、あの重なる気配はない。

 六畳一間は、静かだ。

 ただ、自分の鼓動だけがある。

 (私の脚で――)

 芝を蹴る。

 一歩。

 また一歩。

 後ろの気配は、遠い。

 

 『差が広がる! 三バ身! 四バ身!』

 

 視界が開ける。

 ゴール板が近づく。

 観客の顔は見えない。


 ただ、色と音の塊。

 (届いた――)

 ゴール。

 歓声が爆発する。

 

 『メロヴィクト! 有馬記念制覇! 秋シニア三冠達成ーーー!!』

 

 止まれない。

 数完歩、走り続ける。

 ようやく脚を緩め、振り返る。

 ターフの向こう。

 誰もいない。

 五バ身。

 胸が上下する。

 嬉しいはずなのに、妙に静かだった。

 六畳一間。

 ビクトリームが腕を組んで立っている。

 

 「……当然だ。」

 

 その声も、今日はやけに遠い。

 メロヴィクトは小さく息を吐いた。

 

 「……終わった。」

 

 何が?

 秋が。

 戦いが。

 追いかけられる日々が。

 きっと――全部。

 

 

 年の瀬のURA主催のパーティー会場

 表彰式

 煌びやかな照明。

 赤い絨毯。

 URA本部の大ホール。

 壇上に立つと、拍手が波のように押し寄せる。

 

 「今年度の代表ウマ娘は――メロヴィクトさんです!」

 

 再び歓声。

 トロフィーと目録を受け取る。

 重い。

 思っていたより、ずっと。

 フラッシュが瞬く。

 司会が笑顔で言う。

 

 「歴史的な一年でした。URA史上初の地方所属のままでの秋三冠、有馬記念制覇。まさに圧巻でしたね?」

 

 マイクが向けられる。

 視線が刺さる。

 メロヴィクトは、きちんと笑った。

 

 「……光栄です。支えてくださった皆さんのおかげです。」

 

 模範的な答え。

 拍手。

 だが光が消えた瞬間、肩がわずかに落ちた。

 壇上を降りる。

 トロフィーを抱えたまま、通路を歩く。

 静かな廊下。

 さっきまでの熱が嘘のよう。

 六畳一間。

 ビクトリームが満足そうに頷く。

 

 「王は讃えられて然るべきだ。」

 

 ちゃぶ台の上には、差し入れのメロン。

 もう何個目か分からない。

 

 「実りは続くな。」

 

 メロヴィクトは、返さない。

 廊下の窓から、冬の夕暮れが見える。

 赤い空。

 胸の奥に、ぽっかりと空間がある。

 秋を駆け抜けたはずなのに。

 頂点に立ったはずなのに。

 

 「……で。」

 

 ぽつり。

 

 「次は、何を走ればいいんだろう。」

 

 六畳一間の王は、少しだけ首を傾げる。

 まだ答えを持たないまま。

 冬の光が、静かに落ちていった。

 

 

 年末。

 スタジオの照明が、やけに白い。

 

 「本日のゲストはなんと!今年の年度代表ウマ娘、メロヴィクトさんです!」

 

 拍手。

 軽快な音楽。

 司会者が身を乗り出す。

 

 「秋三冠、圧巻でしたよね! 今のお気持ちは?」

 「……光栄です。」

 

 にこやかに答える。

 モニターにはレース映像。


 ゴールの瞬間。


 スローモーション。


 歓声。

 テロップが踊る。

 

 【国内最強】


 【絶対王者】


 【次は世界へ】

 

 言葉が軽い。

 収録が終わる。


 マイクを外される。

 


 「ありがとうございましたー!」

 

 次は雑誌の撮影。

 スタジオの白背景。

 

 「顎、少し上でお願いします!」


 「いいですねー、王者の表情!」

 

 フラッシュ。


 またフラッシュ。

 スポーツ紙の見出し。

 

 『無敵の女王』


 『世界挑戦は既定路線か』

 

 インタビュー。

 

 「次は海外を視野に?」

 

 張り付いた笑顔。

 

 「まだ、これから考えます。」

 

 同じ質問。


 同じ笑顔。


 同じ答え。

 特番ナレーション録り。

 

 「――秋、彼女は覚醒した。」

 

 自分の声で、自分の物語を読む。

 どこか、他人の話のようだった。

 密着カメラが寮までついてくる。

 

 「普段はどんなことを?」

 「えっと……」

 

 レンズが近い。


 距離も遠慮もない。

 笑う。


 うなずく。


 握手。


 サイン。

 王は、常に見られている。

 

 夜。

 ようやく部屋に戻る。

 扉を閉める。

 静寂。

 バッグを置く。

 制服のまま、ベッドへ倒れ込む。

 天井が白い。

 耳鳴りのように、
昼間の言葉が反芻される。

 

 「最強」


 「王者」
 

 「世界」

 

 六畳一間。

 ビクトリームが悠然と座っている。

 

 「名声も実りだ。」

 

 手には、またメロン。

 

 「王の証よ。」

 

 しゃく、と音を立てて頬張る。

 甘い香りが広がる。

 

 「……うるさいです。」

 

 メロヴィクトは目を閉じる。

 

 「喜ばしいことだぞ? 称えられ、求められ――」

 「……疲れました。」

 

 ぽつり。

 ビクトリームが止まる。

 

 「何を言う。これは栄光だ。」

 「同じこと、何回も聞かれるんです。」

 

 天井を見つめたまま、続ける。

 

 「強いですね、すごいですね、次は世界ですねって。」

 

 六畳一間に、静かな波紋。

 

 「……私、そんなに凄いですか?」

 

 王は、言葉を探す。

 

 「当然――」

 

 言い切れない。

 メロヴィクトは目を閉じたまま。

 

 「みんなが思ってる“私”と、今ここにいる私、違う気がして。」

 

 昼間の笑顔が、遠い。

 拍手も、遠い。

 トロフィーも、遠い。

 昔はもっと近くて遠かった。

 

 「置いていかれそうで、怖いんです。」

 

 何に?

 分からない。

 ただ、胸がざわつく。

 六畳一間で、ビクトリームはメロンを持ったまま黙る。

 初めて、噛み砕く音がしない。

 外では、年越しの花火が小さく上がる。

 新しい年が来る。

 王者としての一年が、始まる。

 だがベッドの上の少女は、まだどこへ向かえばいいのか分からなかった。

 

 

 フラッシュの光が、まぶたの裏に突き刺さる。

 URA主催の年始特番。

 今年の顔となるウマ娘達に、色々と聞いてURAの知名度を上げる為の番組。

 最初は出る気は無かった。

 今もそれは変わらない。

 でも、大人の事情というヤツだ。

 


 「来年の目標は?」

 


 その質問はシンプルで、しかし重く、メロヴィクトの胸に沈む。

 沈黙。

 秋の三冠。
 

 年度代表。


 国内はすでに制圧済み。

 ――思い付く“次”が、出ない。

 六畳一間の空気を思い出す。


 ビクトリームだったら迷いなく口にする言葉。

 


 「世界だ。」

 

 根拠も、知識もない。
 

 ただ、響きが良いから。

 メロヴィクトは迷う。

 迷った末に出たのは……

 


 「……まだ、決めていません。」

 

 その声は、自分でも驚くほど静かで弱い。


 しかし、心の奥底では何かが揺れる。


 “決められない”自分。
 

 それに、ようやく気づいた瞬間だった。

 

 

 新年。


 まだ薄暗いグラウンド。


 冷たい空気が肌を刺す。


 誰もいない、静寂だけが支配する世界。

 一番乗り。


 走る。


 走る。
 

 ただ走る。

 タイムを削り、限界を押し広げる。


 足の裏の感覚。


 心臓の高鳴り。


 すべてが、リアル。

 

 「……十分だ。」

 


 誰も居なかった筈のグラウンドに、トレーナーの声が届く。

 

 「足りません。」

 


 思わず答える。

 


 「何が足りん?」

 


 自分でも分からない。

 止まったら終わる気がする。


 誰かに追いつかれる気がする。


 世界に置いていかれる気がする。

 まだ、世界を見てもいないのに。

 

 先輩ウマ娘の声が、笑みを伴って届く。

 


 「今は休むのも仕事だよ。」

 

 でも今のメロヴィクトには刺さらない。


 止まることが怖い――その言葉の意味を、初めて自覚する。

 

 「止まるのが怖いんです。」

 


 口に出した瞬間、自分でも驚いた。

 

 

 夜。


 六畳一間。


 月明かりに照らされた床。

 

 「世界って、どこですか?」

 


 思わず、問いかけてしまった。

 ビクトリームは黙った。


 知らない。


 海外も、凱旋門賞も、その芝の違いも。

 ただ言った。

 


 「強い者がいる場所だ。」

 

 雰囲気だけで、確かなように。

 


 「王はそこに立つ。」

 

 その言葉に、メロヴィクトは本気で頷く。


 心の奥で、静かな火が灯る。


 遠くにあったものが、自分の手元に引き寄せられる感覚。

 今はまだ小さな火だったが、それは確実にメロヴィクトの心を照らした。

 

 

 

 地方トレセン学園の静かな部屋。


 二人だけ。


 お茶を飲む音が柔らかく反響する。

 トレーナーは問いかける。

 


 「世界を見たいか?」

 

 止めない。


 押さない。


 ただ、背中を見守る。

 

 「なら、行こう。」

 


 少し間を置く。

 


 「でもな……世界は逃げ場じゃない。」

 

 メロヴィクトの瞳が揺れる。


 焦りから逃げるために、“世界”を選ぼうとしていた自分に気づく。


 背中が、静かに押される。


 今度は逃げるためではない。

 ここから進む為に……。

 

 

 テレビの画面。


 凱旋門賞の映像。
 

 異国の芝。


 重く響く歓声。


 光が煌めく。

 メロヴィクトは、ただ見つめる。


 今度は焦りではない。

 

 「……見に行く。」

 

 

 六畳一間。
 

 ビクトリームが、静かに微笑む。

 

 「そうだ。それでよい。」

 

 静寂の中、窓の向こうには新しい光。


 王は、自分の足で歩き出す。

 

 

 数日後。

 地方トレセン学園応接室。

 そこには、呼び出しを受けたメロヴィクトと、付き添いのトレーナーの姿があった。

 古い応接室のソファに、トレーナーと並んで座るメロヴィクトの対面には、高そうなスーツに身を包んだ男が座っていた。

 URA海外事業部部長。

 それが男の肩書きだった。

 

 「……と、言った形で、我々URAはメロヴィクトさんに、凱旋門賞への海外遠征を正式に打診致します。」

 

 書類が差し出される。

 

 「これは日本URA創設からの願いであり、ある方の強い意向もありました。」

 「……どなたの?」

 「シンボリルドルフさんです。」

 

 心臓が跳ねる。

 あの日――

 未勝利で連敗していた自分。

 お金も未来も無かった自分。

 そんな、どん底から得た光。


 そこからの連勝。

 そして、あの“発光”。

 レース中、チャーグルの効果で現れた緑色に淡い発光。

 三流週刊誌は騒いだ。

 

 《謎の発光現象は不正では?》
 

 《急成長の裏に薬物疑惑?》


 《地方所属の奇跡は作られたものか》

 

 スタジオで。


 記者会見で。


 ネットの海で。

 “偶然”どころではない。

 “ズル”だと、言われた。

 何もしていない。


 ただ走っただけだ。

 それでも疑いは消えない。

 あのとき、視察に来た後にルドルフが会見を開いた。

 フラッシュが飛び交う会見場で、
前に出た背中があった。

 

 「努力を偶然と呼ぶのは無礼だ。」

 

 ざわめきが止まる。

 

 「証拠もなく才能を貶めるのは、競技への侮辱だ。あの光は、彼女の努力の光だ、その努力に対し私は敬意を示す。」

 

 静かで、揺るがない声。

 シンボリルドルフ。

 中央の象徴。

 皇帝。

 その一言で、空気が変わった。

 疑惑は完全には消えなかったが、

 だが、あの瞬間自分は“守られた”。

 

 

 数日後。

 中央へ向かう列車の窓に、冬景色が流れている。

 膝の上には、URAの封筒。

 凱旋門賞。

 あの人が、推薦した。

 六畳一間。

 ビクトリームが腕を組む。

 

 「借りを返すつもりか?」

 「違います。」

 

 即答できない自分がいる。

 恩返しではない。

 だが、あの背中がなければ――
今ここにはいない。

 列車が減速する。

 中央トレセン学園前駅。

 扉が開く。

 冷たい空気。

 胸の奥が、静かに震える。

 

 

 中央トレセン学園。

 長い廊下。

 応接室の前で立ち止まる。

 ノック。

 

 「どうぞ。」

 

 扉を開ける。

 そこにいるのは――
皇帝シンボリルドルフ。

 あの日、疑惑の矢面に立ってくれた背中が、今は正面からこちらを見ている。

 

 「やあ、先ずは来てくれてありがとう。」

 

 穏やかな声。

 だが、その奥にあるのはただの推薦ではない。

 “信じた責任”。

 メロヴィクトは、深く一礼する。

 あの日、守られた少女は今、世界への扉の前に立っている。

 

 「凱旋門賞への推薦とURAへの働き掛けは、私の意向だ。」

 「どうして私に?」

 

 静かな返答。

 

 「私は、世界を見られなかった。」

 

 ダービー後、幻となった凱旋門賞計画。


 英キングジョージ。


 アーリントンミリオン。

 当時は海外遠征は未知の世界だった。

 様々な思惑が絡み、計画は計画のまま終わった。

 

 だが、それでもルドルフは翌年渡米。

 サンタアニタ。

 サンルイレイステークス。

 

 だが脚が持たなかった。

 

 「右脚を故障した。 まぁ、今は大分良くなってな、ドリームリーグに出走していたりするが、当時は致命的だったんだ。」

 

 六着。

 引退。

 淡々とした事実。

 

 「怖くなかったんですか?」

 「怖かったさ。」

 

 即答。

 

 「それでも行きたかった。成し遂げたかった、日本の悲願でもあったからね。」

 

 国内無敵。


 常人未到の七冠。

 それでも――未完。

 

 

 「だから君に託したい。」

 「あなたの代わりに?」

 「違う。」

 

 静かに否定。

 

 「君自身のために行け。」

 

 胸が熱くなる。

 

 「……もし結果を残せなかったら。」

 「帰ってくればいい。」

 

 優しい声。

 

 「世界は一度きりではない。」

 

 立ち上がる。

 

 「ひとつだけ覚えておいてほしい。」

 

 視線がまっすぐ向く。

 

 「凱旋門賞は夢の舞台ではない。現実だ。」

 

 そして――

 

 「だからこそ――」

 

 止まる。

 

 「その言葉は、現地で伝えよう。」

 

 未完の言葉。

 約束。

 

 「無事に辿り着け。」

 

 

 帰り道。

 六畳一間。

 ビクトリームが言う。

 

 「折れた王がいるなら、折れぬ王になればよい。」

 「簡単に言わないでください。」

 「王とは立ち続ける者だ。」

 

 窓の外、冬空。

 怖さは消えていない。

 だが形が変わった。

 逃げではない。

 焦りでもない。

 

 「……見に行く。」

 

 凱旋門賞。

 まだ遠い芝。

 未完成の王は、自分の意思で世界へ向かう。

 

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