ウマ娘伝説:蒼焔の挑戦者   作:ネギ市場

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第18話「最後の溜め」

 

 

 日本は、異様な熱気に包まれていた。

 ワイドショーは連日特集を組み、
スポーツ紙は一面を割く。

 《日本の悲願、今度こそ達成なるか?》
 

 《歴史を変える少女》

 画面いっぱいに映し出されるのは……『凱旋門賞』の舞台、
パリロンシャンレース場。

 日本の街頭ビジョンの前では足を止める人々。


 SNSのトレンドは『メロヴィクト』『凱旋門』。

 そして――URA本部の会見。

 壇上に立つ理事長。

 

 「我々、日本URAは、総力を挙げてメロヴィクト選手の凱旋門賞挑戦を支援します」

 

 遠征サポート体制、医療班増員、現地スタッフ増強。

 国家事業のような空気だった。

 

 

 その様子を、パリのホテルで聞かされる。

 

 「……え?」

 

 見せられたトレーナーのスマート端末を覗き込む。

 

 「日本、今すごいぞ。完全に祭りだ」

 

 メロヴィクトは慌てて自分のウマホを起動する。

 通知が止まらない。

 応援メッセージ。


 期待の声。


 “歴史を頼んだぞ”。

 スクロールする指が止まらない。

 (え、ちょっと待って。こんなに?)

 鼓動が速くなる。

 (……これって、負けられない?)

 喉が乾く。

 

 「……かなり重い?」

 

 トレーナーが笑う。

 

 「当然だろ。凱旋門は日本の悲願だぞ?」

 「そんな軽く言わないでください……」

 「なに、大丈夫だ」

 

 ぽん、と頭に手が置かれる。

 

 「お前はもう、誰かの夢で走る段階じゃない」

 

 真っ直ぐな目。

 

 「お前はお前で走れ」

 

 そう言って笑うトレーナーの姿に、少しだけ呼吸が整ったメロヴィクトだった。

 

 

 翌朝。

 

 「……仕上げだ。付き合え」

 

 トレーナーに連れられ、ロンシャン近郊の練習場へ向かう。

 霧が薄く残る芝。

 その中央に立つ影。

 長いシルエット。

 

 「……」

 

 振り向いたその姿に、メロヴィクトは息を呑む。

 皇帝シンボリルドルフ。

 

 「やあ」

 

 穏やかな声。

 

 「無事に辿り着いたな?」

 

 あの日、中央トレセン学園で交わした言葉が蘇る。

 未完の一言。

 “その言葉は、現地で伝えよう。”

 

 「最後の仕上げだ。走るぞ?」

 

 ウォーミングアップの後、自然に併走が始まる。

 上り坂。

 無駄のないフォーム。

 

 「ここで焦れば脚を削る」

 「はい」

 「フォルスストレートは幻だ」

 

 並びながら、呼吸が合う。

 

 「溜めろ」

 

 最後の直線を想定して、加速。

 ルドルフが半歩前に出る。

 メロヴィクトも踏み込む。

 並ぶ。

 競り合いではない。

 確認。

 ゴール地点で止まる。

 静かな風。

 

 「いい目だ」

 

 汗を拭いながら、トレーナーと三人で同じベンチに座る。

 トレーナーがバッグから軽い食事を取り出して手渡して来る。

 ルドルフは水を一口飲み、視線を向ける。

 

 「あの時の言葉の続きを言おう」

 

 メロヴィクトは背筋を伸ばす。

 

 「凱旋門賞は夢の舞台ではない。現実だ」

 

 あの日と同じ言葉。

 

 「だからこそ――」

 

 一拍。

 

 「恐れるな」

 

 静かに続く。

 

 「現実は、意思で変えられる」

 

 遠くのロンシャンを見据える。

 

 「私は世界を見られなかった」

 

 ダービー後の幻となった凱旋門計画。


 英キングジョージ。


 アーリントンミリオン。

 

 「行けなかった悔しさは、今も残っている」

 

 だが、と首を振る。

 

 「君に託すのではない」

 

 真っ直ぐな目。

 

 「君自身のために勝て」

 

 胸の奥が、静かに熱を持つ。

 

 「もし、結果を残せなかったら……」

 「胸を張って帰ってくればいい」

 

 優しい声。

 

 「世界は一度きりではない」

 

 立ち上がる。

 

 「ただし――」

 

 微笑む。

 

 「勝てると思って走れ」

 

 その言葉は、重くない。

 重圧ではなく、信頼だった。

 ルドルフは振り返らずに去る。

 

 「君の走りを忘れるな」

 

 最後の一言。

 霧が晴れる。

 メロヴィクトは、深く息を吸った。

 背負うものは大きい。

 だが、潰れない。

 そして、夜になれば――最後の別れが待っていた。

 

 

 凱旋門賞前夜。


 ホテルの窓から見える夜のパリは、静かに光っていた。

 セーヌ川の流れは穏やかで、遠くに見える
パリロンシャン競馬場
のスタンドは闇に沈んでいる。

 明日、あそこが戦場になる。

 部屋のテーブルには、日本から届いた箱が置かれていた。

 丁寧に梱包されたそれを、メロヴィクトは静かに開ける。

 夕張メロン。

 甘い香りが、部屋に広がる。

 

 「……間に合ったね」

 

 切り分けた一切れを口に運ぶ。

 濃い甘味。


 確かな実り。

 六畳一間が、光る――はずだった。

 だが。

 ビクトリームは、立ち上がらない。

 

 「……甘味は、ある」

 

 声は、弱い。

 六畳の空気が、どこか歪んでいる。

 V輪郭が揺らぎ、ビクトリームの体が粒子のようにほどけていく。

 ビクトリームは、はっとする。

 

 「……これは?」

 

 ビクトリームには見覚えがあった。

 かつて、敗北した魔族が魔界へ強制送還されるときの――
あの、光の粒に分解されるエフェクト。

 それを見たメロヴィクトが混乱気味に叫ぶ。

 

 「ちょっと待って。何それ。なんでそうなってるんですか!」

 

 ビクトリームは、自分の手を見る。

 指先が透けている。

 

 「時間が……ないらしい」

 

 静かだった。

 怒りも誇張もない。

 ただ、受け入れた声。

 

 「強くなりすぎたのだな」

 「は?」

 「依存が消えれば、象徴は不要になる。王とは、そういうものだ」

 

 メロヴィクトは眉をひそめる。

 

 「ちょっと何言ってるかわからないです」

 

 六畳の壁が、砂のように崩れ始める。

 王の玉座が軋む。

 

 「最後に、教えておく」

 

 ビクトリームは、かすかに笑った。

 

 「シン・チャーグル・イスミドン」

 

 言葉が空間に刻まれる。

 それは呪文でも、加護でもない。

 “溜め”だ。

 力を解放するためではなく、限界まで引き絞り、最後の一瞬にすべてを集約するための技。

 

 「最後の直線……溜めろ」

 

 メロヴィクトの脳裏に、ロンシャンの533メートルが浮かぶ。

 フォルスストレートで動くな。


 直線で解き放て。

 

 「一粒の種は、百万のメロンを生む」

 

 六畳が崩れる。

 光が、舞う。

 

 「これを忘れるんじゃないぞ……」

 

 緑の光が、消えた。

 ビクトリームの姿が、消えた。

 六畳一間が、完全に沈黙する。

 静寂。

 部屋には、メロヴィクトひとり。

 甘いメロンの香りだけが残っている。

 しばらく黙ってから、彼女は小さく呟いた。

 

 「いや、ほんと……最後まで意味わからないです」

 

 窓の外、パリの夜。

 だが胸の奥には、奇妙な感覚が残っていた。

 消えたはずなのに、空ではない。

 溜まっている。

 明日。

 バックストレッチの上り坂。

 フォルスストレート。

 そして、最後の直線。

 解放するのは、王の力ではない。

 自分の意思だ。

 凱旋門賞まで、あと数時間。

 最後の溜めは、もう始まっていた。

 

 

 ホテルの部屋は静まり返っていた。

 甘いはずのメロンの香りは、もう薄い。

 六畳一間は、ない。

 王冠も、玉座も、あの誇張だらけの声も。

 メロヴィクトはベッドに腰を下ろしたまま、動けずにいた。

 

 「……ほんと、意味わからないです」

 

 そう言ったはずなのに。

 気づけば、頬が濡れている。

 ぽた、と落ちた涙が、手の甲に当たる。

 悔しいのか、寂しいのか、自分でも分からない。

 依存だったのかもしれない。


 鬱陶しい存在だったのかもしれない。


 でも――

 

 「勝った時、いつも一緒にいたじゃないですか……」

 

 声が震える。

 返事はない。

 当たり前だ。

 消えたのだから。

 メロヴィクトは泣いた。

 子供のように、声を押し殺して。

 やがて、涙は止まる。

 静寂。

 胸の奥に残っているのは、空白ではない。

 熱だ。

 あの最後の言葉。

 

 『一粒の種は、百万のメロンを生む』

 「……だったら」

 

 ゆっくり立ち上がる。

 

 「私が、種になります」

 

 鏡の前に立つ。

 赤く腫れた目。

 それでも、視線は揺れていない。

 

 「貴方の分も、走ります」

 

 宣言ではない。

 誓いだ。

 凱旋門賞は、夢ではない。

 現実だ。

 だからこそ――

 

 「勝つ」

 

 夜が明ける。

 

 

 朝。

 ホテルのロビーで、トレーナーは腕を組んで待っていた。

 時計を見る。

 まだ少し早い。

 エレベーターの到着音。

 振り向く。

 

 「おはようございます」

 

 その一言で、空気が変わった。

 トレーナーは一瞬、言葉を失う。

 立っているだけなのに、圧がある。

 昨日までの迷いが……ない。

 輪郭がはっきりしている。

 

 「……どうした?」

 「何がですか?」

 

 自然体だ。

 だが違う。

 芯が通っている。

 トレーナーは、わずかに笑う。

 

 「いや。なんでもない」

 (仕上がったな)

 

 気圧されたのは、ほんの一瞬。

 すぐに背筋を伸ばす。

 

 「行くぞ!」

 「はい!」

 

 その返事は、軽くなかった。

 

 

 パリロンシャン競馬場。

 控え室。

 静かな空間。

 遠くから歓声が聞こえる。

 メロヴィクトは勝負服に袖を通す。

 指先まで丁寧に整える。

 深く息を吸う。

 目を閉じる。

 ――六畳一間は、ない。

 ビクトリームの姿も、声も、感じない。

 だが。

 消えたわけではない。

 内側に沈んでいる。

 溜まっている。

 “最後の溜め”。

 呼吸を整える。

 一拍。

 二拍。

 三拍。

 トレーナーが、少し離れた位置から見守る。

 何かが違う。

 見えないはずなのに。

 空気が震えている。

 圧。

 熱。

 静かな炎のような気配。

(……なんだ、この感じは)

 次の瞬間。

 メロヴィクトが目を開く。

 その瞳の奥に――

 蒼い焔が灯っていた。

 揺らぎのない、深い青。

 燃えているのに、静か。

 トレーナーの喉が鳴る。

 

「……メロ」

 

 彼女は立ち上がる。

 迷いなく。

 真っ直ぐに。

 

「トレーナー」

 

 視線が合う。

 

「勝ちに行きます」

 

 初めてだった。

 “挑みます”でもなく、“頑張ります”でもなく。

 “勝ちます”でもない。

 勝ちに行く。

 確かな意志。

 トレーナーは、ゆっくり頷いた。

 

 「……ああ」

 

 扉の向こうで、歓声が膨れ上がる。

 凱旋門賞。

 世界最高峰。

 夢ではない。

 現実。

 蒼炎は、まだ静かに燃えている。

 解放は――直線だ。

 





 メロヴィクトの成長と、ビクトリームとの別れを描いたこの話、いかがでしたか?
 彼女が誰かのためではなく、自分自身のために戦う決意を固める過程を描けて嬉しく思います。
 次のステージ、凱旋門賞での戦いもお楽しみに。
 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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