ウマ娘伝説:蒼焔の挑戦者   作:ネギ市場

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第17話「V無し」

 

 

 パリ近郊、ブローニュの森の奥。

 セーヌ河畔に広がる広大な芝の海を前に、メロヴィクトはしばらく言葉を失っていた。

 ここが、凱旋門賞の舞台――パリロンシャンレース場。

 遠くに風車が見える。

 スタンドは緩やかな曲線を描き、空港の滑走路のように広い敷地がどこまでも続いている。

 メロヴィクトはその広大さに圧倒されながら、ふと足を止めた。

 目の前に広がる芝生の海、そしてその先に待ち構えるグランプリ――凱旋門賞。

 その意味を改めて噛み締めていた。

 彼女の前にはただの競技場ではない。

 ここは、世界中のトップ馬が集う戦場。

 ここで戦わなければ、世界の頂点には立てない。

 彼女の足元には、勝利への道が広がっているのだ。

 

 「フォワ賞は凱旋門賞と同じ2400だ」

 

 トレーナーが並んで立つ。

 

 「大コース。右回り。スタートしてすぐ上り坂だ。約1000メートルのバックストレッチを越えて、下りのコーナー。フォルスストレートでは動くな。勝負は533メートルの直線勝負だ」

 

 淡々とした説明だった。

 だが、その一つ一つが重く響く。

 ここを勝てれば、本番でも戦える。

 メロヴィクトは芝を見下ろした。

 アスコットとは違う。

 ここは、庭ではない。

 静かな六畳一間の部屋が頭をよぎる。

 最近、ビクトリームの声が弱くなっていた。

 

 「実りが……足りぬ……」

 

 ホテルに戻ると、ビクトリームは益々弱ってきていた。


 メロヴィクトはパリの街を歩き回った。   

 青果店、マルシェ、スーパー。

 並ぶのはウリのような瓜類や、水気の多い果実ばかり。

 

 「違う……これじゃない」

 

 焦るメロヴィクトは夜、スマートフォンを握りしめる。

 

 「お願い、日本から送ってほしいの。ちゃんとしたメロンを」

 「メロヴィクトちゃん、そんなにメロン好きだったの?あ、それともホームシックかな?そう言えばさ……」

 「……はい、それじゃあお願いしますね?」

 

 先輩ウマ娘との通話を終えてすぐ、

 頭の中に聞こえるか細い声。

 

 「ウリではないぞ……メロンと、ちゃんと伝えよ……」

 「言ったよ?ちゃんと夕張メロンって」

 

 翌日、到着はフォア賞に間に合わないと返事が来た。

 

 

 フォワ賞、ロンシャン競馬場。

 空気が張り詰める。

 ロンシャン競馬場、今日の戦いの舞台が整った。

 メロヴィクトはその場に立ち、冷静に周囲を見渡していた。

 

 「ここが凱旋門賞への試金石、フォア賞……。」

 

 レースの前、彼女の心はすでに決まっていた。

 今日、ここで勝つことは何よりも重要だ。

 この勝利が凱旋門賞への鍵となる。

 

 ゲートが開くと、その瞬間、アンダルシア・ブルーが飛び出した。

 だが、メロヴィクトは微動だにせず、じっとその動きに目を凝らす。

 アンダルシア・ブルーは明らかに先頭を取った。

 だが、そのペースが尋常ではない。

 少しの躊躇いもなく、彼女は全力で一気に加速した。

 直向きに前へ前へと突き進む。

 

 「……欧州レースで大逃げ?」

 

 メロヴィクトは疑念を覚えつつも、後方の中団の位置から冷静にその動きを見ていた。

 恐らく、アンダルシア・ブルーはラビット役と言うモノだろう。

 ラビットは同じチームのエースの為にペースを引っ張り、後ろのウマ娘たちを引き離していく。

 それが彼女の仕事だ。

 だが、パドックで見た彼女の目には、焦りの色が浮かんでいたのが何故か気になった。

 

 「あの人は何を考えている…?」

 メロヴィクトは一瞬、その速度に警戒感を覚えた。

 しかし、すぐに冷静さを取り戻し、計画通りペースを守ることに集中する。

 

 「Ma che fa questa? Va troppo veloce per essere una lepre!(彼女、何してるんだ?ラビット役にしては速すぎる!)」

 

 イタリアのウマ娘、ロベルタ・ベルディも疑念を抱く。

 確かにその速さは、通常のラビット役とは明らかに異なっている。

 周りがアンダルシア・ブルーに対して最初に思い描いていた「ペースメイカー」としての役割に、明らかに反していた。

 だが、誰もが「速すぎる」と思っても、誰もその意図を完全には理解していない。

 

 「Pourquoi elle fait ça ? Elle va s'épuiser avant le tournant final.»なんでこんなことを?最後のコーナー前に力尽きるだろう。)」

 

 フランスのウマ娘、エトワール・ドゥ・セーヌが呟く。

 その不安げな言葉が、他のウマ娘たちにも伝播する。

 アンダルシア・ブルーのペースが速すぎるのだ。

 だが、それでもその足は止まらない。

 

 残り600メートル、アンダルシア・ブルーはまだ先頭を譲らない。

 だが、その走りには無理が生じてきていた。

 既に呼吸が乱れ、足取りが重くなる。

 

 「これは、無理かもしれない。」

 

 メロヴィクトは中団としてその動きを見つめていた。

 まだ無駄に前に出ることはない。

 あのペースなら最終直線で必ず垂れる。

 焦らず、じっくりと、隙を狙う。

 それが今の彼女の戦い方だ。

 メロヴィクトはアンダルシア・ブルーの後ろに、じりじりと近づく。

 

 残り400メートル、アンダルシア・ブルーのスピードはさらに鈍り、ついに他のウマ娘たちが次々とその背中に並びかける。

 

 「Ça va être dur de tenir jusque là…ここから最後まで持つかどうか分からない…)」

 

 フランスのウマ娘、エトワール・ドゥ・セーヌがその瞬間を見逃さずに、その貯めた脚で加速する。

 

 「Andalucia Blue semble enfin à bout de forces. Mais en tant que lièvre de notre équipe, elle a accompli un travail plus que suffisant.(アンダルシア・ブルーが、ついに力尽きそうだな。だが、我がチームのラビットとして、充分な働きだ。)」

 

 その時、メロヴィクトもようやく内側に隙間を見つけ、そこから一気にスピードを上げた。

 全力で前に出る瞬間が来たのだ。

 

 「ここです。」

 

 メロヴィクトは冷静に、アンダルシア・ブルーをその射程に収め、ゴールラインを目指して全力で駆け出した。

 

 残り100メートル、メロヴィクトはアンダルシア・ブルーに並びかけるが、アンダルシア・ブルーが歯を食いしばり最後の力を振り絞る。

 残り50メートルの地点でメロヴィクトの耳にアンダルシア・ブルーの血を吐く様な叫びが聞こえた。

 そのまま一気に突き放したメロヴィクトがゴールを越えた瞬間、彼女は深呼吸をしながら徐々に足を緩める。

 

 「……勝った!」

 

 しかし、彼女の目に宿るのは勝者としての満足感ではない。

 その裏には、アンダルシア・ブルーの強さと叫びを感じ取ったことがある。

 

 「……彼女、最後まで戦ってた。」

 

 その言葉には、アンダルシア・ブルーの精神力を称賛する気持ちが込められていた。

 アンダルシア・ブルーの強さは、単なる「ラビット役」に収まるものではなかった。

 彼女の中にあったもの。

 それは、最後まで戦い抜く強い意志だった。

 

 

 ゴール板を過ぎた瞬間、歓声が重く降り注いだ。

 勝った。

 息を整えながら、六畳一間を思う。

 ――静かすぎる。

 かすかな影が揺らぐ。

 

 「……我が意志が……」

 

 声は、薄い。

 以前なら、勝利と同時に満ちたはずの存在感がない。


 祝福も、誇張も、誇らしさも。

 ただ、静寂。

 (私が強くなったから……?)

 

 

 ホテルの窓から、夜のロンシャンが見える。


 遠くのスタンドに月光が落ちている。

 テレビには参考資料として再生している凱旋門賞の過去映像。


 重い芝。

 密集するバ群。

 歓声。

 

 「……」

 

 ビクトリームの声はか細く、風に溶けるように弱い。

 メロヴィクトは窓に手を置いた。

 自力で勝った。


 確かに、勝った。

 それなのに。

 胸の奥に、小さな空白がある。

 ――V無し。

 勝利の裏で、何かが静かに削れている。

 凱旋門賞まで、あとわずかだった。

 

 






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 次回もぜひお楽しみに!
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